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「空っぽであること」と「空っぽそのもの」の違い


私は4段階を経て今に至りました。

でも実は第2の実践終了で
ある程度達しておりました。

、、ある程度、、、です。
(変な表現ですね、、、、、。(笑)

その「ある程度達した」ことにより
私は

「空っぽ」

になることができていました。

今もある意味空っぽですが
そのかつての空っぽと
今の空っぽは
全く違うのでした。


かつての空っぽを
「空っぽであること」

今の空っぽを
「空っぽそのもの」

と表現できます。

(~そのもの、という表現を
よくしてしまうのですが(笑)


違いを書きます。


「空っぽであること」
は空っぽになる容器はまだあって
その容器の中が「空っぽ」という状態です。

容器はまだありますので
今は空っぽでも
いつ空っぽじゃなくなるかわかりません。

そして常に「空っぽ」であるよう
心がけている状態です。

この頃は
私の意志を使って、
別の言い方をすれば
「空っぽであること」を選択し続けたので
空っぽであることができました。

、、、、、


そうです。


まだ「空っぽ」だと
意図する自分がいた。

意図しなければ
空っぽは保てなかったということです。

(しかし、ここまでになるのも
そう簡単なことではないです。
精進あるのみ!)


そして今の

「空っぽそのもの」

は空っぽになる容器すらない、
空っぽを超えた「空っぽ」であります。

意志する必要なく
そう選択する必要もなく

ただただ空っぽのみ。

何も意図する必要がない。



空っぽであることと
空っぽでないことがある

相対的なそんな空っぽが
かつての私の「空っぽ」でした。


今は絶対的空っぽ。

空っぽでないことに
なりようがない空っぽです。


、、、言葉に表すと変だなぁ、、、。


かつての私は
常に「空っぽ」であることを
選択し続けることができた。

それはそれで
ある意味楽だった。

空っぽであることができたから。

でもこの時ふと思ったのは

「この空っぽを意図する私が
全てを忘れて
空っぽを選択することすら忘れたとき
はたして空っぽでいられるだろうか?」

無理かも、、、、。

なぜなら意図しての空っぽだったから、、。


それでは嫌でした。

完璧な空っぽ

どんな時も空っぽがよかったのです。


私はかつて「空っぽ」でいられたので
ある程度楽ちんでした。

でもその状態の更なる先がありました。

そしてその更なる先は
「意図することを忘れたらどうなるか?」

という問いを解決するものでした。

、、、解決した、というよりは
問題そのものが消えてしまったのだけども。


至る前はこの問いに対して
「意図することを忘れても大丈夫になりたい。
どうしたらなれる??」
と思っていた私でしたが
実は想像以上の解決を得ました。

至った瞬間、
そもそも意図すること自体が消え去り
意図する私が消え去り
「忘れたらどうなるか」なんて問い自体が消え去り
「大丈夫」であることも消え去りました。

そう、問題そのものが消えた。

問題を超えてしまったのでした。

(これは例えですよ)

もしかして
かつての私のような人がいたら
ヒントになるかも、と書きました。
@(*・ω・*)ポッ



ちなみにここに書いたことは
実践されている方は
「ふ~ん、そうなんだぁ。
さて、精進、精進!」
くらいの姿勢がいいです。

私の書いていることについて想像し始めると
その時点で実践できていないことになります。

これはスピ系の本に対しても言えます。

精神世界の本を読んでも
「そうなんだぁ~」くらいの姿勢がいいと思います。

議論しても それがどういうことか考えても
意味ないのです。

それはそうならなければ
単なる想像となるだけですから
議論も単なる想像上の議論となってしまうんです。

だからそうなるしかない。

そうなるためには
ひとまず、そうなろうとすることから離れて
自分の理想に集中してください。


今を大切に、、、。



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理想と集中力


私はかつて

「こうあるべきだ!」

というのがありました。
(自分に対してです)


その「こうあるべきだ」というのが
私の理想で、
まるでそうであるように生きることを
決心しました。


それをただただ
自分の在り方として決心し
ひたすらそうであるよう努めました。


なぜ、そこまでとことんできたのだろう、、、。


ズバリ、エゴが強かったからだろうなぁ。


このエゴに対して
エゴをなくそうとする方向性では
今の私には至れなかったです。


そのエゴに挑戦したんです。


(ちなみに至るまで
それがエゴって知りませんでした。
実は大きな大きなエゴだった(笑)


ちなみに至るまで何がエゴか
分かりません。


なぜなら、何がエゴか、と考えたり
判断したりすること自体
エゴの動きだからです。

だからエゴがまだある時点で
「これはエゴだ」と決めつけることは
実は意味なく、
それ自体、エゴを増強します。

それならエゴの判断をあきらめて
自分の善なる道を進む方がいい。

あ~だこ~だ
エゴについて考えるより
理想なる道を。

エゴを消そうとするのではなく
理想なる道を進む。


何度か書いてますが
エゴを消そうとしても
消すことはできない。

エゴが消えざるを得ない状況にもっていくのがいい。

だから、エゴがなにであるか、しらなくていい。


精進すれば
いつのまにかエゴの声は少なくなる。

私流に表現すれば

集中力が高まる

ということです。


私は日常の実践により
集中力を極めました。

第1の実践で
コツをつかみ

第2の実践でそれをいかし
さらに進んだ。


無駄なことは何一つない。


@(*・ω・*)ポッ


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あきらめないこと


実践をする、
がんばると決心された方々へ。

もしかしたらヒントになるかもしれないことを
お伝えしときます。


「あきらめないこと」

とても大切です。

ある時、もしかしたら
「人生、こんなもの、、、」
って思う時があるかもしれない。

それってとってももったいないんです。

「人生とはこうだ」みたいな定義を
すでに持っている方も
いらっしゃるとおもいますが
本当にそうでしょうか?

