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自分を信じること


激流とは煩悩との戦いとも言えるかもしれません。

激流は彼岸の前に必ずあり、
彼岸に渡るためには激流を通らなければなりません。

よって激流の起こらない実践では
彼岸へはたどり着けない、ということです。

私の場合は激流=「葛藤」なのですが
それに負けないほどの実践をして
至ることができました。

葛藤を無視し、それだけではなく
さらに自分の決めた実践をし続けました。

葛藤に負けず自分の決めたことを
やり遂げました。

そういった実践です。

(ちなみに彼岸のさらなる先が
涅槃だったと思います)


煩悩消滅は
煩悩を観察したり
煩悩に気づいてそれに目をくれない
という実践だけでは無理です。

煩悩だと思っているものは
実は煩悩(の大本)ではないので
煩悩に気づき続ける実践では
根本的なことを見落としてしまっています。

本当の実践とは
その気づき続ける自分を
さらに無視して
実践し続けることです。


ちなみに私の実践の始まりである

「自分を捨てて何でも心から喜んでしよう」

ですが
この「自分を捨てて」の実践を
長年し続けることにより
自分なりのあるコツを得ました。

それによってかなり私は助けられましたし
最終的な実践にもそれをいかすことができました。


何でも一つ決めたことをやり遂げることは
大きな力になります。

私の「自分を捨てて」は
自己流の不完全な実践ではありましたが
それでも自分を信じてそれをし続けることにより
私の中であるコツとして残りました。


やはり、自分を信じて
自分の善なる道を進み続けることが
大切だと思います。


そしてもう一つ、大切なことは
しっかり今生きている世界を全うすることです。

今生きている世界を後悔ないよう
思いっきり生きることです。

全うしなければ
次への道は開かれません。

ひとつづつクリアーしていかなければなりません。


あと、私に言い聞かせていた言葉です。

「大丈夫。私ならできる」

私はそうやって生きていました。


ちなみに実践は「善なる方向」でなければだめですよ。

@(*・ω・*)ポッ



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  • 2014-08-31│23:12 |
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No title
e-278 鍵こめさん コメント ありがとうございます!

私は自分の決めたことを
最後までやり遂げました。

それが「全うする」ということです。

鍵こめさん、人は確かにいつかは死ぬでしょう。
でもそれを理由にあきらめているように見えます。

今、生きているのに。

道を目指すのであれば
楽な道はありません。

起きている時は常にどんな時も実践。

これが私の歩いた道です。
  • 2014-09-01│12:57 |
  • ラピ。 URL│
  • [edit]
No title
初めまして、こんばんは。
ラピ。さんに質問してみたいことがあり、やって来ました。
それは、肉体の死後のことについてです。

人は輪廻転生を繰り返しているとのことですが、
ラピ。さんご自身は、肉体が滅んだ後どうなられるのでしょうか?
ラピ。さんという存在がどうなるのかについて、ラピ。さんご自身は分かっておられるのでしょうか?
また、解脱との関連で何か分かっておられることがおありでしたら、お教え願えないでしょうか。
  • 2014-09-01│20:52 |
  • 探求者K URL│
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  • 2014-09-01│21:33 |
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No title
e-278 探求者Kさん コメント ありがとうございます!

初めまして。ようこそいらっしゃいました。

「死んだらどうなるのだろう」

これは一種の想像=妄想です。

私は妄想できません。
妄想する「対象」、「もの」がないからです。

ちなみに私の状態では「妄想」もないし
「真実」とやらもありません。

なにもありません。

ただ、至った後、
私はもう何もしていませんので
(何もしていないけどできる、という感じです)
カルマが積み重ねられることがありません。

カルマを起こす「思い」がないので
カルマから解放されています。


私のこの言葉により探求者Kさんは
いろいろ想像し始めるでしょう。

探求者Kさんが至って初めて
私の言葉が分かると思います。

それそのものになるからです。

それそのものになれば
説明なんていらない。

そしてそれは説明しようがない。

それそのものだから。
  • 2014-09-01│23:03 |
  • ラピ。 URL│
  • [edit]
No title
e-278 鍵こめさん コメント ありがとうございます!

鍵こめさんはなぜ涅槃を求めているのでしょうか。

私は「絶対的な幸せ」が欲しかった。
永遠に幸せであることを望んだ。
幸せだったりそうでなかったりする幸せは
嫌だった。

その思いを胸に実践し続けて
最後は思いがけないことになりました。

幸せを超えてしまいました。
(想像以上、だから想像できないものです)

涅槃は
鍵こめさんが想像しているものとは
全く違いますよ。

ちなみに私が至れた理由のひとつに
「しつこかった」があります。(笑)

私は決してあきらめませんでした。

あと、至ることは
至ることを求めても得ることができません。

「ひたすら実践していたらいつの間にかそうなっていた」
がいい方向性です。

  • 2014-09-01│23:21 |
  • ラピ。 URL│
  • [edit]
No title
涅槃は私が想像しているものとは全く違うとあります。
もちろん涅槃は想像とは相いれないと思いますが、敢えてこのように書かれた理由はなんでしょうか。私に何を伝えようとされたのでしょうか。それがなければ上記コメントは意味を持ちません。
また、涅槃をラピ。さん流に表現することは可能なのでしょうか。
私が涅槃を求める理由は「何も要らない」からです。
  • 2014-09-02│07:02 |
  • 鍵コメ URL│
  • [edit]
No title
e-278 鍵コメさん コメント ありがとうございます!

