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絶対的な幸せを求める


かつてのラピ。について
書きたいと思います。
(*・ω・*)ポッ

その頃、
ラピ。自身が気付いていなかったことです。

今はかつてのラピ。が
丸わかりです。



みなさん、ご存じのとおり、
ラピ。は

「絶対的な幸せ」

を求め続けていました。
ブログにも書き続けていました。

どんな瞬間も求め続けていました。
妥協なしです。


なぜ、そこまでしたのか?
そこまでできたのか?


それは
「最高の幸せ」
の反対の要素も
ラピ。は持っていたからです。


でも、それがあるからこそ
「最高の幸せ」を求めることができました。


幸せを求めるほど、
反対の力も増す。

幸せの反対の存在があるからこそ
幸せへの思いが高まる。


そういうことれす。


そして、ラピ。は

「絶対的な幸せ」

にむかってまっしぐらで
その反対は無視し続けました。

ふとした瞬間、
反対の思いがやってきそうになっても
それを振り払い、
常に「絶対的幸せ」であり続けました。

(あり続けた、というよりは
そうであるつもりだった
というのが実はピッタリですが。

なぜなら、その頃は
その「絶対的幸せ」ってどういうものか
知らなかった。
知ってたつもりにはなっていたけど。

でも、その時点での自分の思ってる
幸せであり続けた、選択し続けた
ということれす)


幸せを求めれば求めるほど
その反対の存在も大きくなる。

でも、それを無視する。


これはかなりの葛藤を引き起こします。

それでも、それでも、
あきらめず
とことん幸せを求め続け、
幸せに生きることだけを考える。

笑顔で楽しく生き続ける。

(ちなみにかつてのラピ。の求めていた幸せとは
何かがあって幸せ、とかではなく
何もなくても幸せという
無条件の幸せでした。)

それがかつてのラピ。れした。

そしてとことん幸せであることを
続けました。

そして最終的には
その最高に大きくなった葛藤に
飛び込みました。


ただ、ここで
幸せを求めることをやめれば
葛藤は終わります。

ここはひとつの
分かれ道です。

やめれば何も起こりません。


ラピ。はしつこく
続けました。


そして、今に至ったのれした。






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「私」がいない



前の記事で

「私」がいない

と書きましたが
それを別の表現で表すならば、

「苦悩の原因がない」

です。



全ての心の動きは
「私」があることによります。


この「私」を超えることによって
心の動きから解放されます。


「私」がある状態で
心をコントロールしようとしても
無駄でしょう。

なぜならその「私」という
原因そのものが存在してるから。


原因がなくなれば
結果もない。


究極の根本にある問題が
なくなれば
すべては
いつの間にか勝手に
解決してしまうのれす。


(*・ω・*)ポッ





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因果応報


悟っているとはどういうことかについて
いろんな表現ができると思いますが
その一つに

「私」がいない


があります。




悟る前に「私」だと思っていた「私」が
ある時、消滅しました。

だから、悟れば必ずわかります。
(わかる、と言っても実際はわからないのですが)

「あ、これなんだ」って。

、、でも、その状態を把握するのに
私はちょっと時間がかかりましたが。

今までにない状況だったので。




「私」がいないので
なにも私に影響を与えることはできません。

もし、与えたいと思っても
それは与えたいと思っている人に
ストレートに返ってくるだけです。

「私」がいれば
「私」の発した思いは「私」に
返ってきます。


いいことをすればいいことが起こり
悪いことをすれば悪いことが起こる


簡単な言葉だけど
これは素晴らしい真理です。

誰に対してもこの真理を生きることによって
その結果を得ます。


そして、その真理を生きることは
悟りへの道につながります。


(*・ω・*)ポッ








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喜び 幸せ



悟った人は


喜ぼうとしても喜べない


幸せになろうとしてもなれない



なぜなら悟ってる人は
もうすでに喜びそのものであり
幸せそのものだから。


すでにそうなっているものに
なろうとしてもなれません。


(*・ω・*)ポッ






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激流


悟るためには
激流を渡らなければならない
と言われています。

激流を渡った先に
彼岸があると言われています。



私はしばらく、
激流と無縁な時がありました。

(それでもかつて、激流を経験したことはあります。
この時は少し、足を踏み入れましたが
至ることはできませんでした。)


でも、いろいろあって、やはり
激流に飛び込みました。

決心して
飛び込みました。



激流は
その先になにがあるかも思い描かず
飛び込むものです。

先がわかれば
激流とは言えません。


「その先に彼岸があるから飛び込む」

なんて想いでは
幻の彼岸にたどり着くだけ。

その先に何があるのか
なんて思いも捨てて
ただひたすら激流を進み続けなければなりません。




悟りに激流は必要か?


