[Edit]

変わった?

今までのラピ。と今のラピ。


、、変わったと思われる方
多いでしょうか、、、、。

表現する内容も変わってきているので
変わっているように見えるかもしれません。

確かに私は変わりました。
(正確には変わる私すらも消滅しました)


例えて言えば確かに変わったのですが
実は変わっていません。(笑)

ブログに元々表現していないラピ。もいました。

表現していないラピ。というより
このブログがラピ。のすべてではない
と言った方がぴったりかもしれません。

言葉で表現できない
ラピ。がもともといました。

あまりに当たり前すぎて
言葉にできないのです。

だからこのブログの言葉が
ラピ。のすべてを表しているわけではなかったし
これからもそうです。

だからこのブログの言葉はできれば
「へぇ、そうなんだぁ」
くらいで受け止めてもらいたいです。

そして使えるところは利用する。

しかし、私の言葉に対して
いろんな思いが浮かぶかもしれません。
いろんな反応があるかもしれません。


気を付けていただきたいのは
私の言葉に対する自分の反応です。

その反応に自分を知る秘密があるので
私の言葉を利用しつつ
しっかり、自分を知ってください。


私の言葉とは単なる言葉で
それに意味付けをするのは
それをそう受け取った人であり
その人の個性となります。

よってラピ。の言葉に対する
自分の反応がポイントです。



ちなみに、わかってしまったので
違うことにははっきり違うと言ってしまいます。



そんな私ですが
よろしくね!



@(*・ω・*)ポッ


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Comment

おかえりなさい♪
ラピ。さん、こんばんわ
お久しぶりです。

このままこのブログは凍結されてしまうのかなと、ヒヤヒヤしてました。
ブログを再開されたこと、凄くうれしいです (⌒o⌒)


今頃?と言われそうですが、日曜日に初めてバシャールの本を購入しました。
購入したのがビッグサイトのイベント会場だったので、販売の担当者の方と
少し話をしたのですが、そのときにバシャールに興味を持ったきっかけは
「お気に入りのブログで紹介されていたから」という話をしてました。

それで今日、なんとなく気になって、久しぶりにお邪魔してみたら・・・
アタリでした(>ω<)ノ

また色々と教えてくださいね m(__)m
  • 2015-08-12│02:58 |
  • Goodwill URL│
  • [edit]
No title
Goodwillさん

おはよございます!
お久しぶりです。
いかがお過ごしですか。

バシャール、私はまともに読んだことがないですが
(インターネットでちらっと読んだことあるか
ないかくらいです)
よく聞く名前ですね。

私の好きだった本は
マスターの教えでした。

最終的にはそれすらも手放しますが
そして今の私にはもう必要はないですが
人として生きるのには
大変ヒントになる本だと思います。

これからブログが
どうなっていくかはわからないけど
どうぞよろしくお願いいたします。

@(*・ω・*)ポッ
  • 2015-08-12│07:47 |
  • ラピ。 URL│
  • [edit]
こんばんは^_^
ラピ。さん、こんばんは~。
今日、久しぶりに、ラピ。さんのblogを訪れたら、また再開されてて、嬉しかったです。
といっても、私は、この間のコメントの辺りにラピ。さんを知ったので、以前のラピ。さんは、全然知らないのですよね。
コメントで絡んだのもTKさんですし。
ラピ。さんは、超厳しい人なのかなあ?と感じますけど、コメントの返しとか親切に色々と書いてくださるので、親切な人なのかしら?とか思ったりです。
私は、ゼロ意識共鳴とかが気に入ってたりするので、ラピ。さんとは趣向が合わないのかなあとか思うのですが、自分の人生に何らかの参考になればと思って拝見していく予定です。
ではー(^-^)/
  • 2015-08-13│00:16 |
  • たま URL│
  • [edit]
No title
たまさん

おはよございます!
コメントどもありがとです。

以前のブログのラピ。は
ある意味ポジティブ全開でした(笑)
それは実践として
言い方を変えれば実験として
徹底してやってました。

そしてそれを卒業いたしました。


>ラピ。さんは、超厳しい人なのかなあ?と感じますけど、
>コメントの返しとか親切に色々と書いてくださるので、
>親切な人なのかしら?とか思ったりです。

なかなか鋭いですね!
実はどっちでもないのですが、
表現はいろいろあります。

私のやってきた実践を書いたり(まだほんの一部です)
悟りもどき(?)のコメントをくださる方には
私の書き込みは厳しい内容となるかもです。

なぜなら私自身が厳しい道を歩いて今に至ったからです。
正直、悟りの道を歩いているつもりの人でも
私からしたら甘すぎる人がほとんどです。
(きちんとできている人もいるかもですが)

そんなんじゃ、無理です。断言します。


しかし、この世界を幸せに生きていきたい
と思っている人には
幸せになれる力に少しでもなれたらな
と思っています。

悟りは人間卒業の道なので
たいへん厳しい道となる。

この世界で人として幸せに生きていくことを全うするのなら
その瞬間を幸せに生きていくことが
幸せの積み重ねとなる。


>ゼロ意識共鳴とかが気に入ってたりするので、
>ラピ。さんとは趣向が合わないのかなあとか思うのですが

そもそもゼロ意識共鳴を知りません。
たまさんにとってはそれは趣向なのかな。

たまさんはこの世界を幸せに生きたい方向性でしょうか?

もし、悟りの道を歩くのであれば(そうではないかな?)
「趣向」という捉え方では無理です。


>自分の人生に何らかの参考になればと思って拝見していく予定です。

はい、使えるものはどうぞ使ってくださいね。

そもそも人間卒業は
まず、人としてしっかり生きていくことを全うすることから始まります。
それができてからはじめて
悟りの道が開かれます。

どうぞ、悔いのないよう
今を大切にがんばってね。

応援しています!@(*・ω・*)ポッ

  • 2015-08-13│06:32 |
  • ラピ。 URL│
  • [edit]
ラピ。さん、おはようございます。
お返事ありがとうございます。

>そもそもゼロ意識共鳴を知りません。

そうなんですか。無空庵のHPにラピ。さんのblogが紹介されていて、無空さんと交流があったようなのでご存じだとばかり思っていました。

>たまさんにとってはそれは趣向なのかな。

はい、好み(理想)の方法っていう意味です。

>たまさんはこの世界を幸せに生きたい方向性でしょうか?

そうですね、幸せになるための方法が世の中に色々とあるなかで、ゼロ意識共鳴がいいなあと思っています。

>もし、悟りの道を歩くのであれば(そうではないかな?)
>「趣向」という捉え方では無理です。

え、どうしてですか?

>どうぞ、悔いのないよう
>今を大切にがんばってね。

>応援しています!@(*・ω・*)ポッ

はい。ありがとうございます(^-^)/
  • 2015-08-13│06:53 |
  • たま URL│
  • [edit]
No title
>>もし、悟りの道を歩くのであれば(そうではないかな?)
>>「趣向」という捉え方では無理です。

>え、どうしてですか?


悟りの道であるのなら
それを絶対的実践として
徹底して実践しなければならない、
どの瞬間もやっていく、
実践しない時間は全くない、
これくらいの決心が必要ですよ。


>はい、好み(理想)の方法っていう意味です。

悟りの道であれば
好き嫌いを超えて
徹底的に実践することが大切です。

そして嫌だと思うことこそ、
徹底的にやっていかなければなりません。
(抽象的な表現になりますが)

しかし、ゼロ意識共鳴が
正しい方法かどうかが
わかりませんので(知らないので)
ゼロ意識共鳴を徹底してすることを
おすすめしているわけではありません。

初めになにを徹底して実践するかを決めることは
とても大切です。


>幸せになるための方法が世の中に色々とあるなかで、
>ゼロ意識共鳴がいいなあと思っています。

悟りではなく
幸せに生きていく方法であるのなら
いろいろあると思います。
どうぞいっぱい幸せになってね!
  • 2015-08-13│07:03 |
  • ラピ。 URL│
  • [edit]
バシャールではなくて
>私の好きだった本は
>マスターの教えでした。
そうでしたか、失礼しました (^^>
「わくわく」というキーワードからバシャールだと思い込んでました。

勘違いからのスタートですが、これはこれで自分にとっては良いご縁の
ように思っています。
「セレンディピティ」という概念がありまして、これを知ってから身の
回りで起こる出来事に対する見方が変わりました。
他の方からすると「回り道、みちくさ」となるルートを歩むことが割と
多く、しばらく時間がたってみると、自分に適した道だったみたい・・・
ということがよくあります(検証が難しいので100%とは言い切れないです)。

ラピ。さんが以前おっしゃっていたように、悟りの道とスピ系の道は
ベクトルが異なるものと認識していますが、興味を惹かれるアドバイスを
貰えたりするので、十分に注意しつつ、しばらくの間スピ系の世界を体験
してみようかと考えてます。
  • 2015-08-14│00:21 |
  • Goodwill URL│
  • [edit]
No title
Goodwillさん

※私の言葉は単なる情報として
お使いくださいね。

>「わくわく」というキーワードからバシャールだと思い込んでました。

「わくわく」はTK師がよく言われていました。
そして私もその言葉を使わせていただいていました。


>勘違いからのスタートですが、これはこれで自分にとっては
>良いご縁のように思っています。

よかったです。


>「セレンディピティ」という概念がありまして、これを知ってから身の
>回りで起こる出来事に対する見方が変わりました。


そうなのですね。


>他の方からすると「回り道、みちくさ」となるルートを歩むことが割と多く、
>しばらく時間がたってみると、自分に適した道だったみたい・・・
>ということがよくあります(検証が難しいので100%とは言い切れないです)。


無駄なことはないです。


>ラピ。さんが以前おっしゃっていたように、悟りの道とスピ系の道は
ベクトルが異なるものと認識していますが、
>興味を惹かれるアドバイスを貰えたりするので、
>十分に注意しつつ、しばらくの間スピ系の世界を体験 してみようかと考えてます。


私は両方経験しているのでわかるのですが。

スピ系は幸せを求める道
悟りの道は苦の道です。

さらに本物の悟りの道であれば
苦を苦とも思わず、思う暇なく精進しなければなりません。


また、他の言葉で言えば
スピ系は
人生楽しもう!人生はゲームだ!という感じでしょうか。

悟りは人生十分味わった、もういい。
そもそも人生って何なんだ?
と言うところから始まるという感じですかね。

よって本当に悟りの道を歩く人は
十分人生の苦も楽も経験し、
この世界の幸せに未練がなくなった人です。

この世界の出来事に一喜一憂することは
人としては当然だと思われていますし
そうだと思いますが
もし、悟りの道を歩くのであれば
そうであってはいけません。

悟りの道は「修行」です。

スピ系であっても
自分の限界に挑むものであれば
悟りの道に近いものはあるかもですが
それでもスピ系の根底にある教えがそれを邪魔し
残念ながらお遊び程度のものとなってしまうことが多いと思います。

その一つが「自己正当化」かな。
(もちろん、悟りではなく
スピ系であればありでしょう)

抽象的な言い方をすればスピ系は広がり薄まる。
悟りの道は集中し、徹底的なものとなる。

スピ系で悟りたいのであれば
(そもそも悟りたい、ではダメなのですが)
スピ系を修行としてやっていかなければならないので
そもそもスピ系と修行のベクトルは反対ですね。


悟りの道を歩く時は
この世界を十分に経験し
この世界に未練がない状態ですので
スピ系十分やって
この世界を味わってほしいと思います。

もちろん、この世界は幸せなことがいっぱいです。
どうぞ、幸せになってください。

しかし、その幸せに飽きたとき
飽きるくらいの幸せを経験したとき
何が自分に起こるでしょうか。


ちなみにスピ系やっている時
善なる行動をお願いいたします。

人として生きている経験は
悟りの道に影響します。

例えば善とは反対の方向を積み重ねていた時
それは悟りの道で大きな悪魔となって襲い掛かり
大変な思いをします。


詳しく言えば
私たちは人として生きている間
決して一人ではありません。

そして悟りの道を歩いている時も
自分の周りの環境は影響しますし
周りの人も関係します。

私の経験で言えば
私の悟りの道を邪魔するこの世界のものや
邪魔する自分は
ありがたいことにほぼありませんでした。

かつての捨て続けた実践がよかったと思います。
(徹底しておりました)
世界も自分も捨て続けたのですから
それらが私に影響を及ぼしようがありません。

だから純粋に最後の自我と向き合えたし、
限界に挑戦できました。

出家しなくても(出家は逆効果だと思っています、今の時代では)
仕事をしていても
悟りの道への環境や姿勢が自然に整っており
何も邪魔されることなく
純粋に苦へ飛び込むことができました。

人として生きている時に
しっかり善なる道を歩いていれば
悟りの道はもちろん大変なものでありますが
遠回りが少なくなります。

例えて言えば戦うものが少なくなる。

悟りの道では
それまで自分がしてきたことが
ダイレクトに帰ってきて
善でないことの経験からかなりのダメージを受けますので
善でないことが少ないほどよい。

悟りの道は自我消滅ですので
自我に大きな衝撃(今までにない衝撃)があることは当然なのですが
それプラス、人として生きていた時の
ダメージが加わります。

だから今すぐ、善なる道の積み重ねをおすすめします。

嘘をつかず、清らかに
どうぞ、スピ系がんばってね。

、、、ちなみにスピ系って
私からしたら願望を叶えるノウハウのような気もします。

全く悟りの道とは逆方向です。

スピ系で願望をどんどん叶えていってください。

まずはやってみないとわからないことが多いです。

そしてそれは決して遠回りではありません。

Goodwillさん、どうぞお幸せに!
  • 2015-08-14│09:38 |
  • ラピ。 URL│
  • [edit]
スピ系
スピ系の問題点は、エゴを殺すプロセスだけで、それ
にはエゴを正しい方向にエゴを増強するプロセスが必
要なのにそれを全く捉えてない点です。

よって、成就する者は現れず、酔っ払いが多数出現す
るだけです。

釈迦は、出家実践者にはエゴを殺す激流法、在家には
簡単な教え生天論を説きました。

スピ系は在家実践者に出家の激流を説いているような
バカな教えです。

これでは、在家に聖天論を説いた釈迦がバカみたいな
ものですよ、そう思いませんか。

現代人の思い上がりそのものですので、そのようなや
からの中から悟った者が出たらおめでとうと言いたい
ですね。

まともに実践できません、酔っ払いになります。

スピ系の者たちの中で自らの誤認による自称覚者は掃
いて捨てるほど見ましたが、悟った本物など一人も見
ない理由がこれです。

ワクワクの良い点は、ずばり教えのレベルが釈迦の聖
天論なみに低い部分です。

私も低い内容の実践からスタートを切り、そして、成
就しました。

実践の成功者は語ると言う所です。

つまり、実践を成功してない人は、気持ち悪い知った
かぶりの反論は止めて下さい、常識に照らしても馬鹿
げてますが、沢山いました。

例えば、ありがとうおじさんとか言う人が以前いまし
たが、これ、言っておきますが本来激流の実践法です
ので、在家でやっても我々の眼鏡にかなう100%実践
が出来る者などいませんし、激流の実践法では寸分の
違いも赦されませんから酔っ払いしか産みません。

プラセボ効果で、何か為になる事をやっているのだと
思い込む事によって、良い気分になれる効果はあると
思います。

しかし、これは間違いなくプラセボ効果によるもので
すが、それでも神社のお守り同様に価値はあるので
しょう。

不快な事にありがとうは、本来エゴ殺しの方法ですか
ら、理想のために自分の外と戦って正しい方向にエゴ
を増強させるプロセスとは異なるものです。

まさに現代は玉石混交です。

物を盗まれて、盗んだ人は悪い人で、盗まない人は良
い人ですが、再発防止で盗んだ人を懲らしめて、自分
では盗まれないような対策をこうじる、これ世間的な
振る舞い方ですが、釈迦の激流実践は出世間法と言わ
れています、盗んだ人にありがとうと感謝をする、こ
の世界には善人しかいないのだと思い込む、これが本
当の実践ですから、この類の事を在家のままでやれる
のですか、やりましたがね、このように普通並みの精
神の人では敢行不可能な事が沢山ありますので、この
類の様々な実践が可能となるための特殊なメンタルの
素地を作っておかなければ不可能です。

中途半端な実践では何も得られません。

ちなみに、ありがとうおじさんは、悟っている人では
ありません。

私はその手段で至った人なのですが。

悟っている人は、ありがとうはノーマインドに至るた
めのプロセスであり最終段階で消えますと説く事が出
来、神も仏もありません。
  • 2015-08-14│12:29 |
  • TK URL│
  • [edit]
No title
TK師

ありがとございます!
  • 2015-08-14│15:01 |
  • ラピ。 URL│
  • [edit]
自己正当化
ラピ。さん、おはようございます

>それでもスピ系の根底にある教えがそれを邪魔し
>残念ながらお遊び程度のものとなってしまうことが多いと思います。

>その一つが「自己正当化」かな。
スピ系が「幸せを求める道」「願望を叶えるノウハウ」であるなら
良い教えと思うのですが、そこに「自己正当化」が入るとトンでもない
方向に向かってしまうように感じます。

まだきちんと把握できていないのですが、エゴを消滅させるためには
まずはエゴを正しい方向(善の積み重ね)で増強しなければならない
のかなと思い始めています。

ただしエゴを育てるときに「自己正当化」が強すぎると、
「モンスター」になってしまうので、この辺のコントロールが肝なのでは
ないでしょうか。

余談ですが、自分の母はモンスターそのものです。
およそどのような場合でも、一筋縄では自らの非を認めることがない人です。
そして、その母に育てられた自分は、エゴが正常に育っていないようだと
いうことが最近になってわかりました。

光を使ったエネルギーワーク(自分はスピ系に分類してます)を行う
カウンセラーの先生と対話を重ねていくなかで、自分の心の中にある直視
したくない部分に気がつき、それを認めるようになりました。

カウンセラーの先生から「もっと自分をだして」というアドバイスを
いただいていて、自己正当化モンスターに抑圧された心は、少しづつ
ですが開放されてきています。

機能不全家庭で育ったACにとって、お釈迦様の教えはある意味
馴染み易いものでありましたが、自分の心に気がつくというのは
難しいものですね。

壊れた心のままでいることについて、「自我を増大させない」という
理屈をつけて正当化していたようです。

今の自分にとって必要なステップが提示されているように感じていますので、
一つ一つこなしていこうと思ってます。
  • 2015-08-15│08:17 |
  • Goodwill URL│
  • [edit]
スピ系の問題点
TK師、はじめまして。Goodwillと申します。

スピ系の問題点についての解説、ありがとうございました。

今から6年ほど前、人生に行き詰ったときに「釈迦の教え」を阿含経を
紐解きながら解説しているブログに出会いました。
そこからラピ。さんのブログを知り、またTK師の書き込みも拝見して
いたのですが、内容を咀嚼するのにいっぱいで、掲示板で発言するまで
には至りませんでした。

阿含経に自分なりに取り組んおりますが、読み取れていないところ、
あるいは曲解しているところなど、TK師の書き込みについて
考えているときに気がつくということが、何度もありました。