想像できない涅槃は目標になりえません。
よって想像できないことを表現することもできません。


「何も要らない」なら
「自分を捨てて人のために喜んで何でもしよう」
の実践は簡単なはずです。
(この実践は例えです。ほかにもいい実践があるかもしれません)

鍵コメさんは
それ(自分を捨てて)は難しいと言ってらっしゃったと思いますが
そう言っている自分すらも手放して
喜んで人のために生きること、
できるはずです。

何も要らないのなら。

急がば回れなんです。

涅槃を目標にすることと
例えば人を笑顔にすることを目標にすること

どちらが現実的でしょうか。

善なる道をどうぞお歩きください。
それが不要なカルマを生み出すことのない
一番の近道です。
  • 2014-09-02│07:50 |
  • ラピ。 URL│
  • [edit]
No title
再チャレンジ!
ラピさん ご無沙汰しております

なにもありません。
それそのものになるからです。
と判断されるのはラピさんでしょうか?

前の掲示板懐かしいですね
新たな展開ありそうですか?
  • 2014-09-02│08:53 |
  • ローマ法王 URL│
  • [edit]
No title
ご無沙汰しております(*^_^*)

今も私なりの実践生活中ですが

>例えば人を笑顔にすることを目標にすること

こっちの方が結果的に
無私無欲な気持ちになりやすいな、と
感じます。

「自分を捨てて」という言葉は
どうしても反省とかそういう感情が湧いてしまい
そのぶん、捨てる手間がある感じです^^;

仕事がら、いつもサービスネタを考えますが

「顧客・同僚・家族を笑顔にするには?」

と考えると、力が湧きます\(^o^)/

反省・自己嫌悪はいっぱいありますが
らぴさんのブログ読んでは
「それは要らない」
と毎回、同じ改善に励むという忘れっぽい人間ですけど
それすら捨てて、今日も奉仕に励もうと思います!

昨日、誤解から理不尽な気持ちになってましたが
今朝、
こちらの記事を読んで
『理不尽に憤る自分』があぶりだされたんだな、
捨てるものが明確になったな。」と客観的になり
相手や人間関係に対してごちゃごちゃする事なく
さっそく前に進めてます。

笑顔の先の結果はまだまだ出ていませんので
いろいろがんばっている道中ですが
がんばります!

・・・と書いて気付きましたが
結果を出すための精神管理として
滅私を標榜としていて
その状態を目標にしなくなったようです。
死ぬときに、そうなってたらラッキーなのかな、みたいな。

高齢の素敵なお客様のお相手も多いので
自分も残りの人生を人のためになりたいと思う日々です。

・・ただ、ほんわか生活が望みではなく
見た目おばちゃんだけど、中身は兵士、
みたいなw毎日です。

長くなってごめんなさいm(__)m
今日も戦場の感情爆撃の中、
ほふく前進、続けマッスル(*`‥´*)=3
  • 2014-09-02│10:21 |
  • yuko URL│
  • [edit]
No title
ご丁寧なご回答を頂きまして、ありがとうございます。

>それそのものになるからです。

なるほど。
ここにあなたが握りしめているものが見えます。
また、あなたの判断と主張が見えます。
そして、あなたのエゴがそこにあるのが分かります。

お分かりですか?
お分かりにならないかも知れませんね。

それでも結構です。
最後まで一応書かせていただきますね。

「それそのものになる」と仰る「それ」とは何ですか?
ここにも、あなたが握りしめているものが見えます。
「それ」はあなたがつくった幻想に過ぎません。

あなたの自我(エゴ)はまだ残っています。

これはハッキリと言えます。

ショックを受けられるかも知れません。
あるいは、憤慨されるかも知れません。
ですが、もし私の言ったことに何か感じられたなら、ラピ。さんご自身の意識をもう一度見つめられることをお勧めいたします。

非礼で無神経な言い方しかできませんで、ごめんなさい。
なぜなのか自分でもよく分からないのですが、でもどうしてもラピ。さんにお伝えしたかったもので、書かせていただきました。
  • 2014-09-02│16:36 |
  • 探求者K URL│
  • [edit]
No title
e-278 ローマ法王さん コメント ありがとうございます!

お久しぶりです。
こちらにもようこそいらっしゃいました!

判断しているように見えるかもしれませんが
そもそも判断していないのですよ。

新たな展開はどうでしょうかね。

流れに任せています
@(*・ω・*)ポッ

  • 2014-09-02│19:32 |
  • ラピ。 URL│
  • [edit]
No title
e-278 yukoさん コメント ありがとうございます!

お久しぶり!

yukoたん、よく頑張ってるね。

自分の今できることを
できる限り頑張れば
次から次へと新しい扉が現れます。

大変な時こそ
大いなるチャンスです。

yukoたん、応援しています。

これからも充実した毎日が
送れますように。

  • 2014-09-02│19:46 |
  • ラピ。 URL│
  • [edit]
No title
e-278 探求者Kさん コメント ありがとうございます!

判断も主張もしておりませんが
そう見えますか?
単なる言葉なんですけどね。

表現したからと言って
そうではないんです。

握りしめるって何を握りしめるのです。
そんなもんありませんが。


「それそのもの」の「それ」
は何かを指して言っているわけではない。

例えて言えば
何かをしているように見える時
その動作そのものになっており、
動作しているものはいない

それを「それそのもの」
=動作そのもの
という例えで私はよく表現します。

言葉で表せないことを言葉にするのですから
例えを使うしかありません。

ショックを受けるものも
憤慨するものもいませんので
心配不要です。

ちなみにそういろいろおっしゃられている
探求者Kさんですが
なぜ、肉体の死後について質問したのですか?


>ラピ。さんご自身の意識をもう一度見つめられることをお勧めいたします。

この表現から探求者Kさんの状態は丸見えです。
なぜなのかは秘密にしておきます。
  • 2014-09-02│19:58 |
  • ラピ。 URL│
  • [edit]
No title
こんばんは。
さらにお返事ありがとうございます。

>それを「それそのもの」
>=動作そのもの
>という例えで私はよく表現します。

大体そう仰るだろうと思ってました。
「動作そのもの」だと仰ってる自分に気づいていただきたいのですが。
そう言っても無駄なんでしょうかね...。
その「それそのもの」という感覚が未だなんですがねー。
一応はお伝えしましたので。

>この表現から探求者Kさんの状態は丸見えです。
>なぜなのかは秘密にしておきます。

なんでも言って頂いていいんですよ。
ご遠慮なく。

ちなみに、私は「それそのもの」という感覚のずっと先にいるものです。
  • 2014-09-02│20:25 |
  • 探求者K URL│
  • [edit]
No title
e-278 探求者Kさん コメント ありがとうございます!

