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喜んで生きること

皆さまお久しぶりです
お元気ですか?

@(*・ω・*)ポッ



悟りの道には
皆様ご存知の通り2つの段階があります。


1つ目は人として生きることで発生する
カルマに対する実践(行動)

これは難しいことではなくて
生きていく中で
人それぞれテーマがあると思いますが
それをやり遂げる、ということです。

私がやっていたことを例に挙げるなら
完璧にいい人になることが
その時の私の人生のテーマでした。

そのテーマをやり遂げるためにできた指針が
「自分を捨ててなんでも喜んでしよう」でした。
(この時の「自分を捨てて」は
自分の思いはもちろん
自分の存在も捨てて、という意味がありました。
しかし、「自分の思いを捨てる」という実践でも
十分いいと思います)

これをやり遂げた時
第2の扉が開きます。

第2の扉は人を超える道です。

善とか悪とか
これはいいとか悪いとか
そういった判断による実践ではなく
例えになりますが
人を超える実践です。

かつて
私はポジティブなブログを書いていました。
幸せをテーマにしたブログを書いておりました。

そんな私からは多分
誰も想像できない
実践の内容です。


今までも何度か書きましたがまさに
第2の実践は命を懸けた
厳しいものでした。

例えて言えば、、これは例えなんですけど、、
息をすることも許されない実践でした。

言い方を変えれば
結果的に自分の意識を
息することにさえ使わない
使ってはいけないほどに
やり遂げる実践です。

釈迦の教えに
花のにおいをかぐだけでもダメ
という感じのがあったと思うのですが
そういう感じです。
(なんとなくしか知らないのですが)


例えて言えば
人は息をしなければ生きてはいけない。

しかし、彼岸に渡るために
「自分」を守っては渡れない。

その「自分」こそが自我であり
その「自分」が消滅した人が
悟った人ですから。

まさしく
命を懸けて激流を渡り、
例えて言えば、
命を捨てなければ渡れない激流の存在のおかげで
自分=煩悩が消滅し
彼岸に気づけばいるのです。


この悟りの道の第2の扉が開くことは
めったにありません。

まずは第1の段階のクリアが必要です。

第1の段階は
人として精一杯生きることで
徐々に全うされていきます。

よってほとんどの方に必要な教えは
第1の段階で活かせる教えとなります。

第1の段階を全うできただけでも
素晴らし。
尊敬いたします。

悟りはある意味おまけで
目指すものではないです。

目指す場所として悟りが存在するのではなく
結果的に悟るだけのことです。




自分を捨てての実践中は
自分を捨てていたおかげで
嫌な思いに支配されず
よって普通の人が悩むであろう出来事があっても
悩むことがなかった。
悩みようがない。
その悩みを捨てていたから。

(悩みが存在し
その悩みを捨て続ける、という行為が存在しており
悩みようがない、と言っても
悟った人が言う、
悩みが消滅して「悩みようがない」
とは全く違う状態)

私の中の嫌な思いを捨ててしまいたかったから
自分を捨てての実践をしていました。

そして自分を捨てていたので
自分の願望もある意味ありませんでした。

矛盾しているように聞こえるかもですね。
説明すると、
まず、「完璧にいい人になりたい」という願望が
この実践のきっかけとなり、
願望のおかげで生まれた実践をまじめにやっていたら
そもそも実践中は
「いい人になりたい」なんて思いは発生するはずがなく
ただただ「自分を捨てて喜んで」の実践をやっていく、という感じです。

願望はきっかけであり、
しかし、単にきっかけであって
願望をかなえるための実践となってはいけない
という感じかな、この実践の場合。

願望をきっかけに決めた実践を
決心したら
ひたすら守って
何も求めることなく
ただただやっていく、喜んで、
という感じです。

その実践はまじめにやれば
実践そのものが「喜んで」になります。

もし、この実践をやって
「喜んで」になれず
例えて言えば嫌な思いが発生したら
それはきちんと実践できていない、ということになります。

「喜んで」の状態であれば
実践は大成功。

嫌な思いが発生したら
すぐに捨てるのです。

よって「喜んで」の実践は
例えて言えば喜びを伴うはずです。
(この喜びは特殊な喜びであり
何かを得てうれしいとか
何かがあってうれしい
といった喜びではないのですが
やってみたらわかります。
ある意味、無条件の喜びです。)


「自分を捨てて」
その実践のおかげで
私は嫌な思いに支配されることはなかった。

自分の思いをその都度捨てていましたから

そして悟った今、
まだ体があるからかつての記憶が
ほんのり残っていますが
そのかつての記憶がいい形で存在しています。

よって第1の段階での実践は
必ず未来につながるので
どんな実践をするかが大切です。

私としては第1の実践として
「自分を捨てて喜んでする」実践は
ある意味、お勧めできます。

ここで
例えば善でないことを頼まれたとき
それも喜んでするのでしょうか?