ラピ。さんのブログでお願いするのは失礼ではありますが、
お時間のあるときに、いろいろとご教示いただけましたら幸いです。
どうぞよろしくお願いいたします。


ラピ。さん、失礼しました m(__)m
  • 2015-08-15│09:05 |
  • Goodwill URL│
  • [edit]
No title
Goodwillさん

>スピ系が「幸せを求める道」「願望を叶えるノウハウ」であるなら
>良い教えと思うのですが、そこに「自己正当化」が入るとトンでもない
>方向に向かってしまうように感じます。


まず、幸せを求めることも
願望も叶えることも善なるものが前提です。

そして自己正当化についてはね、
その一例を解説いたしますと
例えば自分の決めたことを実践するときに
それをすることがちょっと嫌だなと思った場合、
スピ系の都合のいい教えが思い浮かんだりします。

「なんでもおっけー!
ということで嫌だからやめよう!」みたいな。

または実践を嫌だと思ったから
自分に正直にやめるとか。

これらが実は自分を決めた実践をやめることに対しての
自己正当化となり 実践をやめることも「よいこと」となってしまいます。

しかし、悟りの道ではそれはご法度です。

嫌であろうと実践することが大切となります。
(よって実践する内容は初めにきちんと吟味する必要があります)


>まだきちんと把握できていないのですが、エゴを消滅させるためには
>まずはエゴを正しい方向(善の積み重ね)で増強しなければならない
>のかなと思い始めています。

はい、その通りです。
その増強した善エゴが
最後の激流の時に最大の力となります。

ここでエゴが弱いと
激流に飲み込まれて流されてしまいます。

善エゴとは強い意志とも言い換えることができます。

強い意志が必要です。
決心したことは決してあきらめないという
強い意志が必要です。


>ただしエゴを育てるときに「自己正当化」が強すぎると、
>「モンスター」になってしまうので、この辺のコントロールが肝なのでは
>ないでしょうか。

モンスターとなる場合は
そもそも善エゴではないと思います。
善でないエゴによる正当化です。
(お母さんもある意味、昔被害者であった可能性があります)

自己正当化、自己肯定は必要なこともあります。

それは自分の善なる考えに背かないものであるべきです。

それが善エゴがかどうかは
人に話せる内容であるかどうか、というのがひとつの基準となります。
(それでだけではないですが)

悪玉エゴで正当化している場合、
しかし、大体の人はそれはよくない、という思いもどこか片隅にあって
よってオープンにできない環境であったり、
全員に対してでなく
一部の人に対してだけされている場合が多いのではないでしょうか。

善なる正当化であれば
オープンに誰にでも公平に行うことができます。
(しかし、時代によって正当化される内容は異なってきます。
今の時代の善なる判断であれば、まず大丈夫だとは思いますが)

(そしてつけたすと、善なる行動をしているとき、
それをしていることは
それをしている人たちに対しては公言しないほうがいい。
自分の中で決心し、誰にもその決心を言うことなく
ひたすら行動するのです。)


>余談ですが、自分の母はモンスターそのものです。
>およそどのような場合でも、一筋縄では自らの非を認めることがない人です。
>そして、その母に育てられた自分は、エゴが正常に育っていないようだと
>いうことが最近になってわかりました。

なるほどです。
そうですね。


>光を使ったエネルギーワーク(自分はスピ系に分類してます)を行う
>カウンセラーの先生と対話を重ねていくなかで、自分の心の中にある直視
>したくない部分に気がつき、それを認めるようになりました。

はい。

>カウンセラーの先生から「もっと自分をだして」というアドバイスを
>いただいていて、自己正当化モンスターに抑圧された心は、少しづつ
>ですが開放されてきています。

よかったです!


>機能不全家庭で育ったACにとって、お釈迦様の教えはある意味
>馴染み易いものでありましたが、自分の心に気がつくというのは
>難しいものですね。

しかし、すこしずつわかってきているのですね。

Goodwillさんのその環境から学んだ、または感じた
自分にとっての理想となる自分はどういったものでしょうか。

それを実現させていくという方向性であれば
善なる意志が成長していくかもしれません。
(もちろん他の方法もあります)

そして自分がされて嫌だったことは
誰にも決してしない、と決心することです。


>壊れた心のままでいることについて、「自我を増大させない」という
>理屈をつけて正当化していたようです。

なるほどです。

よってGoodwillさんのこれからの指針が大体
決まっていきそうですね。

自分がわかってきたことをぜひ活かしてください。


>今の自分にとって必要なステップが提示されているように感じていますので、
>一つ一つこなしていこうと思ってます。

はい。無駄なことは決してありません。

目の前のことを一つずつこなしていくことは素晴らしい道です。

Goodwillさんの歩調で歩いて行ってね。
大丈夫です、Goodwillさんならできます。

善なる道で自分を肯定して頑張ってください!


>ラピ。さんのブログでお願いするのは失礼ではありますが、

全く問題ありません。

>ラピ。さん、失礼しました m(__)m

どうぞ、Goodwillさんが幸せに生きるために
このブログの場をお使いください。

応援しています。

  • 2015-08-15│13:13 |
  • ラピ。 URL│
  • [edit]
No title
Goodwillさん

>阿含経に自分なりに取り組んおりますが、読み取れ
>ていないところ、あるいは曲解しているところな
>ど、TK師の書き込みについて考えているときに気が
>つくということが、何度もありました。

私も至った後、実験的にさまざまな方々と話をしてみ
ましたが、結論から行くと聖典だけでは実行する事は
不可能です。

今は末法の世である事をつくづく痛感しました。

末法の世とは - Weblio辞書
http://www.weblio.jp/content/%E6%9C%AB%E6%B3%95%E3%81%AE%E4%B8%96

科学の発展で教えだけは歴史的文献として残っていま
すが、それで至れる人がいない、つまり何を指すのか
と言うと教えだけでは駄目という事。

キリスト教であろうと仏教であろうとです。

なお、激流の実践法はメンタルの素地が無い状態で、
在家環境では無理ですが、釈迦当時と違い出家環境で
も無理です。

「命がけ」と言う言葉を軽々しくとらえる人がいます
が、100人居ればその中の何人かは死んでもらわなけ
ればならない、そのレベルのものだと思って下さい。

つまり、現代の環境で、いくら指導者がいて出家環境
を整えても、自殺も含めて一人でも死ねばピーピー
ギャーギャー世の中から叩かれる、そんな中で命がけ
の実践を教える指導者など居るはずが無いと言う意味
です。

死ぬのは自分の責任で自由だと思いますから、それで
も自分は命がけの実践がしたいのだと言う人はいると
思いますが、その責任を全て指導者が世の中から追わ
せられるのはまっぴらごめんです。

つまり、出家環境で指導者がいてそれを求めるのも現
代では無理です。

出家もどきをしている団体の信者のレベルの温い事温
い事、仲良しクラブの共同生活では、釈迦の教えの
「激流」と表現される所の「為すべきことは無し終え
た」の成就は出来ません。

アプローチとしては、エゴを正しい方向で煮詰めて、
もうそれしか進む道が無くなった人の状況で、自分で
一人で命がけで飛び込んでもらうより手がありませ
ん。

ただ、我々のような阿羅漢のレベルにならずとも、釈
迦の時代の生天論レベルの簡単な低い実践で充分に幸
せになれます。

クローズアップされているような経典の言葉は、エゴ
をそげ落す激流法ですので、取り入れると酔っ払いに
なりますので、その先には進めません、それを踏まえ
た上で読む事はお勧めしません。

スピ系もそうです、エゴを落す方法とエゴを正しい方
向に強める方法とごちゃ混ぜで、まともな人による教
相判釈が一切なされていませんので、スピ系と言うと
まず酔っ払いの人しか見たことがありません。

ごちゃ混ぜは地獄行きです。

>ただしエゴを育てるときに「自己正当化」が強すぎ
>ると、「モンスター」になってしまうので、この辺
>のコントロールが肝なのではないでしょうか。

エゴは結構器用なのですよ。

エゴの器用さを使いこなせてないだけです。

自己正当化が強いのが悪いと思うなら、自己正当化を
強くしないと言うエゴを持てばいいだけです。

理想は人それぞれですから、基準はみな自分の中にあ
ります。

そして、自己正当化の強そうな人には、それはうまく
ない事である事を教えて行けばいいのではないです
か。

それがあなたの理想の生き方と読み取れました。

正しい方向性にエゴを強めることの基準は、自分の中
にあるという事です。


>余談ですが、自分の母はモンスターそのもので
>す。
>およそどのような場合でも、一筋縄では自らの非を
>認めることがない人です。
>そして、その母に育てられた自分は、エゴが正常に
>育っていないようだということが最近になってわか
>りました。

今までの反動を自分の生き方の原動力とする、良いと
思います。

>カウンセラーの先生から「もっと自分をだして」と
>いうアドバイスをいただいていて、自己正当化モン
>スターに抑圧された心は、少しづつですが開放され
>てきています。

あなたの理想と矛盾してごちゃ混ぜにならないように
「自分を出して」のさじ加減に気をつけなければなり
ません。

人を頼るより、自分の中の正義を頼ってみてはいかが
でしょうか。

やれ経典だ、カウンセラーだと自分以外のものを頼っ
ていたらいつまでたっても、泥酔状態の酔っ払いで
す。

早くこの酩酊状態は卒業しましょうね。
  • 2015-08-15│14:52 |
  • TK URL│
  • [edit]
No title
Goodwillさん

自己正当化、自己主張と言い換えても良いが、そんな
に悪いものだろうか。

実際はあなたもそれをしたいはずだ。

やったらいいんじゃないのか、あなたなりの自己主張
を。

ちゃんとしたあなた理性で方向づけられた自己主張な
ら世の中のためになる。

自己主張の強さも世のために活かせる場もあるだろ
う。

あなたが持たなければならないのは、自己主張の抑制
では無く、自己主張の方向性だ。

つまり、持つべきものはあなたの理性で裏打ちされた
善、あるいは世の中のためと言う方向性だ。

この方向性に沿った形で、自己主張の強さはあなたの
強さとなる。

そして、あなたは人の言う事にも耳を傾けられる特性
も身に付けている事になる。

あなたはそのような、理想も持っているからだ。

このように、自分自身の中にどうやって生きればいい
のかの答えがある、そういうものだ。

あなたが持たなければならないのは、あなたの理性で
裏打ちされた方向性、善行、あるいは人のための生き
方だ。

それを武器にしてあなたは世の中に出るんだ。

スピ系かぶれは止める事だ、内側への逃避では何も得
るものは無い、あなたは外に向かわなければならない
のだから。
  • 2015-08-15│23:24 |
  • TK URL│
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No title
スピ系と言うものがなぜに、毛嫌いされる気持ち悪い
酔っ払いの山の別称のようになるかですが。

理由は簡単です。

スピリチュアルの名の通り、一丁前に内面を取り上げ
るからです。

これ、現実からの逃避癖のある人間たちの格好の飛び
つくエサですね。

外(現実)から逃げて内側に飛び込むのです。

外(現実)からの逃避で内側世界に逃げようとして
も、得るものはありません。

まず、外に踏み出すためには我の強さがいるにも関わ
らず、スピリチュアルでは主に我を殺す方法を説いて
います。

なぜかと言うと、相対の原理というものがあって、内
側(スピリチュアル)に取り組む事で我が殺される、
外側に取り組む事で我が強化されると言う原理がある
からです。

我がまっとうな方向で強くない人が内面(エゴ殺し)な
どやると中途半端な酔っ払いのまま死ぬまで妄想の世
界をさまよう亡者の世界になります。

これがスピ系と名乗る気持ち悪い人たちの正体です。

我は一端正しい方向で強化する、そして落す、この
順番は外す事はご法度です。

よって内面(エゴ落し)への関心、すなわち宗教とか
スピリチュアルとか、全うに生きるための障害とし
かなりませんからまずは遠ざかる事がベストです。

エゴに関しては相対の原理というものがあります。

まず、全うな人間の生き方をするためには我は正しい
方向に強めなければなりません。

それが、理想の実現です。

理想というものの正体は我なのです。

この理想の実現と言うものは、我を理性に基づいた方
向に強める事で実現できます。

意志の強さとは我の強さです。

理想的な進み方は、理想を追求するための障害が出て
くる度にその障害を意志(我)を強めて超えてゆく。

障害というものはまず、必ず出てきます。

その度に意志と言う名の我を強めて超えてゆく。

それと同時に障害に負けようとする、意志とは相反す
る我は駆逐されていく事になります。

つまり、理想を実現しようとする意志の強さは我を落
すための善玉エゴなのです。

障害に負けようとする、意志とは相反する我は悪玉エ
ゴ。

マインドとはこのよすに相反する二つのもので構成さ
れています。

このバランスを崩す事によって、マインドはノーマイ
ンドへと向かう事が可能となります。

理想の実現とは、その道程で出てくる障害との戦いに
こそ価値があるのです。

理想の実現の際に障害に負けたり勝ったりを混ぜこぜ
にしていたら、いつまでたっても苦悩の中。

理想の実現は道程で出てくる様々な障害に勝つことに
価値があるのです。

ノーマインドの実現が可能となるのです。

こういう説き方をスピ系はしません、これは我々が生
きている解脱者だからできるのです。

エゴからの解脱を釈迦当時の言葉では慧解脱と言いま
す。

生前解脱者ジーヴァンムクタ、すなわち阿羅漢です。

この翻訳も、私は見たことがありませんが世の中には
それほどに阿羅漢と言われる解脱者がいないのです
が、私は真っ当な解脱者ですからこのようなスピ系用
語の現代版の翻訳が可能なのですね。
  • 2015-08-16│08:42 |
  • TK URL│
  • [edit]
No title
>理想を実現しようとする意志の強さは我を落
すための善玉エゴなのです。

>障害に負けようとする、意志とは相反する我は悪玉エゴ。

> 理想の実現は道程で出てくる様々な障害に勝つことに
価値があるのです。


ありがとう御座います。
まさにその通りだと思います。

殺されても死なないという強靭なエゴが無ければ超えれません。

能書きばかりの酔っぱらいのコメントで一時閉鎖されて残念に思っておりましたが、実践する人に対しての思いから生まれた掲示板。

目からウロコです。

本当に有難うございます。

  • 2015-08-16│21:08 |
  • inri1225 URL│
  • [edit]
No title
inri1225 さん

コメントありがとございます。

>殺されても死なないという強靭なエゴが無ければ超えれません。


殺されても死なないと言っているエゴにも負けない
更なる強靭な善エゴ(意志)が必要です。



>殺されても死なないという強靭なエゴ

そもそもエゴは生きたがります。

それをねじ伏せて
さらなる強靭な意志(これも実はエゴ)により
エゴを徹底的に追い詰めることによって
エゴは存在できなくなり
そして最終的には両方消滅します。

エゴも意志も消滅。


邪魔するエゴがあってそれに負けず実践しようとする意志=エゴがあって。
そしてその意志するエゴを意図する自分がいて。

何層にも重なるエゴのからくりを
強い意志である善エゴを使って
突破します。

(だからこのからくりにより
普通にエゴがある方は
エゴの正体がわかっていません。
なぜなら、もし、「わかっている」と言ったとしても
それもエゴだからです。
純粋意識と思われているそれも実はエゴです。
エゴが消滅したら純粋意識と「思っている」ものさえも消滅するのです。

これはエゴでこれはエゴでない、と判断するとき
そもそもその判断がエゴであることをお忘れなく。)


だから善なる強靭なエゴ、
あきらめない力、
強い決心が必要です。

そしてあきらめない力も強い決心ももちろんエゴ(=意志)ですが。


ちなみにエゴをエゴで「消滅させよう」としても無理です。
書いていること矛盾していますかね。

しかし、そうなんです。

エゴを消滅させようとエゴを働かせる方向性では
エゴは消滅しません。

なぜなら「消滅させよう」と意図すること自体、
すでに「消滅させよう」という思考が働いてしまうからです。

この思考は妄想です。

例えて言えば消滅させようと思った瞬間、
消滅した状態を想像してしまっています。
それは想像であり、妄想。

妄想ではエゴを消滅できません。

よって何度も書いていますが
エゴを消滅させようとするのではなく
結果的に消滅してしまった、
消滅せざるを得ない状況である必要があります。
  • 2015-08-17│10:04 |
  • ラピ。 URL│
  • [edit]
No title
inri1225さん今日は

>能書きばかりの酔っぱらいのコメントで一時閉鎖さ
>れて残念に思っておりましたが、実践する人に対し
>ての思いから生まれた掲示板。

私が言うのもなんですが、自らの誤認による覚者は沢
山見ましたが、本当に目覚めたと言う人はまず見ませ
ん。

私が阿羅漢かどうかは、私以上の人でないと判定は出
来ませんので、つまり、多くの皆さんは山勘で私の言
葉を信じるより手がありませんので悪しからず。

阿湿貝経
> 上からは下は見えても、下からは上は見えない。

私も悟る前はメクラでしたから山勘で運よく当たりで
した。

ただし、ここで重要な事は、超えるためには必ず自分
の外から超えた水準の情報を仕入れなければならな
い、しかも、経典だけでは無理という事です。

私の場合は運よく、悟る前から阿羅漢に近いエゴを見
抜く眼やその他特性と物質では無い意識体からの働き
かけ等でクリアーできた訳ですが、一般の人は当然に
阿羅漢並みの眼は持ってない鈍感ですから、絶対に経
典だけでは無理です。

奇しくも末法の世には経典だけは残っているが、悟る
人はいないと言う予言通りです。

まず、釈迦は男性出家者には具足戒として227戒、女
性出家者には311戒とエゴをがんじがらめの状態にし
てますが、在家者には僅か5戒、3パーセント以内に
減らしているところがポイントです。

なぜ釈迦は在家者にももっと教えを説いて解脱へ導か
なかったのか、これは実践不可能な状況でこれらがん
じがらめの実践法を与えても中途半端な実践しかでき
ず、結果死ぬまで酔っ払いになって解脱どころか地獄
行きになってしまうので、実践法を僅か3パーセント
以内に減らしていると言うのが現状であると思いま
す。

私も実験的に悟ってから様々を見ましたが、これでは
みんな揃って酔っ払いがクダ巻いているような状態だ
と言うことが分かったので、釈迦の在家者に取った方
法は正しかったと思います。

酔っ払い地獄にはまらないためには、実践法はがんじ
がらめでは無く僅かな実践法に絞ることがポイントで
す。

仏教も大乗に進んで利他というものが説かれました
し、キリスト教も中核は隣人を愛しなさい、つまり、
利他と同じ事ですね。

本当の実践法はエゴをがんじがらめにし自由を与えな
いと言うもので命がけの実践法になりますが、これは
多くの人のエゴの状態では実践不可能であるばかり
か、その弊害でおかしな具合にエゴ落しを取り入れる
ので地獄の酔っ払いになってしまっています。

