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私が歩いた「自分を捨てて」 その2


「自分を捨てて」


私の初めの実践は
「自分を捨て喜んでなんでもしよう」
というものでしたので
捨てる自分があり
自分がない、というものではありません。

自分を捨てて実践をする

ということです。

実践をする自分がいます。

※自分を捨てて=
自分の思いを捨ててとも書けます。



自分を捨ててを真剣に実践していたら
ある意味残る「思い」がありません。

しかし「思い」は捨てても
実践する「私」はまだ存在していました。

だからこのおかげで第2の扉が開くこととなります。

エゴのおかげ。

(この「私」がエゴであり、今はありません。
ブログで私という言葉は便宜上使っているだけです。
そうでないとわかりにくい文章になるからです。
これに関してはコメント欄で論議がありました。(笑)



この頃はまだ私は相対的でありましたので

自分を捨てる=相手すらもない

というものでありました。(結果的にですが)
 

「自分」というものは
「相手」があって存在できるものであり
自分の思いを捨てたのなら
結果的に相手の思いも残りません。


うまく書けませんが
この実践は
結果的に何も生み出しません。

=結果を超えた結果を生み出したんですけどね。

ちなみに、、。


途中でやめるともちろん
そこまで(結果を超えた結果)は到達できません。

そして途中の段階ではもちろん思いは残りません。
なぜなら捨て続ける実践だから。

残っていれば、実践はできていないことになる。

そしてもし残っている、と思った瞬間
すぐに捨てる。

ひたすら捨て続けます。

残っている!と思う時間もないくらい
ただひたすら捨て続ける。

よって私の場合、
残った、とか残らないとか実践中
そんな思い、発生したことがない。
(その前に捨てる!笑)



(もちろん、まだエゴは残っていました。
エゴは捨てようとしても捨てることはできない。

エゴにより発生する思いを捨て続けた、
というのが私の実践であるとも言える。

実は「捨てる」という行為自体が
エゴの行為なんです。

エゴの存在している状態では
エゴの存在に気づくことはできません。
絶対、気づくことはできません。
絶対、です。

なぜなら「気づいた」と思う瞬間、
その気づくこともエゴだからです。

残念ながら普通は
日常でエゴに気づくことはできない。
気づいた途端、それはエゴではない。

エゴは気づいてはいけない。
それはエゴではない。

実践で言えば
エゴに気づく暇なく
実践すること。

エゴが消滅すれば、気づくことなく
エゴがわかってしまいます。
わかることなくわかります。)


そして、「残らない」と思う自分すらも捨てていたので
残らない、という判断すらもありませんでした。

なんとなくわかっていただけるかな?
(;^ω^)


そうであればかつての私は一体
何をしてきたのでしょうか。


、、、ある意味、よくわかりませんねぇ(笑)


しかし、きっかけとなる志はありました。


私は完璧にいい人間になりたかった。
嫌な思いを発する自分はいりませんでした。(笑)

いい思いしか いらなかった。


それを目標にがんばりました。


そんなのあり得ない?


そう思う時点で実践終了です。


いつでもそうなんです。

天国を真剣に目指したものが天国に入ることができるのだ。

天国なんてあり得ないと思う人に
天国はあり得ない、その通りです。

(※天国というのは例えです)


真剣に目指したものは
必ず得ることなく得てしまうのです。

いや、得ることすら必要のない、
それでいて得てしまっている
しかし得ていない境地になるんです。


みなさん自分の目標や理想を持っていますか?


それが人生の指針となり
モチベーションとなり
それが真剣であればあるほど
結果をもたらします。


真剣であることがバカらしいというのなら
それもありです。

しかし、私からしたら
それは
かなりのチャンスを逃しているように見えますね。

ええ、でもそれは自由ですよね(笑)

※ちなみに志は善なるものにしてください。
そうでなければカルマを生み出してしまい
かなりの遠回りになります。



私は後悔したくなかったし
もうこの生を最後と決めていたので
真剣に挑戦しました。

今、この瞬間が最後のチャンスで
やり直しはきかない、と。

あの時やっていればよかった!!!!

なんて決して言いたくありませんでした。


めっちゃエゴが強かったんよね(笑)


ちなみに「自分を捨てて」の実践のおかげで
日常の願望はほとんど起こりませんでした。

起こったとしても
それが行動のきっかけとなるだけであって
実践中はその願望も捨てていたので
願望を持ち続ける、ということは
あり得ませんでした。

しかし、さらなる願望はありましたよね。

「完璧な人になる」ですね。

しかし、この願望も
実践のきっかけとはなったけど
それすらももちろん捨てて実践。

ええ、ひたすら「今」「今」で
捨て続けていくのです。


私はこの実践中
どの願望にも縛られることなく
よってそれが叶わない悲しみもなく
ある意味幸せでしたね。


その頃を振り返ったら
そういう願望のとりこになることを避けることができていたので
自分を捨てての実践には
そういう恩恵があったのでした。

得られない苦しみは
ありませんでした。

得ようとするより
捨て続けていたからです。



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