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私たちは何のために存在しているのか?


みなさん、こんにちは!

鍵コメで質問をいただいたので
それにお答えします。

@(*・ω・*)ポッ




1. 私たちは何のために?
なぜ?存在しているのでしょうか?
(なぜ?宇宙ができたのでしょうか?
なぜ?人は意識を通して人生を生きなく てはならないのでしょうか?
なぜ?無のままではいられなくなってしまったのでしょうか?)


この質問は至ってないからこそ起こります。

まず、私の状態では
質問もないし、答えもない。

想像できない境地だと思いますが
そうなんですね。

なぜ?という疑問そのものがない状態です。


>なぜ?人は意識を通して人生を生きなく てはならないのでしょうか?
>なぜ?無のままではいられなくなってしまったのでしょうか?

よってこの答えは明確です。

例えですが、そうでなければ、
人は生きていけないからです。

無のままでは
耐えられないと思います、普通。

かつて私も相対的状態の時に
絶対的境地をほんのちょっと体験しましたが
まだ準備もできていなかったのもあって
まったく、いいものではありませんでした。

かつての私のそのちょっと経験した境地に
師匠がいる、と聞いて
明らかに私は悟っていないとわかりました。

その時は私がその経験した境地の状態ではなかったからです。

あの境地は
訳がわからない、としか表現しようがないものでした。

(今はもちろんその境地で
安らいでおります)



>なぜ?人は意識を通して人生を生きなく てはならないのでしょうか?
>なぜ?無のままではいられなくなってしまったのでしょうか?

また、別のお答えをするのなら。

私が好き放題生きていた小さい頃。

しかし、いろんな出来事から
ふと、自分にある衝動が起こりました。

「考えなければならない、考えるんだ」

その思いとともに
自我が芽生え始めた、という感じです。

誰もがみんな、
幼いころはのびのびと生きていたと思います。

しかし、ある時、自我が芽生え
あ~だこうだ判断したり、反省したりするようになります。
私もそうでした。

よって、普通の成長過程で起こりうるのでしょう、
この世界にいれば。

この地球上で生きていくのに
自我はある意味必要、とも言える。

よって、人は無我の状態を本能的に知っているので
自我があることに違和感を感じる人が現れるというわけです。

そして、私は自我があったからこそ
がんばることができて
今の境地に至ることができました、この世界で。

この世界に生まれただけで
それだけでかなりのチャンスを持っています。


自我がない状態→自我が芽生える
→その自我に挑戦する→自我消滅


ずっと自我がない状態だったらいいのに。
わざわざ自我なんて生まれる必要なんてあるの?
と思われるかもしれません。

しかし、自我があるおかげで
体があるままで至るチャンスがあります。

そして、自我がないままだったら
私のように自我の消滅過程、
どうやって自我が消滅したかが書けません。
(ま、別に書く必要はないのですが(笑)

そもそも無我のままであったなら
この問いはないはずですしね。

もし、自我のないままであるのなら
それはそれで何の疑問も持たず
ありのまま、それだけです。

でもすでに自我があるのですから
それを活かすしかありません。



2. ラピ様を含めこの先、私たちはどうなって、
どこに向かっていくのでしょうか?

最終的にどうなるのでしょうか?

(生まれ変わらないとすると、死んだあとどうなるのでしょうか?
無になるのでしょうか?
それとも無限に何かをなさなければならないのでしょうか?
その目的とは何でしょうか?)



この質問も至ってないからこそ起こるものであって
私にそんな問いがそもそもない。

「どうなるのだろう?」

この時点で想像が始まっていると思います。


>生まれ変わらないとすると、死んだあとどうなるのでしょうか?
>無になるのでしょうか?

質問してくださった方は
この問いの答えを知りたいのですよね。

この問いを発した人の中に答えがある
としか言いようがないです。

私にその問いの答えはありません。
=相対的答えはない


>それとも無限に何かをなさなければならないのでしょうか?
>その目的とは何でしょうか?

私の境地になれば今も何もしていません。
よって無限に何かをなさなければならない
なんてことはありえません。

しなければならない、なんて一切ない。

そもそも何もしていないから。


>その目的とは何でしょうか?

私に目的なんてありません。
ただそれのみ。

しかし、至る前は目的が必要ですよね。
(だから「目的は何か?」という問いが出るのです)
それが行動の原動力となります。


人は問いが生まれた時点で
答えを求めてしまうでしょう。

それが行動の動機になりますね。
それをいかせばいい。

かつて私にも問いがありました。

鍵コメさんの気持ちはわかります。

でも最終的には答えを得たのではなくてね
その問いそのものが消滅しちゃったんです。


ここでヒントですが
問いが消えるほどの精進をすれば
(=問う時間すらも精進の時間にする。
問う暇があれば精進する。)
いろんなことがわかる可能性があります。

これらの問いが出た時点で
まだ精進していない時間があります。

(問うてる間は精進できていない)

本気で進むのなら
問いが出る暇なく
精進しなければなりません。

問いが発生して答えを求める

この時点で実践者としては実はダメなんです。
実践者としては、ですよ。

そんな問いが起こってしまっては
至ることはできません。

なぜなら、
私の境地では問いも答えもない。

でもあなたには問いがあるという。

明らかに私の状態と違いますね。

でも問いがあることを普通だと思うのなら
問いのある世界にずっとい続けることになります。

そこを飛び越えなければ
私の境地には至れません。


何度か書いたと思いますが
私の境地を目指しても至ることはできません。

この境地にならざるを得ない方法が必要です。

問いのない境地に問いは持っていくことができません


問う時間がないほど実践し続ける。


これなんです。

実践者として本気であるのなら。


@(*・ω・*)ポッ


(ちなみに普通に生きていくには
問いがあってその答えを求める動きは
役に立つことが多いと思います。)



ちなみに私の境地は目指していない。
でもこの問いの答えが知りたい、という方へ。

または鍵コメさんの
私が知る必要のないことでしたら、
その理由についても教えていただけないでしょうか?

の答えとして。


そもそも私が何を伝えても
それは妄想の対象になってしまうだけなので
お伝えできません。

そんな妄想するよりも
目の前の大切な人のためにがんばるとか、
仕事をがんばるとか
もっとすることがあると思います。

時間を大切にしてください。

がんばることも妄想で時間を費やすことも
同じ時間。

時間を大切にしてくださいね。



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Comment

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  • 2015-01-23│21:32 |
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No title
鍵コメさん

はい、応援しています。


ちなみに考え抜く実践ですが
これも方法を間違えず、とことんやっていけば
チャンスはあるかもしれません。

しかし、これは激流での実践方法なので
鍵コメさんのしようとしている実践とは
方向性が違います。
(鍵コメさんはワクワクの実践でしたよね?)


鍵コメさんは自分の決めた善なる実践を
自分を信じてどうぞ実践なさってください。

鍵コメさんの人生の主人公は
鍵コメさんです。

激流の実践法のコツについては
また記事に書きますね。
  • 2015-01-24│09:22 |
  • ラピ。 URL│
  • [edit]
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  • 2015-01-25│00:28 |
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No title
記事の中で出てくる、「私」という語は何を指しているのでしょうか。自我消滅したあとの「私」とはなんでしょうか。
  • 2015-02-08│08:40 |
  • まっさん URL│
  • [edit]
No title
反対に聞きますが
いったい何を指していると思っているのですか?

まっさんさんの状態(自我のある状態)を基準にした
質問ですね。

まっさんさんが「私」という言葉を使うとき、
まっさんさんの指す「私」が
私にはありません。

まっさんさんが「私」という言葉を使うとき
まっさんさんにとっては「私」に意味があり
まっさんさん自身(だと思っているのもの)
を指すのでしょうが
私にはそれがありません。

何も指してはいない。

なにも指してないのに
「何を指しているのですか?」
は不思議な質問ですね。



  • 2015-02-08│09:20 |
  • ラピ。 URL│
  • [edit]
No title
質問を変えましょう。
何も指していない「私」という言葉をこのサイトで使って何を言っているのでしょうか。

この質問に対する答えは「私は(言っているように見えて)言っていない」でしょうか。
ところで「私」が何も指さないなら、このサイトは無から突如発生したのでしょうか。

このサイトの文章はストレートでないですね。それで善に励めというのは説得力がありません。
  • 2015-02-08│22:35 |
  • まっさん URL│
  • [edit]
No title
>何も指していない「私」という言葉をこのサイトで使って何を言っているのでしょうか。

「かつての私」の歩いてきた道についてがその一つですかね。

>この質問に対する答えは「私は(言っているように見えて)言っていない」でしょうか。

今はそうとも言えますね。

>ところで「私」が何も指さないなら、このサイトは無から突如発生したのでしょうか。

何も指さないことが
まっさんさんにとっては謎なんですね。
疑問が起こっていますもんね。
ありえない、って思っていますかね。

>このサイトの文章はストレートでないですね。

そもそも言葉に表せないことを
例えで表しているんです。


>それで善に励めというのは説得力がありません。

べつにまっさんさんを説得しようとしているのではありませんよ。
私の言葉に従う必要なんてないです。

しかし、私はそれをやって
更なる扉が開いて今に至ったんですよね。
だからヒントとして書いています。

そしてまだまだ書いていないこともありますよ。

しかし、それもまっさんさんには必要ないでしょうね。
(そもそも説得させよう、なんてないしね)

まっさんさんは自分の信じる道をどうぞ。
  • 2015-02-08│23:26 |
  • ラピ。 URL│
  • [edit]
No title
コミュニケーションのすれ違いですね。
言われていることがずれていますので、返答のしようがありません。推測は外れています。
ところで、ヒントとして書いているということですが、そのヒントを生かすのは誰なのですか?
  • 2015-02-10│09:08 |
  • まっさん URL│
  • [edit]
No title
>コミュニケーションのすれ違いですね。

これがコミュニケーションなんですか?

