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幸せな人生

みなさん、お久しぶりです!
お元気ですか?


いろいろ書いたけど
思い出してみれば
私の人生は
私のしたいことができた人生でした。


「喜んで」の実践は
私の理想のあり方を実現するための実践でした。

第2の道は
自分の限界に挑む実践でした。


どれも私が
「そうする!」
と決めてした実践でした。

私がそう実践することを
許してくれたこの世界がありました。

ありがたいことです。


どんな厳しい道も
人から言われて進むのでは
続きません。

私は自ら「喜んで」
厳しい道に飛び込みました。

物好きですね(笑)


この人生を最後にすると決め、
だからこそ精一杯
後悔することないよう頑張った道。

その険しかった道に感謝です。

(険しい道があったからこそ
頑張ることができました)


その道を歩き終えた私には
何もなくても幸せな世界がありました。

これもまた
私がこのブログで書いていた
私の理想とする世界でありました。

あきらめなければ
理想は必ず叶う、
達成するまであきらめなければ。

これは私がそうだったので
断言できます。


毎日、みんな同じように
時間は過ぎていきます。

その時間をどう過ごすかは
その人次第です。

自由ですよね。

私にとっては無駄な時間はなく、
どの時間も挑戦するためにある
貴重な時間でした。

、、挑戦ともいえるけど
実験ともいえる(笑)

今、この瞬間さぼって
あとで、
「あの時、がんばっていたらよかった!」
なんて言いたくありませんでした。

妥協なし(笑)


こんな私だから
私の道を人に伝えるときに
厳しい言葉になってしまう。


しかし、
私のように生きる必要はないよね。
当然。


優しく生きること

楽しく生きること


そう生きたければ
それが道になる。


私は厳しい道を好んで進んだだけです。


幸せに笑っている人を見ると
うれしくなります。

みんながそういられる世界であったらいいな
って思います。

辛いことがあっても
それを吹き飛ばして
笑顔でいられたなら

とても素晴らしいことだと思います。

そしてそれを極めるのなら、
大変なことがあるかもしれません。

なぜなら
吹き飛ばせないくらいの
大変なことが起こるかもしれない。

しかし、
自分の理想をしっかりと持ち
それを目指していくなら
そう言ってはいられない。

絶対に
大変なことを吹き飛ばして
笑顔でいるべきなのです。

これは私のかつての道にも共通する
生き方の一つです。


自分の理想を実現するために
(理想は善であるべきですよ、もちろん)
妥協せず生きていれば
いろんなことが起こった時に
どうしたらいいか選択を迫られるでしょう。

ぶれない理想が
確実にあるのなら
当然、
その理想に沿った選択をしていくはず。

私はそうしました。


その繰り返しは
確実に自分を前進させます。

どうぞ、どうぞ
あきらめないで
後悔ない人生を送ってね。

応援しています、いつでも!


@(*・ω・*)ポッ



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険しく厳しく、そして険しくなく厳しくない道

私は昔
独自の道をあるきました


なぜ、そんな道を歩いたのかというと

、、、よくわかりません(笑)


今思い出せば
険しく厳しい道でした。

しかし、そう生きていた時
険しいとも厳しいとも思ってませんでした。


では、なぜ
思い出せば険しく厳しい道だったのかというと

私の道を伝えると
私のやってきたことを伝えると
大変厳しい内容になるみたいだからです。


私のやってきたことは特別な内容はありません

しかし、私と同じ道を歩きたい
という人が万が一、億が一、いた場合
私のやり方をきちんとお伝えするとなると
厳しい内容になります。

単純なのですが
コツがあり
どの瞬間も怠ることなくやっていかなければなりません。

その実践そのものとなるくらい。


「自分(の思い)を捨てて心からなんでも喜んでしよう」

私の指針はたったこれだけでした。
これをきちんと行いました。
(しかし、はじめからうまくいったというわけではなく
できなかったら反省し、その繰り返しで
積み重ねていきました)

ちなみにこの指針にはたくさんの秘密があって
その一つをお伝えすると
「自分を捨てて」
のおかげで
厳しい道を厳しいと思える瞬間がありませんでした。

逆に
「厳しい」と思った瞬間
自分を捨てることができていないことになります。



自分が決めた善なる指針は
必ず道へと導きます。

自分の指針を決めるコツは
2重構造にすることです。

1つの実践を2重構造にするのです。


私の場合

まず、「自分の思いを捨てて」

そして「心からなんでも喜んでする」

という2重構造でした。


人は「~しよう」とするとき
純粋に「~」は実はできていません。

しかし、二重構造はそれを助けてくれます。

まず「捨てて」
=「捨てようとすること(にどうしてもなってしまう)」
=捨てられていないのですが
次の行動
「喜んでしよう」に続くことによって
捨てようとする意志が「喜んで」に移動し
結果的に捨てようとせずに捨てた状態で
「喜んで」をしようとすることができます。

