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徹底的に感謝


普通みんなそれぞれの思考パターンがあり
それに流されるまま過ごしています。

ここで、少しでも幸せでありたいのであれば
その思考パターンから解放される必要があります。

思考パターンとは
「カルマ」と言えるかもしれません。

この方法で
カルマから解放される可能性があります。


それは

「感謝」

です。

それも徹底した感謝です。

ある時は感謝して
ある時は感謝できない。

これではまだまだカルマどっぷりですから
そこから解放されたければ
単に感謝するのではなく

「どんな時も感謝」

これです。



何か出来事があったとします。

この出来事に対して
自分の常識に当てはめて
自分の思いを発してしまうと
同じパターンにはまってしまい、
そこから抜けられません。


「この出来事には感謝できないだろう。」


そう判断してしまうのがエゴです。
それまでの思考パターンです。
それでは今のまま、何も変わりません。


今まで感謝できなかったようなことにも感謝する。


今までのパターンから離れています。

今までできなかったことができた。

ひとつ、自分の思考パターンによる支配から
解放されたことになります。


ただ、この思考パターンは
気を抜くと、元通りになってしまいます。

なぜなら今までそのパターンで
ずっと生きてきたからです。

そう簡単にはできないかもしれません。
でもしなければ始まりません。


できる時もあればできない時もある

これではカルマからの解放は
まだまだです。



本当に解放されたければ
今と違うことをする必要があります。

もし、今まで幸せであったなら
幸せでありたい、と思わないでしょう?

今幸せであるなら
変わる必要はありません。
そのままでいいのではないでしょうか。


今幸せでありたいと願うのなら
思考に流される毎日ではなく
しっかりと意図的に
自分の表現することを選んでいきましょう。


それが


「常に感謝する」


何があっても感謝です。



これをずっと続けていたら
いつの間にか変わっています。


変わろうとしても変われません。


この感謝による実践で
いつの間にか変わってしまうのです。


変わろうとしてはいけません。


ひたすら実践していれば
おまけでいつのまにか変わっています。


だから気にせず
感謝し続けてくださいね。


どんな時もですよ!


@(*・ω・*)ポッ





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理想を生きる


道は2段階あります。


第1の道をしっかり歩かなければ
第2の扉は開かれません。


なので、まだ第2の扉が現れていない人は
今、第1の道をしっかり歩くことが大切です。



その第1の道とは

自分の理想に向かって
どんな時も生きていくこと


です。


理想とする自分は?

そしてその理想とする自分だったら
今どのような行動をするだろう?


もうすでに理想の自分となっているものとして
そうであるように日々を過ごすこと。



これは第1の実践のひとつとなります。


もし理想通りの行動ができない時があっても
すぐに切り替えれば大丈夫です。


寝てる時以外はどんな時も
理想の自分であるよう
行動してくださいね。



@(*・ω・*)ポッ





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覚醒同志!


みなさま、こちらではお久しぶりです!


最近は掲示板の書き込みばかりで
こちらの更新ができていませんでした。


今日は久々の記事でお知らせです。


ブログの昔からの仲間で
かつて私を
覚醒同志だと言ってくれていたヤッズ★さんが
(うれしかったなぁ、、、)
掲示板を見てくれて、
記事にアップしてくれました。


ここに紹介させていただきます!


ヤッズ★さんのブログ

煩悩くん フルスロットル



ヤッズ★にいたん
ありがとう!


@(*・ω・*)ポッ






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問題の解決


悟りとは
なにかがわかったりすることではなく

その「わかった」という自分が消滅することです。


そのわかったと言う「自分」は
「エゴ」とも言えます。



私はエゴの声を無視し続け
自分の決めた実践(行為)をとことんし続けて
ついにエゴが消滅しました。



実践をしてる時不安になったり
「そんなことしたくない」
といった声はすべて「エゴ」の声で
無視していい声です。


その声を無視して実践します。


ちなみに私は実践プラス

「自分を捨てて」

もしていましたので
割とそのエゴの声に影響されることは少なかったです。


「嫌だ」というエゴの声は
その捨てるべき「自分」だったからです。




何か出来事が起こった時
その出来事にあれこれ意味を付けるのが
「エゴ」です。


「エゴ」が消滅すると
出来事をありのまま見ることができ
それに対してのフィルターがないので
ありのまま対応できます。


フィルターがない分
時間差がないので
何も遮るものなく対応できます。



私はかつて(まだ至ってないとき)
何かをしていても
何かまとわりつくものがある気がして
常に何かの存在を感じていました。

それを

解決しなければならない

と思ってました。

(ちなみにこの根本的問題に関しては
解決しようとしても解決はできません。)


