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能力開発について

私はかつて
能力開発の実践も行っています。
(それが第2と4の実践につながっています)

具体的に何をしたのかというと
「チャクラの開発」と
「大周天」「小周天」です。

今の私からしたら
これらの実践は同じ類のものです。

体のある部分を意識して行うものだからです。

例えばチャクラなら
体にあるといわれているチャクラの部分を
意識して実践すると思います。


チャクラについていろんな情報がありますね。
色とか光とか
あとチャクラに対するそれぞれの模様というか
イメージがありますよね。

チャクラ開発に関しては
私流の方法でやりました。

色やイメージは最終的には必要なかったです。

そのチャクラをイメージして瞑想って方法も
あると思うのですが

しかし、色とかイメージとかは
実は人間レベルのもので
チャクラを悟りにつなげるのなら
=人間を超えたければ
ご存知の通りそれを越えなければなりません。

光もイメージも対象であり
その実践はそれを感じるからこそできる
対象に頼った実践です。

その対象を超える方法が私の方法です。

しかし、私の実践は
いろんなものをぶった切っているので
伝えることはできないのですが
(そして簡単に伝えることができない)
言えることは
チャクラに対する色やイメージは
それを得て
そこで止まってしまえば
それ以上は進めない
=それ以上のものがあるということです。


そもそも能力開発は
対象がある者が欲しがるものであり
かつての私もそうでした。

能力開発は悟りとは方向が違い、
いや、能力開発を超えれば
悟りの道が始まるかもしれませんけど、、。

よってチャクラ開発を目的にしたとき
(または能力開発目的にチャクラに働きかけること)
光が見えたとか、
イメージが見えたとかでは
悟りを目標とする人にとってはまだまだの段階です。

そしてその途中で
なにか能力が開発されたとしたら
それはエゴがある場合(=普通の人)
エゴが増幅する機会となり
下手したらよくない方向へ行く可能性があります。

もしいい方向へ行ったとしても
いつかその能力にも限界を感じ
その能力を捨て去る時が来るでしょう。

どんな能力も
永遠に続けば
必ず飽きてくる。

能力というものを得たら
失うときが必ず来る。

得れば必ずそれは失われるのです。

(=よってもちろん
悟りは何かを得ることではない)


瞑想していて
何とも言えない幸福感が沸き上がって
「これだ!」と
それが悟ったことだと勘違いしている人

瞑想しているとまばゆい光に包まれた
=悟りと勘違いしている人

自分が無限に広がった感覚を得た
=悟ったと勘違いしている人

天から導きの声が聞こえた
=悟ったと思ってそれを生かすために生きると決心する人
(いると思います)

いろんな「悟った!」の勘違いが
いろいろあると思うのですが、、、。

共通して言えることは
それらの状態は長く続かないということ。


「人のために生きること」は
素晴らしいのですが
「自分は悟った」と勘違いすること
悟りから離れてしまっています。

それはまだ悟りの道のスタートに立っていない。
しかし、その経験が必要な人もいるので
間違いではないけど
少なくとも悟りの道のスタートには立っていない。

悟りの道は単純なのですが単純ではないので
いろんなことを経験したほうがいいこともある。

いろいろ経験して
捨て去るべきものがわかり
(自分の捨て去るべきもの、
これは自分にしかわからない)
ついに悟るのではなく
悟りの道が開けるのです。

そう、やっとこれでスタート地点に立つことができる。


だから生きることが大切。

一生懸命生きて
または自分の志を叶えるために奮闘して
自分を生きるためにがんばって

そう生きた人は
そう本気で生きた人には
きっと悟りの道が開ける。

まずは人として自分なりに生きなければ。

それができなければ
悟りの道を歩ける資格はない。

なぜなら悟りの道は
それまで頑張って生きてきた人の「意志の強さ」
が必要だからです。

意志の強さは
人としてきている中で成長します。

例えで書きますが
極限レベルの意志を持った人が
悟りの道への扉を開くことができ
その極限の意志で歩いていくことができるんです。



余談ですが小周天、大周天については
なんとなくできるようになりましたが
(よってできてないかもしれない(笑)
氣を練るという作業が体の部分を
強く意識する訓練になりました。
でも私の場合、それだけでした。

