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自我の消滅


みなさま、お久しぶりです。
@(*・ω・*)ポッ


コメント欄にて質問をいただきましたので
その答えを記事として
書かせていただきます!


(この記事へのコメントです)


ラビ。さんこんばんは。
ここはまだ見ておられるかな?
悟りというか涅槃を目指しています。
ということでバリバリ仏教徒だとバレてしまいますが。
ラビ。さんの言っておられる「至る」というのは涅槃なのか、
それではないのかがまず気になっています。
仏典では解脱した方々が「ぼる」(変換できない)
に直面したとは読み取れないので、
解脱に「ぼる」は必須ではないように見えます。

下からの実践というのもあるようですが、
自分は、上からも下からも等しい立場というのもないと観ています。
そもそも自己の本質というのか我というのか、
それがどこにあるかわからず、自他の概念が揺らいでいます。
が、もしラビ。さんの言う悟りが煩悩の消滅であれば
いろいろと参考にさせて頂きたく思います。





みっちんさん、コメントありがとございます。

まず、私は宗教用語をほとんど知りません。
(=知らなくても至れます。)

なので宗教用語についての話は
ほとんどできませんが、ご了承ください。


ちなみに私が「至った」というのは
みっちゃんさんが言われている通り
「煩悩の消滅」です。
自我の消滅とも言えます。


自分は、上からも下からも等しい立場というのもないと観ています。


至ってしまえば、もちろん
上も下もないです。

「下からの実践」は至ってないからこそできるものです。

だから私は至ってない時にはまだあった
「下から」を実践することによって
至ることができました。

至ってなければ必ず
上も下もあります。

まだ至ってない時に
「上も下もない」と言ったところで
それは単にそうしているふりをしているだけで
「上も下もない」
は至ってない人にとっての真実ではありません。

至ってなければ 確実に上も下もあります。

だからこそ、それをいかして至ることができるのです。


そもそも自己の本質というのか我というのか、
それがどこにあるかわからず、自他の概念が揺らいでいます。


自我は消滅して初めて
何が自我であったのかわかります。

消滅するまでは自我について
どんなに考えても どんなに知ろうとしても
想像止まりで
それは的を得ていません。

今みっちんさんが言っている(そうだと思っている)自我の
更なる自我があります。

みっちんさんのその「揺らいでいるもの」
それが自我です。

それが消滅することが
悟りです。

自他の概念とは単に概念であり、
自他の概念が揺らいだり
自我がどこにあるのかわからないことは
自我の消滅とは関係ありません。


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Comment

ラピさん、どうもありがとうございます(^ ^
まさかこんな早くお返事頂けるなんて思いませんでした!!さらにラピさんの「至った」が自分の目標そのものだと分かり尋常でない幸運です。
答えの記事への返信の仕方がわからず、再度こちらにコメントします。

>至ってなければ 確実に上も下もあります。
そうですよね。(--;
知ったかぶりをしておりました。
というか、1回はそれ(自分というものはない)を目の当たりにして言いようのない安堵感に浸ったはずだったのですが。。元の木阿弥に戻りました。

>だからこそ、それをいかして至ることができるのです。
敢えてのそのような方法は初めて聞きました。
やり方はその一通りなのでしょうか。

ちなみに、ラピさんやTKさんのやり取りの中からEO氏(EGOの中身が消滅したようなネームですねww)を初めて知り、関連ページを拝見させて頂いて、この人は間違いなく本物だと思わざるを得ませんでした。
惜しいことにもう居られないとは。
しかし、私が生きている間に、少なくとも2人至った方々がご存命で、日本語を操られるとは、自分はついていると思わざるを得ません。教えを授けて頂けるかは別問題ですが。。

変な感想付きで恐縮ですが、ラピさんの記事などを参考にして新たに出発したいと思いました!
  • 2014-08-30│15:20 |
  • みっちん URL│
  • [edit]
No title
e-278 みっちんさん コメント ありがとうございます!


>やり方はその一通りなのでしょうか。

いろんな道があると思います。

みっちんさんにはみっちんさんの道があると思います。
  • 2014-08-30│18:17 |
  • ラピ。 URL│
  • [edit]
五里霧中
ありがとうございます!

>いろんな道があると思います。
まずは自分の信じる道を行けと解釈しました。
全てはそれからだと。
間違ってたら済みません。
これまでは、お釈迦様の説法にならって、五蘊の無常、苦を見つめることを実践していたのですが、なかなか自我から離れられませんでした。

普段、雑念に煩わされることも少なくなってきて、楽は楽なのですが、この延長線上に涅槃があるとも思えず、もんもんとしています。
仕事や日常生活で精一杯やりきった方がいいと思うのですが、そちらに関して理想が低いのか、あまり悩みがありません。
暇があったら仏典を読むか、悟ったと言われる人の話を求めてしまいます。
仏典(パーリと言われるものです。上座部の経典です)からは離れた方がいいのでしょうか。
読むだけで心が洗われて、読むのを止められません。。

ラピ。さん、TKさん、EOさんの文章を読んで、これからの実践の方向性を探っていきたいと思います。
  • 2014-08-30│21:07 |
  • みっちん URL│
  • [edit]
追記
>みっちんさんのその「揺らいでいるもの」
それが自我です。

私は「私という思い」「何が自分か」というものに執着しているようです。
執着を嫌がるようなパワーを使えば執着を離れられるのか。。謎です。
どちらにしても至ってないうちは考えるべき問題ではないのかもしれませんが。。
考えてしまうのが執着そのものですね。。(- -;
  • 2014-08-30│21:20 |
  • みっちん URL│
  • [edit]
No title
☆みっちんさん

お釈迦さまのお話の中に
「激流」という言葉が使われていることが
あると思います。

私もそうでしたが
彼岸の前には必ず激流があります。

みっちんさんの経験(実践)のなかで
「激流」について、
何か心当たりはありますか?


>どちらにしても至ってないうちは考えるべき問題ではないのかもしれませんが。。

そうですね。
考えることによって
方向性がある程度決まることがあるかもしれませんが
(でも、そうではないかもしれませんが)
結局、実践するしかありません。

ちなみに至ると、
考えるべき問題がなくなる、と言えます、
ある意味。
  • 2014-08-30│23:31 |
  • ラピ。 URL│
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このコメントは管理人のみ閲覧できます
  • 2014-08-31│02:00 |
  • [edit]
No title
☆鍵こめさん

お返事を記事に書かせていただきますね。
  • 2014-08-31│09:28 |
  • ラピ。 URL│
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ラピ。至る。
@(*・ω・*)ポッ

2013.5.13以降の記事が
至った後の記事となります。

それ以前の記事は
整頓して非公開にしました。

2006年12月から始めた
このブログ

かなりの記事があって
整頓するのが大変でした(笑)
皆さま今までも
どうもありがとうございました


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