突然やってきて自己紹介もせず
突然質問してきて、さらに突然批評もして。
それがまっさんさん流のコミュニケーションなんですか?


>言われていることがずれていますので、返答のしようがありません。推測は外れています。

なにも推測していませんよ。
何を推測していると思っているのですかね?

(何も推測してないのに
推測している、と決めつけている時点で
コミュニケーションできていませんよね。)


では、ちなみにまっさんさんのこの問いなんですが。

>ところで「私」が何も指さないなら、このサイトは無から突如発生したのでしょうか。

なぜ、「何も指さないなら、このサイトは無から突如発生する」のですか?
それを教えてください。

この質問の意味が解りません。

この質問から
まっさんさんは「私」が何も指さないなら
このサイトは無から突如発生すると思っている、ということですかね。

私にはその意味がわかりません。

そのお答えをいただいたうえでお答えします。

そもそもその質問の意味が解りませんので
答えようがありませんよね。

よろしくお願いします。



>ところで、ヒントとして書いているということですが、そのヒントを生かすのは誰なのですか?

こういう問い、嫌いじゃありません。(笑)

お答えできますが
これからのやり取りから逃げないと約束してくださるのなら
お答えします。

逃げずにきちんとやり取りしてくださいますか。

それならええ、ぜひ、やり取りをしましょう。

お返事、お待ちしていますよ。
  • 2015-02-10│12:56 |
  • ラピ。 URL│
  • [edit]
No title
>突然やってきて自己紹介もせず
突然質問してきて、さらに突然批評もして。
それがまっさんさん流のコミュニケーションなんですか?

これは失礼しました。
まっさんといいます。
批評と感じたのなら謝ります。批評されたと受け取ったのですか。


>なにも推測していませんよ。
何を推測していると思っているのですかね?
(何も推測してないのに
推測している、と決めつけている時点で
コミュニケーションできていませんよね。)


同じく、こちらを決めつけておられますね。
「推測する」に関しては、この日本語しか出なかったのですみません。ほかに良い言葉があれば使ったのですが。


>なぜ、「何も指さないなら、このサイトは無から突如発生する」のですか?
それを教えてください。
この質問の意味が解りません。
この質問から
まっさんさんは「私」が何も指さないなら
このサイトは無から突如発生すると思っている、ということですかね。
私にはその意味がわかりません。
そのお答えをいただいたうえでお答えします。そもそもその質問の意味が解りませんので答えようがありませんよね。
よろしくお願いします。

このサイトを更新している因と縁をお聞きしたかったのですが、仮に「私」を因であり縁であるとすると、「私」が何も指さないなら因も縁もなくこのサイトがあることになります。仮定が間違っていればそれまでですが。


>こういう問い、嫌いじゃありません。(笑)
お答えできますが
これからのやり取りから逃げないと約束してくださるのなら
お答えします。逃げずにきちんとやり取りしてくださいますか。それならええ、ぜひ、やり取りをしましょう。お返事、お待ちしていますよ。

逃げるとはどのようなことでしょうか。やり取りはするつもりですが。
  • 2015-02-11│08:10 |
  • まっさん URL│
  • [edit]
No title
ようこそ。まっさんさん。

書き込みありがとうございます。


>批評と感じたのなら謝ります。批評されたと受け取ったのですか。


ありがとうございます。

>このサイトの文章はストレートでないですね。
>それで善に励めというのは説得力がありません。

この言葉はそれに当てはまると思いますが、一般常識的にどうですか。

普通、突然やってきた人に急にそう言われたらどうですか。
まっさんさんはどういうつもりでそう書かれましたか。
まっさんさんの常識でお考えください。

「ラピ。」がそう受け取ったのではありません。

まっさんさんはどうですか。


>同じく、こちらを決めつけておられますね。

いいえ。
「見えている」だけです。


>このサイトを更新している因と縁をお聞きしたかったのですが、
>仮に「私」を因であり縁であるとすると、
>「私」が何も指さないなら因も縁もなくこのサイトがあることになります。

因と縁ですか。

私はそういう言葉に詳しくないのですけど
(仏教用語とかはよく知りません)
私なりのお答えするなら。

まず、私は至る前からこのブログを書いています。
至る前は修行の身であり
実践としてこのブログを書いておりました。

よってそれがこのブログの一種の因(存在の原因)
となると言えるでしょうか。

そして至ってからブログを更新する必要が
もちろんなくなりました。

因と縁は消え去りました。

>仮に「私」を因であり縁であるとすると、

その「私」が私にはありません。

このブログの存在はかつての名残ですね、ある意味。


私には師匠がいます。

師匠からのおすすめもあって
自分の歩いてきた道を公開しています。

私は師匠のおかげで成就できました。
師匠がいなかったらできなかったでしょう。

あと少し、あと少しのところまで来ていたのですが
そのあと少しが ちょっとでいて最も遠いところなんです。
(私がそうだったのでわかるのです)

それぐらい此岸と彼岸の間に
大きな隔たりがあるのです。
(此岸と彼岸の言葉くらいはわかります(笑)

私のようにその隔たりを
本物の「目」があれば突破できる可能性があるのです。

(もちろん、「目」が必要ない人もいます。
しかしそういう人はそもそも、このようなブログを見ることはありません。
自分の力で進んでいるはずです。)

かつての私のような人が一人でもいたら
その人の力になれるかもしれない、
と思って書いているのもあります。

しかし、究極のところは理由はないのですけども。

よって、別にこのサイトが存在する必要はない、とも言えますね。


ちなみに 「私」が何も指さない という状態ですが。

今の私の状態は対象がない状態です。

よって因と縁から解放されています。

そもそも私には何も起こってないんです。
因と縁になりようがありません。

(言葉で表せないことを例えで表現しています。
ここで私という言葉を使っていますが
私という私を示しているわけではありません。

しかし、まっさんさんとの対話で私という言葉が抜けると
読んでいる人がわけがわからなくなるでしょう。
よって例えとして便宜上使っているのです。

私という言葉が抜けたら大変読みずらいと思います。

そしてかつては私も自我があったのだから
その頃の言葉を自在に使えるわけです。)


>仮定が間違っていればそれまでですが。

仮説だったのですね。

ある意味、間違っていないでしょうね。

「私」というものが存在するから縁も発生すると思いますよ。

「私」はいろんな出来事の原因です。

そこから解放されたいのなら
その原因を消滅させるしかありません。



>逃げるとはどのようなことでしょうか。やり取りはするつもりですが。

ありがとうございます。

私はこういう対話は嫌いではないです。


かつてインターネット上で自称覚者と対話できるチャンスがありました。

しかし、結局
その人は私の書き込みを削除し、逃げました。

私の言葉に答えられなかったのでしょうか。
書き込んだ内容は即削除でした。

自称覚者がやりとりをオッケーしてくれたので
(メールでのやり取りが少しあり、
自称覚者がサイト上での対話をオッケーと言ってくださったのです。
ぜひ対話は公開していただきたいと思っていました。)
書き込んだのですが
それでも、です。

正々堂々と対応していただきたかったです。

(ちなみになぜこの人とやり取りをしようとしたのかは
この自称覚者にはお弟子さんのような方がいらっしゃいました。
自称覚者を本物だと思っている。
かわいそうです。
お弟子さんの「見る目がない」と言ったらそれまでですが。

そして究極はやり取りする必要はもちろんなかったのですが
かつての私のことを思うと、対話しようと思いました。

師匠が本物かそうでないかは、弟子になるのなら
とっても重要なことです。)


また、このブログでも書き込んでくださった方に
私はきちんとお返事していたのですが
結果的に好きなこと言って途中で去っていく人がいました。

(例えば
やり取りの中での私の問いに対して「ググれよ」という最後の捨て台詞です。
今後一切、この方にお返事はしません。
しかしHNを変えて書き込んできたらわかりません。
このような世界ですよね。
よって一般的に失礼な対応の方は
その都度それなりにさせていただきます、どんな時も)

ブログでのやり取りは自分がどこの誰だかわからないので
無責任にいられるのでしょうか。

私はきちんと対応させていただいているのに、です。

私にはこのブログに因と縁はもうありません。

よって書き込みにお返事する理由がありません。

返事する義務も私にはありません。

しかし、せっかく書き込んでくださっているのだから
その人の何かの役にたつのなら
と思ってお返事するのですが、
残念ながら伝わりません。

(ちなみにもちろん、「私」のためではありません。)

書き込みされている方の状態が丸見えだから
それをお伝えすると
怒っていく人もいましたね。
ある意味仕方ないことですが。

言われたくないことを言われたら
それが事実であっても
腹が立つでしょうし。

そして私の言葉をどう使うのかは自由ですが
私がその人にお返事を書かないのも自由ですよね。

さて、どうしようかな
と思っていました。

もちろん、誠実に書き込んでくださっている方には
誠実に対応していきたいと思っています。


>ところで、ヒントとして書いているということですが、
そのヒントを生かすのは誰なのですか?

お答えです。

このヒントを活かすのは
このサイトを見てくださっている人たちですよ。

もちろん「ラピ。」ではありません。



ちなみにまっさんさんが私にその問いを発した理由にお気づきでしょうか。

なぜ私にその問いを発したのですか?