ですので、利他、すなわち他者の益するための理想を
実践する、これだけで充分です。

実践法を僅かなものに絞る事で、その分でエゴに自由
を与え、正しい方向にエゴを強めるわけです。

私も実証済みですが、それだけでも今の多くの人たち
のエゴの状態よりも幸せに生きられることになりま
す。

さらに今あるエゴの性質で切羽詰まった煮詰まりを迎
えた時には、その人は誰に指図されずとも一人でその
先に進むと思います。

これが現代では幸せになるための、もっとも良い進み
方だと思います。

よってスピ系も、経典も弊害として作用しているのが
現代です。

スピ系や経典にかぶれた酔っ払いではなく、そう言う
ものに頼らないスポーツ選手などがフローやゾーンと
呼ばれている悟りに近いメンタルを獲得できているの
はその理由によります。

彼らは理想を追求して、障害を乗り越えると言う真っ
当な方法でそのメンタルを獲得したのです。
  • 2015-08-17│13:15 |
  • TK URL│
  • [edit]
ご丁寧なアドバイスありがとうございます
TK師、ラピ。さん、コメントありがとうございます。

>あなたが持たなければならないのは、自己主張の抑制
>では無く、自己主張の方向性だ。
ほんの数回の書き込みから、自分が理想とする方向に
ついてと、現実の課題に対する問題点を的確に示して
くださいましたTK師、流石です。
こういうことは自分が一番解っていそうなことですが、
他人から指摘されないと認識できないタイプなので
本当に貴重なアドバイス、ありがとうございます。


>善なる道で自分を肯定して頑張ってください!
はい、これがこれから自分が全力で取り組まなければ
ならないことと気を引き締めます。

見ず知らずの自分のために、丁寧で適切なコメントを
くださる、このような機会をいただけることは、
そう無いことと思っております。
ラピ。さんがブログを再会されたこと、TK師が
お立ち寄りくださったこと、お二方が親身になって
コメントをくださることに感謝です m(__)m

今はまだわかりませんが、自分はモノスゴイ幸運に
恵まれたのかなと思ったりしています。
  • 2015-08-17│23:30 |
  • Goodwill URL│
  • [edit]
No title
お返事有難うございます。

ラピ。さん

>エゴを徹底的に追い詰めることによって
エゴは存在できなくなり
そして最終的には両方消滅します。
エゴも意志も消滅。

>邪魔するエゴがあってそれに負けず実践しようとする意志=エゴがあって。
そしてその意志するエゴを意図する自分がいて。

>何層にも重なるエゴのからくりを
強い意志である善エゴを使って
突破します。


なるほど。実に明快な説明ありがとうございます。
エゴの巧妙さに惑わされず、無心にひたすら精進を重ねるんですね。
考える間も隙もなく精進する事により
彼岸も此岸もがむしゃらに渡る私も消えて全ての対象自体が消えるわけですね。
休めとささやくエゴに、ささやく隙も与えないエゴとの戦いですね。
お釈迦さまが悟りを開く前の降魔が悪玉エゴ。
悟るまで一歩も動かないとブレずに誘惑に打ち勝つ善玉エゴ。

何だか素粒子の対消滅みたいで摩訶不思議です。

>善なる強靭なエゴ、
あきらめない力、
強い決心が必要です。

この獲得が本当の修行ですね。
後はどうこれを獲得するかの方法論ですね。



TK様 お返事有難うございます。

>超えるためには必ず自分
の外から超えた水準の情報を仕入れなければならない、しかも、経典だけでは無理という事です。

ラピ。さんからの見事なバトンの受け渡しでお答え頂いて有難うございます。

>私が阿羅漢かどうかは、私以上の人でないと判定は出
来ませんので、つまり、多くの皆さんは山勘で私の言
葉を信じるより手がありませんので悪しからず。

私も臭覚は強いので何と無くわかるつもりです。
ラピ。さんも同じく臭覚で見極めたのではないでしょうか。

>釈迦は男性出家者には具足戒として227戒、女
性出家者には311戒とエゴをがんじがらめの状態にしてますが、在家者には僅か5戒

これって凄いですね。
がんじがらめにしてエゴを爆発させて自我を破壊するわけですよね。圧力釜の穴までふさいで爆発させるようなものです。悪玉エゴに負けて捨て台詞を吐いていなくなる人が多数出たと思われます。踏みとどまった場合はここでの葛藤が激流になるわけですね。
生半可な態度では大やけどしますね。
精神崩壊した地獄の酔っ払い怖いです~。
ホラー映画ですね。

>実践法を僅かなものに絞る事で、その分でエゴに自由を与え、正しい方向にエゴを強めるわけです。

なるほど。
そして壁に当たる度に免疫を付けて少しづつ高い壁を越えて行ける様になるわけですね。

他利自利即一の実践を通して既存の知識に捕らわれず、そのメンタルな状態を獲得事が大切なわけてすね。

ほんとにわかりよく解説頂いて感謝・感謝です。
ありがとうございます。
  • 2015-08-17│23:59 |
  • inri1225 URL│
  • [edit]
No title
>Goodwillさん

私にはGoodwillさんのいいところが見えています。

Goodwillさん、
自分のいいところを見つけてみてください。

どうぞ自分を信じて
善なる道を。

応援しています。

@(*・ω・*)ポッ
  • 2015-08-18│07:21 |
  • ラピ。 URL│
  • [edit]
No title
inri1225さん

>エゴの巧妙さに惑わされず、無心にひたすら精進を重ねるんですね。
>考える間も隙もなく精進する事により

その通りです。
考えることも感じることもエゴです。

それらを無視しようとすることなく
(無視しようとすることもダメ)
ただただ無心に無心になろうとすることなく
精進します。

そもそも「~しよう」としてはダメで
ただただ精進いたします。

ちなみに精進しようとするのもダメです。

言葉にするのは難しいのですが
長年の経験とコツが必要かもしれません。

それまでの積み重ねです。


>>善なる強靭なエゴ、
>>あきらめない力、
>>強い決心が必要です。

>この獲得が本当の修行ですね。
>後はどうこれを獲得するかの方法論ですね。


これらは人間として生きている間
まず基本を獲得します。

私の場合は自分の理想を実現するために
理想をやり遂げる決心と
決心した後はあきらめず、どんな時も積み重ねました。

まずは人としてどう生きるかが大切で
単なる精神論だけではダメです。

実際に、体を使って行動して生きていきます。

人としてどう生きるかが
初めの分かれ道となりますので
この瞬間から悔いないよう
しっかり、自分の理想を生きることが大切です。

そうしなければ悟りへの扉は開かれません。


>>善なる強靭なエゴ、
>>あきらめない力、
>>強い決心が必要です。

これらは悟りの扉を開くきっかけとなります。

よって、これらを獲得した後が
本番です。
これらを使って激流を渡ります。


>私も臭覚は強いので何と無くわかるつもりです。
>ラピ。さんも同じく臭覚で見極めたのではないでしょうか。

私の場合、根拠がありました。

師匠がネット上で公開されていた
師匠がかつて至る前に実際されていた内容を知り
その内容が以前の私の生き方と
共通しているものがあったので
「これは?」と思ったのです。

私が理想を指針として行動していたことは
なぜ、そうしていたのかはわかっておらず、
(理論はわからず)
ただ自分の良心に従っていただけでした。

それが結果的に(長い長い道のりでしたが)
今の状態をもたらしました。

私には悟りの知識が全くなかったけど
普通に人として生きる中で
自分の良心に従い、
ただそれを守って生きただけです。

しかしそれがどういうことか
私はなにもわかっておらず
師匠ならわかるかもしれない、ということで
コンタクトをとったのがきっかけです。


ということで自分の善なる心に正直に
まっすぐ自分を信じてただただ進むだけで
自然と道は開かれています、
理論を知らなくても。

そういう生き方をしてきたからこそ
TK師のやってきたことに「ん?これは。。。」と
感じるものがあり
TK師にコンタクトという選択肢ができたのでした。
  • 2015-08-18│07:24 |
  • ラピ。 URL│
  • [edit]
No title
Goodwillさん

>こういうことは自分が一番解っていそうなことです
>が、他人から指摘されないと認識できないタイプな
>ので本当に貴重なアドバイス、ありがとうございま
>す。

いえ、誰でもそういうものです。

チャンスを活かせた人は幸いです。

>ただし、ここで重要な事は、超えるためには必ず自
>分の外から超えた水準の情報を仕入れなければなら
>ない、しかも、経典だけでは無理という事です。

自分に無いものを持っている人と接する事で、それま
での生き方から抜けられます。

持っていない人たち、例えばここにもいましたが似非
覚者の類と話しても脱出する事は不可能です。

あの者達は、世の迷惑者です。

世の中の害で迷惑物のクセにいい気になっている。

他者のエゴの微細な動きも見抜ける眼も無いのに、や
たら人に説法したがる世の中の害人部隊、沢山いまし
た。

Goodwillさんも多くの情報に惑わされた事でしょ
う。

こういう害人は恐らく大昔からいたと思われます。

聖典にもそのやからの存在の痕跡があります。

一番最悪なのは、自分で何らかの成果を得られたと確
信も無いままに、ただただ受け売り情報の類を垂れ流
す人です。

人々が得たいものは受け売り情報では無くて、その人
の得られた何らかの成果の方なのですから、ただの物
知り博士はいりません。

私は現実存在している聖典の引用はしますが、私の聖
典は「私の得た成果(阿羅漢果)」です。

マタイの福音書 7章3-5
>また、なぜあなたは、兄弟の目の中のちりに目を
>つけるが、自分の目の中の梁には気がつかないので
>すか。
>
>兄弟に向かって、
>『あなたの目のちりを取らせてください』などと
>どうして言うのですか。
>見なさい。自分の目には梁があるではありません
>か。
>
>偽善者よ。まず自分の目から梁を取りのけなさ
>い。
>そうすれば、はっきり見えて、兄弟の目からも、
>ちりを取り除くことができます。


マタイの福音書 15章14
>彼らのことは放っておきなさい。彼らは盲人の手引
>きをする盲人です。
>もし、盲人が盲人の手引きするなら、ふたりとも穴
>に落ち込むのです。」

ルカの福音書 6章-40
>弟子は師以上には出られません。しかし十分訓練を
>受けた者はみな、自分の師ぐらいにはなるのです。

マタイの福音書 7章16-18
>あなたがたは、実によって彼らを見分けることがで
>きます。ぶどうは、いばらからは取れないし、いち
>じくは、あざみから取れるわけがないでしょう。
>同様に、良い木はみな良い実を結ぶが、悪い木は悪
>い実を結びます。
>良い木が悪い実をならせることはできませんし、ま
>た、悪い木が良い実をならせることもできません。
  • 2015-08-18│08:14 |
  • TK URL│
  • [edit]
No title
私の視点で巷の教えを見て見ましたが。

最近ありがとうおじさんなるものに関心が止まったの
で私の眼で分析してみました。

感謝、ありがとうは激流の実践法に属するもので、そ
う無造作にばら撒かれて人々のメンタルの成果となる
ものではありません。

このおじさんを指導している意識体の水準は高そうで
すが人々のレベルに応じた対機は下手、このおじさん
そのものは悟っていませんし、今後も今のままでは悟
れないように思えますが実践の精度が激流精度より遥
かに低いのです。

よって、悟ってない人は盲人ですから、人々に精神世
界情報をばら撒いても精神世界系の酔っ払いを多数産
みだすだけです。

チャネリングによるイタコ的、すなわち受け売り、自
身の言葉とは恐らく違います。

私は自らの外と取り組む(戦う)事を説きますが、こ
の手の意識体の水準なら、自分の外に敵はいない、自
分の中にしか敵はいないのです的な正反対の説き方を
する、かくしてこの手の対機の不手際から酔っ払い製
造所になるのです。

この人よりは「世界人類は平和でありますように」、
五井氏、この人は本物的だと思います。

これを説く限りは、実践者の、この世界は平和では無
いと言う捉え方を利用しているのですが、説いている
ご本人は違いますから。

中心をこのような単純なものに絞って、それは外への
取り組みの要素でもあると言う点。

ありがとうおじさん水準ならここで、この世界が平和
でない事に(あるいは平和である事に)感謝します、
となる訳です。

「世界人類は平和でありますように」このような願望
水準の事など、おじさんのチャネリング元の意識体レ
ベルは言いませんね、おじさん教は高レベルのエゴを
殺すものを一般人に無造作に食べさせては酔っ払いを
作り上げるわけです。

五井氏も感謝は説いてますが、あの方の内容は説く先
の水準の幅が広い様々な段階向けの多種、なにより、
おじさんのようなイタコの受け売り的では無くて、自
分の悟りから出てきている言葉なので自分で対機のカ
スタマイズが出来る点。

ただし、五井氏にしても残された言葉だけを拾おうと
しても、色々な段階向けですので、一般の人がどれも
拾えるというものではありませんから、特定の人には
有益な、それ以外の人には害になる言葉、玉石混交
で、やはり、語録だけを読み漁る行為は酔っ払いにな
ります。

仏教だけでは無く、他の宗教であったとしても、どれ
もこれも末法の世、経典や語録だけはあっても悟れる
人がいない、どうしても至った人の生の存在は必要だ
と思いました。

私などは脱スピや脱宗教を説いてますが、今は宗教で
は無く理論の時代だと思っています。
  • 2015-08-18│13:10 |
  • TK URL│
  • [edit]
No title
ちなみに私に祈りと言う行為は出来ません。

為すべき事を為し終えた、つまり、為し終えた者の祈
りは無心です。

これ以外に逆立ちしても不可能なのです。

これはマインドの構造が相対で出来ている事から、プ
ラス系の祈りが完成してしまうとマインドそのものが
崩壊し無心になってしまうと言う原理に基づいてま
す。

ちなみに私は至るにあたって祈りと言う手段は使いま
せんでした。

五井氏は悟りを神と呼びこの状態を合一とし、それに
向かう手段を祈りとした訳です。

祈り尽くした終点はマインドが崩壊して無心になる、
これを五井氏は知っていたがマザーテレサは知らな
かったので、祈りが出来ない、この虚しい信仰の無い
状態はどういう事かとなったわけですね。


五井氏
http://3605-523.at.webry.info/201411/article_5.html

マザーテレサ
http://www.afpbb.com/article/life-culture/religion/2272720/2044213


両者とも為すべき事を為し終えた、いわゆる聖者とい
う事で間違いはありません。

おじさにはそれが感じられません、イタコ(チャネリ
ング)で満足してる盲人状態というのもずいぶんと情
けない事ですね。
  • 2015-08-18│19:24 |
  • TK URL│
  • [edit]
No title
無心の絶望でしょうか?

http://plaza.rakuten.co.jp/parfet/diary/201005220001/

如何ですか?

同じような流れかなと

EO氏のチャネリングの概念は余計な気はしますが
  • 2015-08-18│20:48 |
  • ローマ法皇 URL│
  • [edit]
No title
ローマ法皇さん

>如何ですか?
>
>同じような流れかなと

全く違います。

EO氏は至る前の回顧録のような話しであり、至った
後の話ではありません。

確かに分からない人から見たら皆一緒に区別なく見え
るのかもしれませんが。

マザーテレサのは、為すべき事を為し終えて渡り終
わった後に筏をかついだまま離そうとしない現象で
す。

釈迦は至った後には信仰心を捨てるよう指示する等を
くどくどと教えていたようですので、至った人の間に
このような事が起きませんでしたが、イエスは釈迦に
比較し在世期間の短さからこの点が詳しく説かれてい
ない事によると思われます。

http://gsg48566.hatenablog.com/entry/2015/01/09/163158


スッタニパータ1146
>(師ブッダが現れていった)、
>「ヴァッカリやバドラーヴダやアーラヴィ・ゴータ
>マが信仰を捨て去ったように、
>そのように汝もまた信仰を捨て去れ。そなたは死の
>領域の彼岸にいたるであろう。ピンギヤよ。」


相応部経典9-10-4~5
>「修行僧よ。そなたは、修行僧たちとともに住んで
>いるのに、なぜ真理のことばをとなえないのか?
> 真理のことばがとなえられるのを聞いたならば、
>心が清らかな喜びにみち、現世で人々の賞讃を博す
>る。」
> 〔修行僧いわく、―〕
> 「昔は、わたしは離欲を達成するまでは真理のこ
>とばを学びたいという願望がありました。
>いまやわたしは、離欲を達成したからには、見たこ
>とでも、聞いたことでも、
>考えたことでも、すべて知った上では捨て去らねば
>ならぬ、ということを、立派な人々は説かれまし
>た。」
  • 2015-08-18│21:46 |
  • TK URL│
  • [edit]
No title
お答えありがとうございます

マザーテレサは意外でした。

http://www5a.biglobe.ne.jp/spk/sp_newsletter/spnl_backnumber/spnl-50/spnl-50-1.htm

スマナサーラも教えを担いだままな気がしました。
  • 2015-08-18│22:29 |
  • ローマ法皇 URL│
  • [edit]
No title
http://kitasendo.blog12.fc2.com/?mode=m&no=1290

至った場合は、今まで持てていた信仰心が持とうとし
ても持てない、祈り等の信仰の行為をしようとしても
できない、このように確実なメンタルの変容がありま
す。

率先した信仰の模範を示す立場の方々は特に、突然に
自らが信仰の行為が出来なくなるこの現象に驚く事で
しょう。

私は悟りの誤認の者たちに言います、その者たちにそ
のメンタル状態があるか、無かったら覚者ぶるのは止
めなさい、至ってもいないのに至った者のように振る
舞って、至る前は盲人なのですから人々に対する迷惑
行為なのです。

おじさんもそうですが、あっちにもこっちにもうよう
よいました。

>スマナサーラも教えを担いだままな気がしました。

それはありません。

阿湿貝経
> 上からは下は見えても、下からは上は見えない。


釈迦の教えの場合は筏の喩として、くどくどとこの事
について説明されているので大丈夫です。

スマさんは特に経典に精通しているようですから。
  • 2015-08-18│22:50 |
  • TK URL│
  • [edit]
No title
>仏教だけでは無く、他の宗教であったとしても、どれ
もこれも末法の世、経典や語録だけはあっても悟れる
人がいない、どうしても至った人の生の存在は必要だ
と思いました。

私などは脱スピや脱宗教を説いてますが、今は宗教で
は無く理論の時代だと思っています。


ありがとうおじさんは初耳で五井氏はあまり存じ上げませんが経典や語録だけはあっても悟れる人がいない、どうしても至った人の生の存在は必要だというのは同感です。
  • 2015-08-18│23:07 |
  • inri1225 URL│
  • [edit]
No title
ラピ。さん
お返事ありがとうございます。

>それらを無視しようとすることなく
(無視しようとすることもダメ)
>ただただ無心に無心になろうとすることなく
>精進します。

>そもそも「~しよう」としてはダメで
>ただただ精進いたします。

>ちなみに精進しようとするのもダメです。

>言葉にするのは難しいのですが
>長年の経験とコツが必要かもしれません。

無視しようとするのもダメなのですね。
(結構これやってました。)
行為をする事無く、その状態そのものになると
いう事でしょうか。
その状態になろうとするのも行為なので
ダメなわけですね。

>まずは人としてどう生きるかが大切で
>単なる精神論だけではダメです。
>実際に、体を使って行動して生きていきます。

>人としてどう生きるかが
>初めの分かれ道となりますので
>この瞬間から悔いないよう
>しっかり、自分の理想を生きることが大切で
>す。

>そうしなければ悟りへの扉は開かれません。

これとても大事ですね。
人としての指針。

同じ事をしても動機が違えば結果は大きく
変わってきますから。
私もある思いにより東京に来て8/25で10000日を迎えます。
山あり谷ありで、これでもかというくらいに色々ありましたが、
この思いは今も昔もこの先も変わることは無いと思います。

日々精進。実践あるのみですね。






  • 2015-08-19│20:06 |
  • inri1225 URL│
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No title
inri1225さん


>無視しようとするのもダメなのですね。
>(結構これやってました。)

今もしていますか?
何を無視していましたか?