なんでもある程度本などで読んだら
あとは自己流なので(普通はよくないかもしれない(笑)
小、大周天については私は何とも言えません。
(極めていないので)
ただ周天もまじめにやれば
危険を伴う可能性があるので
普通の生活がしたけば
やめたほうがいいと思います。

そして私は結果的にチャクラのほうで実践しました。

チャクラは極めまして
チャクラに関しての秘密を知っています。
(大周天の最終形も同じであろうから
予想がつきますが)

それがどういうことなのか
誰も知ることはできません。

そうならなければ
知ることはできない。
(しかし、「知る」というのも例えです。
悟れば知ることなく知っているんです。)

人から聞いて「わかった!」では
まったくわかっていないということです。

この秘密を伝えることの弊害は大きいです。
だから一般的に知られていないのだと思います。



※お知らせ
ツイッターで更新のお知らせをしていましたが
それを中止いたします。
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実践理論

私がやってきた代表的な実践は

「自分を捨てて心から何でも喜んでしよう」

です。


このブログで私の実践について
いろいろ書いていますが
実践を薦めているわけではありません。

しかし、この実践によって
私はかなりの恩恵を受け
おかげさまで今の私があります。

だからもしかしたら
私以外にも
恩恵を受けられる人がいるかもしれないと思い
書いてます。

なぜ実践なんてしなくちゃいけないんだ
と思う人は
もちろん、する必要はないのです。



私がやってきたこの実践は
理論的に解説することができます。

ちなみに実践時は
実践を分析すること自体が障害となりますので
分析したり、説明しようとすることは
禁忌です。

それは実践者の姿勢と
かけ離れているからです。

正しい実践者の姿勢は
自分の信じた善なる道を
ただただ進むことです。



私の実践時の特徴をいくつか挙げたいと思います。
(今はこの特徴は当てはまりません)


・本当に「善い人」になりたいと思ってました。
子供の時だったので
この思いに難しい理論は必要なかった。
自分なりの善い人になりたかった、完璧に。
そして単純に。


・自分にとっての「善い人」の定義があった
そうなれるよう日々過ごしました


・自分の判断する思いはいらないと思えた

よって実践に「自分を捨てて」を取り入れています。
(自我がある場合、
どんなに頑張っても「自分を捨てる」ことはできないのですが)
本気でやっていました。
また「喜んで何でもしよう」という実践が中心で
「自分を捨てる」というのが
実践の前提条件であったのもよかった。
(偶然か必然かそういう実践をしていました(笑)

どんなにがんばっても自我がある時は
自分を無くしてしまうことはできないのですが
(ここは悟り道のポイントです)
それを実践に中心としなかったのが
善かったみたいです。

よって何を実践するかを決める時
コツがあることがわかります。

まず、自分の理想の状態が何であるかを決め
それができている前提でする実践をする
という感じでしょうか。


私の理想の状態は
「自分を捨てて」=自我のない状態だったのかもしれません。
(その頃は自覚なし(笑)

詳しく書けば
いろいろ分析したり裁いたりする自分は
善くないと思ってました。
そんな善くない自分はいらなかった。

ただただ善い人になりたかったのです。

これは善くてあれは悪い
と判断する私も
とても偉そうだと思いました。

そんな判断する自分はいらないと思いました。

それをするうえで
喜んで何でもする
という実践をする。

ただただ善であるよう。

これを続けると
いつのまにか自分を捨てるに近いコツを
得てしまっていたのでした。



ここで「自分を捨てる必要はあるのか?」
という疑問がわくかもしれません。

そう思う人は
捨てる必要はないです。

私は「捨てたかった」からそうしただけで
そう思わない人は
捨てる必要がない。


実践を決める時は
自分の善なる基準で決めるべきでしょう。

またそもそもなぜ実践しなくてはならないのか
という疑問に対しても
そう思う人は
する必要がない。

私はそうしたかったからしたのです。

そしてそれをやり切りました。

(したい、だけで中途半端にして、
あれもこれも「したい」とやってしまうのとは
違います。)


そしてなぜ私が
自分の実践について書いているのか、は
それが結果的に悟りへの一歩だったからです。

だから、かつての私の実践内容が
悟りを目指す
(目指しても無理なのですが例えて言えば、です。)
誰かのお役にたてるかもしれない、と。

しかし、私はかなり自我が強く
人から言われた実践は
決してしなかったと思います。

自分で決めた実践だからこそ
やり通せた。

だから本気で進む人は
そもそも私のこのブログの内容は
必要ないかもなんですが。

まぁ、読みもしないでしょうか。(笑)