いえいえ、
善なることに対してのみ実践してください。

善でない実践は悟った後、
違った形で展開されます。

されたら嫌なことは
決してしてはいけない。

(ちなみにありがたいことに
私の実践中に困ったお願い事をされることは
ありませんでした)



悟りを目指さなくても
いえ、目指す必要はなく
いえ、いえ、目指してはダメで
悟りなんて忘れちまって
人として幸せな人生を
どの方にも送っていただきたいです。

そして幸せの積み重ねができますように。


私は何者でもなく
単なる「それ」です。

だから私の言うことなんて
もちろん信じなくてもいいのですが
もし同意できるところがあったら
ぜひ、
「喜んで」生きてみてください。

「喜んで」生きることの効能は
素晴らしいですよ。

素晴らしいんです!
かつての経験者としてお伝えさせていただきます。


とりあえず、今すぐできる
「喜んで生きること」

「喜んで~」の理屈なんてわかっていなくても
今喜んでいるその状態は
幸せなことなのではないでしょうか。


人の感情は結果を引き起こします。

どうぞ幸せな感情から
幸せな結果を得てください。

しかし、自分を捨てていれば
結果を得ても気づくことなく
その実践そのものが喜びとなっているので
結果を得ようが得まいが
すでに幸せであることは間違いありません。

その繰り返しがカルマを解消する。

繰り返しは
輪廻の輪をぐるぐる回っているのに近いかもだけど
回ることを極めたら
回ることなく勝手に回るので
そこまで言ったらプロ級です。

そしてそれが永遠に続くのかと思う時
まだ自分の思いを捨て切れていないからこそ
そう思ってしまうのであり
自分の思いを捨てていれば
そう思わないので
永遠であろうがなかろうが
関係ないこととなります。

よってそこから嫌な思いも発生しない。



悟りについて
語る人によって語り方が違うのは
その悟りの道がそれぞれ違うからです。

私の悟りのきっかけは
ある意味「苦悩」でした。

「どうして自分はこうなんだ、、。
こんな自分じゃダメだ。
完璧にいい人になりたい」

それから発生した実践
「自分を捨てて喜んで何でもしよう」

きっかけは苦悩でしたが
私の歩いた道は
ある意味幸せでありました。
(だから私は善なる幸せな道をお勧めしています)

そして第2の扉は厳しいものではありましたが
あきらめないで良かったです。
(しかし、これはおまけで
達成する必要は全くありません。)

ありがとうございます!


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簡単に悟れる方法とは?②

前の記事でこう書きました


まず、自分が生きていくルール
指針を一つ決めます。

言い方を変えれば
自分なりのポリシー
自分なりの守るべきこと
自分の行動のルールなど

ひとつだけ決めます。

あとはそれを必ず守って
自由に生きる
ということです。


たったこれだけです。


(詳しくは前の記事へ)


この生き方は
(今まで何度も書いたかもですが)
自分を守らずして
いつの間にか守られています。

「守られている」というのは
いらぬいろんな意識の餌食になりようがない
とも言い変えることができます


一つのルールを大切にし生きれば
自分の意識を
あっちこっちに行かせることがありません

ルールが道しるべとなります


人は必ず
何かの思いを常に持っています。

だから
「思いを持たないようにしない」
というのは
人として生きる上では
不可能なことです。

(ただし悟れば思いは消滅し、
思いは浮かぶことがありません)


よって人として生きる場合

どんな思いを持っているか

はとても重要なことです。

(「思いはない」と言えば
「思いはない」という思いを持っているのです

ではラピ。も「思いがない」と言っているけど
実はそういう思いを持っているんじゃない?
と思うかもしれませんね

私の状態は言葉で表すと「思いがない」
とも言えるのですが
それは数ある表現のうちの一つであり
よってその状態を
いろんな表現で表すことができます

なぜならそうだからです

言葉で表せないことを表そうとしたら
その状態の一部しか表せないので
逆にいろんな表現ができるのです)



私の場合
自分のルールを守って生きることで
それ以外の善くない思いから
いつの間にか守られていました。

それは「守られている」と実感した瞬間
守られない、というもので
なぜなら
「守られている」という思い自体が
すでに自分のきめたルールから外れるからです

自分の決めたルールを守る
→すでに守られている

守られていると思う
→守られているという思いに支配され
結果それに囚われている

支配という言葉は大げさでしょうか?