お答え、お待ちしています。

これからのやりとりがこれからのまっさんさんの役にたつかもしれません。

(追加書き込みしています)
  • 2015-02-11│10:18 |
  • ラピ。 URL│
  • [edit]
No title
返信ありがとうございます。

>このサイトの文章はストレートでないですね。
>それで善に励めというのは説得力がありません。

>この言葉はそれに当てはまると思いますが、一般常識的にどうですか。
>普通、突然やってきた人に急にそう言われたらどうですか。
まっさんさんはどういうつもりでそう書かれましたか。
まっさんさんの常識でお考えください。


一般常識的にですか、ちょっとよくわかりません。事実も批評に含めるのでしたら、批評になるのでしょう。事実をそのまま書きました。どういうつもりか聞かれると、強いて言えば事実を書いたつもり、でしょうか。


>「ラピ。」がそう受け取ったのではありません。
まっさんさんはどうですか。

答えが出てきません、すみません。


>同じく、こちらを決めつけておられますね。
>いいえ。
「見えている」だけです。

(申し訳ありませんが、長いので途中引用省略させていただいてます)

>ところで、ヒントとして書いているということですが、
そのヒントを生かすのは誰なのですか?

>このヒントを活かすのは
このサイトを見てくださっている人たちですよ。
もちろん「ラピ。」ではありません。


なるほど、ありがとうございます。


>ちなみにまっさんさんが私にその問いを発した理由にお気づきでしょうか。
なぜ私にその問いを発したのですか?
お答え、お待ちしています。

すみません、気づいておりません。

>これからのやりとりがこれからのまっさんさんの役にたつかもしれません。

このサイトを見てくださっている人たちの役に立てたら幸いです。
  • 2015-02-13│11:04 |
  • まっさん URL│
  • [edit]
No title
お返事ありがとうございます。


>一般常識的にですか、ちょっとよくわかりません。

まっさんさんの中の常識でいいです。
それとも一般的に通用しない
常識をお持ちですか?

この社会に生きている中での常識として、
でいいのですが。


>事実も批評に含めるのでしたら、批評になるのでしょう。
>事実をそのまま書きました。
>どういうつもりか聞かれると、強いて言えば事実を書いたつもり、でしょうか。


なるほど。

何をどう見て事実と言っているのでしょうか。


>ストレートでないです
>説得力がありません。

は本当に事実ですか?
本当ですか?
個人的感想ではないですか?

ストレートでないとか、説得力ないとか。
私にはそんな事実がないから、
そう言われても、、、。

それを事実と言われても、、。

一体、まっさんさんの言われている事実ってなんでしょうか?



>>「ラピ。」がそう受け取ったのではありません。
まっさんさんはどうですか。

>答えが出てきません、すみません。


まっさんさんはまっさんさんの言葉を
「事実である」とお答えになっていますよ。

「それは批評ではなく事実ですよ」
とまっさんさんは言われているように見えますが。



>>ちなみにまっさんさんが私にその問いを発した理由にお気づきでしょうか。
>>なぜ私にその問いを発したのですか?
>>お答え、お待ちしています。

>すみません、気づいておりません。


ん?何に気づいていないのですか?


>このサイトを見てくださっている人たちの役に立てたら幸いです。


ええ、そうですね。
  • 2015-02-13│12:39 |
  • ラピ。 URL│
  • [edit]
No title
お返事ありがとうございます。

>まっさんさんの中の常識でいいです。
それとも一般的に通用しない
常識をお持ちですか?
この社会に生きている中での常識として、
でいいのですが。

一般的に通用する常識とはなんですか?
このサイトは常識を代表しているのですか?


>何をどう見て事実と言っているのでしょうか。
>ストレートでないです
>説得力がありません。
は本当に事実ですか?
本当ですか?
個人的感想ではないですか?

何を、はこのサイトの文章を、ですね。
もちろん全ての文章が、ではないですよ。

どう見てと言われると困りますが。
事実にどう見るもないですね。

>一体、まっさんさんの言われている事実ってなんでしょうか?

うそではないという意味ですね。
それとも哲学的な答えを求められているのでしょうか。

>>「ラピ。」がそう受け取ったのではありません。
まっさんさんはどうですか。
>答えが出てきません、すみません。
まっさんさんはまっさんさんの言葉を
「事実である」とお答えになっていますよ。
「それは批評ではなく事実ですよ」
とまっさんさんは言われているように見えますが。

「事実」ではありますが、言われたことをどう受け止めることもないですね。表現が難しく、私には答えが出てきません。


>>ちなみにまっさんさんが私にその問いを発した理由にお気づきでしょうか。
>>なぜ私にその問いを発したのですか?
>>お答え、お待ちしています。
>すみません、気づいておりません。
ん?何に気づいていないのですか?

問いを発した理由ですね。


  • 2015-02-14│17:15 |
  • まっさん URL│
  • [edit]
No title
まっさんさん、いろいろお答えいただき
ありがとうございます。


>一般的に通用する常識とはなんですか?

はい、わかりました。
まっさんさんには常識がないのですね。

わからないみたいなので。

もう聞きませんから安心してください。


>このサイトは常識を代表しているのですか?

なぜ、この問いが出るのでしょうか。
そんなこと、言っていませんよ。

ちなみに常識がわからない方は
「常識を代表すること」がどういうことかも
わからないはずですね。

「常識」がわからないのだから。


>何を、はこのサイトの文章を、ですね。
>もちろん全ての文章が、ではないですよ。

なるほど。

このサイトの文章を見て事実を書いた、
ということですね。

まっさんさんには「このサイトの文章」
という対象がしっかりあるのですね。

ちなみ事実と言った瞬間
それは事実ではなくなります。

そもそもそんな
「事実と言えるもの」が私にはありません。



>うそではないという意味ですね。

うそもほんともベクトルの方向が違うだけで
どっちも判断している点では同じですね。

うそもほんとも、私にはありません。
そう判断する私がいないんです。

しかし、それは判断できない、ということではないんです。

「判断する私」に遮られることなく
できてしまうんですよね。

それそのものなんです。

よってまっさんさんのお答えの

「気づいておりません」という返事は私の状態であるのなら
あり得ません。

「答えが出てきません」もあり得ません。

私の状態であるなら、それらの言葉は的を得ていません。


そして私の状態でないのなら

「きづいておりません」は単にと~っても鈍感なだけです。

それか嘘をついています。

理由は実はしっかりあるはずです。



>>>すみません、気づいておりません。
>>ん?何に気づいていないのですか?

>問いを発した理由ですね。


「問いを発した理由」に気づいていないのですか。
(しっかり対象がある表現ですね)

それはやはりちょっと鈍感ですね。
  • 2015-02-14│22:00 |
  • ラピ。 URL│
  • [edit]
No title
追記です

>「事実」ではありますが、言われたことをどう受け止めることもないですね。
>表現が難しく、私には答えが出てきません。

まっさんさんには事実がある
=受け止めるものがしっかりあります。

まっさんさんには「事実」があるみたいだから
すでにその事実を受け取っていますよね。
(受け取らない、と思っていても(言っても)
事実だと反応している時点で受け取っています)
  • 2015-02-14│22:37 |
  • ラピ。 URL│
  • [edit]
No title
では返事を。

> このサイトの文章を見て事実を書いた、
ということですね。
まっさんさんには「このサイトの文章」
という対象がしっかりあるのですね。
ちなみ事実と言った瞬間
それは事実ではなくなります。
そもそもそんな
「事実と言えるもの」が私にはありません。

以前のやり取りで「私」が何も指さないということでしたが、その前提で、
『「事実と言えるもの」が「私」にはありません。』
という文章は誰かに伝わるということでしょうか。これでメッセージを受け取る「誰か」が居るんですね。


うそもほんともベクトルの方向が違うだけで
どっちも判断している点では同じですね。
うそもほんとも、私にはありません。
そう判断する私がいないんです。
しかし、それは判断できない、ということではないんです。
「判断する私」に遮られることなく
できてしまうんですよね。
それそのものなんです。
よってまっさんさんのお答えの
「気づいておりません」という返事は私の状態であるのなら
あり得ません。
「答えが出てきません」もあり得ません。
私の状態であるなら、それらの言葉は的を得ていません。


うそもほんともないのなら、的を得る(射る)かどうかもないということですね。
「判断する私」と「判断しない私」の違いを教えて頂けますか。「判断する私」が居るなら「判断しない私」も居ますね。



> そして私の状態でないのなら
「きづいておりません」は単にと~っても鈍感なだけです。
それか嘘をついています。
理由は実はしっかりあるはずです。


「見えている」のならそのまま書けるはずですね。ちなみに理由はありません。ただ反応が起こっただけです。



>>>すみません、気づいておりません。
>>ん?何に気づいていないのですか?
>問いを発した理由ですね。
「問いを発した理由」に気づいていないのですか。
(しっかり対象がある表現ですね)
それはやはりちょっと鈍感ですね。


対象のないことを伝えるには沈黙しかありませんね。



>まっさんさんには事実がある
=受け止めるものがしっかりあります。
まっさんさんには「事実」があるみたいだから
すでにその事実を受け取っていますよね。
(受け取らない、と思っていても(言っても)
事実だと反応している時点で受け取っています

事実を受け止める「私」は居ません。
  • 2015-02-16│13:07 |
  • まっさん URL│
  • [edit]
No title
お返事です。


>以前のやり取りで「私」が何も指さないということでしたが、その前提で、
>『「事実と言えるもの」が「私」にはありません。』
という文章は誰かに伝わるということでしょうか。