私の場合、「捨てる」を日常(激流の前に)
徹底して実践していました。

毎日、当たり前に
自分の生き方としてしていました。

どんな時も自分の思いを捨てる、無視する。
そしてさらに「心から喜んでなんでもする」をする。
これが私のしてきたことです。

そして激流の時は応用編と言うのでしょうか。

(捨てることの実践基盤があるうえで)
いらぬ思考などを捨てることなく
実践に集中しました。

なんとなく伝わりますでしょうか。


>同じ事をしても動機が違えば結果は大きく
>変わってきますから。

その通りです。
動機は誰にも知られなくても
自分が一番知っています。

自分の善なる心を裏切らないように。

裏切ると、激流時
自分のその思いと出会います。


>山あり谷ありで、これでもかというくらいに色々ありましたが、
>この思いは今も昔もこの先も変わることは無いと思います。


なにか目標を持って東京に来たのですね。

生きているといろいろありますよね。
それでも変わらないその思い、
善なる心で歩み続けてくださいね。


あきらめなければ必ず扉は開かれます。
  • 2015-08-19│20:46 |
  • ラピ。 URL│
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No title
>>無視しようとするのもダメなのですね。
>>(結構これやってました。)

>今もしていますか?
>何を無視していましたか?

今している事をする。
カルマヨガって云うみたいですが
今この瞬間に集中して生きるという
実践をしてる際に湧き上がる雑念を
無視していました。

認識して無視するわけですから
明らかに行為ですよね。

無心になる為に多くの人が苦戦してます。

何かコツの様なものはありますか?


  • 2015-08-19│22:36 |
  • inri1225 URL│
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No title
悟りと言うのは祈り、ヴィパッサナ、意外かもしれま
せんがスポーツ選手等、様々なプロセスから向かう事
が可能でありどれも理論にはかなっています。

昔で言えば剣禅一致と言うくらいで、剣道もそう。

http://earth-words.org/archives/956

ただスピリチュアル(エゴ落し)にこだわる人に、至
れる人はいない、これが一番駄目な人たちです。

外(現実、正しい方向へのエゴの強化)から逃げて内
面(エゴ落し)の道、酔っ払いへの道です。

祈りと言うマインドの積極的使い方で悟り(無、慧解
脱)に至った時には一番の訳が分からないという事に
なると思います。

この場合は、祈れないのであって、祈らないのとは違
うのです、祈れるうちは祈って下さい。(特におじさ
ん、人のことでは無くてまず自分からなのです。)

マインドを積極的に使う事によって無に至る、これが
釈迦の教えですから、阿羅漢しかわかりませんが、経
典の悟りも得ていない知ったかぶりのお喋りで、害を
世の中にばら撒いている、他者をを共に穴の中に導き
いれる悪の果報で地獄に至る罪びとたち。因果応報を
舐めてはいけません。

>ありがとうおじさんは初耳で五井氏はあまり存じ上
>げませんが経典や語録だけはあっても悟れる人がい
>ない、どうしても至った人の生の存在は必要だとい
>うのは同感です。

有名どころでは鈴木大拙氏も良いです。

http://d.hatena.ne.jp/amagaeru777/20120115/1326600546
  • 2015-08-19│23:58 |
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No title
まず、自分を変えようとするのではなく、周りを変え
ようとすること。

これはスピ系で信じられている事とは正反対ですか
ら、大変な事だと思います。

しかし、ここからスタートを切らないから、いつまで
も酔っ払い以上にはなれませんね。

自分を変えると言うのは自分を殺す事になりますか
ら、エゴの弱い人がこれやったら話になりません。

まず、エゴは強めなければ、正しい理想にかなう方行
性さえ間違ってなければ、これで良い訳です。

周囲を変えて行くのです、自分の方向へね。

http://blog.goo.ne.jp/mr_st/e/d11feb9baf1339eba6cd755e1e220920

http://www.meigennavi.net/word/990/990268.htm

http://serendipity-japan.com/live-life-with-no-regret-606.html

だから世の中玉石混交と言うのです。

今までスピの正反対の教えに騙されて酔っ払い世界を
やっていたのであれば、今度は全くの反対をやれば酔
いから覚めて現実に戻れます。

私などは物質的では無い意識体から、精神世界をすっ
かり止めてそっちで行けと、正解でしたのでお話して
います。

お蔭で今や阿羅漢ですからね。

成功者の体験談です。

他に阿羅漢の人がいて違うよと言うのならどうぞ、た
だし阿羅漢以外は相手にしませんが、酔っ払いにクダ
まかれるのはかなりやりました。

成功者の話ししか聞く価値は全くありませんが、世の
中にはこの当たり前が分からない変な人がいます。
  • 2015-08-20│00:56 |
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  • [edit]
No title
inri1225さん

>無心になる為に多くの人が苦戦してます。

それはそうでしょうね。
なぜなら無心に「なろうとしている」からです。

私の場合であれば
「自分を捨ててなんでも心から喜んでしよう」ということで
自分を捨てて(=無心)だけでなく
それプラス善なる行為をしました。

この私のやっていた実践に
「悟りたい」という気持ちは全くありませんでした。

自分のそれまでを反省し
自分にとって後悔ない生き方をする
それをどんな時も精一杯する、

そしてそれを一生懸命やった結果
いつのまにか無心の状態になるコツを得て
(無心は目的ではなく、精一杯やった結果です。
ちなみにこの時点では今のような無心にはなれていません。
無心の状態で、エゴはまだ消滅していません。)
最終的に激流を渡り、悟れました。


>今この瞬間に集中して生きるという
>実践をしてる際に湧き上がる雑念を
>無視していました。

今この瞬間に集中して生きていることができていれば
雑念はわかないはずです。

雑念がわく、ということは
この瞬間に集中できていないからです。

雑念を無視することを目的とするのではなく
今この瞬間に集中することに集中してください。

集中することに集中します。

そして雑念がわいた場合
「あ、今に集中できていないな。
集中、集中!」
ということで
心をすぐに切り替え
雑念がわいたことさえも無視して
今に集中してください。

雑念を無視することを一番にするのではなく
(そういうやり方では必ず雑念だらけになる)
今に集中することを一番にしてください。

結果的に雑念がない状態にすることが大切です。


>同じ事をしても動機が違えば結果は大きく
>変わってきますから。

inri1225さん、そう言われていましたね。

inri1225さんのそのやってきた実践の動機はなんでしょうか。

悟りたい、解放されたい が動機であれば
悟ることも解放されることも
それ自体が自分の願望で
最終的に大きな雑念となります。

「~したい」ではそうなることから遠ざかるだけです。


私はそのからくりから解放されていました。

私の場合。

「自分を捨てて喜んで何でもしよう」
という実践は
自分の心を制し、さらにその心を捨てて
(この時点ではまだ行為ですが、精一杯しました)
自分の信じる善なる道を歩くことによって
結果的に無心になれた、ということです。

inri1225さんのされていた実践の中心に
なにか信じていたものはありましたか。

それを信じて
そして今この瞬間に集中する。

今この瞬間に集中できていない時は
雑念がわいていますから
雑念を消そう、無心になろう
とするのではなく
「今この瞬間に集中」してください

無心になろうとしては
無心になれず、苦労するでしょうね。

それは自分の気持ちが障害となっているのですが
自分が障害を作ってそれにぶつかっているという感じです。

自分のその気持ちがある限り
障害はなくならない。
延々と続く。
だから苦労します。

ちなみに今この瞬間に集中して生きるのであれば
苦労を苦労と思ってはならない。

苦労を苦労と思った時点で
その思い自体が
今この瞬間に生きることを邪魔しています。


そしてそもそもなぜ
「今この瞬間に集中」したかったのか、
その理由はなんでしょうか。


私の言葉をわかったふりをするのではなく
(今までのinri1225さんのコメントからその状態が見えています。
それは必要なく、逆に障害となります。)
わからないことは些細なことでもきちんと聞いてください。

その些細なわからないことに気づくのも
その人のセンスであり、
そのセンスがあるかないかで
悟りの道のスタートに立てるかどうかが決まります。



>認識して無視するわけですから
>明らかに行為ですよね。

これって明らかにわかったふりをしています。
でも実は何もわかっていません。

そんな風にわかったふりをするのではなく
(分析して自分を納得させる=それは雑念なんです)
inri1225さんの場合であるのなら
何が何でも今この瞬間に集中することが大切ですよ。

実践に集中することが一番で
今の状況を知ろう、分析しようとしないでください。
その分析は雑念です。

なぜなら分析している時
今この瞬間に集中できていないからです。

心が別のところに行っていますよ。


ちなみにこのコメントはinri1225さんを責めているわけでも
否定しているわけでもないですよ。

ただ、そうであることをお伝えしているだけなので
よろしくお願いいたします。
  • 2015-08-20│04:24 |
  • ラピ。 URL│
  • [edit]
No title
>>無心になる為に多くの人が苦戦してます。
>
>それはそうでしょうね。
>なぜなら無心に「なろうとしている」からです。

その前に。

無心と言うのはそんなに良いんですか?

なぜそう思うのでしょうか?

本にでも書いてあったからですか?

「無心」イコール「良い事」の固定観念は自分でそれ
で間違いないと言うくらいにマインドを使ってみて出
した見解ですか?

精神世界情報に傾倒してませんか?

そもそもその姿勢が酔っ払いの典型です。

マインドを精一杯使ってみて、その結果その見解に行
きついたのでしょうか?

「マインドを精一杯使ってみて」、ここが重要なので
す。

精神世界にかぶれている人がバカに見えるくらいに精
神世界を毛嫌いするくらいの姿勢でないと、あなたの
メンタルは正常にはなりません。

このプロセスは、精神世界に傾倒(現実からの逃避)
の人たちには重要なものです。

まず、マインドで生きてみて、人生を開拓してみて、
そのためには精神世界をとことん毛嫌いして、このプ
ロセスで得るものを得なければ次はありません。

自らのマインドの、エゴの可能性をもっと信頼してく
ださい。

まず、この段階で幸せというものをものに出来なけれ
ば、次はありません。

まるで、乳歯はやがて抜けるものだから使う前から抜
いてやれ、これ正しい考えだと思いますか?

こんなことをやる者が、全うな進み方が出来るはずが
無い。

乳歯には乳歯の役目があります。

乳歯なりに精一杯世の中をかみ砕くと言う役目がね。

http://www.kodomodc.jp/article/13872906.html

無心は乳歯がその役目を終えた時、唯作心と言う名の
無心による疑似エゴイズム(演出エゴ)と言う永久歯
がまともに出てくるわけです。

マインド(エゴ)の可能性に挑戦する事もしない者に
次はありません。

私はこのプロセスの時には、無心になろうなどとはた
だの一度も思ったことがありませんでした。

マインドで理想を切り開いていく、それくらいに自ら
のマインドを頼り信頼し出来るはずだと信じていまし
た。

これが、「自信」というものです。

http://meigen.keiziban-jp.com/%E8%87%AA%E4%BF%A1

自信の持てるような生き方をしてみて下さい。

無心に至ってしまった我々は、「自信」は二度と持と
うにも持てません。

「自信」を持って生きて、その限界で、次に「自信」
が消える次のステップの扉が開けました。
  • 2015-08-20│09:06 |
  • TK URL│
  • [edit]
No title
マインドを本体として生きている時に「無心」はそれ
に相反するものですから、決していいものでは無いは
ずです。

マインドを使え、マインドを使え、そうすれば快適に
生きられる、これがマインドを信じ頼りにし出来るは
ずだ、の生き方ですから「無心」はそれに反します。

マインドを信じ頼る事もしないで、マインドで世の中
を快適に生きていけるはずが無い。

精神世界でごちゃまぜ、既に姿勢が狂っている、巷の
酔っ払いです。

精神世界に逃げたい気持ちはわかりますが、勇気を出
して卒業しましょう。

私も歩んだ道のりですからわかります。

ざっと私は次のプロセスです。

     現実世界への苦悩  
         ↓
 精神世界への(現実世界からの)逃避
         ↓
肉体を持たない意識体により精神世界から追い出され

         ↓
理想による目的意識の獲得、精神世界への決別
         ↓
 理想的な目的実現による現実世界の喜び
         ↓
エゴの強化(理想に対する思いの強化)では乗り切れ
ない壁
         ↓
 打開策として自分に不足しているものの探求
         ↓
     再び内面世界の扉が開く
         ↓
        激流
         ↓
        解脱


次のサイトは中々いいですね。
宗教関係は私も当時毛嫌いしてましたが、現実世界
(マインド)が本体で喜びを実現している私からする
と、現実世界(マインド)から外れた気色悪い人たち
です。

http://wtwong.exblog.jp/20462108
  • 2015-08-20│11:03 |
  • TK URL│
  • [edit]
No title
現実世界(マインド)と言う表現が出ましたので、解
脱した我々には現実世界はありません。

現実世界とはマインドがあって初めて存在できるもの
の一つです。

現実世界なる対象となるものは何もありません。

目の前には何もありません、何も無い境地なのです。

これではまるで智慧の完成を説いた般若心経(プル
シャを説いた経典)の内容ですね。

http://structure.cande.iwate-u.ac.jp/religion/hannya.htm
  • 2015-08-20│11:51 |
  • TK URL│
  • [edit]
No title
TK師 いろいろありがとございます。

私の至るまでの流れです


自由に好きに思いのまま生きていた小さいころ
それなりに幸せだった

     ↓

しかし ある日わがままな自分を反省し
答えが出るまで考え込む。

そこから得た指針が
「自分を捨てて何でも心から喜んでしよう」だった。
それを自分の生き方として
守って生きた

     ↓

ある日、
自分が否定される出来事があり
何を信じていいかわからなくなった

     ↓


それでもあきらめずどうすればいいか考える

     ↓

第2の指針が設定される。(激流へ)

     ↓

何年も実践した結果
ついに一部が消滅する。
(一度ある意味死にました)

     ↓

ボロボロになりながら
どうにか帰ってこられて
人間としての幸せを求める生き方を始めた
=スピ系実践、しばらくしてブログ開始

いろいろ幸せな出来事を経験できた。
(そのおかげで今の環境が望むことなく ある。)
しかし幸せであることすらも私には実践であった。

     ↓

ついに師匠と出会う

     ↓

スピだった私は
師匠にコテンパンにされる(笑)

     ↓

しかし、それでもTK師を師匠と呼ぶことを決心する。

     ↓

激流が起こり、
かつて私が実践していた時の感覚を思い出す。

     ↓

一部が消滅していたので
前と同じ実践はできなかったが
工夫して意図的に激流をおこし
そこに飛び込む。

     ↓     

激流に飛び込んで1日で至る。


inri1225さん
まずはどうして無心になりたいのか
その動機を知ることですかね。

  • 2015-08-20│20:54 |
  • ラピ。 URL│
  • [edit]
No title
私もラピ。さんも理想に向けて精一杯生きたと言うプ
ロセスが必要でした。

ここは外してはならない部分です。

要らない知識をごちゃ混ぜにして所持している事は害
になります。

気持ちは分かりますが、厄介ですね。

無心と言うと禅ですが、今や禅寺に行っても、見性も
してないような人から座禅指導される可能性が高い時
代のようですし、末法の世と言うのは大変な時代のよ
うです。

http://zazenjp.com/soshi/haradasogaku.html

しかし、ここに出てくる井上貫道老師は、悟ってるよ
うです。

http://zazen.blog.jp/archives/cat_958428.html

この方の師は井上義衍老師で、原田雪渓老師と同門で
す。

本物の下でしか本物は生まれません。

ルカの福音書 6章-40
>弟子は師以上には出られません。しかし十分訓練を
>受けた者はみな、自分の師ぐらいにはなるのです。

マタイの福音書 7章16-18
>あなたがたは、実によって彼らを見分けることがで
>きます。ぶどうは、いばらからは取れないし、
>いちじくは、あざみから取れるわけがないでしょ
>う。
>同様に、良い木はみな良い実を結ぶが、悪い木は悪>い実を結びます。
>良い木が悪い実をならせることはできませんし、ま
>た、悪い木が良い実をならせることもできません。



見性しなくても、禅寺で証明書が交付されて禅寺の住
職になれるようですが、悟りの難易度は滅茶苦茶高い
事を考えると宗派の存続のためには仕方無いのだと思
います。

http://blog.goo.ne.jp/tenjin95/e/0683fe495a55e7365e3eb9a4d8868c85


霊雲和尚出家30年で悟りと言うと、ラピ。さんの方
が短期間のようでしたね。

http://www.choushouji.com/bosatsu/bo_a/a_j.html


少なくとも、悟った人はちらほらはいますから、是非
そう言う人を頼り求めてみて下さい。

http://ameblo.jp/tao-dragon/entry-12032188684.html

禅の世界で「今」はわからないと言いますが、禅の悟
りはここが大悟で最高という事です。

釈迦はさらに上でした、プルシャも超えて、絶対無と
比較すると「今」は丸見えと言う表現になりますが、
EO氏はこのレベルでした。

釈迦やEO氏の真の評価は、絶対無が分からない人に
は出来ませんが、この段階では否定語が最高を表す時
の表現となります。

私の師は釈迦の教えですので、絶対無の身証は得てい
ます。
  • 2015-08-20│22:56 |
  • TK URL│
  • [edit]
No title
懇切丁寧に色々教えて頂き
ありがとうございます。

涙が溢れて止まりません。

久々に号泣しました。

初心に戻って一から学びなおしたいと思います。

これからもご指導宜しくお願い致します。

  • 2015-08-20│23:17 |
  • inri1225 URL│
  • [edit]
宝の山ですね
TK師、ラピ。さん、こんばんわ

お二人の、特にTK師の書き込みにグイグイと引き込ま
れ、このスレから目が離せません。

おそらく同じ趣旨の事を以前にも書き込まれておられて
いて、それを何度となく拝見しているはずなのですが、
なんと言うか、自分の中での理解度がぜんぜん違って
います。

今までだと、納得する部分もあるものの、「?」と
思うことや、反発を感じる内容もあったのですが、
最近は「なるほど、納得!!!」となることが多く
興味がつきません。

お忙しい中、お時間を割いて下さり、いろんなこと
噛み砕いて教えてくださるTK師、この場を快く
提供して下さっているラピ。さん、本当に感謝です。

他では知ること適わない、お二人の貴重な体験に
基づくお話は、本当に興味が尽きないと言うか
なんというか・・・
とにかく今はできる限り沢山のお話をお聞き
したいと思っておりますので、どうぞよろしく
お願いいたします。
  • 2015-08-21│01:01 |
  • Goodwill URL│
  • [edit]
No title
>ボロボロになりながら
>どうにか帰ってこられて
>人間としての幸せを求める生き方を始めた
>=スピ系実践、しばらくしてブログ開始