それは「感覚」ではないんですがね。
なぜ感覚と表現されるのです。

>なんでも言って頂いていいんですよ。
>ご遠慮なく。

では、なぜ丸見えなのかがわかりますか?

探求者Kさん。
  • 2014-09-02│20:43 |
  • ラピ。 URL│
  • [edit]
No title
さらにお返事ありがとうございます。

でも、ラピ。さんとTKさんが掲示板でよく見せる、悪い癖が出始めたようなので、私は退散します。
  • 2014-09-02│21:02 |
  • 探求者K URL│
  • [edit]
No title
e-278 探求者Kさん コメント ありがとうございます!

なるほど。掲示板を読んでいるわけですね。
なるほど~。うん、うん。

誰かの言葉の真似して
そうであるふりをしても
丸見えですよ。

私が答えを言うと
さもそうであるかのように再び表現されるでしょうから
答えは言いませんが
結局、答えはわからなかったのですよね?

自分の今ある状態しか
言葉で表現できません。

だから言葉に状態が現れるのです。

そもそも「それそのもの」を
「感覚」としかとらえられないようですから
まだ「それそのもの」ではないのでしょう。
  • 2014-09-02│21:52 |
  • ラピ。 URL│
  • [edit]
No title
>判断しているように見えるかもしれませんが
そもそも判断していないのですよ。

よく見たら判断されている時があると思います

>新たな展開はどうでしょうかね。
>流れに任せています

それに流されちゃダメですよ!
  • 2014-09-02│21:58 |
  • ローマ法王 URL│
  • [edit]
No title
e-278 ローマ法王さん コメント ありがとうございます!

ご心配なく!

言葉にとらわれてはだめですよん、
ローマ法王さん♪
  • 2014-09-02│23:13 |
  • ラピ。 URL│
  • [edit]
No title
>言葉にとらわれてはだめですよん、

ちょっと対話になってないですね笑
どうしてそう判断されたのでしょうか?
  • 2014-09-03│04:10 |
  • ローマ法王 URL│
  • [edit]
No title
e-278  ローマ法王さん コメント ありがとうございます!

私が判断しているように見える言葉から
ローマ法王さんは私を「判断している」
と判断されていますね。

しかし、私は「判断していない」と言っています。

私は何もすることなくできてしまうのですが
ローマ法王さんは私をローマ法王さんのものさしで見ているので
「ラピ。は判断している」と
ローマ法王さんが判断するわけです。

ローマ法王さんは私の言葉から
またいろいろ「判断」されるでしょうが
そのローマ法王さんの判断を私に当てはめても
それは当てはまっていないんです。
  • 2014-09-03│06:47 |
  • ラピ。 URL│
  • [edit]
No title

>私は何もすることなくできてしまうのですが

良かったです
対話になっているようで

できてしまうのですが、
何かしようとしてすることはできますか?

例えば、目の前のコップを取る時に
ラピさんがコップを取ると意識することができますか?
そして、自分の意思でコップを取る事も
コップを取らない事も選択(判断)することができますか?
注: 油断すると、ラピさんがコップになっちゃって、自分の意思を持つことが難しいかもしれません。


>しかし、私は「判断していない」と言っています。

判断することもできるはずと
書かせていただきました

気合入れても逆立ちしても判断できないですか?
諦めちゃってないですか?
もし機会があれば、大変かもしれませんが
それそのものから離れて、判断できるか確認してみてください
  • 2014-09-03│07:27 |
  • ローマ法王 URL│
  • [edit]
No title
>「何も要らない」なら
>「自分を捨てて人のために喜んで何でもしよう」
>の実践は簡単なはずです。

自分も要らない(方向に向かっている)けれど、人が喜ぶことも要らない(方向に向かっている)のです。


>涅槃を目標にすることと
>例えば人を笑顔にすることを目標にすること
>どちらが現実的でしょうか。

そのような考えも要らない(方向に向かっている)のです。

これは、ラピ。さんのコメントを拒否しているわけではなく、これが自分の実践なんだと遅まきながら気づいたのです。
それは、ラピ。さんのおかげです。
私の特性というか、過去の業から、このような道しかないと知りました。

もう自分にはラピ。さんのお勧めする道は閉じてしまっているので、自分の実践をエンドレスで続けてみたいと思います。
  • 2014-09-03│08:53 |
  • 鍵コメ URL│
  • [edit]
No title
e-278  ローマ法王さん コメント ありがとうございます!

ローマ法王さんは私の状態を
想像して書かれていますねぇ。

コップをとる時、
「コップをとる」と意志することなく
とれる、ということです。

「コップをとる!」と意識することなく
とれるのです。

動作に意志が必要ないので
私と行動に区別がなく
簡単にできてしまうということです。

想いと行動に時間差がなく、
行動そのものなのです。

行動を遮るものがないとも
表現できるでしょうか。

「~するぞ!」→行動する
という遠回りがないのです。

判断も、判断することなく判断できるので
(言葉遊びみたいになってしまいますが)
わざわざ判断しようとする必要がないんです。
できてしまいますから。

行動しようとする私も
行動する私もない

それが自我の消滅です。

それでもできるのですから
ローマ法王さんが提案されていることを
(例えて言えばですが)する必要がないのです。

ちなみに 「できるけどしない」
ということ(=選択している)ではなく
そもそもその大本が私は違っているので
この点については
うまく言葉では伝えられないと思います。

伝えたところでそれを聞いた人が
勝手に想像してしまうだけです。
  • 2014-09-03│12:34 |
  • ラピ。 URL│
  • [edit]
No title
e-278 鍵コメさん コメント ありがとうございます!