(かつての私にも
もちろん必要なかったです。
自分で決めたから。
ネットもない時代だったので。
そして子供だったので
本を買う自由なお金もそんなになかったから
情報もほとんどなかった、それがよかったのかな)


だから人生精一杯生きて
自分が本当に求める善なる目標に向かって
進むのが
結果的に悟りの道になる
という感じでしょうか。


私は心の底から善い人になりたかった。

悪い私はいらなかった。

それ以外に何も要らなかった。

この世の中のものに
私はありがたいことにほぼ興味がなかったので
実践に集中できました。

そんな人生何が楽しいの?
と聞かれたら
うまく答えようがないかも(笑)

そもそも楽しみなんて追及してないし。

そしてお聞きします。

では楽しい人生ってなんですか?と。

そうだから、どうなんですか?と。

例えて言えば私にとっての幸せな人生とは
真実を知ることだったのかな。


私は何かを楽しんだり
何かを得て満足したりする人生には
全く興味がなかった。

そんなもの(楽しむもの、得たもの)が
なくなってしまったら
どうなるのでしょうか。

私は何にも頼らない、
確実なものが欲しかった。
(これは「何も頼らない」、と言いながら結果的に
確実なものに頼ることを必要としていた
変な目標なのですが。
この矛盾もまた悟りの道のポイントです。
これが自我がある人ならではの目標です。
それでいいのです。)

それは自分の外に頼っては
得られないと思った。

永遠に変わらない確実なものが欲しかった。

それさえあれば後は何も要らないと思った。
(これも実は矛盾しているのですが
それでいいのです、道の途中は)

この頃
これまたありがたいことに
「永遠に変わらないものとは○○だ」
という
何かと定義しようとする私はいなかった。
(この定義づけは安心するきっかけであり
=停滞を意味します、実践者にとっては)

ここで○○だ、と定義してしまっては
その「○○だ」も
本物も得ることはできない。

何も得られない。

「永遠に変わらない確実なものが欲しい」
を行動のきっかけとし
どうすればそれが得られるかを考え
どうすればいいかを決めた後は
確実なものを想像することなく
ただただ実践することが
勝手に得ることなく得てしまう秘訣です。


「あ~そういうことか」
という人こそ
何もわかっていない。

「わかった」という言葉を
私のここで書いている文章に関して思う人は
実は何もわかっていない。

(日常での「わかった」は
大切なわかった、が多いですが)


自分が体験して
それをやり遂げてはじめて
「そういうことだったのか」
といえます。

よって道の途中、
「わかった」というのは
明らかに「わかったふり」ですので
わかってはいけません。

「ふり」という偽物をつかんで
何が楽しいのだろうか。

お勧めの姿勢は
「なるほど、ではやってみよう」
かな。

やる前に結論付けては
その結論以上のものを得られません、確実に。


悟りは想像以上の状態ですから
今の状態での
悟りに関する想像は
すべて外れています。

悟りに関してあれこれ考えることは
悟ってしまえば
間違いだったことがわかりますので
よって悟りについて
あれこれ想像することは意味がなく
さらに悟りを求める人にとっては禁忌です。


かつてのコメントのやり取りで
私は否定する言葉を
多く使ったと思います。

違うものは違うとお伝えするしかないし、
偽のものを肯定できません。

そして大体
自分を否定されたと思う人は怒るのかな。
そして去っていく。

そもそも私が否定しているものがなになのか
わかっていない。

否定しているのは
「コメントした人」ではないのだ。


あるコメントされる方は
明らかに誰かの書いた本や
インターネットに書かれている内容を
自分なりに「解釈」し
あたかもそれが事実であるよう書いていました。

果たしてそう言っているものが
「自分の間違いない真実」
なのでしょうか。

人から借りたものではなく
間違いなく
自分が言っているその言葉どおりのものが
体現できているのでしょうか。

偽物の言葉を
あたかもそうであるように語る人は
悟りから離れています。

「こうである」
と人の言葉を借りて
わかったようなことを言う人は
悟りから離れています。

そういう人は永遠に悟れません。

なぜなら悟りとは
「そういうもの」ではないからです。



「わかった!」
は悟りからかけ離れています。

しかし
「わからない」
もかけ離れている。


わかった、わからない
そう判断するのではなく
とりあえず自分の善なる理想に向かって
歩き続ける。

そうすればわかることなくわかる。


わかってはいけないが
わからないもダメ。

そもそもそこから、
その判断から離れなければならない。


私の実践の特徴のひとつである
「自分を捨てて」は
その理論では片づけられない
悟りの本質に
ちょっぴり近いものでした。

(ほんのちょっぴりですけど(笑)
ゴマほどもないくらい(笑)



