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簡単に悟れる方法とは?

昔、私は
誰もが簡単に悟れる方法を発見したいと思っていました。

(その頃は「悟り」という言葉よりは
「覚醒」という言葉をよく使っていましたけども)



そのためにも
まずは自分が悟らなければ、と思いました。


自分ができれば誰もができる。

自分ができなければ
できない人が存在してしまう。

と考えていたからです。


そして求めていた簡単に悟れる方法は、、、、


見つかりませんでした。


確かに悟ったのですが
簡単に悟れる方法なんてありませんでした。


なぜなら私が通った道が
過酷だったからです。



しかし、ある意味、
ある方法を見つけました。

これは私の第一の実践に通ずるもので
誰にでもできる方法です。

そして私が第一の実践をやり遂げたように
必ずやり遂げるべきことであり、
これをやり遂げることによって
さらなる悟りの道が開きます。

少しづつ
でも確実に進むことができる方法です。

とっても簡単です。



まず、自分が生きていくルール
指針を一つ決めます。

言い方を変えれば
自分なりのポリシー
自分なりの守るべきこと
自分の行動のルールなど

ひとつだけ決めます。

あとはそれを必ず守って
自由に生きる
ということです。


たったこれだけです。

大切なことは
じっくり自分のルールを決め
一生守る指針とし
必ず守ったうえで
それ以外は自由に生きる、ということです。

しかし、自由に生きると言っても
もちろん善なるベクトルでの自由ですよ。

経験の積み重ねをカルマ落としに使いましょう
一石二鳥です!


スピリチュアルで言われている
例えばその都度直感で生きること。

これは言い方を変えれば
思い付きで生きることで
あっち行ったりこっち行ったりの
無秩序な生き方です。


私はスピ系で実践しているとき
実験的にそう生きていた時があります。

今思うと
愚かでしかありませんでした。

その経験があってからこそ言えるのですが
なんでもありの生き方は
(しかし、必ずその都度の善ですよ)
実は自分の心も体も無駄に酷使してしまいます。

よってやめたほうがいい。

きちんと自分の指針を大切にし
それに沿った道が
求める道への一本の最短距離です。

あっち行ったりこっち行ったりは
気づけば進むどころか
後退していたり
分かれ道だらけだったり
または深い森の中を
なんの道しるべもなく歩いているようなもの。

深い森に棲む猛獣の
格好の餌食となるでしょう。


そのことを知っている私であれば
そういう人に
「その森に入ってはならない」
ともちろん止めるでしょう。



しかし、もし自分の善なる指針があればそれは
地図となる

その指針があって
しかし万が一森に入ってしまったとしても
その中ででも指針を守っていれば
そのうち森そのものが存在できなくなるでしょう。


見渡せば
自分を邪魔するものはなく
ただただ自分の目の前に一本の道がある。

坂道、でこぼこ道、砂利道、泥道
かもしれませんが

しかし、道は道であり
それは一本道であり
迷う必要はない。

ただ進む勇気があるかないかだけです。



自分の善なる指針を決め
一生かけて守ると決心し
あとはその道を自由に進んでください。


そんな道。自由じゃないよ。

そう思うかな。


その道を好きなように自由に歩いていいのですよ。

しかし、道以外は歩かないということ。

わざわざ横道にそれて
自由に生きる必要がありますでしょうか。

このブログを読んでいる人で
わざわざ横道
(いや、それはそもそも道ではない(笑)
を歩くことを望む人がいますでしょうか。

その横道を邪道と言います。


どうぞ正道を自由にお歩きください!

大きく手を振って!

善なるカルマに守られながら
=正道を通って
まっすぐ清き道を!



ちなみにここに書いた方法には
大きな秘密が隠されています。

シンプルな方法ほど
奥が深いのです。

秘密を知りたければ
自分がやってみるしかないですよ。

よって私はその秘密を知っています。

これはそれを全うしたものにしか得られない
秘教なのです。


@(*・ω・*)ポッ





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秘密

友人に送ったメールの一部を
公開させていただきます。

誰にでも使える実践のコツです。


(引用ここから)

『本気の実践の時、私は自分の実践の内容を誰にも
明かしていません。

成就してから、ブログなどで実践内容を公表しています。

実はこれには重要な秘密があります。

成就したから公開したのであって
もし、成就できていなかったら
一生、誰にも伝えていなかっただろう、ということです。


もし、本気であるのなら
自分がどんな実践をしているか、
誰にも言わず
もちろん誰かにわかってもらおうとせず
(=よって誰にも言う必要がない)
ただただ行動します。

本気であればあるほど
誰にも言わず
ただただ実践することです。

(誰かに言ってしまうと
実はパワーを失います。)

覚悟の度合いで実践への集中度も変わってくると思いますが
決して無駄なことはなく
必ずつながってくるので
今を大切にどうぞ、精進されてください。』

(引用ここまで)


皆さま、日々精進されていると思います。

日々精進することは
自分の善なる理想に向かって進むことでもあり、
人として生きるのなら
誰かにその理想を理解してもらい
ともに生きる道も素晴らしいと思います。

しかし、自分がやっていることを誰にも告げず
ただただ自分の善なる心に従い
毎日を積み重ねている人もいらっしゃると思います。

素晴らしいです。


私の場合、
自分の理想の道を
人にわかってもらおうとは全く思っていませんでした。

もし、自分の理想を誰かに告げたらどうなるか?

