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救済という言葉について


「救済」  「救世主」



などという言葉にご注意ください。




実は至ってしまえば
対象が消滅するので
救済する対象も消えることになります。


だから至ってしまえば

救済はできません


救済される存在がないのですから。




そもそも救済するということは
救済される存在を認めることになります。

救済という言葉は
かなり「傲慢」な言葉だと思います。





至ってしまえば
「救済」という言葉は使えません。


もしその言葉を使っているのであれば
その人はまだ至られていない方でしょう。



では至った場合、
そうでない方に対して
何ができるでしょう?


きっかけを伝えることができます。


ただし、
至ってしまえば
その瞬間瞬間なので
至った人の発した言葉は
単なる言葉であることを
知っていてください。


意味なんてないのです。


でも、至る前の人にとっては
意味があるかもしれません。


それを利用して進むのです。


相対的な世界にいるからこそ
それを利用して
至るチャンスがあります。



それが

「喜んで」

であり、

「人のため」


なのです。




至ってしまえば相対的ではなく
絶対的なので
「喜んで」も「人のため」もできません。


「喜んで」も「人のため」も
反対の意味を含む
相対的な言葉だからです。


逆に言えば
それができるときは
まだ至れていません。



ちなみに「人のため」ができなくても

「私のため」ができるのなら

「私」という対象があるので
まだ至れていません。





(*・ω・*)ポッ









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神秘体験にご注意


いろいろ実践しててある時、

金色の光を見たり、
全てのものが一気に繋がったり
この世界の完璧さを見たり

したことはありますか?


私はあります。
(この例は私の体験したものです)


でもね、
これは単なる一時的なものであり、
これが起こったからと言って
彼岸に渡ったわけではありません。


神秘体験を言葉で表現すれば

キラキラ! ピカ~ン

とか、

おおお!!すごい!

とかになるのでしょうか?


でも実際私が至ったときを表現するなら

「ん?」

です。



至れば必ず気付きます。

そしてその状態を
うまく表現できなくても
(実際できませんでした)
本物にはちゃんと伝わります。




美しい世界、素晴らしい光
祝福の音

など、感動する体験が
実践をしていたらあるかもしれません。


それはそれで貴重な体験かもしれませんが
それは単なる体験であり、
それで至ったわけではないので
気をつけてね。

それは単なる神秘体験であって
それで至ったと勘違いしたら
そこで終わりです。

そこに立ち止まったら
今までの実践の積み重ねが
パァになってしまいます。

そもそもその神秘体験は
ずっとは続かないでしょう?

そしてもしその神秘体験が
永遠に続いたとしたら
どう思いますか?




至ることとは
何かを体験することではないです。


体験する「私」も消えるのですから。



(*・ω・*)ポッ



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麻痺


私が今感じてることは
一般的に言われているスピリチュアルな教えは

人を麻痺させてしまう

ということです。


そこにとどまらせてしまう。

そのスピリチュアルな教えが
そのスピリチュアルな次元どまりに
してしまう、ということです。

その次元の住人になってしまう。

そして更なる次元があることに
気付けません。


もし、そのスピリチュアルな教えによって
永遠の幸せになれるのなら
ここに来る必要はありません。


そのスピリチュアルを信じて
やっていけばいいし、
そもそも私に
何も言われたくないですよね。


だからそのまま
どうぞ続けてくださいね。



でも、もし、
そのスピリチュアルな教えをがんばって
行き詰ったなら
このブログの出番です。



ちなみに
スピリチュアルな教えを
すべて否定してるわけではありません


それが本物なら
しっかりやっていれば効果が出るはずです。


それでもとことんやって行き詰まり
どうしようもなくなった時は
その教えも捨てて
切り替えたほうがいい
と思います。


でも、それはとことんしないと
気付けないでしょう。

そして違うと思っても
その教えを捨てることもできず、
その教えにしがみついてしまう人も
いるかもしれません。


ここがある意味、
分かれ道です。



とりあえず、
どんな瞬間も無駄にせず、
しっかりと生きてくださいね。



(*・ω・*)ポッ




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本物


この世の中で本物は
少ないと思います。



私の師は間違いなく本物なのですが
初めは師の言っている意味が
分かりませんでした。

今、師からの言葉を読み返すと
理解できるのですが
かつてはわかっていませんでした。


でも、


彼の言っている意味が分からない。
でも、筋が通ってる気がする。

私の知らない世界があるのだろう。
確実に。

それを知りたい。


と思いました。



この相対的な世界にいると
絶対的な世界の言葉は理解しがたいものです。

でも本物は
確実に真理を説いてます。




ちなみに
師の言葉は決して心地よいものではありませんでした。

私の幻想をぶった切ったのです。
(;´▽`A‘‘




今、真実だと思っていることが
幻想だったとしたら?