「事実と言えるもの」が私にはありません、の私は
もちろん何も指しておりません。

単なる言葉です。


>これでメッセージを受け取る「誰か」が居るんですね。


いませんよ。

では私という言葉を使わず書いてみます。

「事実と言えるもの」がありません。

ええ、それでも結構です。



>うそもほんともないのなら、的を得る(射る)かどうかもないということですね。


的を得ていない、は例えで書いております。


>「判断する私」と「判断しない私」の違いを教えて頂けますか。


ある意味、同じです。


>「判断する私」が居るなら「判断しない私」も居ますね。

悟った人にはどちらもいません。

判断そのものがない。
判断するもしないもない。(と書きましたが)


>「見えている」のならそのまま書けるはずですね。

なにをそのまま書くのです。



>ちなみに理由はありません。
>ただ反応が起こっただけです。


まっさんさんは反応が起こるんですね。

悟った人には何も起こりません。



>対象のないことを伝えるには沈黙しかありませんね。


でしたら釈迦は沈黙したのでしょうか。

いろいろと例えを使って
伝えていると思いますが。

まっさんさん、ぜひ例えで書いてみてください。

対象のないことを。

本物ならできるでしょう。

できないのなら、それが答えです。


>事実を受け止める「私」は居ません。

まっさんさんには事実はあるのですよね。

こちらはその事実すらもありません。
  • 2015-02-16│17:34 |
  • ラピ。 URL│
  • [edit]
No title
では、ご返事を

>判断するもしないもない。(と書きましたが)

これはどの文章を指しているのでしょうか。
「判断する私」という文章が使われたから「判断する私」と「判断しない私」が居るんですね、としごく一般常識(笑)でお聞きしたのですが。

>「見えている」のならそのまま書けるはずですね。
なにをそのまま書くのです。

理由ですよ。


>>ちなみに理由はありません。
>>ただ反応が起こっただけです。
>まっさんさんは反応が起こるんですね。
悟った人には何も起こりません。

面白いですねww
悟った人がどこかに居るのですか。


>対象のないことを伝えるには沈黙しかありませんね。
>でしたら釈迦は沈黙したのでしょうか。
いろいろと例えを使って
伝えていると思いますが。

では具体的なものを出して頂けますか?
お釈迦様が例えを用いて対象がないことを説いたという。


>まっさんさん、ぜひ例えで書いてみてください。
対象のないことを。
本物ならできるでしょう。
できないのなら、それが答えです。


おもしろいww
あなたは出来るんですね。
例えで。
このサイトを信じている人に教えてあげたらどうですか?


>事実を受け止める「私」は居ません。
まっさんさんには事実はあるのですよね。
こちらはその事実すらもありません。

でしたらこのサイトは事実ですらないということですね(笑)
いろいろごっちゃにして書くから意味不明ですよ。
  • 2015-02-18│21:38 |
  • まっさん URL│
  • [edit]
No title
こんばんは。


>>判断するもしないもない。(と書きましたが)

>これはどの文章を指しているのでしょうか。


『そう判断する私がいないんです。
しかし、それは判断できない、ということではないんです。
「判断する私」に遮られることなく
できてしまうんですよね。』

このあたりですかね。



>「判断する私」という文章が使われたから「判断する私」と「判断しない私」が居るんですね、としごく一般常識(笑)でお聞きしたのですが。


一般常識、わからないんじゃなかったっけ??


>>>「見えている」のならそのまま書けるはずですね。
>>なにをそのまま書くのです。

>理由ですよ。


理由というのは対象です。
それがないから対象がない、というのですよ。
(この言い方も例えですが)



>>ちなみに理由はありません。
>>ただ反応が起こっただけです。
>まっさんさんは反応が起こるんですね。
悟った人には何も起こりません。

>面白いですねww
>悟った人がどこかに居るのですか。


(笑)

例えて言えば
釈迦は実在の人物ですが
「釈迦」はいませんでした。



>では具体的なものを出して頂けますか?
>お釈迦様が例えを用いて対象がないことを説いたという。


例えば。釈迦は対象のない状態を例えで表現されています。

マーガンディヤよ。『わたくしはこのことを説く』、ということがわたくしにはない。


まっさんさん、対象がない状態を例えで書いてください。

でもできないんでしたかね。

>対象のないことを伝えるには沈黙しかありませんね。

ちなみに沈黙すらもないんですけどね。



>おもしろいww
>あなたは出来るんですね。
>例えで。
>このサイトを信じている人に教えてあげたらどうですか?


ブログで対象がない状態をいろんな表現で書いております。



>でしたらこのサイトは事実ですらないということですね(笑)


ええ、そうです。
まっさんさんは何を見ているのです。


>いろいろごっちゃにして書くから意味不明ですよ。


意味不明なのは当然でしょうね。
仕方ないよね。

理由があり、事実があり、反応が起こる
自我がしっかり存在しているまっさんさん。


理由も事実も反応も対象ですよ。

反応が起こるのは自我の動きです。
  • 2015-02-19│00:20 |
  • ラピ。 URL│
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No title
なるほど、あなたは本物で、私は偽物ですね。
例えも素晴らしいです。
「あなた」の文章はすべて例えで、「わたし」の文章はすべて対象です。
「わたし」は何を書こうが対象でしかありませんね。
沈黙すらもないということは素晴らしい!
どうぞそのことを伝えていってください。

ちなみに、お釈迦様の他の言葉で、対象がないことを例えているものはご存じですか?
まさかそれだけですか?

そしてこのサイトで具体的に対象がないことを例えている表現はどれですか?
偽物なので、教えて頂けますか?
  • 2015-02-19│23:36 |
  • まっさん URL│
  • [edit]
No title
横から失恋じゃなく、失礼。(^o^)

ダメだ、面白過ぎる(^o^)
もうガマンできない、クウ~~~~(^o^)

ちゃんと存在しているのに、
対象が無い人がいるなんて、
ク~~~(^o^)
あり得ない(^o^)

まっさん、私はあなたに負けました(^o^)

ところで、まっさん、あなたは何ものなのでしょう?

ちなみに、私はラピ。さんのファンの一人です。
だいぶ以前から片思い中なのですが(^o^)
  • 2015-02-20│19:29 |
  • 読者でありファンであり URL│
  • [edit]
No title
ファンさんへ

本当の私は、何ものでもなく、何ものでもあり、「それ」です。肉体と精神から成る機械(五蘊)でないのは確かです。

片思い中なんですね。
どうぞ思いを伝えてあげてください(笑)
「私」は居りません、って返されるかも。。


ところで、
マーガンディヤよ。『わたくしはこのことを説く』、ということがわたくしにはない。

というラピ。さんの出された例え?ですが、

『わたくしは場合によっては説くことがない(沈黙する)』という解釈も成り立つとは思いませんか?

ラピ。さんはお釈迦様は沈黙しなかったとおっしゃってますが。。


ラピ。さんが「『本物』かどうか」とうるさいので、偽物ですと言ってあげました。
「事実」がないと言い張ってるのに「本物」があるのでしょうか。宇宙には不思議なことだらけです。
  • 2015-02-21│08:23 |
  • まっさん URL│
  • [edit]
No title
おはようございます。


>「あなた」の文章はすべて例えで、「わたし」の文章はすべて対象です。

あなたもわたしも存在しておらず
文章と思われているものは
単なる単語であり
意味を持ちません。

表現しているように見えて
表現しておりません。
そして表現できてしまいます。

そしてそれは単なる言葉です。


>「わたし」は何を書こうが対象でしかありませんね。

付け加えれば
「書く」という行為そのものが
自我の動きです。

そしてその書くという行為に「私」が常に付随しています。

よって「私」がある場合、
確かに何を書こうが対象(結果)となってしまいます。

(しかし、自我が悪いもの、というわけではありません。
自我があることが悪いことではないです。)



>ちなみに、お釈迦様の他の言葉で、対象がないことを例えているものはご存じですか?
>まさかそれだけですか?


私はそもそも経典をあまり知りません。

しかし、釈迦の教えは対象がない状態での教えなので
その教えそのものが対象のない状態での言葉です。

釈迦はいろんな言葉を使うことなく使い、
対象のある人にわかりやすく
例えで説いているのですね。説くことなく。


対象が消滅した場合、
対象がないので
いろんな言葉を使いまわすことができます。

単なる単語として使えるのです、意味を持たせることなく。

対象のある方は言葉に意味があります。

よって善なる言葉を使うことが大切な理由は
対象がある人の場合、
自分の意味ある言葉に自分が影響されるからです。
善なる積み重ねが善なるカルマの積み重ねとなります。

私に投げかけている言葉は、私には何も起こりません。
(対象がないからです)
しかし投げかけている人、ご本人に影響を及ぼします。

だから言葉を大切に使った方がいいです。

対象がなければ何も起こらない、何もしていない。
よってカルマの起こりようがない。
カルマの消滅でもあります。

よって善なる行いをおすすめしているのもそのためです。

善なる積み重ねにより
善なるカルマを積み重ねることは
激流を渡る時のある意味サオとなります。



>そしてこのサイトで具体的に対象がないことを例えている表現はどれですか?


悟った人は、、、、のカテゴリは
対象のない状態について書いてあると思います。

ちなみに、
対象と言うのはいろんな言い方ができます。

例えば。

「私」「心」「真実」「行為」「出来事」「エゴ」
「意味」「目的」「答え」「問い」などなど。

それらの更なる大元が消滅した状態が悟りです。

それによって対象すべてが結果的に消滅してしまうのです。


なんの拠り所もなく、意味もなく、
そして意図することなくただただそれのみ。

そしてそれは言葉に表すことができません。
言葉に表した途端、それはそれではない。

ありのまま。

ただただありのまま、そのままです。

よって遮る「もの」や「私」がありません。

だからなにもしていない、けどできてしまう。

それそのものなので、してないけどできてしまう。

行為をする人ではなく
行為そのものです。

(これも対象のない状態の例えです)



>偽物なので、教えて頂けますか?