解決すべき問題が常にありました。
(ちなみにこの問題とは
言葉に表せない「なにか」でした。)

だからそのまとわりつくものを打ち破り
そこから抜け出す必要がありました。

だから実践をするしか道はありませんでした。

そのまとわりつく何かを
打ち破る方法が必要でした。



ちなみに至ってしまえば
解決すべき問題そのものが消えますので
解決の必要がありません。


そしてその本当の自分だと思っていた自分=エゴは
もちろん消滅します。


だから問題の原因はその「エゴ」であり、
この問題を解決したければ
問題をどうにかしようとするのではなく
その問題の根本的原因を絶つべきですね。


そうすれが勝手に解決します。
(解決すべきものはなくなります)



このいろんな問題の原因のエゴの消滅法は
これまでもいろいろ書いてるし
掲示板のほうでもいろいろ書かれています。



まず、エゴを「消滅させよう」としても
無理です。

エゴの性質を知り、
それに対して適切な対応が必要です。

エゴが消滅せざるを得ない方法で
やっていくといいです。


なぜ私たちがエゴの性質がわかるか、というと
もう「エゴ」がないので
今の自分の状態と照らし合わせると
勝手にわかってしまうんです。


だから悟れば
悟った状態を語れば
おのずといろんなことを表現できてしまいます。



でもエゴがある状態では
そのエゴを自分と思っていたり
エゴのある状態に疑問を持たないと思いますので
エゴそのものに気づきにくい。

何かの本で「エゴとはこうだ」という知識を得て
それを表現したところで
その表現そのものがエゴだったりするので
エゴについて完璧に語りたいのであれば
エゴを消滅させるしかありません。


そうなって初めて
エゴについてきちんと語れます。



@(*・ω・*)ポッ



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大丈夫


はっきりと言えること。


大丈夫です



私はこの言葉を使って
実践してきました。


何かが起こりそうになったら

「大丈夫」

そう言い聞かせてました。


最高の難関が立ちはだかった時、
ここを絶対乗り越えなければならない、という時、

「大丈夫」


この言葉で乗り切りました。


基本は実践ですが
もし、なにかくじけそうな時があったら
自分に「大丈夫」と言います。



私が激流を渡る時 
「大丈夫」という言葉により 
「大丈夫という思いも捨てても大丈夫!」
ということで全てを捨てて
実践できたのです。


ちなみに「大丈夫」と言い続けても
激流を渡りきることはできませんよ。


大丈夫!


と自分に言い聞かせた後
全てを捨てて という自分も捨てて
全てを気にせず という自分も気にせず
実践し尽くします。



大丈夫と言ってる自分もエゴなので
でもそのエゴを利用しながら
エゴを消滅させます。


エゴの声で勢いを付けた後は
できる限りの自分の力を使い切って
実践します。


自分を使い切った後、
さて何が残るでしょうか?


実践尽くして やり尽くして
もうこれ以上は無理
という思いも無視してさらに実践。


すべてを払い落とし続けてとことん進み、
ゴールにたどり着いたら
もうそれ以上は進めません。


だからゴールだとわかります。



@(*・ω・*)ポッ




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善を極める


「いいこと」とか「悪いこと」とか
判断する自分がいる。


そういう状態の時にこそ

「いいことのみをする」

という実践が可能になってきます。




至ってしまうと
「いい」とか「悪い」とか
そう判断する対象がありませんので
例え言葉で「いい」とか「悪い」とか言ったとしても
それは単なる言葉であり
至った人の中での裁きは起こりません。

そもそも裁くものがないのです。



でもまだ至る前の
裁いてしまう対象(自分も含めて)がある人は
「いい」「悪い」と言っている時点で
すでにそう判断(ジャッジ)してしまっています。

この「いい」「悪い」を飛び越えて初めて
「いい」「悪い」という言葉を
正しく使うことができます。


「言葉を使える」ということです。


至ってない場合、
「言葉に使われてしまっている」。



この「善悪」の言葉を超える方法が
善、悪の判断をすることなく

「善を行え」

です。



実践中に「いい」とか「悪い」とか判断してる時点で
ちゃんと実践はできていません。


その「いい」「悪い」を超えるための実践の途中で
「いい」「悪い」を判断しているようでは
その相対的なものを超えることはできません。



普通の人々は
「これはいい」
「あれは悪い」
と日々、いろんな現象を裁いています。


この「いい」「悪い」も
状況が変わったら逆転する可能性もあり、
いままで「いい」と言っていたことが
次の瞬間
「悪い」になってることもあるのです。


そんな「善悪」に頼って
そんな「善悪」に縛られて
生きていくことに疑問はないでしょうか?