余談ですが
ボロボロになっていた時
私はまったく人間ではありませんでした。
(体があったため
周りからは人間に見えていたでしょうけど。笑)

そして戻ってきたとき
人間に戻りたいと思いました。

そう思った時、
ありがたいことに
私の周りには人間がいっぱいでした(笑)

だからその人たちの氣の場所や
心の動きなどを見て真似し
人間に徐々になれました。

この経験は赤ちゃんから
人間に成長する過程と同じなのではないかと
思います。

私の場合、記憶そのままで一度死に
生まれ変わって
赤ちゃんからやり直した、という感じです。


人間に生まれることができたことは
それだけでたくさんのチャンスを持っていて、
とっても幸せなことなんです。

頑張れるってとても幸せなことなんです。

人間でない時を私は知っているので
人間であることが
どんなに幸せなことであるのか
知っています。


「人間」を精一杯生きなければなりません。

それをしなければもったいないですよ。

喜びも悲しみも
人間ならではの感情です。

だからこそ、歌が生まれ
詩が生まれ、感動が生まれる。

素晴らしいと思います。

どうぞ、人生を謳歌して、
と思います。

みんなに幸せになってもらいたいです。
  • 2015-08-21│12:57 |
  • ラピ。 URL│
  • [edit]
再開嬉しいです、ありがとうございます
TK師様、ラピ。様

このブログ内でのやり取りを再開して下さったこと、
心より嬉しく、感謝申し上げます。
覚者2人との対話が可能なこの場は
貴重で稀有であります。
悟り以前のずっとレベルの低い私ですが、
今後も学び、少しずつでも向上をしていこうと
思いますので、よろしくお願い致します。

ところで、早速で恐縮なのですが、
何点か疑問に思ったことがあります。
上手くまとめられないのですが書いてみます。

「人の嫌がることをしない、人に親切にする」を
実行してきて悩んでしまいました。
何故なら、そうしてもらうことが当然、
逆に「お前程度の人間はやれ」とばかりの人々に
出会った時に、それでもそうすべきか?
ということです。
あとは私が大人しそうと思うのか、
虐げてきたり、感情のゴミを捨ててくる人に対して
まで親切にする必要があるのだろうか?と…。
そういう場合、それは酷いでしょう!と
主張出来る時もありましたが、そう出来ても、
結局何故かいつの間にか周りも加わって
私が叩かれることが多い、もしくは不利になる。
とはいえ、悔しくて悔しくて一言言ってやりたい!と
思っても言えずに腹立たしさを暫く抱えてしまったりします。
やられた瞬間に言えたら良いのでしょうけれど、
言おうとしても胸のあたりと喉の辺りが
締め付けられるようで何故か言えないのです。
(それはメンタルの弱さかもしれませんが)
そして余計に後悔して苦しむのです。
こんな酷いことをする人間を助けたりする必要はある?と考えてしまうことが多々あります。
実は子供の時からもそんなことばかりで、
私の腹の中は憎悪だらけかもしれないとも思います。
「私あなたにそこまでしてないよね!
 なんでそこまでされなくちゃいけないの!
 チクショウ、八つ裂きにしてやりたい」と
やっぱり真面目に本気で思うこと多々。
悔しくて悔しくてメンタルが弱いからかなとか
考えるんですけれど、これも修行なんだなと
考え方を変えたら、障害はあって当然と思え、
仕方がないのかなとも思いますが、
私程度のレベルの場合には、どう考えれば良いのでしょうか?

「エゴは健全に育てなくてはいけない」と
数日前に書かれてたことで質問があります。
実は私の母もモンスターでした。
子供ながらの楽しみを奪い、机に座らせておき
監視ばかりされて育った記憶しかない。
機嫌を損ねれば徹底的に殴られ罵倒される。
忘れ物をした回数を表に記入するってのがあって、
小学校の教室の後ろに貼ってあった。
私は数回しかしていなく、ズルはしていないのに、
しらないうちにイジメで勝手に沢山回数をつけられた。
それでも私は先生に言っても取り合ってくれないからと
それを放置していたが、授業参観でそれを見た
母親は私を激しく殴り罵倒しまくった。
それは違う、嫌がらせでイジメでされたんだと
必死に訴えても、訴えれば訴えるほど、
私は悪者にされ、余計に殴られた。
そんなことと、これまでに起きた理不尽なことと、
一体何が違うんだろうと。
やっと親と接触を切れたのが3年ぐらい前。
それでもなお、まだACが消えている訳ではない。
健全なエゴ、改めて考えれば、
私にとってはあったのか、
なかったのかすらわからない。

私が悟りたいなんて願望を持ってしまったのは、
親や人間関係からの不利益や裏切り、
強姦まではいかなくても、
痴漢や変質者に遭うことが多くて、
社会でも不利益を被ることが多くて、
苦悩が大きくて、それを終わらせたかったから
だろうと思います。

私のメンタルは弱い。
体力もないし、すぐに挫ける。
だけど5年前ぐらいに決心してから、
良心に反することはしなかった。
自分が不利になっても良心に反することはしなかった。
それは嘘ではないし、これからもそうしていくだろうけど、
メンタルも弱いし、実践以前のレベルで
健全なるエゴも持てずにもたついていています。
どんなに考えても考えても答えが出ないのです。
私に柔軟さがないからこういうことに遭うのかとか、
外がそんなに悪いのか皆目見当もつかない。
覚者のお二方のお力をお借りできればと考えた次第です。
お時間と手間をおかけしてしまいますが、
状況の許す時に打開のためのお言葉を頂ければ
ありがたく思います。

  • 2015-08-21│13:27 |
  • どてかぼちゃ URL│
  • [edit]
No title
どてかぼちゃさん

>悟り以前のずっとレベルの低い私ですが、
>今後も学び、少しずつでも向上をしていこうと
>思いますので、よろしくお願い致します。

悟りなど敬わなくていいです。

その分自分のマインドを信用していないという
事ですから。

>何故なら、そうしてもらうことが当然、
>逆に「お前程度の人間はやれ」とばかりの人々に
>出会った時に、それでもそうすべきか?

あなたのマインドを精一杯使って、打開策を探す事で
す。

私がお話しする内容は作戦案の一つだと思って下さい

あなたは、あなたを見下す人に従いたくないと言う思
いと、親切にしてあげたくないと言う思いがあります
が、そんな自分でいいのかと言う問もある訳です。

あなたの理想はどうなのですか?

それでも親切にすべきだと思うならやる事です。

しかし、親切にする事で、なおさらつけあがって悪い
態度の者が出てくると思えばやらない事にも正当性が
出てきます。

>結局何故かいつの間にか周りも加わって
>私が叩かれることが多い、もしくは不利になる。
>とはいえ、悔しくて悔しくて一言言ってやりたい!
>と
>思っても言えずに腹立たしさを暫く抱えてしまった
>りします。

戦う方法は、自分を擁護してくれる仲間を作る地固め
からと言う戦法もありますよ。

仲間が出来れば心強いし、相手もその分、下手に出ざ
る得なくなります。

>こんな酷いことをする人間を助けたりする必要はあ
>る?と考えてしまうことが多々あります。

あなたの理想を具体的にもっとはっきりさせる事で
す。

相手がどんな人でも親切にするのか、例えば、横柄な
人へは親切にするとつけあがってその人のためになら
ないとかと考えるかです。

マインドをフルに使って、考えるのです。

>実は子供の時からもそんなことばかりで、
>私の腹の中は憎悪だらけかもしれないとも思いま
>す。

自分のような人を見たら、力になってあげると言う
事です。

人のためと言う理想は捨てないで下さい。

>やっと親と接触を切れたのが3年ぐらい前。
>それでもなお、まだACが消えている訳ではな
>い。
>健全なエゴ、改めて考えれば、
>私にとってはあったのか、
>なかったのかすらわからない。

嫌な経験と言うのは、自分がその嫌な事を人にしない
ためにするのです。

また、その嫌なことを世の中から無くすためにするの
です。

また、嫌な事をされている人を守ってあげるためにす
るのです。

このようにして理想というものは出来ていくもので
す。

>私が悟りたいなんて願望を持ってしまったのは、
>親や人間関係からの不利益や裏切り、
>強姦まではいかなくても、
>痴漢や変質者に遭うことが多くて、
>社会でも不利益を被ることが多くて、
>苦悩が大きくて、それを終わらせたかったから
>だろうと思います。


私も仕事は嫌いでした、虐待されてましたしね。

一日の時間の中には自分の好きにできる時間と、自分
の好きにできない時間があるはずです。

私は、自分の好きにできる時間を精一杯理想のために
使う事で、他は資金を稼ぐための致し方ない事と割り
切って、理想のために生きました。

あなたは自分の好きにできる時間を理想実現のために
有効に使用していますか。

そういう目的が出来ると、それが自分の生きがいとな
り、他の思い通りにならない部分については、理想実
現のために致し方ない事と割り切れるものです。
  • 2015-08-21│21:45 |
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No title
inri1225さん

>初心に戻って一から学びなおしたいと思います。

精神世界のような辛気臭そうな知識は一切学ばなくて
結構です。

とにかく、趣味の世界でも何でも良いですから、命が
けて打ち込める正しい理想を見つければ、後は行動に
移すだけのいたって単純でシンプルな生き方です。
  • 2015-08-21│22:47 |
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No title
Goodwillさん

我々の話は重要なものではありますが、現代科学はま
だまだ遅れている、先駆者的な部分です。

昔は賢者による宗教的形態をとって伝承されてきたも
のであったとしても、これを、精神科の科学として分
析しなおされなければならない時代だと思いますが、
全くそこまで行っていないのが現代科学の現状という
ものです。

私自らでこのようなメンタルになってみて分かる事
は、これは信仰の問題ではありません、本来は科学的
に分析のメスを入れられるべき問題です。

この特殊なメンタルの所持者は、研究対象となるよう
な数に至ってないのでしょうが、しかし、この先益々
減少していく可能性が強いです。

天然記念物のようなものですが、かと言って国が力を
上げて保護してくれるという事もありませんから、
よってこのまま、秘教のレベルになって行くのかもし
れません。

皆さんにおいてはどのようにこの内容に接していく
か、各々の判断です。

>お二人の、特にTK師の書き込みにグイグイと引き込
>まれ、このスレから目が離せません。

私の場合は悟りの後に言語化の場数を踏んでいる事に
よります。

最初からうまい話が出来たわけではありません。

まず、話をするには悟りに達する事がその資格要件で
す。

次に、場数を踏んで、よりうまい言語化が可能になる
ようにしていくと、皆さんにお伝えしやすくなるわけ
です。

ラピ。さんはこの世界では希少なメンタルを達成した
一人ですから、後は場数を踏めばよりうまい言語化が
可能となります。

悟りの意識にも慣れてきますので、だんだんと言語化
がうまくできるようになります。
  • 2015-08-21│23:14 |
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No title
inri1225さん

応援しています!
  • 2015-08-21│23:40 |
  • ラピ。 URL│
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No title
どてかぼちゃさん

コメントありがとうございます。


>人の嫌がることをしない、人に親切にする

どてかぼちゃさんは
この生き方に疑問を持っていますか?

理想の自分だったらどう生きるか
と照らし合わせて調節が必要かもしれません。

その自分の理想の声に正直になって生きるなら
どんな生き方を選びますか?


自分が進む道は
自分が納得できる道がいいと思います。

それは人それぞれです。

人の数だけ答えがあると思います。

私も自分の指針を決めるのに
じっくり考えました。
  • 2015-08-21│23:42 |
  • ラピ。 URL│
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No title
ラピ。さん

>余談ですが
>ボロボロになっていた時
>私はまったく人間ではありませんでした。
>(体があったため
>周りからは人間に見えていたでしょうけど。笑)

よくやりました。

手前味噌の部分もありますが、驚くのは、それだけの
ものを貫けた強靭的な意志力です。

私も激流当時は自らを、生きる屍ゾンビー人間と言う
言葉がぴったりだと思ってました。

地獄を先取りして、後は神の国みたいなものです。

この道だけは、進むしかなくなった者にしか進む事は
不可能だと思います。
  • 2015-08-21│23:43 |
  • TK URL│
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感謝致します
TK師様

ご返信、お言葉、深く感謝致します。

悟りに対して敬うというよりも、
自らの理想を貫き続けたメンタルと意志の強さ、
見抜く力、それに対して深く敬意を抱いております。
悟りのことはやはり良くわかりません。

おっしゃる通り、私は自分の感じたこと、
考えたことに、自信がなかったのです。
まだまだスピ系やら精神世界やら他の考え方に
振り回されていたとも言えます。

となれば、もう答えは出ました。
というか、出ていた答えに自らが確信を持って
これから進んで行けるという感じです。

------理想の生き方として------
私は、自らの良心に従ってそれを信じて行動をします。
明らかに相手が人間としておかしい場合は、
優しいばかりではなく、その場その場に適した
自らの良心に沿った最善の行動を取って
生きていきます。
自分がやられて嫌だったことは人にしません。
嫌なことを世の中から無くすために生きていきます。
嫌な事をされている人は守ります。
人から受ける不利益を恐れず、理想を貫きます。
嫌なことをされたら、「あ~これで悪カルマが消えた」
とでも思って、また理想を生き続けます。
そして何よりも私を大事にしてくれる夫を最も
大事にして生きていきます。
これが私のこれからの信念、指針、理想です。
------------------------------

実はですが、結局、仕事は辞めました。
仲間を作ろうにも、周り全員が悪に立ち向かう気
なんて無いのです。
全てが事なかれ主義で、イジメがあろうが、
嫌がらせがあろうか、決定的な暴力等にでも
ならない限りは知ったこっちゃない。
まして人を貶めたり虐めて困らせることが楽しみの
連中の巣窟。
主犯格も含め周り全てがそうなら、
別にお金に困ってないのに一生懸命この人達のために
驚異的なスピードで、それこそ正確に仕事を
やってあげる必要なんてない。
主犯格のように、いつも何処かに居なくなり、
仕事は遅い、仕事中に寝てる、スマホばかり弄る、
そういう奴を擁護するならどうぞご勝手に
と本気で思ったのです。
実はその仕事慣れてしまえば、簡単な仕事でした。
それこそ惰性で出来るような簡単な仕事じゃなく、
もっと真剣に取り組める仕事に替わった方がマシだ、
この連中とこの仕事に人生と全身全霊をかける必要なし、
と決断して、有無を言わせずに辞めてきました。
上から目線だと言われても、所詮、潰れかかる会社、
やはりそれなりだなという感じです。

ただ、辞めた会社ばかりではありません。
そこらじゅうがまともな良心の感覚なんて
益々無くなっている消滅していると感じる世間です。
私が変わっているのか、何故良心の呵責が起きないのか、
何故自らを惰性に流されてただ生きるのか、
私には本当に解らないし、理解出来ません。
だからこそ嫌がらせをしてくる周りもなんか腹立つ
となり、嫌がらせをしかけてくるのかもしれませんが。

そんな悪人すらも善人に変えてしまえるような人間に
なるのが究極の目標ですが、
まだまだメンタル面の強化の必要があると思われ、
現段階では、先ほど書いた理想の生き方をしていきます。

私は上から目線になることを恐れていました。
過去に支配的だの威圧的だの言われたからです。
でも理想を貫くためにはそれぐらいの根性と
負けないぐらいのメンタルがないとダメなんだなと
思った次第です。

これからもここは定期的に訪れ、完全に理想を生き、
雑念が湧かないぐらいに集中して生きれるように
なるために活用させて頂ければと思います。

心から深く感謝しております。
数々の嫌な出来事があっても、私は幸運だと思います。
  • 2015-08-22│00:19 |
  • どてかぼちゃ URL│
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ラピ。様、ありがとうございます
ラピ。様

ご返信、お言葉、ありがとうございます。

私は自分の出した理想に自信がありませんでした。
スピ系、精神世界系に惑わされていたとも言えます。

最終的には、どんな悪人すらも善なるところを引き出し、
誰にでも慕われ、好かれ、私と一緒にいる人が皆
笑顔になる・・・ですが、それ以前にメンタル強化が
必要と私は感じました。
よって、先ほどTK師様への返信も記載した通り、
------理想の生き方として------
私は、自らの良心に従ってそれを信じて行動をします。
明らかに相手が人間としておかしい場合は、
優しいばかりではなく、その場その場に適した
自らの良心に沿った最善の行動を取って
生きていきます。
自分がやられて嫌だったことは人にしません。
嫌なことを世の中から無くすために生きていきます。
嫌な事をされている人は守ります。
人から受ける不利益を恐れず、理想を貫きます。
嫌なことをされたら、「あ~これで悪カルマが消えた」
とでも思って、また理想を生き続けます。
そして何よりも私を大事にしてくれる夫を最も
大事にして生きていきます。
------------------------------
これを私のこれからの信念、指針、理想でやって行きます。

またいろいろ参考にさせて頂いたり、
質問をする時があると思います、
その際にはよろしくお願い致します。

苦しくても清き道を歩む方々が増えることを
祈ってやみません。
  • 2015-08-22│00:31 |
  • どてかぼちゃ URL│
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No title
先日はTK師やラピ。さんの思いが伝わってきて

涙腺が崩壊してしまいました。

改めてありがとうございます。

何かおりが取れた気がします。

今する事をする。

肉体がある内は肉体でないと出来ない事をする。

マインドをフル活用して感性を高めて

生きたいと思います。

肉体が無くなれば嫌でも精神世界に行くわけですから

今は今を存分に生きたいと思います。

祈れる内に祈り喜怒哀楽も存分に味わいたいです。



  • 2015-08-22│01:28 |
  • inri1225 URL│
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No title
TK師、いつもありがとございます。

TK師は言語化することついて
いろいろ提案してくださいました。

おかげさまで
私なりにちょっとづつですが言語化できています。

が、まだまだです~~!!

(そもそも言葉に表せない状態、
かつ、当たり前すぎて言葉に表せないので
「言葉にできない、はい終わり。」
ということも私にはあり得ました。)


>地獄を先取りして、後は神の国みたいなものです。

そうですね、まさしくあの状況は、、、。
すべての苦を集めた状態、とも言えますね。

最高最大の苦を突破すれば
もうなにも残らないですね。

はい、安らぎの境地です。


>この道だけは、進むしかなくなった者にしか進む事は
>不可能だと思います。

はい。
本当に命がけでした。

死んでもやめない、という意志で
進み続けました。

  • 2015-08-22│07:46 |
  • ラピ。 URL│
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No title
どてかぼちゃさん

自分の理想を実現していくことは
途中、大変かもしれないけど
喜びもあると思いますよ。

なぜならみんなの笑顔を実現させていくからです。

ワクワクしますね。

自分を信じてがんばってね。

くじけそうになる時もあるかもですが
そんなときは自分の目標の原点を思い出して
頑張ってくださいね。

「必ず叶える」
という強い決心と意志があれば
必ず結果を得られます。

その強い決心と意志が善エゴであり、
強い力となります。

障害があってもそれに負けずにやっていけば
強い意志がさらに育ちます。

障害は意志の成長のチャンスです。

あとは実践(=理想を実現していく)のみです。

実践し続けていたら
気づけば意志がしっかり成長していると思います!

