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悟り?覚醒??



私のこの状態はいったい何なのか。


よくわからないけど
悟りの状態の説明などを読んでみると
私の状態がうまく表現されているから

「あ。これが悟りと言われているものなんだな」

と思っています。



私はもともと悟りを目指していたのではなく

ご存じのかたはご存じのとおり

「覚醒」

を目指していました。


だから私の道の始まりは
絶望や悲しみなどではなく
大変能動的なものでした。


「覚醒」という言葉から受けるイメージがあると思いますが
私はそのままそのイメージの道を歩きました。


私はもともと
この世界に興味がありませんでした。

世界に対して
疑問はその都度ありましたが興味はなく
ただただ

「自分の在り方」

だけに興味がありました。



悟りには苦しみが必要だと言われます。

私の場合、
自分の限界への挑戦でした。

それが結果的に苦しみを生んだのかもしれませんが
絶望する暇もなく
ひたすら実践していたのを覚えています。


大変な状況もありました。

でも、それよりも実践優先で
どんな状況も実践をやめませんでした。

限界までやり切る

この姿勢でした。


私の実践はとてもシンプルであり、
シンプルな分、大変です。

この道を耐えるのには
あきらめないことと
自分を信じることが大切です。

本当に答えがほしいのなら
あきらめないことだと思います。


門を叩き続ければ
必ずいつか門は開く。

水の中で空気を求めるほどに
真理を求めよ。


、、、正しくかけていませんが
このような感じの言葉たちが私を奮い立たせ
実践をし続けることができました。



行き詰ったさらにその先に
解放があります。


今のこの境地は
表現しがたいのですがとても快適です。


こういう世界があったのか
とまるで夢のようです。


私はある意味悟ったと言える。

そして私は覚醒したとも言えるのかな。


ただただ私は真実そのものになりました。


だからもう、この道に関しては何の教えも必要ない。

私が教えそのものとなってしまいました。



何か質問がありましたら
コメント欄にどうぞ。

掲示板に書き込みも歓迎です。





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意識



私の歩いた道を違う視点で語りたいと思います。


私の初めの実践


「自分を捨てて心から喜んで何でもしよう」


これを思いついたとき、
私は小学校の高学年でした。

それまでは何も考えていなくて
我がままに生きていました。

ある日、「こんな自分ではいけない」
と反省し、どう生きればいいか
自分に問うて得た答えが

「自分を捨てて心から喜んで何でもしよう」

でした。


これは後でわかったのですが
私はこの時、意識を「心から」の言葉の通り
自分の胸に落としたのでした。

元々あった位置から落としたのです。

実はこの行動は私の体にとっては
緊張を伴うものでした。

でも、そうすると決めて実践し始めてからは
もとにどこに意識があったかを忘れてしまって
元に戻れなくなり
ただひたすら実践でした。

実践しかなかった。

それまでの自分にとって
どんな風が普通だったか忘れてしまいました。

緊張とともに
私は実践し続けました。

真剣にそれをし続けたのでもとには戻れませんでした。


そしてひたすら実践。

そのあと壁にぶち当たり
第二の実践が始まります。


偶然か必然か私のその実践は胸より上の

「眉間」

でした。


そしてその実践で闇に突入。

いや、その状態は闇と表現してしまうけど
闇ではなく、
何とも表現しがたい状態なのですが
ある瞬間 私はそこに放り出されました。


その経験をして
必死にその意識から帰ってきて
その後スピリチュアルにはまります。
(第3の実践)

ちなみにこの時、
戻ろうと決めたのは
「まだやり残していることがある」
という気持ちからでした。

(思い出しても、なんだか不思議だな、、、(笑)


そのためにその闇(例えでこの表現をします)から元に戻るため
いろんな周りの人の意識の場所を真似しました。

私は元に戻るために
周りの人の意識の場所を見習って
人間に戻りました。

人間ってほんと大変ですね。

それまでにない経験を
この時させていただきました。

いろんな思いも経験しました。

人間って大変なんだなって
ほんと思いました。



さてこの頃、スピリチュアルにどっぷりで
そこらををうろうろしていました。

幸せ感もあったので
実はある意味それで満足でした。

これが私の求めていたものかな?

、なんて思ったり、、、(笑)

でも変わらず、スピ系の教えを
実践していました。

その教えが本当なのかどうなのか
確かめるために。


ここで師と出会います。

師がされていた実践の話を友人から聞き、
(この友人との出会いも必然だったと思う)

「私のようなことをされていた方がいるんだ。
そしてその人が悟った!