偽物とか本物とかはどうでもいいのです。

しかし、明らかに対象のある状態なのに
ないふりをして教えを説いている人とは
(大体、ご本人には自覚がない)
ぜひ、対話したいですね。

また、ご本人が悟っていると思い、
でも実は明らかに対象がある状態の場合、
その先があることを知らなければそれで終わりです。

それは対象が消滅した状態ではない、
さらにその先がある ということがわかれば
その方はさらに精進して
自我消滅する可能性が生まれます。

勘違いで終わってはもったいない。

なぜなら悟っていると思っている人は
ある意味、いいところまで行っているかもしれないからです。
(そうでない人もいますが)

しかし、あと少しの人は
悟りにまったく関係ない人より
悟りに最も遠いところにいます。
(面白い表現になりますが)

あと少しの人は
一番近くて一番遠いところにいる。

変な知識が邪魔をしてしまっているからです。
それなら悟りに関する知識はない方がいいです。


日々努力して
悟りを知らず、悟りに近い状態の方もいらっしゃいます。

しかし、悩むこともあるでしょう。

しかし、更なる日々の精進により
それを克服してがんばられている人は素晴らしいと思います。

そしてそのがんばる先に
がんばることのない境地があります。

がんばる必要がない、
がんばる私がいない、
それそのものの境地です。

(これも対象がない状態の例えです)

その為にも精一杯がんばることが大切です。
精一杯がんばっている人は素晴らしいです。

そして例えて言えば
がんばって、がんばって、
がんばることを超えた状態がそれです。

  • 2015-02-21│09:28 |
  • ラピ。 URL│
  • [edit]
No title
>ちゃんと存在しているのに、
>対象が無い人がいるなんて、

存在していませんから。


>ク~~~(^o^)
>あり得ない(^o^)


あり得ないほどめずらしいことですよね。
  • 2015-02-21│09:31 |
  • ラピ。 URL│
  • [edit]
No title
>ところで、
>マーガンディヤよ。『わたくしはこのことを説く』、ということがわたくしにはない。
>というラピ。さんの出された例え?ですが、
>『わたくしは場合によっては説くことがない(沈黙する)』という解釈も成り立つとは思いませんか?
>ラピ。さんはお釈迦様は沈黙しなかったとおっしゃってますが。。


わかっていないですねぇ。

沈黙という「行為」は決してなかったでしょう。

沈黙しているようで
沈黙していないのですよ、わかりますか?



>ラピ。さんが「『本物』かどうか」とうるさいので、偽物ですと言ってあげました。

うるさいって、何も言ってないんですけど。

まっさんさんのなかではそれが起こっているのでしょうけどね。


>「事実」がないと言い張ってるのに「本物」があるのでしょうか。宇宙には不思議なことだらけです。


本物も偽物もありませんよ。

言い張ることもありません。

言葉に振り回されてますね。
  • 2015-02-21│09:37 |
  • ラピ。 URL│
  • [edit]
No title
ダメだ、やっぱりこりゃ私の手には負えんワ(^o^)
文章を読んでるだけで、ため息に連続になってしまって、どうにもならんです。

それにしても、まっさん、あなたは物好きな方ですね。
しかも、とて~も面白い方です。
非常に興味深い。

>本当の私は、何ものでもなく、何ものでもあり、「それ」です。肉体と精神から成る機械(五蘊)でないのは確かです。

参りました(^o^)

ちなみに、私は「それ」を卒業したものです(^o^)
  • 2015-02-21│14:48 |
  • 読者でありファンであり URL│
  • [edit]
No title
こんばんは。

>私はそもそも経典をあまり知りません。
しかし、釈迦の教えは対象がない状態での教えなので
その教えそのものが対象のない状態での言葉です。

経典を知らないけれどもお釈迦さまの教えを知っているということですね。
そして書かれていることは、文章ではなくただの単語で意味を持たない。
コミュニケーション・やり取りの存在しない次元?ということでしょうかね。
  • 2015-02-26│21:56 |
  • まっさん URL│
  • [edit]
No title
ファンさん

面白かったですか?

卒業おめでとうございます。
こちらは卒業できるものがないので無理そうです。
  • 2015-02-26│22:05 |
  • まっさん URL│
  • [edit]
No title
こんばんは~。

今持っている知識で言葉に引っかかると
大切なものが見えなくなりますので
子供の心で素直に読んでみてください。

そういう話があるのだな、という感じがいいかな。

また、私を信じる必要はもちろんないのですが
あまり疑うと、ポイントが見えなくなっちゃいますよ。


>経典を知らないけれどもお釈迦さまの教えを知っているということですね。

例えて言えば
経典は知らないけれども
教えを説かずに説いている釈迦の状態と同じ、という感じですかね。

だから知る必要すらもありません。
それそのものだから。


>そして書かれていることは、文章ではなくただの単語で意味を持たない。
>コミュニケーション・やり取りの存在しない次元?ということでしょうかね。

ええ、そうですね。
そういう次元が悟っている状態、と言えるかな。
(次元も例えですが)

かといって、コミュニケーションがないわけではありません。

コミュニケーションをするのではなく(=行為)
コミュニケーションそのもの。

〇〇する人ではなく、〇〇そのものなので
〇〇を邪魔するもの、区別するもの、判断するもの(=自我とも言える)
が存在しない状態です。

普通、人は何かをする時
目的があり、行動がありますね。

しかし、悟っている人は目的なく
行動することなく
でもできてしまいます。


釈迦は対象のある人へ教えを説きました。

対象のある人にとっては
釈迦の言葉はとても意味があり、
そしてやり取りが起こっています。

そして釈迦の言葉をきちんと実践して
至った人もいらっしゃると思います。

よって対象のある方にとって
釈迦の言葉はやはりとても意味あるものと言える。

でも釈迦にはやり取りはもちろん起こらない。
対象がないから。

釈迦のそれは例えて言えば
純粋なるやり取りそのものです。

やり取りはしていない。


悟っている人には何も起こりません。

そしてなにも起こらず
そしてもちろん起こすつもりもなく
悟っていない人に起こリます。

悟っている人が何かを伝えることなく伝えるとき
悟ってない人は
悟っている人の言葉を受け取ります。

これが対象のあることと ないことの違いです。

例えて言えば
悟っている人は伝えていないが
悟っていない人は
悟っている人が伝えた、
そしてその言葉を受け取った、と言う


悟った人は悟る前の状態が
どういうものなのかを もちろん知っています。

なんてったって自我のある状態から激流を渡ってきたのだから。

悟っていないことがどういう状態かわかりますので
ある意味、悟っている人は
悟るためのヒントを伝えることができる。

悟った人の道を伝えればそれが悟るための道のひとつです。
(それだけでは悟れませんが)

悟っていない人は
悟っている状態を知らないため
悟っている人の状態はわかりません。

なぜなら例えて言えば悟っていない人は
悟ったことがないからです。

しかし悟った人は
悟っていない状態がどういうのかがわかってしまいます。

ひとつ例えて言えば。

悟った人には自我がありません。

よって「自我がある人の行為」は
悟った人にはないため
ある意味、自我のある人の行為が
まさに自我の動きであることがわかってしまいます。

それが悟った人にはないから
わかってしまうのです。


>そして書かれていることは、文章ではなくただの単語で意味を持たない。

付け加えれば
書くことなく書かれているものです。

悟った人が書いた文章は
悟った人のものではありません。

悟った人は「これは私が書いたものだ」なんて言いません。

なぜなら、書いていないから。
そして書いてないのだから意味を持つはずもない。
(悟った人にとっては、です)

そして書いたと思われる文章は
もちろん悟った人のものではなく
悟った人には全くとどまりません。


例えて言えば
悟ってない人の問いには答えがあります。

しかし、悟った人には問いも答えもない。

よって悟った人は
悟ってない人の問いに答えられる、というわけです。

そしてそれは悟った人のものではない。

(文章に表すのは難しいのです~)(;^ω^)


ちなみに私がここに書いていることについて
「あほらしい」と思うのもありです。

そういう方はあほらしい悟りなんてさっさと忘れて
現実世界をしっかり生きている方が
よいカルマの積み重ねとなると思います。

(もちろん、善なるカルマを積み重ねてね)


ちなみに私の書いていることがわからない方
また、わかると言ったとしても
私の書いていることを
その人なりの表現で説明できない方は
悟っていません。

(ちなみに悟っている人がすごいわけではありません。
すごいとかはどうでもよく
悟っている人は常に安らいでおります。)
  • 2015-02-26│23:40 |
  • ラピ。 URL│
  • [edit]
No title
おはようございます。


>例えて言えば
経典は知らないけれども
教えを説かずに説いている釈迦の状態と同じ、という感じですかね。
だから知る必要すらもありません。
それそのものだから。

そもそもお釈迦様の状態と同じ、というたとえ?はどこからきているのでしょうかね。
以前のあなたの先生はお釈迦様ではないですよね。


>かといって、コミュニケーションがないわけではありません。
コミュニケーションをするのではなく(=行為)
コミュニケーションそのもの。


コミュニケーションそのものとコミュニケーションそのものが出会って何か新しいものが生まれる(例えです)ことはないとおっしゃっていますか?影響を受ける受けないの話は置いといて。
  • 2015-02-27│12:50 |
  • まっさん URL│
  • [edit]
No title
こんにちは。

>例えて言えば
経典は知らないけれども
教えを説かずに説いている釈迦の状態と同じ、という感じですかね。
だから知る必要すらもありません。
それそのものだから。

そもそもお釈迦様の状態と同じ、というたとえ?はどこからきているのでしょうかね。
以前のあなたの先生はお釈迦様ではないですよね。


>かといって、コミュニケーションがないわけではありません。
コミュニケーションをするのではなく(=行為)
コミュニケーションそのもの。


コミュニケーションそのものとコミュニケーションそのものが出会って何か新しいものが生まれる(例えです)ことはないとおっしゃっていますか?影響を受ける受けないの話は置いといて。
  • 2015-02-27│12:50 |
  • まっさん URL│
  • [edit]
No title
こんにちは!