いいえ、そのようなことはありません。

では自分のルールを守ることは
その守ることに支配されているのではないか
と思われるでしょうか。

いえ、そのようなことはありません。


守るという思いは
意志でもあり
思いのひとつではありますが
その思いは自分の意志によって発するものです

守られているという思いに
「意志」はありません。
単なる「守られている」という思いに
支配されているだけです。

そもそも守られているという思いの状態では
自分の意志はどうなっているでしょうか。

すっかりよそに行ってしまっています。


よってこの簡単な悟れる方法の
もう一つのポイントは

積極的な意思を使って実践していく

ということです。


「自分のルールを守り続けよう」

自分の意志を常に働かせて
常にそのルールを守って生きていくことは
いつのまにか いらぬ思いを寄せ付けません。

自分があれやこれや
単なる思いを巡らせている間は
その思いに支配されてしまっています。

それは道ではありません。


あれこれ思いを巡らせるのは
楽しいでしょうか。

楽しいことを思い浮かべて
うれしくなるとか。

しかし、その途中で
嫌な思いが浮かんできたらどうでしょうか。

楽しい思いも嫌な思いも
同じ思いであって
その思いを巡らせている時に
一体、何が起こっているのでしょうか

その思いに支配されている状態で
ある現実の出来事が起こった時、
その「思い」の眼鏡を通して
経験することになります。

出来事に自分なりの解釈
自分なりの意味づけをしてしまいます。

それは
同じ出来事でも
喜ぶ人もいれば悲しむ人もいる
ということで証明できます。


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簡単に悟れる方法とは?

昔、私は
誰もが簡単に悟れる方法を発見したいと思っていました。

(その頃は「悟り」という言葉よりは
「覚醒」という言葉をよく使っていましたけども)



そのためにも
まずは自分が悟らなければ、と思いました。


自分ができれば誰もができる。

自分ができなければ
できない人が存在してしまう。

と考えていたからです。


そして求めていた簡単に悟れる方法は、、、、


見つかりませんでした。


確かに悟ったのですが
簡単に悟れる方法なんてありませんでした。


なぜなら私が通った道が
過酷だったからです。



しかし、ある意味、
ある方法を見つけました。

これは私の第一の実践に通ずるもので
誰にでもできる方法です。

そして私が第一の実践をやり遂げたように
必ずやり遂げるべきことであり、
これをやり遂げることによって
さらなる悟りの道が開きます。

少しづつ
でも確実に進むことができる方法です。

とっても簡単です。



まず、自分が生きていくルール
指針を一つ決めます。

言い方を変えれば
自分なりのポリシー
自分なりの守るべきこと
自分の行動のルールなど

ひとつだけ決めます。

あとはそれを必ず守って
自由に生きる
ということです。


たったこれだけです。

大切なことは
じっくり自分のルールを決め
一生守る指針とし
必ず守ったうえで
それ以外は自由に生きる、ということです。

しかし、自由に生きると言っても
もちろん善なるベクトルでの自由ですよ。

経験の積み重ねをカルマ落としに使いましょう
一石二鳥です!