私が鍵こめさんと対話しようと思ったのは
もしかしたら
私のかつての経験が生かせる方ではないだろうか、
というものからでした。

鍵コメさんはかつて
「それ」を経験して戻ってきたのなら
それを経験したときに
激流も経験されているはずです。
だから激流に心当たりがないかをお聞きしました。

忘れているだけで
心当たりはありませんか?

前にも書きましたが
彼岸の前には必ず激流があるので
激流がなくては彼岸もないのです。

鍵コメさんがかつての「それ」を経験したとき
どんな実践をしていたかは
鍵コメさんが一番わかっていますね。

私はTK師のおかげで
一からやり直しして
激流に飛び込むことができ、
かつての実践を思い出し
無事渡り終えました。

鍵コメさんの状態が
かつての私と同じであるのなら
今の鍵コメさんのキーワードは
「激流」です。

同じではないかもですが。
どうでしょうね。
  • 2014-09-03│12:45 |
  • ラピ。 URL│
  • [edit]
No title
e-278 鍵コメさん コメント ありがとうございます!

ちなみに鍵コメさんの言う

>「人が喜ぶことも要らない」

は、

「人が喜ぶことをしたくない」

ということではないですか?
  • 2014-09-03│12:58 |
  • ラピ。 URL│
  • [edit]
No title
ありがとうございます

なんとなく分かりました

とりあえず収束しますね!
  • 2014-09-03│13:33 |
  • ローマ法王 URL│
  • [edit]
コメントありがとうございます。
>鍵コメさんはかつて
>「それ」を経験して戻ってきたのなら
それを経験したときに
>激流も経験されているはずです。
>だから激流に心当たりがないかをお聞きしました。
>忘れているだけで
>心当たりはありませんか?

何を以て激流とするかですね。
相対のもの(激流)はどこまでいっても相対なので、「それ」を経験する最後の一押しにはなりませんね。
ただただ無心で何もかも結果に一喜一憂することがなかったのは確かですが、激流があったという自覚は(振り返っても)ありません。

私の場合、そのときの最後の一押しになったのはある言葉でした。
ただ元に戻ってきたので詰めが甘かったと言わざるを得ないですが、当時の目的は彼岸でも涅槃でもなかったので、しょうがないですね。

>ちなみに鍵コメさんの言う
>「人が喜ぶことも要らない」
>は、「人が喜ぶことをしたくない」
>ということではないですか?

違います。そのようなことを考える思いが要らないということです。
したい、したくない以前の思いです。
  • 2014-09-03│20:44 |
  • 鍵コメ URL│
  • [edit]
No title
e-278 鍵コメさん コメント ありがとうございます!

>相対のもの(激流)はどこまでいっても相対なので、
>「それ」を経験する最後の一押しにはなりませんね。

いいえ、そうではありません。
(記事にまた書きます)


>無心で何もかも結果に一喜一憂することがなかった

どんなことが起こっても、それに対して
一喜一憂しなかった
ということでしょうか。


鍵こめさんはかつての経験を
もう一度したい、という気持ちがあるので
涅槃を目標にされているのでしょうか。

過去のその経験に執着してしまうと、
その先には行けないでしょうね。
  • 2014-09-03│21:56 |
  • ラピ。 URL│
  • [edit]
No title
実践のため、書き込みペースを落としてます。あしからず。

>>相対のもの(激流)はどこまでいっても相対なので、
>>「それ」を経験する最後の一押しにはなりませんね。
>いいえ、そうではありません。
(記事にまた書きます)

私の言った「それ」とラピ。さんの言う「それ」が同じであるとも誰も言ってませんが、議論する意味はあるのでしょうか。
私の過去について問われたのでそのまま答えただけで、正しいのどうのと議論する気はありません。


>>無心で何もかも結果に一喜一憂することがなかった
>どんなことが起こっても、それに対して
一喜一憂しなかった
ということでしょうか。

まあそうとも言えますが。


>鍵こめさんはかつての経験を
>もう一度したい、という気持ちがあるので
>涅槃を目標にされているのでしょうか。
>過去のその経験に執着してしまうと、
>その先には行けないでしょうね。

これも丸ごと不要な考えですね。
  • 2014-09-05│19:28 |
  • 鍵コメ URL│
  • [edit]
No title
鍵コメさんへ

そうですね。

意味がないようなので
これで終了します。
  • 2014-09-05│19:40 |
  • ラピ。 URL│
  • [edit]
No title
お釈迦様は「これを説くということが、私にはない」とおっしゃいましたが、ラピ。さんには「これを説く」ということがあるんですね。

>意味がないようなので
全てのものには意味がないんですよね。
意味があるものとは?

雄弁な沈黙は歓迎します。
  • 2014-09-07│13:21 |
  • 鍵コメ URL│
  • [edit]
No title
鍵コメさん

お釈迦さまの教えがたくさん残っていますでしょう。

でも説いてはいない、ということですよ。

私も同じです。


鍵こめさんは議論していると思っているようですが
私は議論していません。

鍵こめさんは議論しているというが
私はそうではない

なんですよ。

議論していない私に
「議論の意味があるのか?」
と言われてもねぇ、、。


相対的である場合
「意味がない」と言った瞬間
「意味がある」も存在するんですよ。

私はそうでないですが
相対的である鍵こめさんはそうでしょう。

まぁ、実践がんばってください。

ここに書き込む暇なんてないでしょう。
  • 2014-09-07│13:30 |
  • ラピ。 URL│
  • [edit]
No title
>お釈迦さまの教えがたくさん残っていますでしょう。
>でも説いてはいない、ということですよ。
>私も同じです。

お釈迦様の発言はそのような意味ではありません。
そのような意味の発言をされたことはありません。
たとえそのように言えたとしても、それを言っちゃうと、言動全ての信頼性がなくなってしまいますからね。
それを踏まえて発言されているのでしょうか。発言されているように見えて発言されてないのでしょうか。
私の言いたいこと伝わります?