そして「喜んで」をしようとするとき
それは純粋なる「喜んで」には
どうやってもなりえないのですが
次の「自分の思いを捨てて」が続くことにより
自分の意志が「捨てよう」とする行動に移るため
純粋なる「喜んで」に近くなるのです。


人には「思い」「意志」が必ずあり
常に働いています。
それが人です。

その意志によって
人は行動そのものになれないのですが
しかし、そのおかげで
行動を意志でコントロールすることができ
(それが実践できる素質を持ち
よって実践を全うするチャンスを持っていることになります
人として生きているだけで
それだけの特権をもっていることになります)

次の行動(意志)に思いが移ることによって
そのものに近い状態になることができます

また行動のきっかけに
人は必ず意志が必要です。
必ず必要。

その意志が「行動そのもの」になるのを
結果的にさえぎってしまうのですが
そこをかわす方法が
2重構造の実践です。


また、この2重構造の実践をし続けると
自然とコツがわかり
2重構造でありながら
1重構造の実践となります。

「捨てる」ことと「喜んで」が同時になるのです。

実践すればするほど
そのプロになります。

これはなんでもそうですよね。

極めたかったら
ただただ精進、訓練、練習をしていくことです。

精進、訓練、練習することなく。

怠ることなく実践し続けていくことが
大切です、
実践することなく。

自分が決めた指針を
途切れることなく実践し続けることが
大切になります。


これは延々と続くのでしょうか。

しかし、真に実践していれば
延々と続くのか?
といった気持ちにはなりようがありません。

なぜなら真に実践していれば
その都度純粋な「それそのもの」に近くなっていますから
そう思う暇がない

よって真の実践をすると決めて
その実践中私に
「この実践をずっとしなければならないのでしょうか?」
と問うた時点で
(=そういった思いが発生した時点で)
実践ができていない証明となり
不合格です。

なぜ、「今」実践しているときに
「ずっと」という今から離れた概念(時間)
が発生するのでしょうか


なんとなくわかっていただけたかな。


疑問を持つ時点で
感想を持つ時点で
これからどうなるのだろうと思う時点で
実践者としては不合格

もちろん普通に生きるのであれば問題ありません

私の通った道を歩くのであれば
ということです。


、、、しかし、私の通った道を歩きたい人は
億が一にもいないと思います

よって私のやってきたことを
残す必要は全くないです。

しかし億が一、いた場合のために
とりあえずここに書いときます。



ちなみに余談ですが
「いつまですればいいのだろう」
といった疑問が出るのを防ぐ一つの方法は
実践を始める前に
「一生やる」と決めてしまうことです。
(そのため実践内容は
確実に正確に時間をかけて吟味する必要があります。)

私がそうしていましたので
実践中、疑問は全く出ませんでした。

そして一生やっていくつもりが
実践のほうが消滅してしまい
(=自我が消滅)
結果的に終了となりました。

人生、何が起こるかわからないもんです。


ちなみにちなみに
「いつまですればいいのだろう」
という思い、問いは
いわゆる「悪魔の声」とも言えるもので
実践を妨げるものです。

この思いに耳を傾けてしまうと
悪魔の思うつぼです

悪魔の誘惑に負けない
強い意志が実践には必要となります


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簡単に悟れる方法とは?②

前の記事でこう書きました


まず、自分が生きていくルール
指針を一つ決めます。

言い方を変えれば
自分なりのポリシー
自分なりの守るべきこと
自分の行動のルールなど

ひとつだけ決めます。

あとはそれを必ず守って
自由に生きる
ということです。


たったこれだけです。


(詳しくは前の記事へ)


この生き方は
(今まで何度も書いたかもですが)
自分を守らずして
いつの間にか守られています。

「守られている」というのは
いらぬいろんな意識の餌食になりようがない
とも言い変えることができます


一つのルールを大切にし生きれば
自分の意識を
あっちこっちに行かせることがありません

ルールが道しるべとなります


人は必ず
何かの思いを常に持っています。

だから
「思いを持たないようにしない」
というのは
人として生きる上では
不可能なことです。

(ただし悟れば思いは消滅し、
思いは浮かぶことがありません)


