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悟り


「それ」は対象ではないので
知ることができない。

知っている

と言った瞬間
「それ」は「それ」ではなくなる。


私は何も知らない。

知らないが故に
知ることができる。

何にも縛られることなく
ありのままに知ることができる。




悟った人は
何かをしているようで
何もしていない。

悟った人の発した言葉は
発した瞬間、単なる言葉であり、
悟った人のものではない

発することなく発する

言葉に表すと変ですがそうなんです。

だからカルマが発生しない。

なぜなら何もしていないし
何も起こっていないから。

何かを「する」人はいないし
何かを「経験する」人もいない。


ただただそうあるのみ。




悟った人は愛である。

愛するとか愛されるとかではなく
愛そのものである。

愛する対象はないが
(この愛する、というのは動詞ですね。
意図が必要な動きです。
愛する、という意図があっての行動ですね。
その動作が悟った人にはないんです。
「愛する」と言う時
愛さない状態も同時に存在します。
永遠に愛し続けると決心し、そう行動し続けることは
ある意味精進の道です。
素晴らしい道だと思います。)
愛することなく
愛そのものなんです。



悟った人は例えて言えば「心」がない。

よって煩うことなく
迷うこともない。

なぜならそれらの原因となる「心」がないから。


心が豊かという表現がある。

それは豊かでない状態もあるからこそ
言える言葉である。


悟った人は豊かになりえない。

豊かになろうと思っても無理です。


なぜなら「豊か」そのものだからです。

何もすることなく。行為することなく。





究極の幸せがよくて
日常の幸せには満足できず
よって日常の幸せを捨てて
わざわざ自分から大変な道を選びました。

幸せである時もあれば
そうでない時もある幸せなんて
そんなものいらない

と捨ててしまいました。

その幸せは
私の本当に欲しいものの代わりにはなりえなかった。



究極の幸せを求めて
日常の幸せを捨てました。

そして険しい自分への挑戦をし続けました。

自分の限界の先に何があるのだろうか。

それを想像する暇もなく
自分の限界に挑戦しました。

そして今に至りました。


何でも決心して精進することは
きちんと実を結びます。


しかし、精進すると決めたなら
結果を期待して精進してはいけません。

求めることなく精進しなければなりません。


私の場合、自分の思いを捨てて
ひたすら精進しました。


何度も書いていますが、、、、。


ほんとあきらめないでよかったです。


んでもって今の境地。

これは想像以上のものでした。

よって想像できな境地です。


私がお伝えしても想像できない。

想像したものはそれではありません。

はい


@(*・ω・*)ポッ



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至る


至る

とは「私」が消えさる境地に達することです。


そこはなにもないのです。



この状態に突然突入したら
思いをよりどころとして生きている時は
この至った場所にいられないかもしれません。


思いをよりどころとして生きてるときは
常に思いが生まれており、
それによっていろんなことを経験します。


ある意味、思いに依存している状態です。


この依存している状態、
というか、思いがあって当然の状態で
突然思いが消滅したら
立っていられないでしょう。


私は突然、思いのない世界に放り出されて
周りが闇になり
消えそうになる経験をしました。

思いに頼って生きてる自分にとって
それはとてつもない恐怖でした。

(、、今思い出すと
それは恐怖ではなかったのですが、、、、。)


その時、
なくなりかけている「意思」を使って
帰ってきました。



私はそのころ、「悟り」というものが
どういうものか知らなかったので
その現象がどういうことなのかわからず、
消えかけの意志を奮い立たせて帰ってしまいました。


あの時、どうしたらよかったのか。

わかりません。



でもやはり帰るべきであったから帰ってきたのだし、
まだ、至る準備ができていなかったのでしょう。



至った今、
私には思いがありません。

何もありません。


何もないからこそ
表現ができます。

純粋なる表現です。



私は日常 存在しています。


まったく遮るものがないので
ありのまま存在しています。


なんの先入観もなくありのまま。


私が発する言葉は単に言葉であり、
何も起こしません。


至ってない人は
言葉から影響を受けます。


だから言葉には
十分お気をつけください。

自分の発した言葉を経験することになります。

その言葉に影響される「私」が
いるからです。


すべてから開放されたければ
その原因である「私」を消滅させることです。


問題の原因は「心」といわれるものであり、
その「心」がくつろいでいる時があっても
まだ「心」が存在しているのであれば
その「心」はなにかのきっかけで
騒ぎ始めます。

そしてそれを静かにさせようと
人は意思を働かせて止めようとします。


表面上、静かに見えても
この動きがあるなら
(自分が一番わかるはずです)
まだ至ってはいません。


行動する自分がいては
まだ、至ってるとはいえません。



ちなみに至るとは
「理解」することでも「わかる」ことでもありません。

そうする「私」が消滅することです。



理解する自分がいて、
わかったと言う自分がいて
何かをする自分がいて。


「自分」はころころ変わって
止まりません。

この移り行く「自分」は幻です。


幻の自分は常に何かに成ろうとしています。

何かに成ろうとしているということは
その「何か」と分離している状態です。


常に求めさまよう「自分」


求め続けることに飽きたなら。

「もう十分だ」と思ったなら。

そこから抜け出したいと思うなら。


どうぞ「こちら」にお越しください。


@(*・ω・*)ポッ




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何も知らない


私がいろいろ表現しているのは


「知っていること」を表現してるのではありません。


今の状態を表現してるだけです。



なぜなら

私、存在そのものが真実

であるからです。


私は何も知りません。


でも表現することができます。


それそのもの


だからです。


それそのものはどうやっても
知ることができません。


なぜなら「知る」対象があるのではなく

それそのものだからです。


(*・ω・*)ポッ




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悟りに至った人、募集!



悟りに至った方を募集します。


ともに対話しませんか?
お待ちしています。


掲示板 悟りの道


スレッド

「悟りに至った方たちとの対話」

まで!



こちらもお読みください→ 書き込みその1  書き込みその2


(*・ω・*)ポッ




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喜び 幸せ



悟った人は


喜ぼうとしても喜べない


幸せになろうとしてもなれない



なぜなら悟ってる人は
もうすでに喜びそのものであり
幸せそのものだから。


すでにそうなっているものに
なろうとしてもなれません。


(*・ω・*)ポッ







プロフィール

ラピ。

Author:ラピ。



ラピ。至る。
@(*・ω・*)ポッ

2013.5.13以降の記事が
至った後の記事となります。

それ以前の記事は
整頓して非公開にしました。

2006年12月から始めた
このブログ

かなりの記事があって
整頓するのが大変でした(笑)
皆さま今までも
どうもありがとうございました


*:--☆--:*@(*・ω・*)ポッ:--☆--:*:-



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