彼岸に至れば幻想は消えます。


もし、幻想が消えるのが怖いというのなら
まだ彼岸に至る準備ができていません。


とことん生きて、

幻想なんてもうこりごり!

と思う人が幻想から解放される
準備ができるのです。



私は何かがあって幸せ
という幸せを求めていませんでした。


何もなくても幸せ


これでした。


それでも、「幸せ」という感情を使っている以上、
まだ彼岸にはたどり着けていなかったわけです。


それすらも捨てて空っぽ


その空っぽの状態を経て
その空っぽの私さえもが消えたのでした。




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言葉や行動を大切に (実践法)


私が至る前に
本能的に気を付けていたことがあります。
(その時は 理由はわかっていなかったけど
やっていました)


それは

「自分の発する言葉を大切にする」

です。



至ってしまえば
「私」が消えるので
発した言葉は単なる言葉です。

でも至る前のまだ「私」がいる状態では
自分の発した言葉に
「反応する私」がいます。

自分自身の発した言葉が

そのまま「私」に影響を与える


ということです。


(いわゆるカルマと言われているものに近い
かも)



行動も同じ。

自分のした行動は
「私」がその行動を見ています、
知っています。

だから行動が「私」に
影響を与えてしまうのです。



だからどういう言葉を発するのか
どういう行動をするのかは
とても大切です。


一番いいのは一般的に

心地よいとか
人を幸せにする


と言われている言葉を使ったり、
行動するのがいい。


逆に

嫌な気分になる
悪い影響を与える


このような言葉、行動は
これから一切使わない、しない
と決めるといいです。

一人でいる時も
みんなでいる時も、
どんな時も。


もし、そうすると決めたのなら
一切例外はなし。



はい。


一切例外はなし。



とことんそれをやってください。

決めたなら
今からすぐに始めてください。


起きてる間中どんな時もです。

「どんな時も。」


私はそれをしました。



それは
効果的な実践になります。



(*・ω・*)ポッ




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面倒くさい?


皆様、日々なにか実践をしてるでしょうか?


私のかつての実践は


「心から喜んでなんでもしよう」


でした。


(ちなみに至ると
この実践は必要なくなります。
実践ができなくなる、と言ってもいいでしょう)



さて、実践をしているときに
ふと

「面倒くさいなぁ」


という気持ちになったりしますか?


実はこの声は
「にせものの私」の声です。


実際「ほんとうの私」はなにもやっていません。

だから
面倒くさりようがないのです。


でも「面倒くさい」と思うのなら
それは本当の自分ではない自分が存在して
まるで自分が努力してるかのように思いこみ、

「あ~めんどくさい。
何でこんなことしなきゃならないの?」

と思うわけです。


至ってしまえば
本当の自分であるから
そして何もしていないのだから
何も思わないのです。


「面倒くさい」


この声はにせものの声です。

「ほんとうの私」の声ではありません。



だから実践する中で
「面倒くさい」
という声は無視していいと思います。


ひたすら実践。


そのにせの声が聞こえなくなる時、
そして「にせものの私」すらが消えたとき


「あれ?」



という境地にいることになります。


(*・ω・*)ポッ








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願望実現について


願望実現について。


願望実現をするためには
願望を持たなくてはなりません。


この願望を持つこと、
キリがありません。


何かの願望が生まれて
それが叶ったら
新しい願望がまた生まれて。


ずっとこれの繰り返しですね。



この
「願望実現」の次元では
絶対的幸せにはいたれません。



まず、絶対的幸せの状態になると
「願望」が存在しません。


願望を持つことができません。


願望を持つことは
今そうでないこと(叶っていないこと)
を宣言しているようなものであり、
常に不満が存在します。


願望実現は不満と紙一重。

そして実は同じものです。




願望を持たなければ
不満も持つことができない。


まずは

願望実現を手放してください。


願望、理想
そんなもの
やはり手放してください。



それらをもって
彼岸にわたることはできません。



(*・ω・*)ポッ




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幻想を打ち砕く


私はかつてどっぷり
スピリチュアルに浸かっていました。


今までの私のブログを見ていただいたら
わかっていただけると思います。



私が至れたのはやはり
師に出会えたからでした。

師は私の幻想を
ことごとく打ち砕きました。



私はスピリチュアルな本が好きでした。
それはほんの束の間の
自分を納得させるための時間でした。


実は、この納得


至る道に全く必要ないものです。

それどころか障害になります。



いろんな本を読んで
わかった気になって、、、、。


それが実は
悟りへの道を妨げています。



何かを知ろう。

何かを理解しよう。

何かを身につけよう。


これらは悟りの道から離れてしまう
行為、思いです。



ただ、この離れてしまう行為も
無駄ではないことがあります。


この行為たちを
とことんやってみることです。




さて、今一番
確実に効果のある方法です。

(方法は最後には手放すものですが
道を歩くときには利用できます)