よって人として生きる場合

どんな思いを持っているか

はとても重要なことです。

(「思いはない」と言えば
「思いはない」という思いを持っているのです

ではラピ。も「思いがない」と言っているけど
実はそういう思いを持っているんじゃない?
と思うかもしれませんね

私の状態は言葉で表すと「思いがない」
とも言えるのですが
それは数ある表現のうちの一つであり
よってその状態を
いろんな表現で表すことができます

なぜならそうだからです

言葉で表せないことを表そうとしたら
その状態の一部しか表せないので
逆にいろんな表現ができるのです)



私の場合
自分のルールを守って生きることで
それ以外の善くない思いから
いつの間にか守られていました。

それは「守られている」と実感した瞬間
守られない、というもので
なぜなら
「守られている」という思い自体が
すでに自分のきめたルールから外れるからです

自分の決めたルールを守る
→すでに守られている

守られていると思う
→守られているという思いに支配され
結果それに囚われている

支配という言葉は大げさでしょうか?

いいえ、そのようなことはありません。

では自分のルールを守ることは
その守ることに支配されているのではないか
と思われるでしょうか。

いえ、そのようなことはありません。


守るという思いは
意志でもあり
思いのひとつではありますが
その思いは自分の意志によって発するものです

守られているという思いに
「意志」はありません。
単なる「守られている」という思いに
支配されているだけです。

そもそも守られているという思いの状態では
自分の意志はどうなっているでしょうか。

すっかりよそに行ってしまっています。


よってこの簡単な悟れる方法の
もう一つのポイントは

積極的な意思を使って実践していく

ということです。


「自分のルールを守り続けよう」

自分の意志を常に働かせて
常にそのルールを守って生きていくことは
いつのまにか いらぬ思いを寄せ付けません。

自分があれやこれや
単なる思いを巡らせている間は
その思いに支配されてしまっています。

それは道ではありません。


あれこれ思いを巡らせるのは
楽しいでしょうか。

楽しいことを思い浮かべて
うれしくなるとか。

しかし、その途中で
嫌な思いが浮かんできたらどうでしょうか。

楽しい思いも嫌な思いも
同じ思いであって
その思いを巡らせている時に
一体、何が起こっているのでしょうか

その思いに支配されている状態で
ある現実の出来事が起こった時、
その「思い」の眼鏡を通して
経験することになります。

出来事に自分なりの解釈
自分なりの意味づけをしてしまいます。

それは
同じ出来事でも
喜ぶ人もいれば悲しむ人もいる
ということで証明できます。


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簡単に悟れる方法とは?

昔、私は
誰もが簡単に悟れる方法を発見したいと思っていました。

(その頃は「悟り」という言葉よりは
「覚醒」という言葉をよく使っていましたけども)



そのためにも
まずは自分が悟らなければ、と思いました。


自分ができれば誰もができる。

自分ができなければ
できない人が存在してしまう。

と考えていたからです。


そして求めていた簡単に悟れる方法は、、、、


見つかりませんでした。


確かに悟ったのですが
簡単に悟れる方法なんてありませんでした。


なぜなら私が通った道が
過酷だったからです。



しかし、ある意味、
ある方法を見つけました。

これは私の第一の実践に通ずるもので
誰にでもできる方法です。

そして私が第一の実践をやり遂げたように
必ずやり遂げるべきことであり、
これをやり遂げることによって
さらなる悟りの道が開きます。

少しづつ
でも確実に進むことができる方法です。

とっても簡単です。



まず、自分が生きていくルール
指針を一つ決めます。

言い方を変えれば
自分なりのポリシー
自分なりの守るべきこと
自分の行動のルールなど

ひとつだけ決めます。

あとはそれを必ず守って
自由に生きる
ということです。


たったこれだけです。

大切なことは
じっくり自分のルールを決め
一生守る指針とし
必ず守ったうえで
それ以外は自由に生きる、ということです。

しかし、自由に生きると言っても
もちろん善なるベクトルでの自由ですよ。

経験の積み重ねをカルマ落としに使いましょう
一石二鳥です!