ちなみに私は
楽しい人生は全く、全く求めていなかったのですが
結果的に今
とても楽しいです。

これは想像以上のものでした。

なにに感謝していいかわかりませんが
例えて言えば
すべてに感謝です。


どうもありがとう。



ちなみに
「永遠に変わらない確実なものが欲しい」
これは達成できたのか?という問いには。

いろんなお返事の仕方ができます。


まず、その「永遠に変わらない確実なものが欲しい」
というものそのものが消滅した。

願望そのものの消滅により
達成した、達成していないを超えた達成をいたしました。

また本当は
「永遠に変わらない確実なものが欲しい」
この言葉自体に矛盾を含んでいるのですが
自我がある時は気づけない。


そして誤解されやすい言葉なんですがですが
(事実、誤解されていることがほとんど)
結果
「永遠なんてない」ということ。

変わらないも変わるも
そういった変化するものが
消滅してしまった、ということ。

そして確実なものなんてそもそもなかった
ということ。

それによって
ある意味、確実なそれがそうなったということ。


「永遠に変わらない確実なものが欲しい」と言う人は
「永遠に変わらない確実なもの」に頼った人です。

「これさえあればいい。あとは何も要らない」という人は
「これ」がなければ生きていけない人です。

「これ」を生きる糧としている状態です。

そしてついに「これ」もなくなってしまったら
どうなるのでしょうか。

この消滅過程が激流であり、
無くなる前に
激流と言われる状態になります。

そしてついには消滅して
何にも頼る必要のない状態となる。
(例えて言えば、なんですが)

しかし、体はまだありますので
こうやってブログが書けるわけです。


体がなければ
もう存在していないと思います。(笑)

体って本当に
ありがたいものなのです、ある意味。

こうやって皆様と
対話できるのも体があるおかげです。



言葉に表せないことなんですが
とりあえず、言葉にしときます。

だから私の言葉を
「わかった」なんて言っちゃだめですよ。(笑)

しかし、活かしていただけたら
と思いますが、、、。


私はとても幸せです。

ありがとう。










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自分を捨ててなんでも心から喜んでしよう

私がやってきた実践

「自分を捨ててなんでも心から喜んでしよう」

これは言葉通りのものであり
いろんな要素を含んでいます。

自分を捨てて
心から
なんでも
喜んで
しよう


これらすべての要素を含んだ
ことばそのままの実践です。


私は自分に起こるいろんな思いは
「よくないもの」
と思っていました。

私に思い浮かぶものは
あれこれ判断するものであり
「それは良くない」
と思っていました。

そして心から本当に善い人になりたいと思いました。

この頃の私にとっては
良くない思いはもちろん悪いもので
あれこれ判断する思いも悪いもので
そんなもの捨てようと決心し
ただただ自分の決めた志を
貫いていきました。


周りから見たら変わった人だったかもしれない。

しかしありがたいことに
どんな時も誰かがそばにいてくれました。

もちろん実践時
誰かを求めたことはなかったですが
ありがたいことに
誰かがそばにいてくれました。


私にはこの頃
私なりの善悪の判断がはっきりありました。

それらは捨てたいもので。
捨てたい、だけでなく
実際に捨て続けました。

いや、実は善悪の判断があるからこそ
この実践をすることができたのです。

捨てるものがあったからこそ
実践できた。

(ただし、この実践をやっている時は
単にこれが自分の生き方として
ただただやっていただけです。
実践と思ってやっていたことはなく、
特別なことでもなく
ただただ自分の生き方として、でした。
それが私の生き方でした。)

例えて言えば
自分の実践を邪魔するものは
実は
実践の力となります。


この邪魔するものが
一般的に言われる「エゴ」とも言えるものです。

エゴは悪いものでしょうか?

