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改訂 ラピ。流実践 (第一段階)


みなさま、いかがおすごしですか?


私は結果的に至ったのですが
私の通った道を
まだまだうまく説明はできていない気がします。

ちょっと思い出してみました。

私の道です。



私のやり方としては
まず、自分にとっての問題を
どうしたら解決できるかを考えました。

この問題は人それぞれだと思います。

どんな問題でも
まずは自分で解決しようと
その解決方法を考えます。

そしてとことん自分が納得する解決法が見つかるまで
考えます。

ちなみに私の第一の実践

「自分を捨てて喜んで何でもしよう」

というのも
とことん考えてひらめいた方法でした。

それまでのわがままな自分を反省して、
どんな生き方をしたらいいか
という問いでした。

丸くなって一人、
精一杯考え続けたことを思い出します。

「どうしたらいい?どうしたらいい?」

ひたすら問いました。

そしてその時の私の人生のテーマとして
私はどうやって生きていったらいいか、
それに対しての答えを得ました。

この答えを得たとき、
問うのをやめ、
実践に移りました。

どんな時もその実践に例外はありませんでした。

というか、ないつもりだった、と言えるかもしれません。

その時の自分なりの一生懸命でいいと思います。

今、その頃の自分を思えば
まったく不完全でした。

でも、その時はそれなりに一生懸命でした。

自分の実践していることに疑問も持たず、
一生懸命でした。

それでいいのです。

自分なりの方法を見つけたら
とことんやり尽くすのです。

自分が決めたことなのだから
とことんできるでしょう。


私がブログや掲示板で書き込みをしていて感じたことは
人から言われた実践法は
なかなか実践しきれない、ということです。

だからやはり、自分の問題を解決する
自分のやり方を突き通すことが
大切だと思ってます。

自分でしっかり決めて
とことんする。

決めた実践を自分の生き方として
とことん実践し尽す、
ということです。


そうすればしっかりと「自分」が育ちます。


「自分」が育ってないのに
「自分」が希薄なのに
「自分」が消えることはできないでしょう。

ステップを飛ばすことはできません。


私もかなり「自分」が強かったです。

人の言うことは
聞いてるようで聞いてなかったです。

そして自分の決めたことはやり通しました。

最終的に決めるときは、自分が決めてました。


そうすればだれの責任にもできない。


人に責任転嫁してるようでは
まずだめです。

それは一つの逃げ道となり、
実践になりません。


しっかり自分と向き合って
自分の人生のテーマを決めましょう。

まずはそれをやり遂げなければ
悟りへの道は開かれない。

なぜなら「悟りへの門」は

「自分」を思いっきり生きた人

に現れるからです。

(まだこの時、門は閉まっていますが、、、。
ここからの実践は、それまでと変わります。)


ちなみに私のかつての実践はどれも
自分の人生をかけています。

おおげさかな、、、。

いや、そうなんです。(笑)


@(*・ω・*)ポッ


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実践のベクトル


(※追記しています)

私の道はちょっと変わっている
前の記事で書きました。


私は激流を二度体験しています。

一度目の激流は
確かに激流だったけど
自我の消滅は起こりませんでした。

命がけの激流であったにも関わらず
至ることができなかったのです。

でもこの時点で
「悟り」というものがどういうものか知らなかったので
この出来事はしばらく謎のままでした。


しかし、師に出会って
師の教えのまま実践した結果
二度目の激流が起こりました。

一度激流を経験しているので
激流が「これだ!」とわかり
ずぐさま飛び込みました。

一度激流を経験してるおかげで
二度目は一日で渡り終えました。

そしてついに自我が
消滅したのでした。

ちなみに一度目の激流は何年もの間
続きました。



さて、ここでなぜ、一度目で至ることができなかったのか。

私の激流の実践に原因があったと思われます。

一番初めの(激流でない)実践は
「自分を捨てて喜んで何でもしよう」
でしたが、この実践のきっかけは
「それまでのわがままな自分を反省していい人間になろう」
でした。