スピリチュアルで言われている
例えばその都度直感で生きること。

これは言い方を変えれば
思い付きで生きることで
あっち行ったりこっち行ったりの
無秩序な生き方です。


私はスピ系で実践しているとき
実験的にそう生きていた時があります。

今思うと
愚かでしかありませんでした。

その経験があってからこそ言えるのですが
なんでもありの生き方は
(しかし、必ずその都度の善ですよ)
実は自分の心も体も無駄に酷使してしまいます。

よってやめたほうがいい。

きちんと自分の指針を大切にし
それに沿った道が
求める道への一本の最短距離です。

あっち行ったりこっち行ったりは
気づけば進むどころか
後退していたり
分かれ道だらけだったり
または深い森の中を
なんの道しるべもなく歩いているようなもの。

深い森に棲む猛獣の
格好の餌食となるでしょう。


そのことを知っている私であれば
そういう人に
「その森に入ってはならない」
ともちろん止めるでしょう。



しかし、もし自分の善なる指針があればそれは
地図となる

その指針があって
しかし万が一森に入ってしまったとしても
その中ででも指針を守っていれば
そのうち森そのものが存在できなくなるでしょう。


見渡せば
自分を邪魔するものはなく
ただただ自分の目の前に一本の道がある。

坂道、でこぼこ道、砂利道、泥道
かもしれませんが

しかし、道は道であり
それは一本道であり
迷う必要はない。

ただ進む勇気があるかないかだけです。



自分の善なる指針を決め
一生かけて守ると決心し
あとはその道を自由に進んでください。


そんな道。自由じゃないよ。

そう思うかな。


その道を好きなように自由に歩いていいのですよ。

しかし、道以外は歩かないということ。

わざわざ横道にそれて
自由に生きる必要がありますでしょうか。

このブログを読んでいる人で
わざわざ横道
(いや、それはそもそも道ではない(笑)
を歩くことを望む人がいますでしょうか。

その横道を邪道と言います。


どうぞ正道を自由にお歩きください!

大きく手を振って!

善なるカルマに守られながら
=正道を通って
まっすぐ清き道を!



ちなみにここに書いた方法には
大きな秘密が隠されています。

シンプルな方法ほど
奥が深いのです。

秘密を知りたければ
自分がやってみるしかないですよ。

よって私はその秘密を知っています。

これはそれを全うしたものにしか得られない
秘教なのです。


@(*・ω・*)ポッ





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秘密

友人に送ったメールの一部を
公開させていただきます。

誰にでも使える実践のコツです。


(引用ここから)

『本気の実践の時、私は自分の実践の内容を誰にも
明かしていません。

成就してから、ブログなどで実践内容を公表しています。

実はこれには重要な秘密があります。

成就したから公開したのであって
もし、成就できていなかったら
一生、誰にも伝えていなかっただろう、ということです。


もし、本気であるのなら
自分がどんな実践をしているか、
誰にも言わず
もちろん誰かにわかってもらおうとせず
(=よって誰にも言う必要がない)
ただただ行動します。

本気であればあるほど
誰にも言わず
ただただ実践することです。

(誰かに言ってしまうと
実はパワーを失います。)

覚悟の度合いで実践への集中度も変わってくると思いますが
決して無駄なことはなく
必ずつながってくるので
今を大切にどうぞ、精進されてください。』

(引用ここまで)


皆さま、日々精進されていると思います。

日々精進することは
自分の善なる理想に向かって進むことでもあり、
人として生きるのなら
誰かにその理想を理解してもらい
ともに生きる道も素晴らしいと思います。

しかし、自分がやっていることを誰にも告げず
ただただ自分の善なる心に従い
毎日を積み重ねている人もいらっしゃると思います。

素晴らしいです。


私の場合、
自分の理想の道を
人にわかってもらおうとは全く思っていませんでした。

もし、自分の理想を誰かに告げたらどうなるか?

当時、そんなことを考えたことは
全くなかったのですが(笑)
もし、誰かに告げていたら
私の場合ではありますが
(私のその段階の実践として、ですが)
実践は不完全に終わっていたと思います。
(これには秘密があります)

そもそも私の場合、
自分の生き方へのこだわりでもあったので
誰かに説明しようと思う気持ちは発生せず
そんな時間があったら
自分の理想とする生き方をする、という感じでした。


人として生きる道も素晴らしく
(人に自分の理想を伝えること)
自分の限界に挑戦する道も
(誰にも伝えることもなく黙々と生きること)
素晴らし。

どちらも人によっては欠かせない道で
(人それぞれ、段階があります)
どちらからも経験して
そこから得たものを
次の道に生かしてください。


巷にある本の教えは
その本を書いた人の道であり
その本を読む人の道ではありません。

参考にするのは有益ではありますが
自分の道を
自分以外のものに託してはもったいないですよ。

自分の人生なのだから


(余談ですが、
私のこの文章に
もし矛盾点を感じたなら
ちょっと頭で考えすぎかもしれませんよ)



プロフィール

Author:ラピ。



ラピ。至る。
@(*・ω・*)ポッ

2013.5.13以降の記事が
至った後の記事となります。

それ以前の記事は
整頓して非公開にしました。

2006年12月から始めた
このブログ

かなりの記事があって
整頓するのが大変でした(笑)
皆さま今までも
どうもありがとうございました


*:--☆--:*@(*・ω・*)ポッ:--☆--:*:-



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