>そもそもお釈迦様の状態と同じ、というたとえ?はどこからきているのでしょうかね。

対象が消滅しているのが同じ
ということです。



>コミュニケーションそのものとコミュニケーションそのものが出会って
>何か新しいものが生まれる(例えです)ことはないとおっしゃっていますか?


「コミュニケーションそのもの」とは
まっさんさんが思っているコミュニケーションそのものとは
違います。
  • 2015-02-27│12:56 |
  • ラピ。 URL│
  • [edit]
No title
付け足し

コミュニケーションそのものの状態であるのなら
そもそもそんな質問は起こらないと思います。
  • 2015-02-27│13:02 |
  • ラピ。 URL│
  • [edit]
No title
こんばんは。


> 対象が消滅しているのが同じ
ということです。

何を言っても発言内容は変わりそうにないですね。これはもう聞くのを諦めます。


>コミュニケーションそのものとコミュニケーションそのものが出会って
>何か新しいものが生まれる(例えです)ことはないとおっしゃっていますか?


>「コミュニケーションそのもの」とは
まっさんさんが思っているコミュニケーションそのものとは違います。

ではまっさんが思っているコミュニケーションというものを説明して頂けますか。


>コミュニケーションそのものの状態であるのなら
そもそもそんな質問は起こらないと思います。

あなたの表現をお尋ねしています。

表現せずに表現できる、違いますか。
  • 2015-02-27│19:17 |
  • まっさん URL│
  • [edit]
お節介ですが
まっさん

あなたも、ラピ。さんと同じく、
自分がそれそのものになっていると思い込んでおられるのですね。
(ラピ。さんは、「わたしとまっさんとは違います」と仰るかも知れませんが、笑)

「対象が無い」と仰いますが、
その「対象が無い」という状態をちゃんと自分の言葉で表現しておられるじゃないですか。
つまり、「対象が無い」という状態そのものが、あなたや、ラピ。さんの認識であり、対象そのものなのです。
「対象が無い」という言葉も概念もちゃんと使っておられる訳だし、そう判断しておられるのですから、そこには、そのような判断(思考)もあるし、もちろん、その認識や思考を担っている自我もあるし、そして何より、まっさんは、「対象が無い」という概念を掴んで囚われておられるのです。

私の言っていること、お分かりいただけますでしょうか?
無理かな~(^_^;)
  • 2015-02-27│21:02 |
  • 読者でありファンであり URL│
  • [edit]
No title
こんばんは。


>何を言っても発言内容は変わりそうにないですね。
>これはもう聞くのを諦めます。

どの様なお答えをお望みですか?
ぜひ教えてください。

まさか、納得する答え、ではないですよね?


>ではまっさんが思っているコミュニケーションというものを説明して頂けますか。

対象のあるコミュニケーションでしょうね。

コミュニケーションそのものであるのなら
なんの疑問が起こるというのでしょうか。

コミュニケーションそのものなのに。
コミュニケーションそのものが
疑問を起こしますでしょうか?

コミュニケーション「している人」なら
疑問を起こすことはあるでしょうけど。


>コミュニケーションそのものとコミュニケーションそのものが出会って
>何か新しいものが生まれる(例えです)ことはないとおっしゃっていますか?

ここでまっさんさんがコミュニケーションそのものと言っているものは
あるコミュニケーションそのものがあって
またそれ以外のコミュニケーションそのものもあって
それが出会う、と言っておられるのでしょう?

しかしそもそも そのものとは
区別がないそれそのもので
それ、そしてそれ以外のもの、というものがない。

コミュニケーションそのものとは
そのものなので
何かを起こすこともありません。

何を起こすというのでしょうか。
何に出会うというのでしょうか。

よって出会うことがそもそもない。

まっさんさんの表現しているコミュニケーションそのものとは
対象のある(自我のある)コミュニケーション、
それを表現しています。


ちなみにこの質問。
>コミュニケーションそのものとコミュニケーションそのものが出会って
>何か新しいものが生まれる(例えです)ことはないとおっしゃっていますか?

聞きたいことをはっきりさせてください。
  • 2015-02-27│23:59 |
  • ラピ。 URL│
  • [edit]
No title
>つまり、「対象が無い」という状態そのものが、
>あなたや、ラピ。さんの認識であり、対象そのものなのです。

あなたは「ラピ。は認識している」、と認識しているのですね。
そのあなたの「認識」は、はずれです。

ちなみに

>つまり、「対象が無い」という状態そのものが、
>あなたや、ラピ。さんの認識であり、対象そのものなのです。

って、どういうことを仰っているのか本当にわかってます?


>「対象が無い」という言葉も概念もちゃんと使っておられる訳だし、

「概念」「概念を使っている」「使っている」とそう捉えているのはあなたですよね。
すごい思い込みですね。

「対・象・が・無・い」
とういう意味のない単語の組み合わせに
意味を付けて判断されていますね。

「対・象・が・無・い」
という単なる言葉の羅列が
あなたにとっては概念になるのですね。

私にとっては単に「対・象・が・無・い」
というだけなんですが。

どこに概念があるのでしょうか???


>そう判断しておられるのですから、

判断していないのに
判断していると判断しているのですね。



>そこには、そのような判断(思考)もあるし、

なぜ判断がある、思考があると思うのですか。

書かれていると思われている
意味のない言葉に勝手に意味を付けて
勝手に判断されているのですね。

まさしく自我の動きですね。
  • 2015-02-28│00:00 |
  • ラピ。 URL│
  • [edit]
No title
ラピ。さん

>「対・象・が・無・い」
>とういう意味のない単語の組み合わせに
>意味を付けて判断されていますね。

その言い方は無いと思いますよ。
あまりにナンセンスです。
「対象が無い」という言葉をわざわざ最初に選んで表現しているのは、ラピ。さんご自身でしょ。

「対象がある」とか、「自分に判断がある、自我がある」とは、決して仰らないのです。
でも、「対象が無い」等ということは仰る訳です。

これは何を意味しているのかと言うと、
表現に偏りがあるということなのです。
その偏りこそ、自我が関与しているんだということなのです。

あなたは、自分が言葉や概念を選んでいるという事実さえ、それに蓋をして、見て見ぬふりをしておられるのです。

と私が言っても、
ラピ。さんは、自分にはもう自我は無い、対象も無い、思考も判断もあり得ないと思い込んでおられるので、それを否定されるだけでしょうが。

ところで、tkさんとは、いまでもやり取りされているのでしょうか?

一つ提案があるのですが、
掲示板を再開されませんか?
再開されたら、ぜひ掲示板に伺いたいと思っています。
tkさんともぜひそこで、お話しできればと思います。
  • 2015-02-28│16:51 |
  • 読者でありファンであり URL│
  • [edit]
No title
>その言い方は無いと思いますよ。

なぜですか?
きちんとお答えしていますよ。

「対・象・が・無・い」
実際、対象が無いと言っているように見えるとき
例えて言えばまさしく「対・象・が・無・い」
のような感じなのです。

意味のない単なる言葉なんです。
よって概念とかそんなものありえません。


>あまりにナンセンスです。

真面目に答えているのですけど
初めからいい加減なこと言っているあなたには
それがわからないのでしょうか。


>「対象が無い」という言葉をわざわざ最初に選んで表現しているのは、ラピ。さんご自身でしょ。

あなたは「対象が無い」という言葉に
どうしても意味、概念を付けたいのですね。

わざわざ選ぶ理由がわかりません。
選んでないし。

ナンセンス。


>「対象がある」とか、「自分に判断がある、自我がある」とは、決して仰らないのです。
>でも、「対象が無い」等ということは仰る訳です。
>これは何を意味しているのかと言うと、
>表現に偏りがあるということなのです。
>その偏りこそ、自我が関与しているんだということなのです。


面白い理論ですね。

では聞きますが
表現に偏りがないってどういうことですか。

あなたの言葉で表すなら
「対象がある」とか、「自分に判断がある、自我がある」と言い
「対象が無い」とも言えば、偏りがないということですか?

そしてそれが自我が関与していない、ということになるのですか??

言葉の偏りが自我の存在の基準になるのでしょうか。


>表現に偏りがあるということなのです。

偏りがあろうがなかろうが
そもそも表現する時点でダメでしょう。


「自分に判断がある、自我がある」と言うことも
「対象が無い」等と言うこともある意味同じです。

「言う」という行為である、という点で同じです。

しかし、私は言っていないのです。(行為がない)

判断があると言うのも、ないと言うのもないのです。

対象があると言うのも、ないと言うのもないんです。

あなたは私が「対象が無い」という言葉をわざわざ最初に選んで表現している
と仰っていますが
そもそも選ばず表現すらしていません。

単なる言葉。

単に「対・象・が・無・い」 という文字。


>でも、「対象が無い」等ということは仰る訳です。

そもそも言ってないのですよ。
あなたにとっては言っているように見えるかもしれませんけど。


>あなたは、自分が言葉や概念を選んでいるという事実さえ、
>それに蓋をして、見て見ぬふりをしておられるのです。

そっくりそのまま
この言葉お返しします。

概念やら事実やら意味やら選択さえも
悟った人にはない。

蓋する容器すらないのですよ。


>と私が言っても、
>ラピ。さんは、自分にはもう自我は無い、対象も無い、思考も判断もあり得ないと思い込んでおられるので、
>それを否定されるだけでしょうが。

思い込んでいませんよ。

思い込みようがないのです。

ちなみに思い込んでいる、と思う根拠はなんなのでしょうね。


>一つ提案があるのですが、
>掲示板を再開されませんか?
>再開されたら、ぜひ掲示板に伺いたいと思っています。
>tkさんともぜひそこで、お話しできればと思います。


まずは私の質問にお答えください。

>つまり、「対象が無い」という状態そのものが、
>あなたや、ラピ。さんの認識であり、対象そのものなのです。

この言葉をこのブログを読んでいるみなさんに
解説してください。

「対象が無い」という状態そのもの=あなたやラピ。さんの認識=対象そのもの
になるのですよね?