(ちなみに激流前の実践も大切です。
その実践をとことんすることにより
激流への扉が現れるからです。
それがなければ、激流は起こりません。)

そしてその実践は
そうでありたいという理想の自分になるための
自分流のやり方でした。

また、「自分を捨てて」としていましたが
確かに自分を捨てることで
いろんな場面で助けられましたが
結局捨てきることができず、
(↑当たり前と言ったら当たり前のことなのですが)
その「自分」がかなりのダメージを受けて
実践ができなくなり 次の扉が現れました。

そして新たなる実践。

この実践により、激流が起こりました。
第一の激流です。


激流に飛び込んだこの時の私の方向性は
とても個人的なものでした。

それは

「自分の限界に挑戦する」

というものでした。


しっかり自分を保ったままの激流。

最終的に激流を渡り終えた後も
結局自我にしがみついたまま。

肝心な自我自体の消滅は起こりませんでした。


ただこの第一の激流で得たものもありました。

激流の免疫とでもいいましょうか。

彼岸へのパスポートは手に入れました。

でもそれを持っていても
激流が起こらないのでどうしようもありませんでした。
(彼岸の前に必ず激流があります。)

いや、正直なところ
「あんな状況(=激流)はもういい。あとは幸せに生きるのだ。」
と思っていたと思います。

「充分がんばったからもういいでしょ?」
という感じでした。

そして気持ちの切り替えも上手になったから
それからはそんなに苦しむこともなく、
ある意味楽ちんに過ごせちゃったりしたのでした。

でも「苦悩」の大元の「自我」の消滅はしていなかったので
たまに「苦悩のようなもの」はやってきました。

でも、その時は気持ちの切り替えも上手になっていたので
激流を渡る前に比べたら
どうってこと、なかったです。

ただ、この時は切り替えが必要でした。
=自我がまだある、ということです。

そんな日々が何年も過ぎました。

結構幸せ感があったので
なかなかの場所にいるのではないかと思ってました。


そして師との出会い。

私の状況を知りたくて師にメールをしましたが
私は全く問題外の状況でした。

そして師からいろんな話を聞き、
師は本物であると確信した後
師に教えを請い、最後の実践を行いました。


まず、今まで私が築き上げた(と思っていた)もの
をすべて手放しました。

激流は「楽ちん」では起こりえません。

そして一からのやり直し。

すべてのものの一番下のものとして
初心者として
実践をさせていただくことになりました。

一番至らないものとしての実践です。


一度目の激流は自分への挑戦でした。
自分にベクトルが向いた実践です。

二度目の激流の実践はすべての存在の一番下になり
全ての人を敬い、全ての人に敬語を使うという
自分以外の人にベクトルが向いたものでした。

そして激流が起こりました。

ここで、なぜ激流が起こったか。

私がまだクリアできていないことがあった
ということです。




自我を「捨てよう、捨てよう」
としても捨てられるものではないですね。

ではどうすれば捨てることができるか。

捨てざる得ない状況を起こす実践が有効です。

それが

「人の為」

であり、

「奉仕」

です。


その実践をすることによって
いつのまにか自分が捨てられていくのです。

そしてどうやっても手放しきれなくなった時、
激流が起こります。

それでも実践し続けていくのです。
ここで私は手に入れたパスポートを活用しました。

かつての経験は
無駄ではありませんでした。


私の第一の実践は「自分」を握りしめたまま
激流に飛び込みました。

激流は終わりましたが
「自分」を手放すことができず、
「自分」を引きずって帰ってきました。

激流終了後、
思いっきり「自分」を引き戻した記憶があります。

そうやって、命からがら帰ってきたのです。
(大げさに聞こえるかもですが本当にそうでした)

この「自分」の消滅が悟りであると
知りませんでした。

「自分」を手放すことができなかった。

思いっきり消えればよかったのにできなかった。

この「自分」が消滅したらすべてが終わりだ
と思っていました。

実践をしながら
「自分」を握りしめていたのです。

そして無事(?)に帰ってきました。

帰ってきてしまいました。

激流の中、「自分」を消すまい
ということに成功してしまいました。(笑)