>相対的である場合
>「意味がない」と言った瞬間
>「意味がある」も存在するんですよ。
私は意味の有無でなく、意味がないから不要であるということを言ったのです。
ラピ。さんの言いたいことはわかりますが、私の意図とずれています。
これは対話になっているのでしょうか。
対話しているように見えて対話してないのでしょうか。


>私はそうでないですが
>相対的である鍵こめさんはそうでしょう。
そうなのでしょう。
ラピ。さんは絶対的ということですね。

>まぁ、実践がんばってください。
ありがとうございます。

>ここに書き込む暇なんてないでしょう
「ここに書き込む暇なんてない」というのも不要な執着ですから気にしないでください。
  • 2014-09-09│06:35 |
  • 鍵コメ URL│
  • [edit]
No title
鍵コメさん

へぇ。

今、鍵コメさんが正しいと思っていることを
私に説いているようですが、
それが正しいと思っているから
鍵コメさんは今の状態なんですよね。

なにもわかっていない。

それで満足しているなら
どうぞ、ご自由に。

それを超えたければ
それも越えなければならないのですがね、、。

そうではないみたいなので
それ止まりでしょうね。

ちなみに、そもそも対話してたのですか?

鍵コメさんは私の書き込みに対して
「意味ない」とか「不要です」とか。
それって対話ですか?

そんなお返事するくらいですから
対話したくないんじゃないですか?

私はてっきり鍵コメさんは
「意味ない」の実践をされているのかと思いましたよ。

すべてに「意味がない」
と鍵コメさんがいうのなら
鍵コメさんにとってすべてに意味がないのでしょう?
すべて不要なんでしょう?

(私には意味があるとか意味がないとか
よくわかりませんが。)

それならそれを実践とすればいい。

全てに意味がない、って言った時点で
意味を持つのだ。

それでも「意味がない」と言い続けたらいいんじゃないですか?

どうぞ、ご自由に。

そもそも鍵コメさんは
私と対話するつもりなんてないでしょ。

鍵コメさんにとってはすべてに意味がないのだから。

すべてに意味ないなら、私との対話も意味がないでしょう。
それとも意味あるんですか?
私との対話も不要ではないですか?

そしてラピ。にとって鍵コメさんとの対話は
意味があるのだろうか?
(この問いは鍵コメさんへの問いです。
私には意味あろうが なかろうが問題ないので。)

そう言っている方と
ラピ。は対話する必要があるでしょうか。

不要、ということですよね?

ちなみに鍵コメさんにとって
お釈迦さまの言葉は
意味があるようですが、どうですか。

なんか、お釈迦さまに幻想を持たれているようです。

それも意味ないはずですよね?

お釈迦さまの勝手なイメージ、持ちすぎです。
それすらも「不要です」よね?


実践、がんばってください。

まだまだです。

「すべてに意味がない、不要」というなら
もちろん、この「対話」とやらは終了でしょう。
  • 2014-09-09│07:58 |
  • ラピ。 URL│
  • [edit]
No title
>今、鍵コメさんが正しいと思っていることを
>私に説いているようですが、
>それが正しいと思っているから
>鍵コメさんは今の状態なんですよね。
>なにもわかっていない。
>それで満足しているなら
>どうぞ、ご自由に。
>それを超えたければ
>それも越えなければならないのですがね、、。
>そうではないみたいなので
>それ止まりでしょうね。

これがラピ。さんが説きたい話でしょうか。
真理とか関係なさそうですね。

>ちなみに、そもそも対話してたのですか?
>鍵コメさんは私の書き込みに対して
>「意味ない」とか「不要です」とか。
>それって対話ですか?
>そんなお返事するくらいですから
>対話したくないんじゃないですか?

すみません、私が至らないせいですね。
「不要」と言ったのは、私がどうコメントしようと、私の自我が肥大する方向になるような問だったので、そのカットのために「不要」と言ったのです。
歴史に残る聖者方は、いろいろと語ったために歴史に残りましたが、その方々は不必要に他人の自我あるいは煩悩を刺激するようなことはおっしゃいませんでした。
そのようなことをしたら、何のために語っているかわからなくなるためです。
語るのは、真理の存在を教えるため、あるいは、真理に心が向くようにするためであって、他人の煩悩を刺激するためではありませんでした。

「意味ない」というのは、相対的な、作られたもの、生起するもの、壊れゆくものは全て意味がないということです。
そのような文脈で使ったつもりです。

>私はてっきり鍵コメさんは
>「意味ない」の実践をされているのかと思いましたよ。
そうですね。相対的なものは意味がないという実践をしています。
だからといって、ラピ。さんのコメント全てに「不要」とか「意味ない」と言っているつもりはありません。
上記を読んでください。

>すべてに「意味がない」と鍵コメさんがいうのなら
>鍵コメさんにとってすべてに意味がないのでしょう?
>すべて不要なんでしょう?
>(私には意味があるとか意味がないとか
>よくわかりませんが。)
上記を読んでください。

>それならそれを実践とすればいい。
>全てに意味がない、って言った時点で
>意味を持つのだ。
>それでも「意味がない」と言い続けたらいいんじゃないですか?
>どうぞ、ご自由に。
「意味がない」という思考と、「意味がないから思考しない」という実践とが同じだと思われているのでしょうか。(思っているようで思ってないとかいう返しはなしで。)
真理を体現されている方なら両者の違いは歴然のはずです。

>そもそも鍵コメさんは
>私と対話するつもりなんてないでしょ。
なんか言葉づかいによるすれ違いがあったようですいません。


>鍵コメさんにとってはすべてに意味がないのだから。
>すべてに意味ないなら、私との対話も意味がないでしょう。
>それとも意味あるんですか?
>私との対話も不要ではないですか?
最初のころの意味は、私が真理を体現する助けをもらうという意味があったはずなんですが、途中から、この人を野放しにしておけないという意味に変わりました。
ここでの「意味」は、さきほどの「意味ない」の意味とは違いますよ。
一般的な意味です。


>そしてラピ。にとって鍵コメさんとの対話は
>意味があるのだろうか?
>(この問いは鍵コメさんへの問いです。
私には意味あろうが なかろうが問題ないので。)
>そう言っている方と
>ラピ。は対話する必要があるでしょうか。
>不要、ということですよね?
それは知りませんが、もし無いのであればどうするのですか?
もしくは、あろうがなかろうが問題ないのであればどうするのですか?


