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4月12日 いろいろ

いろいろ書きましたが
結局
一番大切なのは好きなように生きること
だと思います

私も好きなように生きましたもの

わざわざ好き好んで
実践をしました。



「人生は苦である」
これを私は認めない

人生とは何か?

との問いの答えは
問うた人の中にある。

そしてその答えが
その人にとって正解です。

では、どんな答えを認めるでしょうか。

それだけで、いろいろなことが変わります。



大変だ~だめだ~と思ったとき
「いや、ラピ。でもがんばれたんだ!
だから私にもできる!」
と思い、再び頑張っていただけたら
うれしいです。

みんな同じ。


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実践 裏技(?)

「自分を捨てて喜んで何でもしよう」


この実践は10年以上しました。

本当に徹底していたら
ここまでかからなかったかもです!


はい、常に100%はできていませんでした。

少なくとも
人と接するときは心がけていましたが
一人の時に
しょんぼりしたりするとき
ありました。

(しかし、年数で言えば
きちんと続けていましたよ。)


んで昨日まで忘れていたことなんですが(笑)
私のやっていた裏技をお伝えします。

しかし、そうであったために
遠回りになっていたかもですが
実践のモチベーションを上げるために
使える技です。


、、技というほどでもないですが。。。



「大丈夫!」

これです!笑


しかし、そう思い続けるというのではなく
実践の隙間と隙間に
そう自分に言うことで
「大丈夫!」と思えました

そして
自分を捨てての言葉通り
「大丈夫!」
の言葉も捨てて
実践をします。


自分のやっていることに対して
周りの反応が気になる時があります。

そんなときも
「大丈夫!」
で乗り越えました。


自分の実践が
誰かを傷つけるものではなく
心から善であると思えるものなら
自分を勇気づけるために
自分が元気になる言葉を使いましょう!

そして元気になったらその言葉も忘れて
実践。


実践中、捨てられない気持ちが起こりそうになったら
「大丈夫!」
と言い聞かせて
捨てれない気持ちも
大丈夫という気持ちも捨てて
実践です!


この実践
生きてるうえで
何の役に立つのだろう
という疑問を持たれる方もいらっしゃると思います。


そうなんです。


だから自分にあった実践がいいのですが
もし

嫌な自分を捨てて
理想の自分になりたい!

と思う方でしたら
この実践
「(今までの)自分を捨てて○○○でいよう」
は使えると思います。

○○○は
自分のあるべき理想の姿を
シンプルな言葉で表し
実践されるといいと思います!


応援しています!!!


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喜んで生きること

皆さまお久しぶりです
お元気ですか?

@(*・ω・*)ポッ



悟りの道には
皆様ご存知の通り2つの段階があります。


1つ目は人として生きることで発生する
カルマに対する実践(行動)

これは難しいことではなくて
生きていく中で
人それぞれテーマがあると思いますが
それをやり遂げる、ということです。

私がやっていたことを例に挙げるなら
完璧にいい人になることが
その時の私の人生のテーマでした。

そのテーマをやり遂げるためにできた指針が
「自分を捨ててなんでも喜んでしよう」でした。
(この時の「自分を捨てて」は
自分の思いはもちろん
自分の存在も捨てて、という意味がありました。
しかし、「自分の思いを捨てる」という実践でも
十分いいと思います)

これをやり遂げた時
第2の扉が開きます。

第2の扉は人を超える道です。

善とか悪とか
これはいいとか悪いとか
そういった判断による実践ではなく
例えになりますが
人を超える実践です。

かつて
私はポジティブなブログを書いていました。
幸せをテーマにしたブログを書いておりました。

そんな私からは多分
誰も想像できない
実践の内容です。


今までも何度か書きましたがまさに
第2の実践は命を懸けた
厳しいものでした。

例えて言えば、、これは例えなんですけど、、
息をすることも許されない実践でした。

言い方を変えれば
結果的に自分の意識を
息することにさえ使わない
使ってはいけないほどに
やり遂げる実践です。

釈迦の教えに
花のにおいをかぐだけでもダメ
という感じのがあったと思うのですが
そういう感じです。
(なんとなくしか知らないのですが)


例えて言えば
人は息をしなければ生きてはいけない。

しかし、彼岸に渡るために
「自分」を守っては渡れない。

その「自分」こそが自我であり
その「自分」が消滅した人が
悟った人ですから。

まさしく
命を懸けて激流を渡り、
例えて言えば、
命を捨てなければ渡れない激流の存在のおかげで
自分=煩悩が消滅し
彼岸に気づけばいるのです。


この悟りの道の第2の扉が開くことは
めったにありません。

まずは第1の段階のクリアが必要です。

第1の段階は
人として精一杯生きることで
徐々に全うされていきます。

よってほとんどの方に必要な教えは
第1の段階で活かせる教えとなります。

第1の段階を全うできただけでも
素晴らし。
尊敬いたします。

悟りはある意味おまけで
目指すものではないです。

目指す場所として悟りが存在するのではなく
結果的に悟るだけのことです。




自分を捨てての実践中は
自分を捨てていたおかげで
嫌な思いに支配されず
よって普通の人が悩むであろう出来事があっても
悩むことがなかった。
悩みようがない。
その悩みを捨てていたから。