もちろん、意志を成長させることが目的ではなく
理想を実現させることが目的です。

しかし、しっかり理想を実現していけば
いつのまにか恩恵は受けていますから
安心して理想実現、がんばってね。
  • 2015-08-22│08:10 |
  • ラピ。 URL│
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No title
inri1225さん

人生、後悔無いよう頑張ってください。

この「がんばる」というのがポイントで
がんばる力を成長させれば
それがそのまま力となります。

がんばれることは素晴らしいです。

それだけでも突破のチャンスを持っている
ということになります。

人生、いろんな壁があるかもですが
それに負けず、がんばれたら
いつのまにかその壁自体がなくなっているかもしれません。

何かをがんばるためにも
何か目標や指針があるといいかな、と思います。

応援しています。
  • 2015-08-22│08:16 |
  • ラピ。 URL│
  • [edit]
No title
どてかぼちゃさん

>私が変わっているのか、何故良心の呵責が起きない
>のか、何故自らを惰性に流されてただ生きるの
>か、私には本当に解らないし、理解出来ません。

人間もだんだんと動物化してくるわけですね。

そうすると弱肉強食で、やるかやられるかの発想に
なってしまって、やられる側の恐怖から逃れるため
に、やられる前にやると言う、そのように畜生道に落
ちる的な生き方になる訳です。

人間の生き方は、自分にやられて嫌な事は人にしては
ならない、というものですから、やるかやられるか、
やられる前にやるとかそう言う次元では、本当に人間
は死ぬと畜生道に落ちてしまうのだと思います。

人間と言うのは理性的な生き物でもあり、また、動物
の進化した生き物でもある訳ですから、動物で生きる
か人間で生きるか、どちらが良いのか決めるのは本人
です。

>私は上から目線になることを恐れていました。
>過去に支配的だの威圧的だの言われたからです。
>でも理想を貫くためにはそれぐらいの根性と
>負けないぐらいのメンタルがないとダメなんだな
>と思った次第です。

車もうまく力のかじ取りさえできていれば、人間の世
界の必要な道具ですが、暴走すれば殺人マシンです。

人々の幸せのために頑張って下さい。
  • 2015-08-22│19:30 |
  • TK URL│
  • [edit]
深く感謝申し上げます
TK師様
ラピ。様

励ましのお言葉とこれからのためのアドバイス、
本当にありがとうございます。

今、こうして理想が固まり、実践のスタート位置に
立つことが出来たのは、ラピ。様がこのブログを
立ち上げて下さり、そして各コメントに無償にて
貴重なアドバイスをTK師様と共にしてくださった
おかげだと思っております。
こんなことは普通はあり得ないことです。
数々の不運があったけれども、私は究極的には
超幸運であったなと思います。
このお二方のご恩に報いるためにも、
なんとしても理想実現に向かって進んでいく所存です。

これでもかこれでもかと畜生道と餓鬼道と
酔っ払いばかりで、私がアホなのかと自信を無くし、
遠回りもしました。
もし、このブログや過去の掲示板がなく、
TK師様とラピ。様が手を差し伸べてくださらなければ、
やはり私はまだまだ迷ったまま、畜生道、餓鬼道、
酔っ払いにいいようにやられてしまっていたと
思います。

Web上での見ず知らずの私に真剣に親身に接して下さり、
ありがとうございました。
このご恩は、まさに今からでも、周りに還元して
行く所存です。
少しでも清き道を歩む人が増えてくれればと思います。

また、ちょくちょく来てみますね。
取り急ぎ、御礼まで。



  • 2015-08-22│21:24 |
  • どてかぼちゃ URL│
  • [edit]
No title
どてかぼちゃさん

なんだかかっこいい!

@(*・ω・*)ポッ
  • 2015-08-22│22:11 |
  • ラピ。 URL│
  • [edit]
No title
禅と言うと無我と言う言葉が出てきます。

しかし、無我と非我は区別されるべきものです。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E6%88%91

よってこのWIKIの内容はデタラメです。

所詮WIKIと言うのはこの程度なのですよね。

禅は大悟としている所が釈迦の悟りと異なりますの
で、無我で間違いありませんが、釈迦は非我です。

釈迦の場合は「無」ではなく「滅」と言った方が表現
としては適切です。

禅のそれと釈迦のそれは全くの別なものを表していま
す。

ごちゃ混ぜは、どこでもありますね。

禅は「無」を説き釈迦は滅(涅槃)を説く。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B6%85%E6%A7%83

ダンマパダ383
>バラモンよ。流れを断って。勇敢であれ。諸の欲望
>を去れ。諸の現象の消滅を知って、作られざるもの
>(ニルヴァーナ)を知る者であれ。


釈迦の場合は禅のそれと違って「無」と名前を付けて
呼んだらそれは間違いとなります。

ダンマパダ218
>ことばで説き得ないもの(ニルヴァーナ)に達しよう
>とする志を起し、意(オモイ)はみたされ、諸の愛欲に
>心の礙げられることのない人は、(流れを上る者)と
>よばれる。

便宜上は絶対無と言う表現を使ったりもしているよう
ですが、この言葉自信が的を得ていません、感覚的に
は絶対滅の方があっていると思います。

「無」と表現したら禅の場合はそれで合っていたとし
ても、釈迦の場合は確実に間違いですから、参考まで
にお話しておきます。

つまり、この微妙な捉え方の違いが、釈迦の究極には
永遠にたどり着けない事まで影響を及ぼします。

私は「無」と言う宗教用語を知らなかったことが幸い
して、全てわかったのです。

このように、要らない精神世界系知識を持つ事が如何
に害になるかという事の一つの例です。

私自らで釈迦の究極に蓋をしてしまう所でした。
  • 2015-08-23│22:55 |
  • TK URL│
  • [edit]
No title
ちなみに無我と非我、そんな些細なものどちらでも良
いではないかと多くの人はそのように考えると思いま
す。

しかし、それが私が言う、末法の世の予言どおりに経
典だけはあるが悟れる人はいないの理由です。

無と滅、似たようなものでは無いですか、そう見える
と思います。

言葉というものは、そこから放たれている影響力の違
いというものがあり、自らの内面も見抜くことが出来
ない鈍感な皆さんにとって微細に見える違いだと思い
ますが、無我と非我、無と滅も、その違いは至った者
の眼で見ると莫大も無い大きな影響力の違いがありま
す。

経典の他のあらゆる箇所においてもそうです、ここま
で見抜ける眼が無ければ、経典だけでは至る言は出来
ませんので、諦めてもらうより仕方がありません。

末法の世においては、希少な至った人を捜し求める事
です。

その微細な違いを間違ってしまう事で、至れない事に
なるので、鈍感なみなさんにとっては本当にデリケー
トに見える見逃してしまう部分であったとしても、あ
らゆる部分で外れて終わりです。


私がテキストとしたものは中村元氏の訳の聖典だった
ので、無我と非我の区別をはっきり意識している人で
したから良かったです。

鈍感な人はどちらでも良い訳ですが、至れません、聖
典を振り回すだけの酔っ払いが沢山いました。

http://blogs.yahoo.co.jp/dyhkr486/61792302.html

http://blogs.yahoo.co.jp/dyhkr486/61792381.html

http://blogs.yahoo.co.jp/dyhkr486/61838791.html

相応部経典
>この世間の人々は多くは二つの立場に依拠してい
>る。それはすなわち有と無とである。もしも人が正
>しい智慧をもって世間の出現を如実に観ずるなら
>ば、世間において無はありえない。また人が正しい
>智慧をもって世間の消滅を如実に観ずるならば、世
>間において有はありえない。「あらゆるものが有
>る」というならば、これは一つの極端説である。
>「あらゆるものが無い」と言うならば、これも第二
>の極端説である。人格を完成した人は、この両極端
>に近づかないで、中(道)によって法を説くのであ
>る。
  • 2015-08-25│00:27 |
  • TK URL│
  • [edit]
No title
とりあえずこの場をお借りして私がお話している事
は、悟る事がまずほとんどの人が不可能とされている
この末法の世ですが、私やラピ。さんが至れましたも
ので、その経験をお話しておくことには価値があるだ
ろうと思い、進むためのポイントをお話しているわけ
です。

まず、要らない知識は害にしかなりません。

ラピ。さんにも変な知識を全て捨てるように指導し
て、私が導き手となりましたが、ゴミのような知識を
一切合財すべて捨ててもらわなければ至れる可能性は
皆無となります。

それくらいに、あの手の知識は害になります。

プラセボ(偽薬)効果で知識に酔っぱらう事で良い気
分になりたい人は、止めはしませんが沢山のそのよう
な人に出会いました。

ここでは禅を見下すような表現になってしまいました
が、禅でも正しい師につきさえすれば、運が良ければ
阿羅漢果までは辿りつけます。

ただ、「滅」について話をしてもこの方たちには正し
い解釈はできないと思います。

釈迦がなぜ「無(今)」を極端説として否定するの
か、それは、単純に「無(今)」を超えたから「無
(今)」を否定せざる得なくなったと言う意味です。

つまり、阿羅漢にもピンキリある訳です。

「無(今)」の上が「滅」です。

ただし、「無(今)」までいければ、阿羅漢ですの
で、私の場合はテキストが禅宗ではありませんでした
から、釈迦の教えの実践で突如として「滅」に飛び込
んでしまいました。

もちろん「滅」から退転して来たのでここで話をして
いるわけです。

阿湿貝経
> 上からは下は見えても、下からは上は見えない。


まず、正しい禅寺の師家を見つけたら、出家する事が
ベストだと思います。

http://dharma-winds.net/tag/%E5%8E%9F%E7%94%B0%E9%9B%AA%E6%B8%93/

なぜに出家かと言いますと、その師自身が出家環境で
悟っている訳ですから出家環境なら悟れる可能性のあ
る指導が受けられると思いますが、在家環境では在家
環境で悟った師の方が在家環境での悟り方ノウハウに
ついては出家環境の禅の師家より上であるように思い
ます。

無我と非我、我と言う文字は同じですが、「無」と
「非」の違いにより、「我を利用してのジャンプ力」
が異なって来ます。

「無(今)」と「滅」を分ける重要なポイントです。
  • 2015-08-26│03:47 |
  • TK URL│
  • [edit]
No title
TK師 

いろいろありがとうございます!

無我という表現では
「無」と言っても
まだ「無」があり、
まだまだです。

その無さえもない状態であり
言葉遊びになりますが
その無さえもない状態さえもない
という
ただただ否定語でしか表せない状態であり
状態ですらない。

よって「無」という言葉で表現されるものは
まだ「ある」ということになりますね。

表現の便宜上「無」という言葉を使うことも
あるかもですが
「消滅」という言葉の方がさらにちょっと近い

「無の状態」ではなく
それすらも「消滅」という表現の方が
ちょっとはあっている気がします。

そもそも消滅というものすらもないのですけど。

永遠に否定し続けて
否定すらもない、という感じでしょうか。

そしてもちろん永遠すらもない。

ないすらもない。
そしてそれすらもない。

そしてそれすらもない、もない。

ない、ない、、、、、。

「・」
  • 2015-08-26│06:40 |
  • ラピ。 URL│
  • [edit]
No title
>永遠に否定し続けて
>否定すらもない、という感じでしょうか。

この言葉ですが。

>永遠に否定し続けて

ここまではいいですが。

>否定すらもない、という感じでしょうか。

これは余分です。

否定し続けて、その先は表してはならない、これが正
解です。

その先を無いとか有るとか僅かにでも想定してはなり
ません。

先について一切の表現はしてはならないのです。

「滅」と言う表現がなぜに良いのかと言うと、滅ぶと
言う、自身が無くなる事だけを表す言葉だからいいの
です。

滅と言う表現は適切ですが、滅んだ先はどうなる、こ
のような発想が一切ご法度です。


http://blogs.yahoo.co.jp/dyhkr486/61792381.html

中村元氏の言う通り、否定的にしか説けないという事
は、結果を表現してはならないというところが究極の
所以なのです。


ダンマパダ218
ことばで説き得ないもの(ニルヴァーナ)に達しよう
とする志を起し、意(オモイ)はみたされ、諸の愛欲に心
の礙げられることのない人は、(流れを上る者)とよ
ばれる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%9E%E3%83%B3

ウパニシャツドでアートマンは「でない」とは表現で
きるが「である」と表現できない。

これも、「滅」のレベルの伝承内容です。

http://blog.goo.ne.jp/itiqyonhati/e/c27bf38ffe0275803ab62234adfca0f9

ここでは、ある領域が存在し、とありますが、これは
方便であり、ある領域とか領域でないとか表現できな
い、これが真実ですが、それでも苦労してその事につ
いて何かを伝えたいとなると妥協的な手法として、あ
る領域が存在し、と言う表現を使ったものと思いま
す。

かなり横道にそれました。

釈迦は「滅」に至ろうと至るまいと、乾観者であろう
とも為すべき事を為し終えた、ピンでもキリでも良い
ので阿羅漢を「無学」、即ちもう学ぶことがないレベ
ルだと話していられますので、拘る必要は全くありま
せん。

釈迦やEO氏のような「滅」レベルの師などと言って
いたら、見つかるはずがありませんので禅の「無」の
レベルで充分阿羅漢ですから、そのような捉え方で行
かれる事がよろしいと思います。
探しましたが、「滅」の成就文献など見当たりません
でしたし、EO氏くらいしかいないように思いまし
た。

ちなみに、私が「滅」の身証を得た時は、それは単な
る身証ですから当然に阿羅漢ではありませんでした。

単なる一瞥でしかないわけです。

阿羅漢は慧解脱を達成しなければなりません。

http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=951429&id=38517581

よってサマタ瞑想などしなくとも、乾観者でも阿羅漢
になれます。

私は「滅」を経験しているので、経典解釈が良くでき
ると言うわけですが、多くの皆さんは、いわゆる
「無」で充分だと思います。

「無」で良いですから、正師を探し当てる事の方が重
要なのです。
  • 2015-08-26│20:28 |
  • TK URL│
  • [edit]
No title
TK師、ありがとうございます!


>>否定すらもない、という感じでしょうか。

>これは余分です。

>否定し続けて、その先は表してはならない、
>これが正解です。

>その先を無いとか有るとか僅かにでも想定してはなり
>ません。

承知いたしました。

ない、もない、もないもない、もないもないもない、、、、、、、

例えて言えば結果を想定しない、
想定するような言葉は使ってはいけない
さらに表現もしてはいけない
ということですね。


>先について一切の表現はしてはならないのです。


表現しようとしてももちろんできないのですが
言語化に挑戦しました。

しかし、そうなのですね。
はい。


>「滅」と言う表現がなぜに良いのかと言うと、
>滅ぶと 言う、自身が無くなる事だけを表す言葉だからいいのです。

はい、わかります。


>滅と言う表現は適切ですが、
>滅んだ先はどうなる、このような発想が一切ご法度です。

はい、もちろんわかっております。
至る時も「至ったらどうなる」という発想はご法度でした。
(私の場合、そもそも激流時は発想する暇はなかったです)

結果そうなるのであって
どうなるかなんて発想はしてはいけないし、
発想した途端、それは妄想となります。

妄想では至れない。



>中村元氏の言う通り、否定的にしか説けないという事 は、
>結果を表現してはならないというところが究極の
>所以なのです。

表現できないし、表現しようとするのもいけないのですね。
はい!



>ウパニシャツドでアートマンは「でない」とは表現で きるが
>「である」と表現できない。

>これも、「滅」のレベルの伝承内容です。

はい。わかります。


>ここでは、ある領域が存在し、とありますが、
>これは 方便であり、ある領域とか領域でないとか表現できな
い、これが真実ですが、

はい。

>それでも苦労してその事について
>何かを伝えたいとなると妥協的な手法として、
>ある領域が存在し、と言う表現を使ったものと思います。

ある領域、ですか、、、、。

人に伝えるために便宜上
例えでその言葉を使ったのですね。
  • 2015-08-26│22:56 |
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No title
>ない、もない、もないもない、もないもないもない、、、、、、、
>
>例えて言えば結果を想定しない、
>想定するような言葉は使ってはいけない
>さらに表現もしてはいけない
>ということですね。

我々に関係があるのはそこに至る道中だけです。

てすから究極を言葉で表すなどして少しでも概念化し
たら辿りつけません。

「滅」も道中を表す言葉、「非我」も道中を表す言
葉、究極は究極と言葉で表しただけで概念化がおこり
その道は塞がれます。

究極とさえ表してはならないわけです。

ですから、「無」を釈迦は経典の中で極端説として退
けました。

「無」はその言葉の中に、既に状態を表す作用を含有
していますので、絶対に究極の涅槃には辿り着けませ
んので、釈迦は「無」と言う言葉を極端説として排除
しました。

禅は「今」を分からないと言いますが、はたして釈迦
はそう言うでしょうか、「今」は滅び去るもの形ある
もの、目の当りに確認できるものの一つなのです、釈
迦の悟りは禅より一枚上でした。

「無」を含む一切の概念化を発生させる言葉を寄せ付
けない、それが釈迦の悟りの深淵です。

道中以外は言葉で表してはなりません。

我々が言葉で表せるものでは無いので、僅かにでも言
葉で表すだけで道は閉ざされます。
  • 2015-08-27│04:13 |
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No title
TK師、ありがとございます!