>ちなみに鍵コメさんにとって
>お釈迦さまの言葉は
>意味があるようですが、どうですか。
相対的なものに「意味がない」ことを発見するための意味を持っていますね。

>なんか、お釈迦さまに幻想を持たれているようです。
幻想とは具体的にどのことでしょうか。それを示せなければ、このコメントは無駄になります。
>それも意味ないはずですよね?
繰り返しになりますが、相対的なものに「意味がない」ことを発見するための意味を持っています。


>お釈迦さまの勝手なイメージ、持ちすぎです。
勝手なイメージとはどのことでしょうか。それを示せなければ、このコメントは無駄になります。
>それすらも「不要です」よね?
勝手なイメージがあれば、「不要」ですね。

>実践、がんばってください。
ありがとうございます。
>まだまだです。
そうですね。

>「すべてに意味がない、不要」というなら
>もちろん、この「対話」とやらは終了でしょう。
私のコメントを通しで読んでいただけますでしょうか。
  • 2014-09-10│22:16 |
  • 鍵コメ URL│
  • [edit]
No title
鍵コメさん

了解しました。


ちなみに私の言葉で煩悩が肥大するのなら
そこにヒントがあります。

それが激流と関係あるんです。

がんばってね。

  • 2014-09-11│05:56 |
  • ラピ。 URL│
  • [edit]
No title
ちなみに真理は体現できません。

「真理」を「体現する」は
「真理」という対象が
まだ残っているからできるのです。

本当に至れば対象は消滅しているから
それは無理です。

~を知る
~を体現する
~の方向に向ける

ずべて対象がないとできないことです。


なにもないんです。

「意味ない」と自分に言い聞かせる必要もない。
刺激される煩悩もない。

至ればそうなんですよ。

でも、至ってない時、
それを実践とすることができる。

それを超えるチャンスがそこにあるんです。

鍵コメさんは
「真理」を「体現」したいのか、
涅槃がいいのか、
どっちでしょうか。

両方は共存できません。


鍵コメさんは自分が納得するような
穏やかな気持ちになるような言葉が
必要なんですね。

しかし、それでは超えることはできないんよ。


なぜならそれでは鍵コメさんのエゴが納得して
大人しくなるだけで
それではエゴは消滅することはないからです。

確か涅槃を目指しとったよね?

煩悩を否定したり、逃げては
それは無理ですよ。

(しかし、この相対世界で穏やかに生きるのには
必要でないことかもしれません。
そういう方には私もお伝えする言葉を
変えます。必要ないから。)

煩悩との戦いが激流と言われるものです。

はい、もちろん簡単なものではありません。
例えて言えば命がけです。

エゴの消滅がかかっていますからね。
エゴは抵抗するでしょう、
「消滅したくない!」と。


お釈迦さまも悪魔(=煩悩)との戦いをされているでしょう?

その先が彼岸です。
激流の先が彼岸です。

  • 2014-09-11│07:40 |
  • ラピ。 URL│
  • [edit]
No title
対象がないと言いながら、方法を説けるというのが、私には悪い冗談としか思えません。
これが出来れば、今まで誰も成したことがない快挙だと思います。

真理を体現する。という言葉がまずければ、真理は対象でなく主体であり、体現するといっても新たに獲得するものではなく既にあるものである(なかったことがない)とでも補足説明すればよろしいでしょうか。
「それそのもの」という表現も、「それ」を対象であると言われたらそれまでのような気もします。「を」を使わないのがラピ。さんのこだわりでしょうか、、こだわりないんでしたね。

私が自我をおとなしくさせるのはそれ自体が目的ではありません。
自我の源をたどるためです。

ラピ。さんとのやり取りを通して、ラピ。さんの実践は私の採るべき道ではないとわかりました。
何かこう、副作用のようなものがいろいろと見えた気がします。
至ればそんなの関係ないと言われるかもしれませんが。。

とりあえず、しばらく、ここを離れて実践に励みたいと思います。
  • 2014-09-12│19:46 |
  • 鍵コメ URL│
  • [edit]
No title
鍵コメさん


>対象がないと言いながら、方法を説けるというのが、私には悪い冗談としか思えません。

お釈迦さまってどうでしたっけ?

ちなみにもちろん説いてはいませんよ。


鍵コメさんは「真理を体現する」について
私にいろいろ教えてくれているようですが
それって本当ですか?
悪い冗談?

それが鍵コメさんにとってそうだと思うなら、
それでいいのかなぁ。

「自我の源」?
自我の源は自我でしょうね。

さて、もう、何も言わないほうがいいみたいですね。

どうぞ、がんばってください。

もう、鍵コメさんへのお返事は
これで終わりにします。
  • 2014-09-12│21:00 |
  • ラピ。 URL│
  • [edit]
No title
あの、激流というのは海を航海すること言ってるのですか?