絶対的な「善」も「悪」もありません。


絶対的な「善」というものには
「悪」は存在しないはずです。

でもそれは「善」も存在しない
とも言えるのです。


至ってしまえば

悪も善もない


でも至る前の判断する対象がある場合、
「善も悪もない」と言ったところで
すでにジャッジしてしまってます。

同じ言葉を発しても
大きな違いがあるのです。

全く違うのです。



「善」「悪」


このジャッジの日々がもう嫌になったなら
今日から

「絶対的善」

であるよう過ごすことが
効果的な実践となります。


そして善や悪という
相対的なものを飛び越えるのです。

いいことや悪いこと
あっちいったりこっち行ったりせず
善を極めてみてください。


ある日、ことは起こります。



@(*・ω・*)ポッ




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ゆるぎない真実


私を導いたものはなんだったんだろう。



激流を渡り終えた私の状況、
実は前から知っていました。

激流を渡り終えた直後は

「なんじゃこりゃ?」

でしたが
この彼岸、知ってました。


その「至っている私」を知っているからこそ
至ってない私は
「これは本当の私ではない」
とどこかでわかってました。


だから、

本当の私になる!


という思いが
私を導き、決してあきらめさせなかったのかもしれません。


普通に生きていて感じる違和感。


これは真実ではない


そう直感的に感じていたようです。

(実は私は地球の人間ではないのではないか
と感じていたこともありました(笑)


偽の自分で生きていても意味がない

そんな人生は楽しくない。
(だから一般的に「楽しい」と言われていることを
素直に楽しめない自分がいました。)

偽の自分では楽しめない。
まずは本来の自分に戻らなければ。


これが私の日々の中心になっていたのだと思います。




至って時間がちょっと経って
思いました。


「この状態、私知っていた」



私が本当に望んでいたのは
この状態でした。

それ以外はいらなかった。


偽物の幸せなんていらない。

真実でなければ!


これが私の本当のかつての意志だった。

それが私を激流に向かわせたのです。






ゆるぎない真実を求めている方へ。



そもそも真実を求めていること自体、
真実と分離していることを証明しているようなものです。


真実を求めても至れません。

求めること自体、
そこへはたどり着けません。



どうすればいいか?


「探求」を実践のきっかけとし、
その意思を探求に使うのではなく
実践を徹底的にすることに使います。

例えば真実を知りたければ
「自分は真実を知りたいのだけど
どうすればいいか?」
を考え、それにあった行動(方法)を決めます。

その行動を決めたら
とりあえず、目的は置いといて
その行動をとことんやっていく、という感じです。

するべきことは
自分が決めたことを貫くこと。


それはとことんでなければならない。


とことんしていれば
思考する暇はないはずです。

もし、思考している自分がいたら
まだまだ「とことん」ができていないことになります。

実践をできる限りやっていきます。



まず今の自分の目標を決め
その目標を達成するにはどうすればいいかを考え
どうしたらいいかがわかったら
それをとことんやっていく、ということ。

とことん実践をしていく
ということです。


とことん実践をやった先は、、、、。


とことんやってみればわかります。


@(*・ω・*)ポッ



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実践のきまり (ラピ。流)


私が実践しているときに
決めていたことがあります。


今、この状況で実践すること


どの実践でもそうでした。

環境も変えることなく、
そのまま実践する。

=今すぐ実践です。


どんな状況であろうと
実践には関係ありません。


例えば

「どんな時も幸せでいること」

という実践の場合
この実践にも条件を付けず、
今すぐ幸せ!を実践します。


時間も場所も関係なく
「自分」がすべてのものの中心となって
実践します。


何にも影響されることなく
実践します。


もし、何かに影響されそうになったら。

これまた切り替えて
ずぐに実践に移ります。

慣れないうちは
その都度、切り替えが必要かもですが
それでも続けます。


常に幸せであること


常に幸せな気持ちでいること
ということです。


どんな時も例外なくれす。


@(*・ω・*)ポッ





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幸せの道


ひたすら幸せの道を歩くことは、
どんな時も幸せを選択してくことは

無敵です。


幸せを選択し続けていくことは
すばらしい積み重ねをしていることになります。


幸せのその道は
守られることを求めていないからこそ
歩いてる人自身を守ってくれて
恩恵をもたらします。



どうぞどんな瞬間も
幸せでいてくださいね!



@(*・ω・*)ポッ




プロフィール

Author:ラピ。



ラピ。至る。
@(*・ω・*)ポッ

2013.5.13以降の記事が
至った後の記事となります。

それ以前の記事は
整頓して非公開にしました。

2006年12月から始めた
このブログ

かなりの記事があって
整頓するのが大変でした(笑)
皆さま今までも
どうもありがとうございました


*:--☆--:*@(*・ω・*)ポッ:--☆--:*:-



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