スピリチュアルで言われている
例えばその都度直感で生きること。

これは言い方を変えれば
思い付きで生きることで
あっち行ったりこっち行ったりの
無秩序な生き方です。


私はスピ系で実践しているとき
実験的にそう生きていた時があります。

今思うと
愚かでしかありませんでした。

その経験があってからこそ言えるのですが
なんでもありの生き方は
(しかし、必ずその都度の善ですよ)
実は自分の心も体も無駄に酷使してしまいます。

よってやめたほうがいい。

きちんと自分の指針を大切にし
それに沿った道が
求める道への一本の最短距離です。

あっち行ったりこっち行ったりは
気づけば進むどころか
後退していたり
分かれ道だらけだったり
または深い森の中を
なんの道しるべもなく歩いているようなもの。

深い森に棲む猛獣の
格好の餌食となるでしょう。


そのことを知っている私であれば
そういう人に
「その森に入ってはならない」
ともちろん止めるでしょう。



しかし、もし自分の善なる指針があればそれは
地図となる

その指針があって
しかし万が一森に入ってしまったとしても
その中ででも指針を守っていれば
そのうち森そのものが存在できなくなるでしょう。


見渡せば
自分を邪魔するものはなく
ただただ自分の目の前に一本の道がある。

坂道、でこぼこ道、砂利道、泥道
かもしれませんが

しかし、道は道であり
それは一本道であり
迷う必要はない。

ただ進む勇気があるかないかだけです。



自分の善なる指針を決め
一生かけて守ると決心し
あとはその道を自由に進んでください。


そんな道。自由じゃないよ。

そう思うかな。


その道を好きなように自由に歩いていいのですよ。

しかし、道以外は歩かないということ。

わざわざ横道にそれて
自由に生きる必要がありますでしょうか。

このブログを読んでいる人で
わざわざ横道
(いや、それはそもそも道ではない(笑)
を歩くことを望む人がいますでしょうか。

その横道を邪道と言います。


どうぞ正道を自由にお歩きください!

大きく手を振って!

善なるカルマに守られながら
=正道を通って
まっすぐ清き道を!



ちなみにここに書いた方法には
大きな秘密が隠されています。

シンプルな方法ほど
奥が深いのです。

秘密を知りたければ
自分がやってみるしかないですよ。

よって私はその秘密を知っています。

これはそれを全うしたものにしか得られない
秘教なのです。


@(*・ω・*)ポッ





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都合のいい解釈

よくこのブログで
「善なる道を」
と言っていますが
この「善」の基準は
人によって違うかもしれません。


しかし、、、。
確実に「善」でないものを
「善」であるとし
それを実行(実践)している人が
たまにいることもわかりました。


「相手のため」「みんなのため」
と自分に言い聞かせ
一般的に善でないことを実行すること

これには何が隠されているのでしょうか。


さて、善の基準ですが
例えば自分が「これは善である」として実行したものが
本当に善であるのなら
その実行したものを
自分がそうされて「善」だと思えるか?
ですかね。

またその善なる行動を
自分が本当に大切に思っている人に
できるか?


また「言葉」なんですが
私が至る前に
そして今も
どうやっても口に出せない言葉があります。

その言葉は
例えて言えば善ではないからです。

自我があった時はもちろん
善悪の判断があるので
悪の言葉を使うことはできませんでしたし
それを発する自分を認めることはできませんでした。

至った後も
かつての私のような
善悪の判断がある人にとって
善くない言葉はつかえない


今は意味がない言葉を
使うことができますが
それでもなかなか荒い言葉はつかえません。

使うとしたら
そういう言葉を発する人に対して
そのままそっくりお返しするくらいですかね。



自分の都合により
「これは善だ」として行動することは
良くありません。
(当たり前ですね)

善でないことを善であるとした人、
善だと思いこんでした人は
それを永遠に続けるでしょう。

なぜならそれが「いい」と
思い込んでいるからです。
(自分にそれは善だと言い聞かせている)

それをやめる時はいつでしょうか?

「よくないんだ」とわかってからではないでしょうか。

よくないとわかると
自分は一体何をしていたんだろうと
思うかもしれない。

この時の罪悪感はすごいものでしょう。
それを背負わなければならない。

またはずっと善であるとして
続けるかもしれない。

どっちにしろ
「善」という「思い込み」とは関係なく
自分がしたことは
そのまま自分に返ってきますので。


そして善でないことを
善なるものとしてしていた人には
自分に起こる出来事の意味がわからない。

「自分はいいことをしてきたのに
この仕打ちは何?」と。

(そもそもこの「いいことをしてきたのに」
と思う時点で
まだカルマの中なので
この人はまだまだ善を為すべき人です。)

そしてそうされた現象に対して
理解できず
そういった出来事に
「それは悪い」というでしょう。

それでもその判断はおいといて
引き続き善でないことを善であるとして
し続けたなら
ちょっと、困った人ですね。

まぁ、これこそ
永遠に続く輪廻と例えられるでしょうか。

自分がしたことと
起こっている出来事の
関連性を認めなければならない。

そして反省し
やり直さなければならない。

それがわかり反省し、
もうそれはやめよう、と決心できた人が
本当の善なる道を歩くことができます。

そう決心した時点で
ぐるぐる回っていた輪の中から
一本の道ができます。

もう回る必要はないし
回りようがない。


都合よく善だと解釈して
行動する人は
同じことが自分に起こった時
「善だ」と言えるのなら
善なのでしょうかね。

ではそういう場合、
その自分に起こった出来事すべてに
善であるとし
善に見えなくても
感謝しなくてはなりませんね。


今自分が善なる行動をすると決心し行動し
しかし、
善に見えない出来事が起こった場合、
自分が善なる行動をしていたのなら
起こる出来事は善であるはずなので
感謝でしょう。