これはどういうことだ。

私の闇のような体験が
なんであったか、わかるかもしれない。」


そういう思いで師にコンタクトしました。


師とのいろんなやり取りの中でわかったのですが
私のあの闇の経験は
彼岸に一歩足を突っ込んでしまったものだった。
でも渡り切ったものではなかった。

だから闇の経験から帰ってきた時も
まだ残っていたのですごく不安定でした。

ちなみにちゃんと彼岸に渡り切った時は
すべてが止まった感じでした。

不安定も安定もない。

明らかに違いがわかります。

(ちなみにこの眉間の実践を
やめずにそのまま続けていたら至れていたか?
これは実はノーです。
まだこの時に私には足りないものがありました。
それが後に判ります)



この闇の経験を師は
素敵な例えで話してくれました。


三蔵法師は経典を手に入れるために
天竺に旅をしたと言う事だが、
君もこれと同じだ、
原始人の身の上でありながらも危険を冒して
彼岸に渡り持ち帰ったものがある。




その闇の経験=経典のおかげで
私の最後の実践、修行は一日でした。


そしてこの最後の実践は

「頭頂」

でした。



至ってから私は思い出しました。

「この境地を知っている」


だからこそ、そうでない状態に違和感を持ち
とことん実践できたのでしょう。


私はもともとあるべき場所に帰ってきました。




第一の実践前はたぶん、
子供で、ある意味ありのままでした。

でもそれまでを「反省」する自分が出てきて
その自分に焦点を当てるようになり
その自分が「自分」になってきました。
(これ、なんとなく覚えているんですよね)

その時実践すると決めたのが「胸」

覚えているのは
意識して(無理して)胸に意識を持っていき
実践していたこと。


この時、私にとって重要なのは
形だけでなく
本当に心の底から喜んででなければならない
というものがあったからです。

だから真面目に「心」から実践しました。


そしてその後、「眉間」の実践へ。


スピリチュアル実践時は
いろんな意識の場所を経験しました。

ちなみにスピの時に
意識的に感じられる幸せがあって
(自分が意図すれば幸せな気持ちになれる)
自分の斜め前上からの意識でした。

それは私の中からではなく私の外からのものでした。

そこから意図すれば幸せ感が降り注いできて
私はそれに浸っていました。

その時は ただただ幸せでした。

でもこれが悟りの道を目指す人にとっては
「魔境」と言われるものになります。

ここで立ち止まったら
それで終わりなんです。

それを師に指摘されました。

だから師に教えを請い
魔境状態を手放し、
実践再開することを決心しました。


実はこの時の師の教えは

「下から」

でした。

私は一番下のものとなって
師の言われている実践をすることを決心しました。

もちろん意識は「一番下」です。


私には実はこの「下から」が足りなかった。

胸、眉間を終了後、次に頭頂

の前に

「一番下から」

です。


これで上から下まで
すべてそろいました。(笑)

面白いことにとことん下になると
頭頂あたりで葛藤が起きました。


一番下になることによって、上が浮上しました。

「一番下」がなければ
頭頂への実践は起こらなかったでしょう。


この時頭に感じた葛藤が
かつての眉間の実践に得た感覚と同じだった。


私がかつて闇(彼岸)に渡って
持って帰ってきた経典とはその経験でした。


私はとっさに

「これが私の道である」

と直感し、
師になにも伝えず勝手に進み始めました。

師に伝えたのはそれから半日たった
次の日の昼休み。
(この時、仕事は普通にしていたんですよね。(笑)

この時に私がすでに激流に飛び込んでいることを
師にメールしました。



そしてその夜、無事彼岸入りしました。
(これは予想もしていない時に起こりました。
というか、その実践を一生するつもりでした。
悟りなんて目指すことなく。)


上から下まで私はすべての意識を突破し
ついに至りました。

そして今に至ります。


そしてさらにその先があるようですね。



さて、どうしましょうね。


って、考える必要はありませんよねぇ。(笑)


@(*・ω・*)ポッ




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神秘体験について


私は神秘体験を何度かしていますが
どれも

集中

して、それをちょっと超えたときに
経験しています。


そして最終的にも「集中」で突破しました。

(この方法は、私の特性であります。
方法は人それぞれです)


至ることのできなかった集中での経験は
素晴らしいものでした。

しかし、私にとって
その神秘体験はあまりに突然すぎて
意味が分からなく(笑)
意味が分からなかったからこそ
それを忘れて実践できました。

それに、すぐに元の感覚に戻ったし。


神秘体験をしただけでは
至ってません。

だって、時間がたてば元通りですしね。

だから神秘体験をしても
それを手放さなければなりません。

それがゴールではありません。

おまけ程度です。



ちなにみ何度も書いてますが
私の神秘体験は

一瞬で光の世界にいた

すべてがつながり、
すべてがわかったという実感を得た


というものです。


両方とても素晴らしいもので
その時はあっけにとられ
そして感動したのを覚えています。



神秘体験を経験して
それで悟ったと勘違いしたり、
その経験があまりにも素晴らしいので
その素晴らしい世界が本物で
それ以外は偽物であると思い、
現実を否定して夢の中に生きてしまうの人たちが
割といるのではないかと思います。