それは本当ですか?
かつての経験からそう言われていたりします?
それとも何かの本に書いてあったから?

もし、これから起こることが
自分の定義通りであったのなら。
自分の予想通りであったのなら、
それ以上、進むことはできないし、
(そこで止まってしまう)
これから起こる
予想以上のことも受け取ることができません。


私は今の状況を
かつては決して「想像」できませんでした。

想像していた時もあったけど
あきらめました(笑)

想像できないことってあるんです。

想像以上のことがあるんです。


、、、、と、これまた
人生を「想像以上のことがある」
と定義づけてはならないのですけども、、、。
実践時は、定義づけはひとまず置いといて
ただ実践あるのみなのです。
それがコツです。


私の実践には主に2段階あったのですが
それぞれをとことんやり遂げた後に
次の扉が開きました。

まず、扉は探しても見つからない。

とことん頑張った人にしか
現れない。

そして実践中は
その扉を期待してはいけない。

実践中、その扉を期待することは
その期待している間、(=想像している間)
実践を怠っていることになるんです。


精一杯頑張ることが
扉の鍵。


少なくとも、
実践をしていれば
人生の中で恩恵は必ず受けますから
扉のことは心配なさらず
今をがんばってね。


求めることなく到達すること。


それは今を精一杯生きることです。


今日も後悔ないよう
善なる自分を精一杯生きてね。

@(*・ω・*)ポッ



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がんばる、ということ


人としてこの世に生まれたのだから
人として生きることを全うするべきです。


もしかしたら

がんばる

ことに興味がない人が
多いのかもしれないなぁ。


それで満足なのなら
それでいいと思います。

、、しかし、そんな幸せな人が
このブログを見るはず、ないんよね、、、、。

何か答えを探している人、
多いのではないでしょうか。

=今に満足していない、ということです。

(この「満足していない」という思いは
次のステップアップに使えます。
ある意味、チャンスです)


まずは精一杯生きること


それができる人はかっこいい。


例えばスポーツ選手。


みんな楽して結果を出しているのだろうか。

精一杯頑張られている姿は
とっても魅力的だ。

結果を出している人は
努力を怠らない。


当たり前のことです。



私のお伝えしている「実践」とは
自分の理想に向かって
今を精一杯生きることとも言える。

私もそう精一杯がんばりました。

でもね、
自分の生きる目的を得た人は
その努力を努力と思わず
黙々とがんばれるんです。

これまた、私もそうでした。


当たり前に精進したもんです。


@(*・ω・*)ポッ


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それそのもの と エゴについて


私の表現している

「それそのもの」

とは、感覚ではありません。


感覚とは
感じる対象があるからこそのものであり、
それを感じる「私」があるからこそ。

対象が消滅した私は
「それそのもの」を
感覚と表現することはできません。


それそのものとは
それそのものであり、
「それ」とそれを感じる「私」の分離がありません。

「それそのものという感覚
という表現はまだ対象があるからこそ
できるのであって
(=まだ対象が消滅していない)
それそのものは
それそのもの、
それのみです。

かといって、(分離の反対で)一体化しているのか?
と聞かれたらそうでもない。

そもそも対象が消滅している状態なので
言葉では「分離していない」と言いますが
そもそもそれ自体がないのだ。

分離するものがないし、
一体化するものもない、ということ。

それそのもの

、、、言葉ではうまく表現できんのよね。




ちなみにいろいろ書いていますが
私は「エゴ」が悪いものだとは思っていない。

なのに、エゴが消滅したふりをする人がいる。

私からしたら
しっかり「エゴ」が見ているのですが、、、、。

なんで、「ふり」をするのだろう。

そして、それがないことが
スゴイことだと思うのだろうか。

そもそもスゴイと思うこと自体、エゴだよね。


「エゴ」があるからこそ、
助けられていることがたくさんある。

今、エゴがあるなら
それを見て見ぬふりをするのではなく、
しっかり、自分のエゴに挑戦してほしいです。

というか、エゴがあるからこそ
挑戦できるのだ。

エゴがあるからこそ、
善なる目標を設定して
それに向かって頑張ることができる。

「エゴ」は「意志」とも言える。

「エゴ」って言葉、
あまりいいイメージないよね。

いろんなことをがんばる「意志」こそが
実はエゴです。


ということは「エゴ」を「意志」に
置き換えてほしい。


ね、エゴって必要でしょ?


「こころざし」は生きていく中で
大切よね?



@(*・ω・*)ポッ




プロフィール

ラピ。

Author:ラピ。



ラピ。至る。
@(*・ω・*)ポッ

2013.5.13以降の記事が
至った後の記事となります。

それ以前の記事は
整頓して非公開にしました。

2006年12月から始めた
このブログ

かなりの記事があって
整頓するのが大変でした(笑)
皆さま今までも
どうもありがとうございました


*:--☆--:*@(*・ω・*)ポッ:--☆--:*:-



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