>「無」はその言葉の中に、
>既に状態を表す作用を含有していますので、
>絶対に究極の涅槃には辿り着けませんので、
>釈迦は「無」と言う言葉を極端説として排除
しました。

はい、わかります。
承知いたしました。


>道中以外は言葉で表してはなりません。

承知いたしました。


私は「ある領域」へは
今のところ
望んでおりません。

今の状態は大変快適で
そしてさらにその先に至ることを
今は望んでおりません。

しかし、行き方(例えです)はわかりました。


>「無」を含む一切の概念化を発生させる言葉を
>寄せ付けない、
>それが釈迦の悟りの深淵です。

師匠の仰っていること
私の得意分野です。

師匠、どうもありがとございます。
  • 2015-08-27│06:15 |
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No title
>私は「ある領域」へは
>今のところ
>望んでおりません。

良いと思います。

今の状態でいて、そのうちに息苦しさのようなものが
出てきたなら、その時の参考にして下さい。

ピンからキリの阿羅漢ですら珍しいこの時代に、この
辺りの話が出来る人は当然にいませんので、私も今の
うちに情報提供をしているわけです。

在家については、なぜに釈迦が在家に簡単な教え生天
論を説いていたのかがよく分かった気がしています。

激流時代にしても、一言で言うと出家の方がよほどに
か緩流で楽だったろうという事です。
  • 2015-08-27│21:39 |
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No title
TK師

いろいろありがとございます。

>激流時代にしても、一言で言うと出家の方が
>よほどにか緩流で楽だったろうという事です。

私に「出家」はあり得ませんでした。

普通に人として生きている中で
普通の日常の中で
至ることを選び、至ることができました。

わざわざ出家した環境で至ったからってどうなん、
と思います。

自分の意志さえあれば環境なんて関係ない。

わざわざ環境変えて至るなんて
かっこ悪い。
至ったのが環境のおかげみたいやん。
嫌よ、そんなの。

出家したらみんながびっくりする、
って思いもあったかもしれない。

出家することは変、とも思ったかも。

そもそも宗教が好きではなくて
出家っていう行為自体
宗教っぽくって嫌であり得ませんでしたけども。

それ以前にそもそも出家という選択肢は全くなかった。

普通でいいと思ってました。

出家によって世俗を捨てて修行、ではなく
世俗のまま至る。

そもそも私は実践として捨て続けていたので
出家する必要もなかったし。(笑)


そして日常を変えることなく
今すぐ実践しなければ意味がない
と思ってました。

どんな言い訳もいらない。

絶対、向き合う。
今、向き合う。
例外はない。

私の心は揺らぎませんでした。

そして私は敢えて
実践によって起こった苦難に
さらに挑戦しました。

「苦しみを乗り越えるには
苦しみに挑戦するしかない」
なんて思うことなく
結果的にそうしていました。

究極の苦しみの中では
苦しいなんて思えないのです。

本当の激流では
思う暇もないんです。

思った瞬間、激流に流されてしまいます。
  • 2015-08-28│00:16 |
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No title
ラピ。さんは立派なものだと思います。

私などは人を欺いた事も、虐めたことも、生き物を虐
待したことも、とても一般的には褒められた事ではな
い事もやってきました。

このような私が悟れたのですから、みんな頑張れば悟
れるはずです。

殺人鬼アングリマーラも殺人鬼のミラレパも、このよ
うに究極に捻じ曲がっているような人ですら悟って聖
者になっています。

アダルトチルドレンとウジウジしながら嘆く事より、
まず、正しい目的をもって人生に立ち向かう事、ここ
に突破口があります。

もちろん阿羅漢になったからと言って、カルマから逃
れられるわけではありませんし、目連は殺され、アン
グリマーラは人々から危害を加えられ、ミラレパは毒
を飲まされ様々ですが、褒められたような事をしてこ
なかったそのつけは、悟ってから果たせばいいわけ
で、私でも悟れたし、殺人者でも阿羅漢になった、だ
から、アダルトチルドレンとか言って可愛らしく人の
迷信に惑わされて洗脳されて、ウジウジしているので
はなくて、もっともっと捻じ曲がった人たちが悟って
るのですから、嘆いているのはやめることです。

私はドロドロとした家系に生まれ充分に捻じ曲がって
ましたが、しかし、自ら悟りラピ。さんの悟りの手引
きまでしましたから、自称アダルトチルドレンとか言
う可愛らしい人たちは、その自称は捨てましょう。

それこそ、お前はそうだから駄目なんだと言う、人の
言葉の洗脳にかかって自己暗示で思い込んでいるだけ
であると私は思いますよ。
  • 2015-08-29│00:48 |
  • TK URL│
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No title
TK師 ありがとございます

かつての私もまったく褒められたものではありませんでした。

そして小さいころに反省すべき自分を知り
心から反省し
「自分を捨ててなんでも心から喜んでしよう」
という生き方を始めました。

かつてのある時点からの私の人生は
「自分を捨ててなんでも心から喜んでしよう」のみで
そうでなかった生き方よりも
長くなりました。

そう言えば第2の扉が開いたときは
「喜んで」の生き方をしている時間が
そうでなかったときの時間を超えてから
のことだったと思います。

この生き方は
変わった人と思われることもあったし、
誤解されることもありました。

(「悩みなさそうでいいなぁ」とも言われたことあり。(笑)
最高の褒め言葉だと思いました。
ほかにもいろいろあったなぁ、、、。)

しかし、誤解されようが
そんな自分すらも捨てて
「喜んで!」でした。

だから誤解されても問題ありませんでした。

(「問題となっている」と思った時点で
自分を捨てられていないことになり
実践できていないことになります。)

だから私は一人ぼっちでした。

誤解を解くこともなかったですし。


>このような私が悟れたのですから、
>みんな頑張れば悟れるはずです。

私も、私が至れたのだから
誰もが至るチャンスがあると思います。

私が激流時
自分に言い聞かせた言葉の一つに
「私ができることはこの世界全ての人ができるはず。
だから自分が実験台となってなにがなんでも達成し
誰もができることを証明しよう。」
がありました。

だから私が至れたのは
この世界全ての人のおかげです。

この世界の人すべてが平和でありますよう、
全ての人の悲しみがなくなりますよう、
そう思いました。

この思いが私を奮い立たせました。

世界を変えたい、という気持ちよりは
私が達成できたらみんなもできるから
とりあえず、私やれ!
という感じです。

よって私が命を懸けることができたのは
この世界と全ての人の存在のおかげです。

だから実は私は一人ぼっちではありませんでしたね。


誰もに至れる可能性があることが
私が至ることによって証明されました。

出家することなく至れたのですよ。

皆様、ありがとうございます。
  • 2015-08-29│08:04 |
  • ラピ。 URL│
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No title
私は家族どうしが談笑も無いようないがみ合いのドロ
ドロとした環境に生まれました。

従って充分に環境に汚染されて捻じ曲がっていまし
た。

だから、それがどうしたのとそう思いませんか。

私が掲げる「理想」の正体は精神の捻じ曲がりの事で
す。

短所は長所になる、精神の捻じ曲がりに正しいと言う
方向性を一つ与えてやるだけで、その捻じ曲がりは
「理想」に変貌し捻じ曲がりの強さはそのまま自らの
「理想」の強さになります。

「理想」の正体が精神の捻じ曲がりであるという事を
もう少し考えてみて下さい。

その人の生まれた環境から受けた捻じ曲がりの強さ
が、その人の持つ「理想」の形態です。

私は精神の捻じ曲がりの強さをそのままで自分の武器
に変える事を勧めているわけです。

自分の親や生まれた環境がドロドロしていたところで、
その精神の捻じ曲がりは、進んでいくための立派な利
用価値があるものですから、それらを小ばかにして見
下す事を私は全く良しとはしません。

釈迦がなぜ、在家にエゴの縛りつけを極端に減らした
エゴに自由を与えたままの簡単な教えの実践にしたか
です。

中途半端に在家にエゴをがんじがらめに縛りつける、
激流実践法など説いても酔っぱらいにしかなれず、そ
のままあの世行きにしないためです。

まず、精神の捻じ曲がりは捻じ曲がりのままで方向性
を与えて「理想」にまで昇華させる。

これを本当に精一杯やれば、幸せになれる事はその通
りです。

釈迦の在家に説いたエゴに方向性を与えるだけの簡単
な教えの論法は嘘じゃない。

私も「正しい理想」だけしかない超簡単の実践当時は
幸せでしたから、そのままで一生を終えた所で幸せで
した。

しかし、現代ではこれを一生懸命にやっていると、こ
れも行き止まりの状態が来る、つまり、私やラピ。さ
んのように、エゴで進めることの限界に突き当たるわ
けです。

この場合の精神のねじ曲がりは、さらに進んだ段階の
「激流」の実践法の中で解除しながら気づく形となり
ます。

この時には、自分のやることなす事の行動のパターン
が、これほどまでに自分は親にそっくりだったのかと
気付かされる事になります。

余談ですが、悟った所で、出力するための行動のパ
ターンは自分の中にある経験値であるそこから取って
くるしか手がありませんから、ただし、悟ると、それ
がそうである事の自覚も持てるし、そのパターンを自
分に授けた親オリジナルとは違い行動する際の仮のも
のであるとの自覚の元に、親や周りの環境から学習し
た出力パターンに縛られなくてよくなるわけです。

例えば、授けられた行動パターンの親オリジナルな
ら、ある特定のケースの場合はある特定の反応パター
ンにならざる得ないはずの所が、自分にとっては行動
の際の仮に取っているに過ぎないものであるから自由
自在にパターンを変幻できる的なものです。

これが親を超えると言う事であり、反対に親に反抗し
ても憎んでも親は超えられません、そういう性質のも
のですから無駄なあがきをしている人もいるようです
が、そのように了解して下さい。

初めの段階でエゴのねじ曲がりなどを不用意に解除し
てしまったら、その分エゴの推進力は利用できない事
となると思います。

それはそのまま、悟るためのエゴの推進力としての利
用価値があります。

最初に与えられたドロドロとした環境の素材、これを
どう殺すかではなくどう活かすかが進み方です。

精神の捻じ曲がりが「理想」であり推進力であるので
すから、それは憂えるべき事なのではなく大いに結構
な事です。

最終的には激流段階で、次々と捻じ曲がりの部分を解
除はしていきますが、それまではその捻じ曲がりこそ
がその人の「理想」の生き方の武器です。

短所は磨けば長所になる、釈迦の在家に向けた想定が
これだったと思います。

出家至上主義とか、現代の人の当時の在家を見下した
ような捉え方に翻弄されなくてもいいと思います。

釈迦の時代の在家は、本当に釈迦から見下された不幸
な人たちだったのかと言いたくなりますが、実際は幸
せになれる生き方を説かれて在家本人たちも幸せで
あったと思いますよ。

現代人の解釈は、自らに実践し確かめもしないで口か
ら出まかせで、悪因悪果とも言える行為に次ぐ行為、
このような事を続けて末法を促進させたら、その人た
ちにはばちが当たって不幸になっても仕方がありませ
ん。

どうせ悟れないのだったら、酔っぱらいで行く事より
も、小難しい経典知識を一切捨てて、自分たちも見下
しただろう釈迦の在家に向けた生天論のような、「正
しい理想」だけあれば他は何も気にしなくていい的な
超簡単にこそ、もう一度関心のスポットを当ててみる
べきです。

エゴを縛り付けるための釈迦の教えは×です、対機と
いうものが有りますが、この対機が最も重要なのです
から、無視しないで下さい、エゴを自由にさせる事が
在家の進み方です。

このような内容も、結集当時のような阿羅漢の資格の
者だけが集まった、今でいえば学会のようなもので方
法論として討議されるようになれば理想ですが、それ
は不可能です。

至った当人たちは、人類において劇的に重要な変化で
あると自覚があったとしても、現代科学の水準でそれ
を劇的な人間の変化として容認しない、容認されなけ
ればこの重要なポイントは今後も人類の中の重要な事
としては発展しえない、いつまでも一部分の人たちの
秘匿する部分のものであることは超えません。

しかし、これは悟った人本人よりも悟る前の人たちが
渇望し、強い求めを起こすべきものだと私は思います
が、悟った人には「理想」はなく、所詮全てが他人事
のようなものでしかありません。
  • 2015-08-29│15:34 |
  • TK URL│
  • [edit]
クヨクヨ悩んでしまいます。
はじめて投稿します。
教えていただきたいことがあります。
わたしは自分の病気のことや仕事のことなどで、過去に行ったもしくは行わなかっ事を後悔してクヨクヨと悩んでしまいます。
あの時あれをやっておけばよかったのに、あの時あれをやらなければよかったのにと。
このような感情をもつことはほんとうにいやなことですが常に考えてしまいます。
そのようなときはなにもやる気が起きなくなってしまいます。
このようないやな感情をもたないようにするにはどのような実践方法がありますか?
よろしければ教えていただきたいです。
  • 2015-08-30│14:13 |
  • ゆう URL│
  • [edit]
No title
ゆうさん

>あの時あれをやっておけばよかったのに、あの時あ
>れをやらなければよかったのにと。
>このような感情をもつことはほんとうにいやなこと
>ですが常に考えてしまいます。

関心が過去にのみ行ってしまうという事は、それだけ
現在に打ち込める理想というものが無い事によると思
います。

精神世界的では全くありませんが、過去に拘るより、
未来に向けての理想に生きる方が良いです。

この為にはしっかりとした「理想」、それを実現する
べく「スケジュール」を立てて、関心が未来に行くよ
うにすればいいと思います。

釈迦の在家に説いた施論ではありませんが、「人のた
めに自分は何が出来るのか」、このような方向性で自
分にどんなことが出来るのかしっかりと考えるので
す。

失敗は成功の母と言いますから、気持ちが現在と未来
にしっかりと向けば、過ぎた経験は何事も活きてきま
す。

これは精神世界的な教えとは異なるものですから、頭
の中にあの手のゴミ知識が詰まっている人は捨てて下
さい。

今以外は駄目みたいな、あの手のスピの教えは、やっ
ている人たちがバカみたいな気色悪い人たちしか見な
いので、目にするだけで目と脳が腐ると悪いので、で
きるだけ関わらないようにして下さい。何事も次第説
法と言って順番があることを知らない可哀そうな人た
ちです。

理想とはどちらかと言うと、未来に目標を定めて生き
る事だと思います。

http://thechange.jp/sippai9-6789.html
  • 2015-08-30│15:19 |
  • TK URL│
  • [edit]
No title
ラピ。さん

>だから実は私は一人ぼっちではありませんでした
>ね。

本当に一人ぼっちでは無かったですか。

「理想」の実践時と「激流」段階ではこの辺りが変化
します。

もちろん「激流」の実践時は、時と場合によって正反
対でも何でもアリにはなる訳です。

実は私は激流の実践時、大勢の中にいてもこの世界に
は私一人しかいないと言う妄想を駆使しました。

今の私は、何も無いいわゆる「無」の境地ですが、こ
こに至るためのプロセスで私の目の前の個々の人々と
言う捉え方を消しました。

最終的には現象と私との間に立ちはだかる激流の壁は
破壊され、全ての物質的な現象は消えましたが(意識
の焦点機能の消滅)、そこまでのプロセスで現象と私
と一対一の関係に持ち込んでの最終決戦でした。

このような実践法は経典には出ていませんが、よって
遥か昔の経典を熟読したところで至れません。

今と昔が同じ地域の同じ環境ならいざしらず、さらに
一番重要なのが対機です。

聖典への接し方一つとっても、至れない人たちには至
れない人たちの致命的な原因がありますが、それ以前
に、在家に向けた釈迦の簡単な教えである事の必要性
を無視したその振る舞い方、その姿勢には大問題があ
るだろうという事です。

よく在家阿羅漢は無理と言う人がいますが、唯作心
(疑似エゴイズム)が自在に使い回せる阿羅漢に在家
生活が不可能ということは全くありません。

阿羅漢すなわち、ヨーガの方のジーヴァンムクタ(生
前解脱者)の解説では次の通りです。

http://from2006tofuture.seesaa.net/article/187203283.html

ただし、在家で阿羅漢になるための激流度合いは並み
ではありませんので、その分恐らく出家より短期間で
クリアーできるだろうとはいえ、出来ないと話した方
が良いくらいのものです。とても生きている人間の生
き方とは言い難いものです。

よって在家で解脱するためには、釈迦の次第説法の簡
単な教えの実践でエゴの素地を作る過程は飛ばすこと
が出来ませんが、時間がかかっても出家の方が楽だと
思います。
  • 2015-08-30│15:56 |
  • TK URL│
  • [edit]
No title
ゆうさん

>わたしは自分の病気のことや仕事のことなどで、
>過去に行ったもしくは行わなかっ事を後悔してクヨクヨと悩んでしまいます。

わかります。
私もそうでした。

子供の頃、私の初めの指針を決める前
数日特にクヨクヨしてました。

どうして私ってこうなんだ
と自分を責めました。

そんな私はどうしたらいいのか
どう生きたらいいのかを
じっくり考えました。

じっくり、答えが出るまで考えました。

そして私の指針が決まりました。

ゆうさん、自分の生き方として
自分にとって後悔のない生き方を決めるのは
いかがでしょうか。

私は自分の指針があったおかげで
クヨクヨすることが少なくなりました。

もちろん、たまにちょっとあったかもだけど
そういう時は自分の指針を思い出して
がんばりました。
  • 2015-08-30│18:50 |
  • ラピ。 URL│
  • [edit]
No title
>今以外は駄目みたいな、あの手のスピの教えは、
>やっている人たちがバカみたいな気色悪い人たちし
>か見ないので、目にするだけで目と脳が腐ると悪い
>ので、できるだけ関わらないようにして下さい。

これにまつわって、今を生きるとかと言う、気色悪い
言葉がありますが、これ、猿人が良いモノ見つけたと
言っては喜んで、誰がこのような間抜けな言葉を振り
回すのでしょうか。

今は生きるとか死ぬとか関係が無いのが今なのですか
ら。

生きるなどと言う、動詞を持ってくる、だからこの人
たちに耳傾けると脳みそが腐る。

知ったかぶりもここまで泥酔で、汚物な言葉をばら撒
くのがスピ系と言うものの正体なのです。

ちなみに原田雪渓禅師は本物です。

比較するだけ野暮ですが。

http://www.amazon.co.jp/product-reviews/493890201X/ref=dp_top_cm_cr_acr_txt?ie=UTF8&showViewpoints=1

今は分からない。

生きてもいないし、死んでもいない、原田禅師はそれ
が今というものであるとお話しています。

これが本物とスピ系かぶれの違いです。

私がスピ系かぶれに係わると頭が腐りますからと言う
のは嘘ではありません。

次も、なさけない日本の禅宗団体ですね。

http://www.rinnou.net/rinzai1150/

末法の世の禅寺の腐敗ぶりをさらけ出しているような
ものです。

このように、どこかピントが狂っているのです。

なぜ狂っているのか、私と言えども「今」と言う言葉
は「今」を成就した上で使っていますが、このスピか
ぶれや禅なんたらの人たちは何ら見性も無く受け売り
で、何ら成就もしていないのでこの間違いに気が付か
ない。

この人たちの言葉に耳傾けても、この人たち自身が
至っていないで、この程度のものですら何もわかって
ないのに至れるはずがありませんね、お気の毒様。
  • 2015-08-30│20:16 |
  • TK URL│
  • [edit]
No title
TK師

>>だから実は私は一人ぼっちではありませんでしたね。

>本当に一人ぼっちでは無かったですか。


一人ぼっちです。
しかし、私の「みんなの実験台となってみんなができることを証明する」
という言葉は
みんながいる、という前提での言葉になっているので
例えである意味、「一人ぼっちではありませんでしたね。」と書きました。


>実は私は激流の実践時、大勢の中にいてもこの世界に は
>私一人しかいないと言う妄想を駆使しました。

私の場合、激流時はそもそも大勢の中にいる、
誰かがいる、
という感覚を持ちようがありませんでした。

それくらい集中していました。

自分の意志を集中以外の他には
使うことはない状態に持ち込みました。

私は自分の決めた実践に集中していたので
そういった妄想は使えませんでしたが
気を失いそうになる時、ダメになりそうなとき
言葉を使いました。
自分を奮い立たせるために。


>今の私は、何も無いいわゆる「無」の境地ですが、
>こ こに至るためのプロセスで私の目の前の個々の人々と 言う捉え方を消しました。


この「私の目の前の個々の人々」が
私にはそもそもありませんでした。
あったかもですが
そういう捉え方をすることに意志を使わず
意志をすべて
自分の決めた実践に集中させました。


>最終的には現象と私との間に立ちはだかる激流の壁は破壊され、
>全ての物質的な現象は消えましたが(意識の焦点機能の消滅)、
>そこまでのプロセスで現象と私 と一対一の関係に持ち込んでの最終決戦でした。


私の場合はただひたすら実践でした。

そもそも現象とか私とか
意識する暇もなく
ただただひたすら実践でした。

アホみたいに。


>ただし、在家で阿羅漢になるための激流度合いは
>並みではありませんので、
>その分恐らく出家より短期間でクリアーできるだろうとはいえ、
>出来ないと話した方が良いくらいのものです。


そうですね。
私は自分ができれば誰もができるからそれを証明しようとして
激流に飛び込みましたが
この激流、私が至れたからと言って
決してお勧めできません、結局、、、。

というかやめたほうがいい、と思います。

本当に死ぬくらいのものです。

言葉には表せない状態を
超えました。


>とても生きている人間の生き方とは言い難いものです。

全くその通りで
人間ではありません。


>よって在家で解脱するためには、釈迦の次第説法の簡単な教えの実践で
>エゴの素地を作る過程は飛ばすことが出来ませんが、
>時間がかかっても出家の方が楽だと思います。

私はどっちが楽なのかはわかりません。

私が出家したとしたら、生ぬるい道は決して歩かない。

しかし、体は傷つけたくはなかったので
出家は無理だったと思います。
(私が出家するとしたら
体を酷使した修行をすると思うからです)

私の選択肢の中に「出家」はありませんでした。
  • 2015-08-30│20:22 |
  • ラピ。 URL│
  • [edit]
No title
「今を生きる」についてなのですが。

師匠の言われている通り
「今」はわかるものではないですが
しかし、至ってない時はそんなことわからないので
(わからない、のがわからない。
わかったふりをしている。受け売りをしている、など。)
「今を生きる」という言葉が簡単に出るのだと思います。


私も「今を生きる」ということを
やっていました。

正確に言えば
目の前のことを精一杯する、ということです。

「今を生きる」とは
そういうことだと思っていました。

まぁ、なんか、変ではありますね、、、。
やっぱり酔っ払いだった?