(悩みが存在し
その悩みを捨て続ける、という行為が存在しており
悩みようがない、と言っても
悟った人が言う、
悩みが消滅して「悩みようがない」
とは全く違う状態)

私の中の嫌な思いを捨ててしまいたかったから
自分を捨てての実践をしていました。

そして自分を捨てていたので
自分の願望もある意味ありませんでした。

矛盾しているように聞こえるかもですね。
説明すると、
まず、「完璧にいい人になりたい」という願望が
この実践のきっかけとなり、
願望のおかげで生まれた実践をまじめにやっていたら
そもそも実践中は
「いい人になりたい」なんて思いは発生するはずがなく
ただただ「自分を捨てて喜んで」の実践をやっていく、という感じです。

願望はきっかけであり、
しかし、単にきっかけであって
願望をかなえるための実践となってはいけない
という感じかな、この実践の場合。

願望をきっかけに決めた実践を
決心したら
ひたすら守って
何も求めることなく
ただただやっていく、喜んで、
という感じです。

その実践はまじめにやれば
実践そのものが「喜んで」になります。

もし、この実践をやって
「喜んで」になれず
例えて言えば嫌な思いが発生したら
それはきちんと実践できていない、ということになります。

「喜んで」の状態であれば
実践は大成功。

嫌な思いが発生したら
すぐに捨てるのです。

よって「喜んで」の実践は
例えて言えば喜びを伴うはずです。
(この喜びは特殊な喜びであり
何かを得てうれしいとか
何かがあってうれしい
といった喜びではないのですが
やってみたらわかります。
ある意味、無条件の喜びです。)


「自分を捨てて」
その実践のおかげで
私は嫌な思いに支配されることはなかった。

自分の思いをその都度捨てていましたから

そして悟った今、
まだ体があるからかつての記憶が
ほんのり残っていますが
そのかつての記憶がいい形で存在しています。

よって第1の段階での実践は
必ず未来につながるので
どんな実践をするかが大切です。

私としては第1の実践として
「自分を捨てて喜んでする」実践は
ある意味、お勧めできます。

ここで
例えば善でないことを頼まれたとき
それも喜んでするのでしょうか?

いえいえ、
善なることに対してのみ実践してください。

善でない実践は悟った後、
違った形で展開されます。

されたら嫌なことは
決してしてはいけない。

(ちなみにありがたいことに
私の実践中に困ったお願い事をされることは
ありませんでした)



悟りを目指さなくても
いえ、目指す必要はなく
いえ、いえ、目指してはダメで
悟りなんて忘れちまって
人として幸せな人生を
どの方にも送っていただきたいです。

そして幸せの積み重ねができますように。


私は何者でもなく
単なる「それ」です。

だから私の言うことなんて
もちろん信じなくてもいいのですが
もし同意できるところがあったら
ぜひ、
「喜んで」生きてみてください。

「喜んで」生きることの効能は
素晴らしいですよ。

素晴らしいんです!
かつての経験者としてお伝えさせていただきます。


とりあえず、今すぐできる
「喜んで生きること」

「喜んで~」の理屈なんてわかっていなくても
今喜んでいるその状態は
幸せなことなのではないでしょうか。


人の感情は結果を引き起こします。

どうぞ幸せな感情から
幸せな結果を得てください。

しかし、自分を捨てていれば
結果を得ても気づくことなく
その実践そのものが喜びとなっているので
結果を得ようが得まいが
すでに幸せであることは間違いありません。

その繰り返しがカルマを解消する。

繰り返しは
輪廻の輪をぐるぐる回っているのに近いかもだけど
回ることを極めたら
回ることなく勝手に回るので
そこまで言ったらプロ級です。

そしてそれが永遠に続くのかと思う時
まだ自分の思いを捨て切れていないからこそ
そう思ってしまうのであり
自分の思いを捨てていれば
そう思わないので
永遠であろうがなかろうが
関係ないこととなります。

よってそこから嫌な思いも発生しない。



悟りについて
語る人によって語り方が違うのは
その悟りの道がそれぞれ違うからです。

私の悟りのきっかけは
ある意味「苦悩」でした。

「どうして自分はこうなんだ、、。
こんな自分じゃダメだ。
完璧にいい人になりたい」

それから発生した実践
「自分を捨てて喜んで何でもしよう」

きっかけは苦悩でしたが
私の歩いた道は
ある意味幸せでありました。
(だから私は善なる幸せな道をお勧めしています)

そして第2の扉は厳しいものではありましたが
あきらめないで良かったです。
(しかし、これはおまけで
達成する必要は全くありません。)

ありがとうございます!



プロフィール

ラピ。

Author:ラピ。



ラピ。至る。
@(*・ω・*)ポッ

2013.5.13以降の記事が
至った後の記事となります。

それ以前の記事は
整頓して非公開にしました。

2006年12月から始めた
このブログ

かなりの記事があって
整頓するのが大変でした(笑)
皆さま今までも
どうもありがとうございました


*:--☆--:*@(*・ω・*)ポッ:--☆--:*:-



 admin






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