キリストは荒野で呼ばれました。
またその他の流派では、山岳を登ることに例えられます。

これは夢分析のユングの言っていることですけど、海というのは無意識の象徴です。
荒れた海を航海しているというのは無意識との対決、煩悩と菩提の取っ組み合いをしている行程です。

僕の夢の記憶では、海を航海していたのが、ある日を境に、岸辺にあがった風景を観ました。
しかしそこで探求の旅が終わったいうわけではありませんでした。

時に深海へ潜るようなこともあるようです。
海を渡りきったのか、まだ海にいるのか定かではないです。

はっきりしないままに、まだ探求を続けています。

ですから彼岸という表現にも戸惑います。実感の薄い言葉なのです。でも、もしかしたらそうなのかもしれないと多少混乱しています。

僕は彼岸という言葉でなく、自由という言葉を使っています。
輪廻や解脱という言葉も僕を戸惑わせます。
一体何からの解脱なのかがわかりません。

辿り着いたよう気がしないでもないですが、いずれにせよ先(いまだ解明されていないもの)があると思ってしまいます。
  • 2014-09-14│13:50 |
  • TATA URL│
  • [edit]
No title
e-278 TATAさん コメント ありがとうございます!

ようこそいらっしゃいました。

激流も彼岸も「例え」です。

実際私は海も川も(想像上でも)渡ってないし
「彼岸」と言われるものにもたどり着いてはいません。

しかし、私のその最後の実践時のこと(=激流と例えられる)や
今の状態(=彼岸と例えられる)を
お釈迦様は激流や彼岸とうまく表現されているなぁと思って
その言葉を使わさせていただいています。


TATAさん、
彼岸も輪廻も解脱もすべて例えの言葉であって
その言葉から今得られている想像、感覚は
役に立ちません。

私は「激流を渡り彼岸にたどり着いた」と
ある意味表現できるのですが
実際はそういうことではないです。

言葉で表せないことを言葉で表すための
例えです。

TATAさんの使っている「自由」と言う言葉。

そうですね、私はある意味自由です。
全てから解放されました。

影響されるものがないし
あるがままです。

さらに言えば
「自由」からも自由なんです。
(例えですけどね。そもそも「自由」を超えています。
自由とか自由でないとか、
そういう問題から解放されているんです。)


>僕の夢の記憶では、海を航海していたのが、ある日を境に、
>岸辺にあがった風景を観ました。

そうですね。
それは私の例えで言っている「彼岸」ではないですね。

>海を渡りきったのか、まだ海にいるのか定かではないです。

彼岸に渡れば混乱しようがないですから
そうなれば、そうなったことがわかります。

>いずれにせよ先(いまだ解明されていないもの)があると思ってしまいます。

「解明されていないものがある」なら
TATAさんが言われている通り
まだ、先はありますね。

「解明されていないものがあるのかないのかわからない」
と言えるのも、まだです。

ちなみに、「解明されていないものがない」
と言える場合も、まだです。


余談ですが私は実践中、
「彼岸」を目指したわけではありません。

私は自分が決めたことをやり通しました。
(=実践)

その決めたことをやり通す時に
厳しさと葛藤がありました。
それを激流と呼んでいます。

そしてその葛藤(=例えで激流)にも負けず
自分の決めたことをやり通し続けると
ある状態になりました。

しばらくしてそれが
「あ、そういうことか(=例えで彼岸)」
とわかりました。


ある意味、全てから解放されたとも言えるかな。
しかし、実際は解放されたわけではない。

そもそも解放されるものがない。
それが消滅したんです。
  • 2014-09-14│21:12 |
  • ラピ。 URL│
  • [edit]
こちらこそありがとうございます。
永遠、無限、不滅。
そういうところを目指してるのだと思います。
それまでは安心できないない性分のようです。
それで隠棲の様な暮らしを続けて。

行為してる者、苦からの解放。先達の言葉にわからないところがあります。だからまだ至ったとは言えないですね。
ラメッシ・バルセカールは悟りとか修行なんて、それがすべての問題だなんて言ってますけど。
はい、そうですかとはならなかったですね。
捨てようとして捨てることができない性分だとわかり、最期までやりきろうと決めました。
ある意味で諦めたのです。

葛藤はあります。感情的にもなりますし、愛着や嫌悪もありますし、苦があります。

はて、何で質問したのでしょうか?
そう彼岸と激流について聞きたかったんです。
『自分の決めたこと』が彼岸へ渡る船で、それが役目を終えるまでやるということですね。

『自分で決めたこと』とは一つですか、二つですか、三つですか?それすら自分で決めますか?
でもなるべく少なく絞って徹底的にやったほうがいいのでしょうね。

何でラピ。さんに質問したんでしょうね(笑)
聞き易かったのかな。気まぐれかな。

いずれにせよ疑問が一つ解消されました。
  • 2014-09-15│12:24 |
  • TATA URL│
  • [edit]
No title
e-278 TATAさん コメント ありがとうございます!

なるほどです。

>それで隠棲の様な暮らしを続けて。

今もそうなのかな?
私の場合は、社会で普通に生活しながら
実践をやり遂げました。

修行ですからもちろん楽な道ではありません。
でも、大変、という思いさえも浮かぶ暇ないくらいに実践でした。


ちなみに私も「はいそうですか」とはなりませんでした。

先達の言葉を聞いても、見ても
それだけでは満足できませんでした。

私も先達に続く、そうなる!と決めていました。

そしてさらに、私はこの人生が最後だと決めていました。
もう、生まれ変わらないと決めていましたので
今しかない、と思っていました。

もう、次がない。
やり直しはない。

生まれ変わったら、、、なんて言葉
私にはなかった。

それには進むしかなかった。


私の場合、自分の決めたことは常にひとつ。

一つ目は自分の理想の在り方をし続けることである
「自分を捨ててなんでも心から喜んでしよう」でした。

(「自分の善なる理想実現」ということが目標であれば
ここはすることを一つに決めなくてもいいかもしれませんが)

そして自分の決めたことをし続ければ
やがて第二の扉が現れます。
(これは必ずわかります)