昔のカルマとして起こっている
どう見ても善でない出来事に対して
感謝し
さらに今の善なる道を歩くこと。

それが善の積み重ね。

カルマは解消され
そのうち本当に善しか起こりようがない状態になります。

善に見えない出来事に対して
どう対応するかは
次に続く答えとなります。

それに対する行動を
いろんな形で必ず受け取ります。

よって善を積み重ねたほうが
いいに決まっていますね。


しばらく大変な経験を
善なる道を歩いているにもかかわらず
する人もいるかもですが
あきらめないでください。

善は必ず報われます。

善も悪も
そのまま自分に返ってきます。


善の積み重ねにより
悪が存在できなくなり
そうすれば善を求めることなく
そうでしかなくなるでしょう。

根気のいることがあるかもしれませんが
善なる道は
途中に起こる善でないようなことからも
ある意味、守られています。

私がそうでした。

私も実践中、
いろんな出来事がありましたが
善でかわしました。

「いつか笑える時が来るから大丈夫」

そしてその出来事の記憶は
今は他人事であり、
今の私に影響を及ぼすものではない。

それはその出来事が起こった時
自分の外では出来事が起こっていたとしても
私の中には
感謝しか起こっていなかったからです。
(至る前)

余談ですが
ちなみに今は
その過去の出来事を
感謝でかわす必要さえないです。

そういうものが無いから。






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幸せと悟り

人として生きるのであれば
より幸せを選択する道を。

悟りの道を歩くのであれば
より苦の道を
お伝えすることとなります。


ちなみに悟りの道を究めたら
想像以上の幸せ
幸せを超えた幸せが待っています。

悟りとは自我の消滅であり
苦悩する自分が消滅するわけで
苦を消すことなく
苦が消滅するんです。

そもそも「消滅」って言葉
なかなかな響きを持っています。

簡単に起こることではなく
やはり厳しい道となります。


人として幸せに生きるのであれば
気分転換上手が
より幸せに生きていけると思います。

ある程度の自我のコントロールは
必要ですが
コントロールできれば
結構快適に生きられます。

(反対に悟りは自我の消滅なので
コントロールしてはいけません)



このブログで私は
何をお伝えしたらいいのだろうと思います。


人としての幸せか
(コツをお伝えすること、できると思います。)

悟りの道か
(最高に厳しい道を書くこともできます。
しかし、これを本当にお伝えできるのは
ごくわずかだと思います)



そして悟りについての情報を
少しでも残せたらいいかな
とも思っています。


皆様
何をお望みでしょうか、、、、、。


てへ!


両方かいたらいいのかな。(笑)



人としての幸せと悟りの道は
それぞれ歩いていく方向が違います。

そして悟りの道は
私からおすすめできる道ではありません。

その道しかないと思う人が
その道を歩くしかない状態で初めて
悟りの道の一歩だと言えます。



私はすべての人に幸せであってほしい。

だから幸せについて
書いた方がいいのかな、とも思います。


しかし、悟りについて
ウソ(想像レベル)の情報をばらまいて
(そもそも本人が悟ってない)
高額なお金を取る人に対しては
「悟りから全く離れていて
自分自身、悪いカルマを重ねていますよ」
と言いたいです。

ご本人は人のためにしている
と思われているのでしょうか。

悪気はないのかもしれませんが。

しかし、自我が残っている以上
その人には「悪い」も存在しています。

普通の人としてはそれは普通ですが
人に教えを伝える人としては
どうなんでしょうか。

そもそもとるお金
高すぎませんか???

びっくりするんですけど。


プロフィール

ラピ。

Author:ラピ。



ラピ。至る。
@(*・ω・*)ポッ

2013.5.13以降の記事が
至った後の記事となります。

それ以前の記事は
整頓して非公開にしました。

2006年12月から始めた
このブログ

かなりの記事があって
整頓するのが大変でした(笑)
皆さま今までも
どうもありがとうございました


*:--☆--:*@(*・ω・*)ポッ:--☆--:*:-



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