それの答えは「はい」です。

私はそこを渡って至りました。

それが無ければ
至れなかったでしょう。


激流がなければ
穏やかな時はあるけど
穏やかではない時もある
そんな時間を過ごしていたでしょう。



激流って
上手な表現だなぁって思いました。


ちなみに私にとっての激流は

「葛藤」

でした。



この世界を
理想をもってとことん頑張れば
必ず葛藤する時がきます。

でも、それがチャンスなのです。

理想を思いっきり生きてください。

真面目に理想を生きていたら
必ず真実と向き合う時が来ます。


そこから逃げないで
しっかり向き合うこと。


それはチャンスになります。



悟りに葛藤は必要です。

それにはまずは

今を思いっきり生きてから

です。

(*・ω・*)ポッ




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それそのもの



悟った人は

それになろうとしたり
それになると意図したり
それになることを選択するのではない。



それそのもの


です。

(*・ω・*)ポッ



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エゴ



かつて私は よく聞く

「エゴ」

という言葉の意味や、
それがどういうものなのかを知りませんでした。



今ならわかります。

エゴとは(いろんな言い方ができると思いますが)

「意志」

とも言えます。


私はかつては
とってもエゴが強かったです。

以前はそうだったんだなぁって
今の状況と照らし合わせてみると
わかる感じです。


悟るとそれ=エゴが消えます。



この「エゴ」、
悟るために使うことができます。

思いっ切り、エゴを利用するのです。

例えば「喜んで何でもしよう!」のこの、

「~しよう」

は思いっきりエゴです。


だからなんでも思いっきり

「してください」


思いっ切りがポイントです。


とことんしていると
その「している自分」でない何かに
ふと、気付きます。


言葉に表せないそれに気づきます。


(*・ω・*)ポッ





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悟った人とは、、 ②


悟った人には心のフィルタがない。

だから ものごとを見る時
何かと比べてとか
何かがあるからとかの
条件付けがない。



だから

すべてが丸見え。


先入観がないので

すべてが丸見え。



相対的なことに影響されていないので
相対的な出来事を見ても

すべてが丸見え。



この世界はほぼ相対的です。

相対的とは例えば
「幸せ」と感じるのは「不幸せ」があるから、
ということです。

「不幸せ」がなければ「幸せ」も
感じることはできないのです。

反対の意味が
気付いてなくても必ず付随してます。







悟った人はありのまま。


だからこの世界の

ありのままが丸見え。


ただただ ありのままだから
どうやっても


ありのままでしか見えない。



ありのままで見よう
としてるのではなくて
そうとしかできないのれす。


見ようとしてるのではなくて
見えてしまっている、ということです。



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姿勢


私の通ってきた道で
参考になるかなと思うことがあったので
書きますよ!

ラピ。がそうしてきた、
という参考として。
(*・ω・*)ポッ


はじめの私は師匠に対してかなり偉そうで
反抗的態度でした、、、。
(;´▽`A‘‘

だって、私、

自分がすべてを知ってるのだ!

なんて思ってたのですから、、、、。
(あ~あ(笑)



でもある日
私の姿勢が変わりました。


師匠の言葉を
分析したり、理解しようとせず、
ただ

「そうなんだな」

と受け入れるようにしたのです。


師匠の言ってる言葉を
悟ってもない私が理解できるはずもないのだから
(理解したつもりにはなっても)

そもそも
理解しようとすること自体、
無理、無駄です。


だから、
悟ってる人の言葉に出会うことがあったなら
それを理解しようとはせず

「そうなんだな」

これだけでいいと思います。



とりあえず、悟った人の言葉は悟った後で、
「そういうことやったんや」
でいいのではないかと、、、。

(*・ω・*)ポッ





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悟り それそのもの


みなさま、悟りって何でしょう?
(*・ω・*)ポッ


ここで、かつての私の記事に
登場してもらいます。

これ→「悟り」 (2013.1.12の記事)


ごめんなさい。
これ、間違ってました。
(;´▽`A``
(ちなみに私が至ったのは2013.5.13です)