しかし、それは
今=どんな時も精一杯がんばる、
目の前のことを精一杯がんばる、と捉えていました。


もちろん今を生きることはできません。
そもそも私たちは生きようとして生きてはいないし、
今というものもそもそもないし
(今と思った瞬間、今ではない)
生きるという言葉を動詞として使うこと自体、
変ですもんね。

しかし、言葉の捉え方は
人それぞれで例えとして
どんな時も精一杯がんばることを
「今を生きる」とも表現できると思いました。
(まぁ、やっぱり変ですが、、、)

「今を生きる」って言葉に
みなさんどんなイメージを持っているのでしょうね。

そのイメージによって
確かに酔っ払いにはなるかもです。
  • 2015-08-30│20:41 |
  • ラピ。 URL│
  • [edit]
No title
私は元々がスピ系から来た者ではありませんから、今
を生きる等と言う酔っ払い用語は違和感があります。

原田禅師もお話しているように、悟りが「今」なので
す。

それは間違いありません。

スピ系のあの人たちの事なら大体予測がつきます。

賢者らしき人の言葉だけを取ってきた、そうしてさも
良い言葉を覚えたんだと流行らせた、何ら成就もして
いないままに、受け売り言葉として。

そして、悟っていないで使い回す言葉だから、自分た
ちの好みで歪曲したと言う筋書きだと思います。

しかし、禅宗なんたら団体同様に「私達は至っていな
い人たちですよ」、と宣伝しながら雄たけびをあげて
いるわけですから、そこに耳を傾ける者は残念ながら
至れるはずはありません。

原田禅師のような本物なら、このような事にはならな
いわけです。

>どんな時も精一杯がんばることを
>「今を生きる」とも表現できると思いました。

これも、スピ系慣れのせいで違和感がないラピ。さん
流の定義の仕方だと思います。

彼らは単純ですから、大体何を言いたかったのかも私
には予測がつきますが、過去と未来を捨てながら生き
る事、イコール今を生きるなんですね。

ところがどっこい、酔っ払いと言うのは、こちらから
見たら充分に未来に拘っているのに、本人はこれが今
に生きるという事なんだと言ってるわけです。

言葉も変なら、やってる事もまったく変、これがスピ
系の現状です。

もともとこれは、激流段階の実践内容から来てますか
ら、スピ系がかかわったら酔っ払いになるだけです。

さすがにスピ系汚染を受けてない私は、実践当時に
は、今を生きるとなどと言うけったいな言葉はありま
せんでした。
  • 2015-08-30│21:30 |
  • TK URL│
  • [edit]
クヨクヨ悩んでしまいます。
TK様
ラピ様

お返事ありがとうございます。

「理想」、「指針」をたてて、スケジュールを決めて後悔なきよう実践したいと思います。

過去を後悔する嫌な感情が頭をもたげるときはなにもしていない時(暇な時)におきます。

仕事などに集中しているときはあまり嫌な感情はおきません。

こうなりたいという理想はあるのですが具体的にスケジュールなどは設定していませんのでだらだらと先延ばしになって日々の生活を過ごしています。

ああすればよかったなどの過去の後悔を未来には全て実現させるくらいの欲をもって実践をすれば過去に関心が向かなくなりますね。

また質問をさせていただければと思います。
  • 2015-08-30│22:06 |
  • ゆう URL│
  • [edit]
No title
TK師


>>どんな時も精一杯がんばることを
>>「今を生きる」とも表現できると思いました。

>これも、スピ系慣れのせいで違和感がないラピ。さん 流の
>定義の仕方だと思います。

そうですね。
ある意味こじつけですね。

至ってないからこそだったと思います。


  • 2015-08-31│00:09 |
  • ラピ。 URL│
  • [edit]
No title
>>どんな時も精一杯がんばることを
>>「今を生きる」とも表現できると思いました。

「今を生きる」この言葉の気色悪さがどこから来るの
かと思ったのですが、この言葉は絶対にまずいです
ね。

>生きてもいないし、死んでもいない、原田禅師はそ
>れが今というものであるとお話しています。

真実は原田禅師の言う通りですが、もしもこれを激流
の実践法の方便として使うなら、「今を生きる」では
なく「今を殺す」にならないと駄目です。

「今を生きる」このような言葉で解脱が出来たら、天
と地がひっくり返ると思いますが、分かりますかラ
ピ。さん。

理由は簡単です、エゴが動き回る事を推奨している言
葉だからです。

こんなものは方便でも何でもない、ただのでたらめと
そのでたらめをまき散らすスピ系と言う罪人達です。

スピ系、またの名を酔っ払いと言うのは、エゴで汚れ
たマインドで、好き勝手に賢者の言葉をデタラメに歪
曲するのが特徴です。

頭を正気に保ちたいなら、スピ系は絶対にダメという
事です。

なぜ素直に「(希望の)未来に生きる」と言えないの
かです。

次の人はいいと思いますね。

http://hiroshitasaka.jp/book/2939/

「今」何をするべきか、と言う内容であったとして
も、素直に「未来」を前面に打ち出しています。

スピと言うのは、実践法として「理想」にも「激流」
なもならずに、そもそも適当に聞きかじっては、歪曲
に次ぐ歪曲で騒ぎまくる酔っ払いです。

酔っ払いで一生終えたくないと思ったら、スピやスピ
疑いのある人には絶対に近づかない事、これを標榜し
てください。
  • 2015-08-31│19:16 |
  • TK URL│
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No title
TK師

>真実は原田禅師の言う通りですが、
>もしもこれを激流の実践法の方便として使うなら、
>「今を生きる」ではなく
>「今を殺す」にならないと駄目です。


はい。
激流であるならそうかもしれません。


>「今を生きる」このような言葉で解脱が出来たら、
>天と地がひっくり返ると思いますが、
>分かりますかラピ。さん。


ええ、わかります。

私がスピ系している時は
そもそもそういう解脱とかいう気配(気持ち?)
は全くありませんでした。

(あ、もともとなかったのですけども。。。)


スピ系=解脱とは思っていません。

私はスピ系で人生を楽しもうと思っていましたから。


>>どんな時も精一杯がんばる

これも激流時ではなく
スピ系の時です。

まぁ、しかし、実験として
スピ系を鵜呑みにしていたところはあります。

とりあえずやってみよう、みたいな感じです。

少なくとも人を不幸にしない考えであるなら
オッケーでした。

、、しかしスピ系やってたら
結果的に人を不幸にしてしまったのでしょうか、、、?


ちなみに私が激流の時は
「今」すらも捨てていましたよ。

「今」と言う前に、
そういう思いが浮かぶ前に
そしてその気配がする前に
切り捨てていましたから。

それは「今」だけではなく
どんなことも例外なしで切り捨てです。

よって「今」も殺すことなく抹消です。

今という概念が思い浮かぶ前に、
認識しようとする前に抹消です。


私が最後に激流に飛び込むと決めた時と
スピ系やってた時のことは
まったく別のものです。


しかし激流はスピ系前にもやってたので
それがギリギリよかったかもです。

もし、初めからスピ系やってたら
確実に至れていません。


、、、スピ系を初めから望んですることはあり得ませんが、、。

なぜなら、スピ系で言われていることは
そもそも私の望んでいたことではなかったからです。





>なぜ素直に「(希望の)未来に生きる」
>と言えないのかです。


>「今」何をするべきか、と言う内容であったとしても、
>素直に「未来」を前面に打ち出しています。


子供たちにはそうであってほしいかもですね。

それががんばる原動力となりますね。


しかし私の場合、
未来に生きる、ということも
第一の実践時はなかったですね、、、、。

ただただ自分の決めたことを
守って生きる、
実はこの時、
何の望みもありませんでした。

自分を捨てていましたから。

ちょっとした望みはあったかもですが
覚えていないです。

少なくとも、未来を夢見ることはなかったし
これからどうなるのだろう、なんてのもなかったです。


激流飛び込み前に真実が知りたい、と言うのはありました。
(それが激流のきっかけとなりました)

その為にはどうすればいいかを考え
決めたら望むことなくただただそれをする。

決めたことをこの世界の誰よりも極めたら
とりあえずいいのだろう、
しかしどうなるかはわからないけど
とりあえず極めよう、
という感じでもありました。



しかし、至って初めの方はスピ系やっていたことも
無駄ではない
必要なことだったと思ってました。

う~ん。
今も無駄ではなかったと思ってます。

私の場合
先に激流に飛び込んだことがあるから
そう言えるのかもですが。
  • 2015-08-31│20:26 |
  • ラピ。 URL│
  • [edit]
No title
スピ系の正体は見抜けましたか。

借り物の言葉をごちゃ混ぜにしただけのものです。

今のがいい例。

「今を生きる」このごちゃ混ぜのゴミみたいな言葉は
理論的にも酔っ払いしか産みません。

正しい方向でエゴを伸ばしたければ「理想」を利用す
る、そのための方便は「未来に生きる」ですよ。

「激流」段階でエゴをそげ落す方便なら「今を殺す」
です。

これが、目明きのカスタマイズによる正しい方便です
が、「今を生きる」こんなクズの言葉を使って、これ
が酔っ払いになる事の原因です。

ポジティブシンキングにしても感謝にしても、スピ系
はいずれも激流段階のものに不用意に手を出しては、
悟りも得ていない者たちがゴミのようなエゴで歪曲し
まくる。

私が目にしたこの者たちのポジティブシンキングの実
体は、ごちゃ混ぜのネガポジシンキングでした。

それで本人たちは、いい気になっている、まるで狂気
の世界です。

そのようなものを使って、まともな人間になれると思
いますか。

私も初めラピ。さんを見た時は、気色悪かったです
よ。

スピ系はできもしない「激流」段階の実践法を取って
きては、歪曲しまくるのが得意のようですが、曲がり
なりにも「激流」レベルの聖なる実践法、エゴが滅茶
苦茶になってそれが酔っ払い、あの者たちの実体は実
践法を汚した一種のバチのようなものですね。
  • 2015-09-01│00:22 |
  • TK URL│
  • [edit]
No title
「今を生きる」という言葉は
よく使っていましたが、TK師のご指摘で
とんでもない間違いである事が分りました。

至る前の実践法や激流時の実践法様々あって
どの段階でどれを使うのが適切かというのは
至った人しかわからないのを
ごちゃまぜにして使っていました。

「無」と「滅」の違いとか言葉の精度
という事の大切さをとても感じました。

進む際の角度が0.01度違うだけで長い距離に
なればとんでもない差になり大外れになりまから。

こうした事は本当に至った人でなければ
わからない事で、末法の世は経典のみあって
悟れる者はいないと言われるのはこの為なんですね。

ラピ。さんの事は煩悩フルスロットルのヤッズさんの
記事で知りました。
そのおかげでTK師の存在を知りました。
やはりスピ系の人はTK師の様な阿羅漢に出会い
コテンパンにやられるという過程は避けれない
と思います。

一度コップの水を全部出さないと新しい水は入らないので必要な事と思います。
至るまではゴミを出さないように言葉に気をつけたいと思います。

  • 2015-09-01│19:32 |
  • inri1225 URL│
  • [edit]
No title
TK師

>私も初めラピ。さんを見た時は、
>気色悪かったですよ。

そうですね。
初めてメールをしたときから
嫌われていましたもんね(笑)
  • 2015-09-01│22:17 |
  • ラピ。 URL│
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No title
>初めてメールをしたときから
>嫌われていましたもんね(笑)

確か、嫌ってはいませんでしたが。

おかしな洗脳状態みたいなものが取れるのに、半年くらいかかりましたかね。

仕方ありませんよ、解脱者不在の末法の世です。
  • 2015-09-01│22:54 |
  • TK URL│
  • [edit]
No title
inri1225さん

何も難しい事はありません。

昔も今も同じです。

釈迦は在家者には、簡単な教えを説いたわけです。

ここを踏み外したのが、スピ系や経典の受け売り亡者
たち。

単純に内面(スピ)の問題には関心を示してはならな
いという事。

体を使って現実世界で幸せを追求する姿勢。

「人のため」これだけで良いです。

イエスも、隣人を愛しなさいと言いましたし、仏教も
釈迦の時代は「施論」、大乗はこれが「利他」と言う
表現に変わっただけです。

https://kotobank.jp/word/%E6%96%BD%E8%AB%96-1352718

内面(スピ)世界は、一切禁止の姿勢で行かなければ
なりません。

現実からの逃避先にしかなりません。

葉一枚に心留めれば、木全体は見えない、これは剣禅
一致の教えで、元々はエゴが無くなれば周辺視野の情
報が全て入ってくるという事で言われた言葉ですが、
エゴがあったとしても一点だけを見ずにあっちこっち
とくまなく見れば、木全体を見る事が可能です。

http://ameblo.jp/sakura-bushido/entry-11884024273.html

私は悟る前の理想時代は、頭をフル回転させて落ちが
無いように方々に注意を払って、木全体が見える、を
やってましたから。

これこそが、気色悪い内面亡者と壁を隔てる剣禅一致
ならぬ健全一致です。(笑)

乳歯で一生懸命に物をかもうともしないで、どうせ乳
歯など抜けるのだから使う前に抜いてやれ、みたいな
ことをやっていたらまともに進めるものでは無いと言
う意味です。

まず、エゴを一生懸命に使ってみて、そのためには内
面(スピ)の事は、そんなものどうでもいい、このよ
うな気構えでスピ(内面)抜きの現実世界で生きると
いう事です。
  • 2015-09-01│23:54 |
  • TK URL│
  • [edit]
No title
>内面(スピ)世界は、一切禁止の姿勢で行かなければ
>なりません。

>現実からの逃避先にしかなりません。

一度コップの水を出す為に本日付でブログを閉鎖しました。
もう元には戻せませんが一瞬で全てが消えてしまう時の感覚は
以前何処かで感じた様な気がします。

リセットして日々精進したいと思います。
  • 2015-09-02│00:36 |
  • inri1225 URL│
  • [edit]
No title
TK師

洗脳されていたのではありません。
この時点で空っぽな状態はできていましたので
洗脳されようがありませんでした。

しかし、そうであることを試してはいました。

なにもわからなかったからです。

しかし、そうであろうとしても
できなかったのですが
やってみるしかありませんでした。


師匠にはじめてメールを送ったのが1月14日で
至ったのが5月13日なので
ぴったり4か月で至りました。
  • 2015-09-02│06:10 |
  • ラピ。 URL│
  • [edit]
No title
スピ系に関わる人たちにも、私もそのようなドロドロ
とした経験がありますので理解はあります。

ここで私がしっかりと言わなければならない点は、ス
ピ系(内面対策)は駄目だという事。

私の場合は物質的では無い意識体から追い出されまし
た。

一切内面に関心を持ってはならない的な感じのもので
した。

つまり、外へ向けての活動オンリーで行くしか手が無
い、しかし、それがあったから今がある。

だからこそ皆さんに、スピは駄目ですとお伝えしてい
るわけです。

私はそのように促され、それに従って今がある、確実
な結果が出てラピ。さんにもそれを伝えることが出来
て至ることが出来、しかし、私にとっての大元はスピ
から追い出された、そこから実践が始まっているので
す、私が受けた恩は皆さんを対象に還元するつもりで
お話しています。
  • 2015-09-02│20:03 |
  • TK URL│
  • [edit]
No title
>外へ向けての活動オンリーで行くしか手が無
>い、しかし、それがあったから今がある。

結果として実際に至る事が出来て、ラピ。さんも至る事が
出来ていますから正しい方法であるのは間違いないと
思います。

体とマインドを使って実生活に集中したいと思います。

人のためがポイントですね。
ブログも希望を持って生きる人のための応援歌みたいな感じでしたから、
実生活でもやっていこうと思います。

自分の夢を叶える事により人にも希望を持ってもらえれば最高です。

ラピ。さんは4ヵ月と驚異的な短さで至る事が出来たのは凄い事だと思います。

どれくらい時間がかかるか分かりませんが
壁にぶち当たりどうにもならなくなるまで走り続けたいと思います。

ブログを閉鎖したら何故かスッキリしました。

ありがとうございました。
  • 2015-09-02│23:57 |
  • inri1225 URL│
  • [edit]
No title
ラピ。さん

>洗脳されていたのではありません。
>この時点で空っぽな状態はできていましたので
>洗脳されようがありませんでした。

思い出しましたが、魔境でしたね。

出来てしまっていた空っぽに、おかしなものが入り込
んでいたのです。

「虚無の微笑」に説明のありました、あの魔境に近い
ものでした。

チャネリングめいた事も、自らで自他超越の先を閉ざ
す要因でした。

しかし、魔境とは言え、あと一歩の所まで独力の創意
工夫で頑張りました。

至れるためには運というものも大きな要因と思います
が、運が味方するくらいの頑張りをしたのだと思いま
す。
  • 2015-09-03│00:47 |
  • TK URL│
  • [edit]
No title
はい、運がよかったです。

師匠に出会えたこと
本当によかったです。

ありがとございます!
  • 2015-09-03│18:50 |
  • ラピ。 URL│
  • [edit]

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プロフィール

ラピ。

Author:ラピ。



ラピ。至る。
@(*・ω・*)ポッ

2013.5.13以降の記事が
至った後の記事となります。

それ以前の記事は
整頓して非公開にしました。

2006年12月から始めた
このブログ

かなりの記事があって
整頓するのが大変でした(笑)
皆さま今までも
どうもありがとうございました


*:--☆--:*@(*・ω・*)ポッ:--☆--:*:-



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