当時、そんなことを考えたことは
全くなかったのですが(笑)
もし、誰かに告げていたら
私の場合ではありますが
(私のその段階の実践として、ですが)
実践は不完全に終わっていたと思います。
(これには秘密があります)

そもそも私の場合、
自分の生き方へのこだわりでもあったので
誰かに説明しようと思う気持ちは発生せず
そんな時間があったら
自分の理想とする生き方をする、という感じでした。


人として生きる道も素晴らしく
(人に自分の理想を伝えること)
自分の限界に挑戦する道も
(誰にも伝えることもなく黙々と生きること)
素晴らし。

どちらも人によっては欠かせない道で
(人それぞれ、段階があります)
どちらからも経験して
そこから得たものを
次の道に生かしてください。


巷にある本の教えは
その本を書いた人の道であり
その本を読む人の道ではありません。

参考にするのは有益ではありますが
自分の道を
自分以外のものに託してはもったいないですよ。

自分の人生なのだから


(余談ですが、
私のこの文章に
もし矛盾点を感じたなら
ちょっと頭で考えすぎかもしれませんよ)


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厳しさ

私は実践時
自分に対して厳しい判断をしていました。


はじめは
自分の中にある
「判断する心」に気づき
それが嫌で
それを消してしまうために実践をはじめました。

この時の私が嫌だった「判断する心」は
自分の周りの出来事や
自分の周りの方に対しての
判断する自分の心でした。

それを消したかった。

しかし自分に対しては
厳しい判断をしておりました。

自分の決めたことができなければ
それは「ダメだ」という判断をしていました。

その判断があるからこそ
常に自分の決めたことを
実践する選択ができたのです。

(ここで
「いいも悪いもない」という姿勢であれば
自分の決めた実践も
してもしなくてもいいという姿勢となります。
自分が決めたことを実践するために
正しい判断、ジャッジは必要なのです。

じぶんの決めたことをできたらよい
できなかったらダメだ

簡単に言えばそういった判断で
どっちでもあり、という姿勢では
何も得られない。

ただし私はこの判断は
決して自分以外の人には使いませんでした。
私の実践内容からしたら当然です。

「喜んで」をひたすら実践していたら
周りの人をジャッジする暇はないのです)


常に幸せな世界がいいと思い、
そうであれば自分はどう行動するかを考え
しかし世界に求めるより
まずは自分がそうであるべきだと考え
そう行動いたしました。

言い方を変えれば
常に幸せでない世界を
私の中から排除し続けたのです。

そして私の実践は
周りの世界に直接働きかけるものではなく
常に自分のあり方にこだわり
自分の理想のあり方ができていない場合
自分に対して
そうであるよう常に働きかけるものでした。

自分の理想に対して
常にそうであるよう
心がけました。


よって私の実践を活かして
何かお伝えすることができるのなら
それは厳しいものとなります。

私がそういう道を通ってきたからです。

楽する妥協ありの道は
私にはあり得ませんでした

よってそのような道は
私にとっては道ではない。


もし、ある時は精進し
ある時はそうでない時間のある日々をよしとするのなら
かつての私にはあり得ないことなので
そういう方には
何もお伝えすることはありません。


私は「24時間幸せ」がよかったので
私のあり方は常に24時間、でした。
(ふとできていないこともあったのですが
はっ!と気づけばすぐに修正しました)


そうであるときもあれば
そうでないときもある

それは嫌で

常にそうである

それが私のモットーでした。

初めからできたわけではありませんが
目標を妥協せず高いものにし
それを実践し続けました。

頑張れば頑張るほど
結果はそれについてきます。


例えて言えば

24時間覚醒していれば
覚醒していないときはない

といった感じで。(笑)


善なるこだわり
私は大賛成です。

どんな世界でも
プロであれば
妥協なき道であるはずです。

ま、これくらいでいっか

であれば
「これくらい」の成果しか得られません。




ちなみに余談ですが
私の実践は
「なんでも心から喜んでする」だったのですが
誰かから善でない頼み事をされたことがありませんでした。

実はそれには理由があります。

私の実践が
「自分を捨てて なんでも心から喜んでしよう」
という実践だったからです。

からくりはお伝えしませんが
この実践を思いついたことは
大変ラッキーだったと思います。

「自分を捨てて なんでも心から喜んでしよう」
をきちんと実践したからこその
その恩恵でした。

中途半端なく
きちんとしたからこそです。


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自分の真実を

どんな偉い人の言葉も
確かにそうではあるのだろうけど
それは自分の真実ではない。

その偉い人の言葉を
自分自身が試して
それを経験して初めて
自分の真実となります。


どんな言葉も
確かにそうではあるのだろうけど
それを単純に鵜呑みにせず

その言葉に共感したのなら
自分自身で試してみて
その素晴らしい言葉を
自分の人生で証明してはいかがでしょうか。


同じ言葉でも
人によって捉え方が違うので
実際経験して言っている人の言葉を
まだ経験していない人が
わかることはできません。

想像はできるかもしれないけど
それは想像です。

真実ではありません。


どうぞ、人生を悔いないよう
充実した日々を!