でも、その時はまじめに
本気でそう思ってました。

ここに至らなければ
ずっとそう思ってた。

まさしく

「そう思って」

いたでしょう、、、。





悟りとはそういうものではありません。

思うものでもないし、知るものでもない。


今の私の状態がそれです。

この状態を
知ろうとしても
知ることができません。


なぜなら、私が
それそのものだからです。

知るものと、知られるものの
分離がない。

「知る」というのは
「知るもの」があって初めて
知ることができる。


でも私はそれを知ることができない。

なぜなら

それそのものだから。


それそのものなので
ただそうであるだけです。



(*・ω・*)ポッ



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無駄がない



悟った人は想いを超えている。

その人の中に
例えば「喜んで」とか「嫌々」とかの
相反する想いの発生源がない。

(「喜んで」についての参考記事→2つの意味を超える

なぜならそもそも
その想いのもととなるものがないから。


それがない。
それそのものがない。
それを超えた。


日常の行動をするとき、
普通は思考や、ある思いが
常にその行動に付随してるので
行動と、その行動をしようとする間に
隙間というか、時間差が生まれる。

悟るまでは、
動いているようで実は純粋に動いていなかった。

動けていなかった。

なにかの思いとともに動いていた。

なにかのついでに動いてた。

行動のその場所にいたのではなく、
別の場所にいながら行動してた。



でも、悟った人にはその隙間がない。

行動をさえぎるものがない。

別の場所がない。

だから、行動と私の間の時間差がない。


そして、行動そのものになっている。


だからスムーズに動ける。動いている。


ふとした瞬間、動ける。動いている。


動く私と動きに区別がない。


悟った人は動きそのもの。


なにも、なにもさえぎるものがない。
無駄がない。



(*・ω・*)ポッ





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その境地


なんでも
どんなことでも

とことんすれば
ある境地に立つ。

なんでも とことんやって

「ここが限界だ!」

と思う自分の声をさらに超える!


限界を超えた境地にそれはある。


(*・ω・*)ポッ




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なにもなくても幸せ



みなさま、いかがお過ごしでしょうか?
(*・ω・*)ポッ



「何もなくても幸せ」

「ただただ幸せ」



この幸せは確実に存在しますね。



例えば。

本を読むこと。

頭の中に何もなくても、
いや、何もないほうが
純粋に本を読むことができますね。


ただ、本を読む。


なんの影響も受けず、
ただ本を読む。


この、何からも影響されない
くつろいだ状態での読書は
最高の読書となります。




日常の出来事を

ただ、そうすること

これは、
絶対的な幸せであると言えます。



「幸せ」だと思うところに
「本物の幸せはない」

当たり前なことに
実は本物の幸せがある。


今までの自分が幸せだと思っていたことを
一度手放してみると
本物の幸せを感じることがあると思います。


ただただ感じる。


これれす!

(*・ω・*)ポッ







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なぜわかったか


前の記事
私の歩いてきた道を書きました。

その都度ひらめきを実践して
できなくなったら
新しいひらめきをもとに
実践していました、
と書きました。



最後の実践は実践してる途中に

実践している自分に
(実践しなさいと)命令している自分の
さらなる自分に気づく

という、
言葉に表すと変なんだけど(笑)
まさしく
そんな感じでした。

(3重構造?(笑)


今までの

実践ができなくなった

とは全く違っていて

実践している自分を
命令(意図)している自分の
さらなる自分に気づいてしまいました。


その自分は
何もしていませんでした。
(ここ、表現が難しいです(;´▽`A``)

でもよく聞く言葉で表現するなら

「その自分はただそれだけだった」

かな?



「この私は誰?」

ということで
ついにそれに気づいてしまったのでした。


今まで自分だと思っていた自分とは違う
自分に気づいたというか、
めざめたというか、、、、。



だから変化があったら
必ずわかりますよ。



ちなみに初めは
一瞬止まってしまいました。

すべてが止まったかもしれません。

今までにないその出来事に
どうすることもできなくて
ぼ~ぜんとしてしまいました。


「これは何?」


その台詞がピッタリかもしれません。



実践している自分

実践しなさいと命令している自分
(これが本当の自分の意志だと思ってた)

更なる(気づいていなかった)自分




この更なる自分。

ただただ味わうしかなかった。


(*・ω・*)ポッ



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歩いてきた道


私の歩いてきた道は
大まかに4つに分けられます。


①「自分を捨てて喜んで何でもしよう」
の実践の時期

②ある出来事がきっかけで①の実践ができなくなり
別の手法をはじめた時期

③ブログを書き始めた時期

④最後の相対的な幸せを経験した後
決心して最終体制にはいる



時期の移行の時は
かならず大きな出来事があり、
その出来事によって
答えを求めたときに
ひらめいた答えを実践した
という感じです。


そして、必ずどの手法も
限界までやって行きどまったり、
何か出来事があってできなくなるまで
やってます

(*・ω・*)ポッ

(ちなみにブログは至ることによって
また再開できましたけど(;´▽`A``)



ここに至る道は
人それぞれだと思うけど

今自分ができることを
思いっきりやっていれば
必ずたどり着くのだな
と、今しみじみ感じてます。


だから今
思いっきり生きて!




(*・ω・*)ポッ


プロフィール

Author:ラピ。



ラピ。至る。
@(*・ω・*)ポッ

2013.5.13以降の記事が
至った後の記事となります。

それ以前の記事は
整頓して非公開にしました。

2006年12月から始めた
このブログ

かなりの記事があって
整頓するのが大変でした(笑)
皆さま今までも
どうもありがとうございました


*:--☆--:*@(*・ω・*)ポッ:--☆--:*:-



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