これは何度も師に言われていたことなんですが


「バカになれ」


です。



今まで私たちをある瞬間
満足させていた教え

(みなさんご存じのとおり、
この満足は続きません。)


これらは実は役に立たないもの


と知ってください。


厳しい言葉かもしれませんが
この言葉はかつての私に言っている言葉です。


ということで、
残念ながら
今までの教えはすべて捨てる必要があります。



それが悟りへの道の
妨げになっているのですから。



だからすべてを手放して
一からやり直し。


私はそれをしました。



今までブログを読んでくださった方は
すごく感じると思いますが
私の表現はすっかり変わってしまいました。


このブログもどうしようかと思ってたのですが
前の私と今の私の違いを見てもらうために
やっぱり残したほうがいいかなと思いました。


今まで(至る前まで)私がブログに書いてきたこと。


なんの本質も語ってません。



なぜならその次元は
悟りとかけ離れていた次元であり、
私はその住民であったから。

だから語れるはずがなかった。


師がそんな私の幻想を打ち砕きました。

そして私はすべてを捨てて
一からやり直しました。



今まで自分の中で築き上げたもの。


捨てることができますか?



捨てることができなければ
今信じているものをとことん信じてください。


そしてそれに行き詰った時、
私の言葉が何か力になるかもしれません。



これから私は
遠慮なく表現させていただきます。


私は何も変わっていないのですが
(「私」というのも幻想で、変わりようがない)
これからの表現はますます変わっていくと思います。


これから表現していく言葉は
私がかつての私に言っている言葉だと思ってください。


だからある意味、独り言です。

気にしないでください。




(*・ω・*)ポッ




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からっぽであること


私が至ったときの実践がいくつかあります。

その中のひとつが

「からっぽ」

です。


どんな時もからっぽでいるのです。

それをしていました。




とりあえずからっぽでいてください。


悟れば


「からっぽ」


ですから。


(*・ω・*)ポッ




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絶対的幸せへの道を歩きたい人へ


私はかつて
ずっと幸せを実践していました。

幸せについてブログを書いてました。


実は
本当に本当に幸せな人は

「幸せ~」なんて言わないのです。

「幸せ~」と言葉にした途端、
幸せではない状況の存在を見てしまうからです。




でも今ここではっきり言えることは


「絶対的な、完璧な幸せはある」

ということです。



私はそれを求めて
それに至ることができました。



皆様、普通に生きて
幸せである人、たくさんいると思います。

これからもどうぞどの瞬間も幸せに生きてください。



でももし、このブログを読んで
「私も同じかも?」
と思う人がいたら
私はその人の力にはなれるかもしれません。


ただ、力になるとはいっても
私の言葉がきっかけや力にになるかもということです。


実践するのは自分自身です。


私には師がいますが
師の言葉がきっかけになったものの
進むのは自分自身でした。



ここで、もし
絶対的な幸せの道を進むと決心したのなら
自分自身でしっかり決心してください。


誰のせいにしてもいけないのらん。


進むのは自分自身。
誰もあなたの代わりにはなれないのらん。


(*・ω・*)ポッ





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空っぽ


空っぽであること


私は至る前でも
空っぽであることができました。

いろんな実践を経て
得たものでした。


そしてずっと空っぽでいました。
いられました。

からっぽのまま
何でもできるんです。


でも、これではまだ至ってませんでした。


「空っぽである」

と、それを意図し、宣言し、
そうであることを知っている自分がいたからです。


「空っぽそのもの」

これです。


空っぽである 

とする自分がいたのでは
まだまだです。


「何も思いが浮かびません。
空っぽです」

と言う自分がいるのではまだまだです。




「空っぽそのものになること」



これです!


(*・ω・*)ポッ




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「気付く」こと「知る」ことについて


「気付く」

ということについて。



「気付く」ということは
気付いてる自分がいる、ということです。


「常に気づいている」


というのは
常に気づいている「自分」がいるということです。



そして、気付いているということは
気付いている自分と気付く対象が存在し、
そのふたつの間に分離があるということです。



「気付く」

のではなく

「気付きそのもの」



それが悟っているということです。




知ることも同じ。


知る自分と知る対象の存在があるから
知ることができる。


知識そのものになれば
それを知ることはできません。




プロフィール

ラピ。

Author:ラピ。



ラピ。至る。
@(*・ω・*)ポッ

2013.5.13以降の記事が
至った後の記事となります。

それ以前の記事は
整頓して非公開にしました。

2006年12月から始めた
このブログ

かなりの記事があって
整頓するのが大変でした(笑)
皆さま今までも
どうもありがとうございました


*:--☆--:*@(*・ω・*)ポッ:--☆--:*:-



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