ちなみに言葉とは
もちろん善なる言葉に関してだけですよ。

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自分の思いを捨てて

「自分を捨てて」の実践は
別の言い方をすれば
「自分の気持ちを捨てて」でした。

ただただ自分の中に確実にある
「判断(=批判)する心」の存在を知っており
それがが嫌で消してしまいたかった。


究極、
自分を捨てるのなら
今自分が住んでいる環境も捨てて
自分を追い込むのもひとつの道だったかもしれません。

しかし、もし
環境を変えてやりとげることができたとしたら
環境のおかげであることが否定できなくなる。

私は自分の力でやり遂げたかった、
環境、周りに関係なく。
(自我がとても強かったのです、あきれるほどに(笑)

だからこそ、環境を変えず
そのままの状態で実践を始めたのです。

そして私がもし例えていえば出家したのであったのなら
私のやった方法は
普通に生活している方々には
使えないし伝えることはできません。

しかし、私は社会生活をしたうえで
実践を全うしたので
私の方法は普通の人にも使えると思います。


私の実践は自分の気持ちを捨てるものではあったのですが、、、

自分の気持ちを大切にすることは
正しい方向であれば
人に対して思いやりを持てます。

気持ちを大切にし
人の気持ちの動きなどを
自分に照らし合わせてではありますが
(=自分が基準ではありますが)
理解しているからです。

だから正しい方向での気持ちを大切にする生き方であれば
思いやりを持った人となります。
(正しい方向でなければなりません)


私は自分の気持ちを捨てていたので
まず、自分の気持ちがありませんでした。
(初めから完璧な実践はできていなかったので
もちろん、自分の気持ちがわくことはありましたが
その都度捨てていました)

自分の気持ちを大切にしている人の場合
自分の基準ではありますが
こうすればこういう思いになる
という基準があるので
人に対しても
こうすればこう思うだろうという予想ができ
思いやりある行動
相手に嫌な思いをさせない行動ができます。

思いの動きが予想できて
それに伴った思いやりある行動ができる
ということです。

しかし、私は
自分の気持ちを捨てていたがゆえに
一般的にある思いの動きが
私に当てはまっていませんでした。

例えば一般的に
人が嫌な気持ちになる出来事があっても
私は嫌な気持ちになりようがなかった、ということです。
(面白いのですが
言い方を変えれば
嫌な出来事は起こらなかったと言えた)


自分の気持ちを捨て続ける実践は
捨て続けるものでしたが
結果的に恩恵を得ていました。

なぜこの実践を思いついたのか
わからないのですが
(しかし、本当にじっくり考えました)
とてもありがたい実践だったと思います。


しかし、この実践が
すべての人にあっているわけでは
もちろんありません。


まずは人として生きるためにも
自分を大切にし
周りの人を大切にしなければなりません。


それをまず全うすると
必ずある一つの答えを得ます。

そこからまた道は開けます。



人生とはいろんなことの繰り返しではありますが
それを繰り返して感じることがあると思います。


私も自分の中に気持ちがあったからこそ
それに対しての実践が始まったのです。

もし、自分のその気持ちを
見て見ぬふりをしていたら
今の状況はあり得ませんでした。

まずは自分の気持ちに向き合う。

しかし、それは
まずは自分の周りに向けて
働きかける生き方があったからこそ
自分の気持ちも発生したのです。


外も内もベクトルは違っていても
その存在自体、同じものです。

内、外
振子のように人は揺れ動きます。

例えていえば
社会に出て働くことと
プライベート
どちらも必要であるように。

テンション上がることもあれば
落ち着く時間が必要でもあるように。


私はその振子に気づいていました。
そしてたくさんの人も気づいていると思います。

それに対して疑問に思い
それについて真面目に
人生かけて取り組みました。

その振子を終わらせたかった。

そしてついに
その振子そのものが消えたのでした。


問題が発生したら
答えが必ず存在し
それを解決する方法は絶対にあります。

確実にあります。
見つかるまであきらめなければ。


あきらめないこと


これは最も大切です。









プロフィール

Author:ラピ。



ラピ。至る。
@(*・ω・*)ポッ

2013.5.13以降の記事が
至った後の記事となります。

それ以前の記事は
整頓して非公開にしました。

2006年12月から始めた
このブログ

かなりの記事があって
整頓するのが大変でした(笑)
皆さま今までも
どうもありがとうございました


*:--☆--:*@(*・ω・*)ポッ:--☆--:*:-



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