しかし

人として生きていく中で
必要なものであり
それがあるからこそがんばれるんです。


自分を遮るものに感謝ですね。

しかし、私の実践時は
感謝することなく
「喜んで!」でしたけど(笑)

もし、今
自分を邪魔するものがあって
嫌な思いをしてしまう時は
感謝でかわしましょう。

そしてその邪魔するものは
更なる自分の力になること。

これを知れば
いろんなことが乗り越えられると思います。


ちなみに自分を捨てての恩恵は
はかり知れません。

嫌な思いに支配されようがありませんでしたし
嫌な思いが起こりかけても
捨ててましたので
無いのと同じでした。

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ワクワクの実践について


久々の記事です。

遅くなりましたが皆様
あけましておめでとうございます!
ことしもどぞよろしくです!

@(*・ω・*)ポッ




私は「ワクワクの実践」について
このブログではほとんど書いておりません。

なぜなら
私自身がワクワクの実践をしていないからです。


でも、思い出してみると
私の第1の実践の前が
ワクワクの実践だったと言えます。
(小さな子供の時だったので
子供の頃の思うままの行動でした。
よって実践とは言い難いなぁと思っております。(笑)


あと、スピ系の実践も
ある意味、ワクワクかなぁ、、、。

でも違うかも。

4つある実践の中で
この実践だけちょっと違っていて
ある意味楽しいことがいっぱいでした。

(というか、楽しもうとしていた感じ。
一般的に楽しいと言われているものを
楽しもうとしていました。

そもそもこの頃、一部は消滅していたので
一般的には参考にならない、
ある意味特殊な状態です。
何かを求めても、じつは求めていなく
何かを得ても、何も得ていなかった。

何かをしているようで何もしていない状態でした。
実は当時は自覚がなく、至ってからわかったのですが。

うまく言えませんが
例えば私は確かにこの頃、
師匠に教えを請うているのですが
実は何もしていませんでした。

なんじゃそりゃ?ですかね(笑)



さて、ワクワクの実践に大切なことですが、まず

悟りから離れることです。

悟りを求めての「ワクワクの実践」であるのなら
それはワクワクの実践ではありません。

ワクワクの実践は
悟りの段階の一つのステップかもしれませんが
ワクワクの段階では悟りは関連がなく
実践中、悟りの知識は必要ありません。

必要なのは現実的に生きていくことです。

もし、ワクワクの実践を
悟りにつなげて実践するのなら
それはワクワクにはなりません。


そしてワクワクの実践はどうすればいいのかと言うと
自分を信じて自分のやり方でがんばることです。

今、目の前にある現実としっかり向き合って
現実的に生きていくということです。

自分の経験から得たものを活かして
さらにワクワクやっていきます。

自分の経験から学んでいく、ということです。

いろいろ経験していけば
「こうすれば、こうなる」みたいな
自分なりのものが見つかると思います。

現実的に(理想論ではなく)行動して
幸せになってください。

ワクワクするよね!


よってワクワクの実践は
普通に人としての幸せを生きていくことであり、
私の言葉は必要ありません。


私の言葉はどちらかと言えば、
あることに引っかかっている人に
助言することぐらいです。

(あることについて。
これは本人の自覚がないので
今までコメントのやり取りの中で
お伝えしても
怒っていく人、結構いましたね(笑)


あとは、どうぞ
自分でがんばってください。




※コメントくださった方
ありがとうございます。

ひとつ質問です。

自分のための実践、とのことですが
善をなして突き進むとも言われていますが、
自分のための善って一体どういうものでしょうか?

お返事はいりませんよ。



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自分を信じて生きる


まずは自分を信じて生きることです。


ちなみに方向性は
「自分の理想」の実現。


この世界にせっかく生きているのだら
精一杯この世界を生きるべきです。

今ある自分を思いっきり生きるべきです。


私は「自分」をとことん信じて突き進んだ結果
大きな壁にぶつかりました。


その壁こそが
激流の始まりでした。


まずは自分を信じて進むこと。


それを精一杯しなくては
激流も起こりません。


道は現れない、ということです。




プロフィール

ラピ。

Author:ラピ。



ラピ。至る。
@(*・ω・*)ポッ

2013.5.13以降の記事が
至った後の記事となります。

それ以前の記事は
整頓して非公開にしました。

2006年12月から始めた
このブログ

かなりの記事があって
整頓するのが大変でした(笑)
皆さま今までも
どうもありがとうございました


*:--☆--:*@(*・ω・*)ポッ:--☆--:*:-



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