状態そのものが認識であり対象そのものであるのですか。

なんじゃこりゃ。

状態そのものは状態そのもので
認識は認識という行為で
対象は対象でしょう。

それがすべてイコールでつながるのですか???

めっちゃ無理やりですね。
  • 2015-02-28│21:45 |
  • ラピ。 URL│
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No title
ラピ。さん

ご自分の口から出ている言葉に、偏りがあるのをまず認識してみてください。
次に、言葉を選んでいることそれ自体に偏りがあることを認識してください。
感じること、判断することなど、すべてに何らかの偏りがあることを認識してください。
偏りは必ずありますから。

そられらの偏りがラピ。さんご自身の自我であり、その働きなのです。

ラピ。さんは世界があるでしょ。
目はちゃんと見えているでしょ。
耳もちゃんと聞こえているでしょ。
その見えているもの、聞こえている音が世界です。

世界があるということは、必ず、それを認識している、あるいは出現させている自我があるんです。
そして、その自我には必ず何らかの偏りが伴うのです。

TKさんによろしくお伝えくださいな。
  • 2015-02-28│22:46 |
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No title
>ご自分の口から出ている言葉に、偏りがあるのをまず認識してみてください。

何を認識するのでしょう。
認識できるのは対象がある人のみです。


>次に、言葉を選んでいることそれ自体に偏りがあることを認識してください。
>感じること、判断することなど、すべてに何らかの偏りがあることを認識してください。

偏りがあり そしてそれを認識するというのですね。

あなたは認識しておられるのですね、偏りを。

よって偏りが存在しているということですね。


>偏りは必ずありますから。

ええ、あなたにはあるでしょうね。


>そられらの偏りがラピ。さんご自身の自我であり、その働きなのです。

私にはそれがないんです。

あなたはその偏りに気づき
偏るのではなく真ん中でいること、
それが悟っている状態、と思い込んでいるのでしょうか。


>ラピ。さんは世界があるでしょ。

何度も言っているけど ないよ。
偏るとか偏らないとかが存在する世界
そのものがないんです。


>その見えているもの、聞こえている音が世界です。

なんだか、かつての私みたいだなぁ、、、。
なるほど。

今はその世界(対象)がありません。

見ることなく見え
聞くことなく聞こえるんです。

世界(対象)を見るのではなく
世界(対象)を聞くのではなく

見るそのもの
聞くそのもの

それは見るものと見られるものの区別がなく
聞くものと聞かれるものの区別がない。
両方がない、とも言える。

あなたには世界が存在しているのですね。
見たり聞いたりしているのですね。



>世界があるということは、必ず、それを認識している、あるいは出現させている自我があるんです。

世界があるならね。

ないから。


>そして、その自我には必ず何らかの偏りが伴うのです。

自我があれば相対的な状態なので
どっちかには偏っているでしょうね。

自我がない場合
偏りようがありません。

偏るものがないからです。



あなたは常に認識しているんですね。
そして偏らないようにしている。
(偏っていないつもり。しかしまず偏っているでしょうね。)
それがどういう状態か、わかります。
私もかつてそうだったし、
それがそれであると思い込んでいました。

あなたはそれについて疑問はないですか。

私にはある時 疑問がおこりました。

今あなたは常に認識している(つもり)。

(寝ている時間は少なくとも認識できていないよね。
よって認識している時もあればそうでない時もある状態よね。)

しかし、その認識することを忘れてしまったらどうなるでしょうか。

認識することを忘れて別のことしている時
ないですか?
それは確実にあります。

100%どの瞬間も認識していますか。
まず無理です。

24時間、認識し続けなければ
24時間、その状態を保てないですよね。

認識することをやめたらどうなりますか。

認識という行為で保っているものは
行為がなくなれば保てません。

あなたは認識という行為をし続けなければ
認識できない状態なんですね。

しかし、行為がない、それそのものである場合、
何も行為する必要がなく
もちろん意図する必要もなく
保つ必要もなくありのまま、ただありのままなんです。
それが自我が消滅している状態です。


まぁ、どうぞ認識し続けてください。
それはある意味、実践となるでしょう。

その「認識する」というのは自我がある人の行為なんです。

認識してわかっている状態
または認識して真ん中を保っている偏りのない状態
ではまだ悟っていないんですよ。

だって認識する対象があるからね。

その対象が消滅している状態が悟りです。

認識し続けてその「認識すること」に
疑問をもったら
そこからがある意味スタートですかね。

そして例えて言えば
認識し続けてそれを超えることができたら
卒業です。

認識することの先がまだまだあります。

認識していると自分で思い込んでいると思いますが
実はまったく見えておりません。

正確に認識できておりません。

なぜならその認識という行為自体
自我の動きだからです。

かつての私もそうだったから
あなたの気持ちはわかります。

認識することが悟りではありません。
知ることが悟りではありません。

例えて言えば
認識する私が消滅したのが悟りです。
認識を卒業したのが悟りです。

認識している時点では卒業できていませんよ。
認識してわかっているつもり、認識しているつもりになったところで
自我は存在しているし、
自我が存在しているからこそ認識できるのですよ。

認識できる対象があるから認識できるんです。
対象が無ければ
そもそも認識という行為自体、ありえません。

「認識する」という意志を伴う行為は
意志することをやめたら終わってしまう。

私はそんな状態は嫌で
意図することなく
オートマチックに常に24時間そうでありたい、と思い
精進し続けました。

そしてそうなりました。

=認識という行為自体が消滅したのでした。

認識している状態は
ある意味認識という行為に振り回されています。

何もすることなく
例えて言えば認識することなく
わかってしまう境地があるのです。

その認識をすることなく
安らかな境地です。

認識をするという行為でその状態を保っているのであれば
認識という行為は手段の一つですね。

そんな手段なんて必要ない
そんな境地があるのです。


悟りとは知ること。

かつての私はそう思い込んでいました。

残念、そうではありません。

http://daisukirapisu.blog87.fc2.com/blog-entry-1632.html

この記事はかつての思い込みの記事です。

大勘違いの記事です。
この記事は間違っています。
  • 2015-03-01│09:46 |
  • ラピ。 URL│
  • [edit]
No title
ラピ。さん

何と仰ろうと、あなたにはまだ言葉があるのです。
こうだ、これだ、と掴んでいる言葉、概念があるのです。

例えば、これです。

>しかし、行為がない、それそのものである場合、
>何も行為する必要がなく
>もちろん意図する必要もなく
>保つ必要もなくありのまま、ただありのままなんです。
>それが自我が消滅している状態です。

言葉を掴むこと、そしてそれをこうだと、主張すること、これは紛れもなく自我がやることなのです。

本当に悟っているのなら、そのような主張は出てこないのです。

それに、自我が消滅することなんてありません。
と言っても、反発されるだけなのでしょうが。
  • 2015-03-01│11:43 |
  • 読者でありファンであり URL│
  • [edit]
No title
主張もしていないし言ってないし。


>言葉を掴むこと、そしてそれをこうだと、主張すること、これは紛れもなく自我がやることなのです。

そうでしょうね。
しかし、私には自我がないのだから
それには当てはまりません。


>それに、自我が消滅することなんてありません。

なるほど。

ではあなたには自我があるのですね。

やっぱりそうですよね。

それでいいのなら
いいんじゃないですか。
  • 2015-03-01│11:47 |
  • ラピ。 URL│
  • [edit]
No title
こんにちは。

>どの様なお答えをお望みですか?
ぜひ教えてください。
まさか、納得する答え、ではないですよね?

経典は知らない、でも教えの内容は知っている、というのは面白い話ですよね。
教えを知っているのなら、経典を読まなくても経典の中身は知っているはずですよね。
意味通じますか?
なぜお釈迦様についてほとんど知らずに「対象が消滅しているのは同じ」と言えるのでしょうか。まさか「マーガンディアへの説法」だけを見てそう言っているわけではないですよね。
そこについて書かれていないから何度か質問させて頂きました。


>コミュニケーションそのものであるのなら
なんの疑問が起こるというのでしょうか。

質問=疑問というのでしたら、質問は一切できないはずですね。あなたも。


>ここでまっさんさんがコミュニケーションそのものと言っているものは
あるコミュニケーションそのものがあって
またそれ以外のコミュニケーションそのものもあって
それが出会う、と言っておられるのでしょう?
しかしそもそも そのものとは
区別がないそれそのもので
それ、そしてそれ以外のもの、というものがない。
コミュニケーションそのものとは
そのものなので
何かを起こすこともありません。
何を起こすというのでしょうか。
何に出会うというのでしょうか。
よって出会うことがそもそもない。
まっさんさんの表現しているコミュニケーションそのものとは
対象のある(自我のある)コミュニケーション、
それを表現しています。


別にあなたのことを言っているわけではありません。因と縁で成り立つ世界のことを言っています。だから対象のあるコミュニケーションと言われればそうだし、あなたには影響しない話です。
でも現象としては書けますよね。あなたという現象が存在する限り。


>ちなみにこの質問。
>コミュニケーションそのものとコミュニケーションそのものが出会って
>何か新しいものが生まれる(例えです)ことはないとおっしゃっていますか?
聞きたいことをはっきりさせてください。

色々と決めつけでなく相手のことがわかるというあなたでもこういうことはわからないのですね。
それでもコミュニケーションそのもの、なんですね。コミュニケーションの中身を知らない、コミュニケーションそのものということですね。
  • 2015-03-01│16:14 |
  • まっさん URL│
  • [edit]
No title
こんにちは。


>経典は知らない、でも教えの内容は知っている、というのは面白い話ですよね。

教えの内容は知っている、って言いましたっけ?