=至ることができなかった、ということです。



スピリチュアルな日々は
確かに幸せ感がありました。

でもそれは
幸せな時もそうでない時もある
相対的な幸せでした。


でも、今は「幸せ感」がなくても
幸せなのです。



実践の大切なポイントとしては
まずは自分の

実践のベクトルを知ることから

だと、今思っています。




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徹底的に感謝 実践法



私はちょっと変わった歩き方をしています。

第2の実践で中途半端に至ったために
(そうであることがこの最近わかりました)
第3の実践について
かつての私のやっていたことを
そのままお伝えするのは
ちょっと遠回りになるかもしれません。

でも第3の実践も私の通った道で
それがあるからこその今があるので
無駄ではなかったと思います。


第3の実践は
いわゆる「スピ系」の実践でした。


巷によくある本を参考にしての実践です。


私はこの実践によって
できることが増えました。

それは至った後でも生かされていますので
無駄ではありませんでした。


この記事のテーマが「感謝」なので
特に感謝の実践について書きます。


ちなみに私は常にいいと思ったことを
すぐに実践していましたので
いろいろ実践をしています。

忘れている実践もあるかもしれません。(笑)


「感謝」も確かに私がやってきた実践です。

感謝し続けながら行動すると
今まで控えめだった私が
積極的に行動できるようになりました。


私のやってきた「感謝」とは
どんな時もきちんと声に出して

「ありがとうございます」

ということです。


私の提案する実践は
どんな時も例外ありません。


ありがとうと言えそうもない時も言います。

例えば自分は間違っていなかったのに
間違いだと勘違いされたとき、
それでも「ありがとうございます」です。

どんな時も最後は

「ありがとうございます」

でした。



こうやって
「ありがとうございます」を人との会話に用います。

そしてありがとうを言うタイミングがなければ
心の中で「ありがとう」と言います。

または、相手が聞けるタイミングでなくても
自分はしっかり声に出して「ありがとう」を
言ってもいいと思います。


感謝は自分の気持ちの切り替えにも使えます。

嫌な出来事があっても
嫌だなぁと思う前に感謝を用います。

出来事に感謝します。

そうやって積み重ねていくと
気持ちの切り替えが上手になり
嫌な時間が減ってきます。


一日を100%感謝し続けたら、、、。


おわかりですね!


そして例外はありませんので
感謝できそうもない時こそ感謝します。

そういう時にできてこそ
実践ができた!と言えます。


ただ、「感謝」のみでは
激流は起こる可能性が少ないです。

実際、私は感謝を卒業して
次の段階に進んでいます。


なのでこの私がしてきた「感謝法」を
アレンジしてみようとおもいます。

それについてはまた書きます。

これは師とのやり取りで気づいたところを
プラスしたものです。



単なる感謝では
幸せ感はあると思いますが
至る可能性は少ないです。


なぜなら至るためには
その「幸せ感」を捨てなければならないからです。


「幸せ感」を持ったまま彼岸に渡ることはできません。


感謝によって此岸で
それなりに幸せに生きていけると思いますが
その先があります。


これは此岸の幸せを味わい尽くして
更なる道を選ぶ人に開かれます。


でも感謝もそれなりに幸せでいることができます。


まずはそれを徹底的にするのは
私もしましたし
無駄ではないと思ってます。


どうぞ、まずはこちらの世界で
思いっきり幸せになってください!


そこからです!

@(*・ω・*)ポッ




プロフィール

ラピ。

Author:ラピ。



ラピ。至る。
@(*・ω・*)ポッ

2013.5.13以降の記事が
至った後の記事となります。

それ以前の記事は
整頓して非公開にしました。

2006年12月から始めた
このブログ

かなりの記事があって
整頓するのが大変でした(笑)
皆さま今までも
どうもありがとうございました


*:--☆--:*@(*・ω・*)ポッ:--☆--:*:-



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