二つ目も自分で決めたことをやり遂げました。

この内容は
例えて言えば、自分の限界への挑戦でした。


>葛藤はあります。感情的にもなりますし、愛着や嫌悪もありますし、苦があります。

それらが激流となり得ます。
そしてそれは必ず彼岸の前にあります。

私の場合、葛藤=激流に負けることなく
実践し続けました。

負けない、と言う言葉を使いましたが
実際は「負けない」という気持ちすらも無視して
(そういう気持ちすら起こる暇もなく)
ひたすら実践、という感じです。

本気なら
寝ている時間以外は常に実践となります。

休む暇はないです。

求めることをきっかけにして
自分の進む道を決め、
決めたら求めることなくひたすら実践です。


永遠、無限、不滅

そんな言葉が 問題でなくなる境地があります。

それは私の求めていた境地でした。
至ってからそうだとわかったのですけども。


実践中の激流は至れば夢のように消滅しました。

夢のように、うん、なかなかいい表現かも(笑)

消滅すればわかります。


TATAさん、ヒントをお伝えしました。
でもそのヒントすらも邪魔になってしまいます。

だからそれすらも手放して
どうぞ TATAさんの信じる道をお歩きください。

先達たちの言葉(イメージ)すらも手放して。
歩くのは「自分」です。

かつての私は
「私がやらなきゃ、誰がやる?」って感じでした。
エゴがめちゃくちゃ強かったんよ(笑)

でもだからこそ、実践をやり終えることができたのです。


TATAさん、善なる道をお歩きくださいね。

どうぞ、清き道を。
@(*・ω・*)ポッ
  • 2014-09-15│15:01 |
  • ラピ。 URL│
  • [edit]
No title
そうですね、現在でも隠棲のような生活です。
たぶんどちらでも構わないのでしょうね。
環境を無理に変えようとすることは助けにならないです。
業が絡んでいますから。


扉ですね、最初の扉の頃は労働環境にありました。

「自分を捨ててなんでも心から喜んでしよう」

表現は違っても同じことを示しているんだと思います。

『全部やってやる』

それだけですよ。
いくつか関門があって乗り越えてきたようですが、
最初もその後もそう違いがありません。この言葉に籠められています。

でも、『全部やってやる』ってなんのことでしょうね?
何が『全部』で、『やる』とはどういうことなのか。

扉、そうですね、多分二番目の扉に当たるのでしょうけど、
その時も本質的には何も変わりません。

でもその『全部やってやる』の中に『成功する』ことだけでなく
『失敗する』ことも含まれていたことに、気づいていなかったんですね。

『全部』には『成功』も『失敗』もないんですね。

結果のことまでは問われていないんですね。

とにかく偏見が落ちる余地があったということですね。

体験は最初ほど派手で、進むにつれて、だんだんシンプルになっていって、
何かが起こったのかどうかもほとんど気づかないほどになって。

至った。。。至ったといいますが、それを体験をしたと言うのは誰なんだろう。
とふっと疑問が湧きましたけど。

これ以上は無粋ですよね。
私だけの道ですよね。道ですらないですよね。

無礼は無礼なまま去りたいと思います。
  • 2014-09-16│14:11 |
  • TATA URL│
  • [edit]
No title
TATAさん

>でもその『全部やってやる』の中に『成功する』ことだけでなく
>『失敗する』ことも含まれていたことに、気づいていなかったんですね。

これはTATAさんの結論でしょうか?
では今、「気づいている」と?

ちなみに、「全部やっている」の
「やっている」がポイントです。

私の境地ですと
何の行為もありませんから
そもそも成功も失敗も
起こりようがないのですね。

>『全部』には『成功』も『失敗』もないんですね。
>結果のことまでは問われていないんですね。

それは「成功」でも「失敗」でもどちらの結果でもよい、
という意味でしょうか。

そもそも何も起こらないのです。
その境地になれば。

だから「結果」というものも生じない。

いわゆる相対で言う
「原因」が行為で
それに伴って起こることが「結果」なんです。

そこから解放されているのが
私の境地です。

結果も原因もない、起こりようがない。
(何も起こりようがなく
よってカルマも生じようがない)

反対に、相対であれば
必ず、原因には結果が伴う。

結果を「成功」とか「失敗」とか
どっちにしても結果は結果なので
確かにある意味同じかもですが
それに気づいたからと言って
相対にいるのには変わらない。

そもそもその「結果」そのものを
超えないと。

『成功』も『失敗』もないとか
成功とか失敗とか どっちでも
どうでもいいとか。

そういうことではないのです。


>至った。。。至ったといいますが、それを体験をしたと言うのは誰なんだろう。
>とふっと疑問が湧きましたけど。

至ったと表現しているけど
至ったわけではない。

前も言ってますが これも例えですよ。
(彼岸も涅槃も至ったもどの言葉もすべて例えです。)

私のこの境地を例えで表しています。

もちろん、それを体験しておりません。

体験するものがないからね。
体験という行為は無理ですね。


では、 TATAさん
ごきげんよう、さようなら。
  • 2014-09-16│21:35 |
  • ラピ。 URL│
  • [edit]
No title
そういうことではないのですね。(笑)

無駄話がよう続きますね。(笑)

どうもここは縦社会のようですけど(笑)

まぁ弁明が必要なのかもしれませんけど(笑)

さようなら。
  • 2014-09-17│11:47 |
  • TATA URL│
  • [edit]
No title
TATAさん

>無礼は無礼なまま去りたいと思います。

とのことだったので
「さようなら」とあいさつ申しあげたのですが?

ちなみに縦社会ってなんですか?(笑)


お返事はいりません。無駄話だから。
  • 2014-09-17│12:10 |
  • ラピ。 URL│
  • [edit]
No title
わからなきゃ自分でググれよ(笑)
  • 2014-09-17│12:23 |
  • TATA URL│
  • [edit]
No title
あらら。

丸見えだよ(笑)

でも、そうでなくっちゃね。(笑)
  • 2014-09-17│12:33 |
  • ラピ。 URL│
  • [edit]

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Author:ラピ。



ラピ。至る。
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2013.5.13以降の記事が
至った後の記事となります。

それ以前の記事は
整頓して非公開にしました。

2006年12月から始めた
このブログ

かなりの記事があって
整頓するのが大変でした(笑)
皆さま今までも
どうもありがとうございました


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