>なぜお釈迦様についてほとんど知らずに「対象が消滅しているのは同じ」と言えるのでしょうか。

え?
お釈迦さまは対象が消滅している状態じゃないんですか?
悟ってらっしゃるんですよね?

ちなみにスッタニパータとか悪魔との対話とか読みました。
読んでいて「なるほど」と思いました。

しかし、引用できるほど詳しく覚えていないから
引用できないだけです。

私が書いた釈迦の教えは特に
対象を消滅した状態を書いていたので覚えていました。
それでもインターネットから検索しました。

しかし、まっさんさんの質問って間接的でわかりにくい。

初めからそう質問すれば
きちんと答えられるのに。


>まさか「マーガンディアへの説法」だけを見てそう言っているわけではないですよね。

ええ、そうです。


>質問=疑問というのでしたら、質問は一切できないはずですね。あなたも。

(笑)

まっさんさんには私の書いていることが
わからないようです。

まぁ、しかたないよね。


>別にあなたのことを言っているわけではありません。因と縁で成り立つ世界のことを言っています。

因と縁にこだわるんですね。

ちなみに悟ったらそこから解放されます。


>色々と決めつけでなく相手のことがわかるというあなたでも

そう言いましたっけ?

>こういうことはわからないのですね。

質問が悪かったら答えようがない。


>それでもコミュニケーションそのもの、なんですね。
>コミュニケーションの中身を知らない、コミュニケーションそのものということですね。

私の言っている言葉を勝手に解釈して
わかっているつもりになって
それを決めつけて私に質問してますよね。

コミュニケーションの中身を知らない、コミュニケーションそのもの
って言いましたっけ?

勝手に想像して勝手に解釈してるよね。

まぁ、仕方ないですね。
  • 2015-03-01│16:31 |
  • ラピ。 URL│
  • [edit]
No title
こんばんは。

>教えの内容は知っている、って言いましたっけ?

直接そうはおっしゃってませんね。
ただ、お釈迦様の状態と同じ、というにはお釈迦様か、少なくともお釈迦様の教えを知らないと言えないのではありませんか。


>え?
お釈迦さまは対象が消滅している状態じゃないんですか?
悟ってらっしゃるんですよね?

お釈迦様は、対象が消滅している状態が悟りだとはおっしゃっていません。
おっしゃっていないことを私が敢えて言う必要もありません。


>私が書いた釈迦の教えは特に
対象を消滅した状態を書いていたので覚えていました。

そう味わうのは自由ですが、その例には前後の文脈があり、論理的に読むと、「対象が消滅した状態をあらわしている」とは読めません。そもそも煩悩がある人向けの教えですから。


>因と縁にこだわるんですね。
ちなみに悟ったらそこから解放されます。

解放されたなら、このブログが続くこともないんじゃないですか?
本当に解放されたのですか?
こだわっていると言われた理由はなんですか?


>私の言っている言葉を勝手に解釈して
わかっているつもりになって
それを決めつけて私に質問してますよね。
コミュニケーションの中身を知らない、コミュニケーションそのもの
って言いましたっけ?
勝手に想像して勝手に解釈してるよね。
まぁ、仕方ないですね。


それでは、コミュニケーションそのもの、のコミュニケーションとはなんですか。
解釈はしませんのでおっしゃってください。
  • 2015-03-02│22:45 |
  • まっさん URL│
  • [edit]
No title
まっさんの仰る、
>お釈迦様は、対象が消滅している状態が悟りだとは>おっしゃっていません。
は、その通りだと思いますよ。
そんなこと言うはずが無いです(釈迦が本当に悟っているのならですが、笑)。
(実は私も経典は殆ど読んでないので、釈迦の言葉や、釈迦が本当に悟っていたのかどうかさえも知りません、笑)

すんません、通りがかりでちょっと目についたので。
  • 2015-03-02│23:50 |
  • 読者でありファンであり URL│
  • [edit]
No title
こんばんは。


>直接そうはおっしゃってませんね。
>ただ、お釈迦様の状態と同じ、というにはお釈迦様か、
>少なくともお釈迦様の教えを知らないと言えないのではありませんか。

それが 勝手に解釈している、と言うんです。


>お釈迦様は、対象が消滅している状態が悟りだとはおっしゃっていません。
>おっしゃっていないことを私が敢えて言う必要もありません。

悟っている人は対象が消滅していますよね。


>そう味わうのは自由ですが、

味わっていませんよ。
何を味わうの?

>その例には前後の文脈があり、
>論理的に読むと、「対象が消滅した状態をあらわしている」とは読めません。
>そもそも煩悩がある人向けの教えですから。

悟りって論理的にわかるものではないんですけども。
その論理的、っていうのも本当に論理的?

「対象が消滅した状態をあらわしている」というのは
煩悩がある人にとっては説いているが
釈迦はそのようなことはない、という表現についてです。

>「マーガンディヤよ。『わたくしはこのことを説く』、ということがわたくしにはない。

対象のある人は「釈迦は説く」という。
『わたくしはこのことを説く』は対象のある人(質問者)の視点であり
ということがわたくしにはない、は釈迦です。

そして説くことなく説くこと
説いてないけど説ける、ということです。
行為なき行為です。

対象が消滅した人はそのように言えます。

対象のある人とない人の違いで
不思議な表現になっています。

悟っている人には対象が無いが
煩悩のある人は対象があるので
不思議な表現になります。

その通りだなって思いました。


>解放されたなら、このブログが続くこともないんじゃないですか?

ええ、やめてもいいですよ。
問題ありません。
私に理由はないですから。

しかし、この情報を必要な人がいるかもしれない。

まだ悟っていない人で対象がある方にとっては
意味あるブログであったらどうしますか。
(ないかしらん(笑)それならそれはそれでいい(笑)

私にとってはどうでもいい。

でもそれが必要な人が一人でもいたらどうでしょうか。
いないかもですが。

私はかつて師のおかげで至れたのです。
師がいなかったら無理でした。

かつての私のような人がいたら、、と思い
書いています。

私にはもちろん続ける理由はない。
当たり前です。


>本当に解放されたのですか?

疑っているのですね。
そうですよ。


>こだわっていると言われた理由はなんですか?

そもそも私の言っているコミュニケーションそのものというのは
私の状態でのコミュニケーションそのもので
しかし、まっさんさんが言っている
コミュニケーションそのものとは違いますよね。
(因と縁で成り立つ世界のことでしょ?)

コミュニケーションそのものについて聞かれたので
(「コミュニケーションそのものとコミュニケーションそのものが出会って
何か新しいものが生まれる(例えです)ことはないとおっしゃっていますか?」という質問)
私は私のコミュニケーションそのものについて書いたのですが
まっさんさんは
「別にあなたのことを言っているわけではありません。因と縁で成り立つ世界のことを言っています。」と言う。

因と縁で成り立つ世界のことであれば
私はコミュニケーションそのものとは言わず
コミュニケーション(=対象のあるコミュニケーション)と言いますね。

その因と縁で成り立つ世界の
コミュニケーションそのものでない
コミュニケーションなら
出会ったリ、何かが発生するでしょうね。

まっさんさんは悟っている人の
コミュニケーションそのものについて聞いたのではなかったのですか。

まっさんさんの今いる因と縁で成り立つ世界の
コミュニケーションについて聞いたのですか?

因と縁で成り立つ世界のことを聞いているとは思いませんでした。
初めからそう質問してください。

だってまっさんさん、「コミュニケーションそのもの」って書いてるし
紛らわしい。

そしてその因や縁で成り立つ世界のことを
私に聞いてどうするんですか?

因や縁って言葉がよくまっさんさんから出てくるよね。



>それでは、コミュニケーションそのもの、のコミュニケーションとはなんですか。
解釈はしませんのでおっしゃってください。

(なんだか、また変な質問)

コミュニケーションそのものはそのものでしょう。

どうしてコミュニケーションそのものから
コミュニケーションとそのものを外すのでしょう。(笑)

コミュニケーションそのもの、って言っているのに。
何が知りたいのかな。
そしてそれを知ってどうするのだろう。

まぁ、例えて言えばコミュニケーションは動詞です。
コミュニケーションそのものは動詞ではありません。
  • 2015-03-03│00:24 |
  • ラピ。 URL│
  • [edit]
No title
ちなみにまっさんさん

このブログの存在に
理由が必要でしょうか。

因と縁が必要なんですか?
  • 2015-03-03│06:46 |
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ラピ。

Author:ラピ。



ラピ。至る。
@(*・ω・*)ポッ

2013.5.13以降の記事が
至った後の記事となります。

それ以前の記事は
整頓して非公開にしました。

2006年12月から始めた
このブログ

かなりの記事があって
整頓するのが大変でした(笑)
皆さま今までも
どうもありがとうございました


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