私の場合

・その頃「悟り」についての知識がなかったから
その経験をそれに繋げることがなかったこと。

・常に実践していたので
実践するのにその神秘体験の記憶は邪魔だったこと。

・私の実践が「自分を捨てて」だったので
これまた、その経験を手放すこととなったこと。

これらのおかげで
その神秘体験は単なる不思議な経験という位置づけとなり
それに縋ることはありませんでした。


ちなみに本当に至れば
実践ができなくなるので
本当に、本当に終了です。


私は神秘体験後も実践できたので
その時はまだだったのはあきらかです。


そして本当に至ったのであれば
神秘体験のようなものはありません。


神秘体験をしてしまうのは
まだ「対象」がある証となります。



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決めたことをとことん実行すること


決めたことをどんな時も
できる限り実行し続けることによって
気が付けば
次の扉が目の前に現れます。


その扉は
探しても見つけることができない。

探すという行為自体、
扉から離れてしまうからです。



どんな時も精一杯、
自分の決心したことを自分の生きる道として
極める。


極める


極めちゃってください。



ちなみに何度も書いてると思いますが
実行することを決めるとき
「自分の善」
を基準にしてください。

「カルマ」という言葉がある通り、
自分のしたことは返ってきますから
「悪」を選ぶべきではありません。

当然ですよね。




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自分とみんなの幸せ


みなさん、幸せに生きてほしいと思います。

「悟り」なんて
そんな辛い道、歩く必要ありませんよね。


でも「悟り」という道を目指すのであれば
「悟り」というものを目指すことをやめ
日々、精進しなければなりません。


その道には
気分転換とかあり得ません。

ただただ、精進のみ、です。


だから「悟り」の道なんて
お勧めしません。



人は自分と周りの人が幸せであるよう、
現実的に行動することで
幸せ感を得られると思います。


どうぞ、幸せになってください。


いっぱい、いっぱい
幸せになってください。


自分と周りの人がみんな幸せであるよう、
人として生まれたからには
それだけでチャンスなので
後悔のないように、、、、。



@(*・ω・*)ポッ





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集中


私の歩いた道のキーワードのひとつが

集中

です。


対象が消滅すると
集中する対象がないので
集中するものがありません。

(変な言い方ですが
言葉にするとそんな感じです。)


集中力が散漫になって
集中できない、ということではなく

集中しきった後の境地、
集中を超えた境地で
対象が消滅したから集中ができない

ということです。

だから同じ「集中できない」という言葉でも
意味がまったく違います。



そんな日常はどうなるかというと
集中することなく行動できています。

行動を遮る「もの」がないので
行動そのものとなっています。


集中という点がなく、
だから拡散してしまうので
どうやってもくつろぐしかない。

(くつろぐ、という言葉も例えですが。
実はくつろぐことすらもしていない。)


行動の区別がないので
仕事も休日も全く同じ、変わらずです。

何もしていません。

でもしているように見えます。



なにもすることなくできてしまう。


そのような感じです。


いったいこの状況がどういうことなのか。

うまく言えませんが
この境地は想像以上、
そしてまさしく想像外のものでした。


想像できる境地ではありません。

だってそもそもその境地に至ったら
想像する対象がありませんからね。

想像しようがありません。


だからその境地を想像するより
日常をがんばったほうがいいです。

自分の善なる声に従って決めた
自分のするべきことを
日々がんばるのです。


私も自分が決めたことをひたすらがんばりました。

自分の理想の生き方としてただただ
がんばりました。


私はエゴがとっても強かったので
しつこくがんばりました。(笑)

自分の善なる理想実現のために。


@(*・ω・*)ポッ




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意志の力


私の第2の実践は

「意志の力を使う」

実践でした。


私にとって突破したい壁(これは例えです)があって
それを意志の力で突破しようと
日々、自分の決めた実践を実践していました。


私はもともとエゴがとても強く
=意志の力が強かった。

一度決めたらとことんしてしまう人でした、
できなくなるまで(笑)


だから第2の実践も
「その壁を突破できるまでやめない」
という思いでやっていました。


でも第2の実践は突破というよりは
あるぎりぎりの段階で
「もうがんばった。もう十分だ」
と実践をやめてしまったという感じでした。

(そこから帰ってくるのも必死でしたが、、、。)

第2の実践である程度のところまで行きましたので
そのおかげで第4の実践は1日で終了し
ついに突破しました。


でも「突破した」というのは
実は正しい表現ではなく
突破しようとするものそのものが
ある時、消滅した、と言った方があっている。


私を遮る何かを
突破しようとしたら。
意志を使って精一杯突き抜けようとしたら、
それを突破しようとした私のそのものが
ある時消えてしまった。


あれ?

これは何?


という境地にいつの間にかいたのでした。








プロフィール

ラピ。

Author:ラピ。



ラピ。至る。
@(*・ω・*)ポッ

2013.5.13以降の記事が
至った後の記事となります。

それ以前の記事は
整頓して非公開にしました。

2006年12月から始めた
このブログ

かなりの記事があって
整頓するのが大変でした(笑)
皆さま今までも
どうもありがとうございました


*:--☆--:*@(*・ω・*)ポッ:--☆--:*:-



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