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悟りを目指しちゃだめだよ~

師匠にメールを1月14日に初めてしました。

そしてメールのやり取りを数か月しました。

その間、私は反発もしました。
否定ばかりされるからです。

う~ん、しかしなぜか疑うことはなかったです。
ただ、どうしてそう言われるかがその時はわかりませんでした。

師匠の言っている意味もさっぱり分からないし。


TK師を師と呼ぶと決めたのが5月11日です。

そして師からある言葉をもらい
それがきっかけとなって私のかつての激流を思い出します。

それが5月12日の夜。
そしてそのまま激流に飛び込み
(13日の昼休みに激流に飛び込んだことを師匠に報告)
13日の遅くない時間の夜、至りました。



師から頂いた智慧のひとつは
「スピ系思考では至れない」
ということです。

しかし、その時至ることは目指しておらず
人生を幸せに生きられればそれでいいと思ってました。

しかしあまりに師の言われていることがわからないので
わかりたいと思いました。

師と同じ状況になりたいと思いました。

私の知らない、師のいる世界へ行きたいと思いました。

それが最後の道へのきっかけです。

ちなみに至ってない時のなかなかいい言葉は
「わからない」
ですよ~(笑)


そしてスピ系の知識をすべて捨てて
私の原点に戻ることが大切だということでした。

人生を豊かに生きるために
活かされるスピ系もあると思います。

しかし、
「悟り」を目標にしてしまえば
悟りは絶対遠のいてしまいます。

絶対!です。

そして基本的に大切なのは
「自分を信じること」
「あきらめないこと」だと思います。

人として生きることの原点にもどって
自分らしい後悔ない生き方をしていただきたいと思います。

そうすれば悟りなんて
どうでもよくなっているかもしれません。


最近思い出すのですが
遠い昔
幸せも不幸せもなく
ただただ幸せであった、
問題もなく、悩むこともなく、なにもなく
ただただ幸せであった時がありました。

それが永遠に続けば
なんの問題もない。

しかし、私は自我の目覚めにより
苦悩することとなります。

目覚めたときのことをはっきり覚えています。

「考えろ」

この衝動がわいてきたのです。

「考えろ、考えろ」

自分はどうすればいいかを考えました。
苦悩と共に考えました。

そこから私の理想を目標とする道がはじまり、
苦悩に挑戦する道が始まりました。

いや、実践を始めると
自分を捨てていたから
苦悩すらも捨てていたので
ある意味幸せだったでしょうか。

実はスピ系実践の時の方が
いろんな思いが浮かんでいました。

捨てる実践より
得る実践をしていたからです。

これが人なんだなぁ。

しみじみ思いました。

いろんな思いが浮かんで
人はその思いのまま生きているんだなぁって。

それを経験しました。

楽しいこともあり、そうでないこともあった。

しかし、楽しいっていうのも
私の場合、
実は楽しいふりをしているだけだったのかもですが、、、。

楽しいことすらもある意味実践だった。

楽しいことってどういうことか
思いっきり楽しんでみようと
楽しむことも実践でした。


苦悩のない境地を知っていたからこそ
苦悩のある境地に違和感ありありで
それは本来の状態ではない、と思っていました。

だから苦悩に挑んだ。

苦悩するのはおかしい!と。

その頑張りのおかげで自我が消滅しました。

自分が頑張って至った境地

もう、もとに戻り苦悩することはない。


ちなみに私は悟りを目指したのではない。

自分の理想を実現するために日々を過ごし、
どんなことがあってもあきらめない
というだけで
ここまでやってきました。

私の理想がとてもとても~高く
それを実現するために精進し
単にそれが叶っただけ。


悟りを目指しちゃだめよ!

@(*・ω・*)ポッ




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Comment

No title
ここにも次第説法と言うもがありますので、目的を
持っては駄目は、「激流」段階です。

目的を持つ「理想」段階です。

ここの区別は混同したら元も子もありません。

在家の皆さんは、人のためと言う、正しい理想による
目的をしっかりと作って身体による行動で実践してい
くという事です。
  • 2015-09-03│19:45 |
  • TK URL│
  • [edit]
No title
ちなみに激流段階は多くの人には関係がありません
が、参考までに少し明らかにすると、「人のため」と
言う意図的なマインドの使い方に意味があるのであっ
て、目的は持ってはならないと言う複雑な実践になり
ます。

多くの人には関係のない話でしたが、これを初め、
我々が言う激流実践法が巷にばら撒かれているようで
すが、それを聞きかじりでチョイスしてくるスピ系で
は駄目だという事です、生半可にやったら酔っ払いの
ようになって死ぬまで似非覚者やドンキホーテの世界
に落ちてしまいますから、独力で進むには先達のみ知
る複雑な注意点が必要ですので、これらスピ(内面)
系の実践法を見てもうかつに近寄らないようにして下
さい。

彼らは既にまともではありません。

何度も繰り返し注意を呼び掛けます。
  • 2015-09-03│20:00 |
  • TK URL│
  • [edit]
No title
はい!

もちろん自分の理想とする目標は必要です。


悟りを目標にしてはダメ
ということです。

  • 2015-09-03│20:08 |
  • ラピ。 URL│
  • [edit]
No title
なぜ経典を読むと酔っ払いになるのかです。

聖なる経典だから有難いはずだと思いますか。

ところがどっこい、経典と言うのは酔っ払いの地獄に
落ちる内容のオンパレードなのです。

ですから、ここにもいたかもしれませんが、悟っても
いないで経典知ったかぶりのあの気持ち悪い人たちに
は、決して近づいてはなりません。

ともに人間腐るだけですから。

例えばですが有名な経典のダンマパダ。

ダンマパダ50
>他人の過失を見るなかれ。他人のしたこととしな
>かったことを見るな。ただ自分のしたこととしな
>かったこととだけを見よ。

これ嘘ですから、信じないで下さい。

なぜ、私が経典を否定するかですが、それは今まで
ずっと述べてきました。

対機がごちゃ混ぜなのです。

こんなもの、悟ってもいない者たちがうかつにかじっ
たら、それこそ、永遠の地獄に落ちますから。


次のように全く正反対の教えが真実です。

>他人のしたこととしなかったことをしっかりと見
>て、自分の行いを決めて下さい。

>他人の過失もしっかりとみて、自分でどうするか
>しっかりと考えて下さい。

これ当たり前だと皆さん思いますよね、経典のウソに
騙された人は、それで一生がお終いですから。

決して嘘では無いのですが、在家向けの「対機」次第
説法と言うものを軽んじてはなりません、経典振り回
し亡者の人たち在家向けの「対機」をどう考えてます
か、軽んじてませんか、そのような姿勢ではバチが当
たって地獄に落ちますよ。
  • 2015-09-03│22:34 |
  • TK URL│
  • [edit]
No title
ラピ。さん、こんにちは。
この間は、お返事ありがとうございました。
色々と考えました。
それで、今まで私がしてきた事は、私にとって徹底できない方法なのかなあ? と思って、違う方法を試すことにしました。

私は、ラピ。さんのように、子供の頃から徹底して何かをなしてきたタイプの人間ではありません。
たぶん、性格みたいなものも、どのような方法が合うか、どのような師が合うのかとか関係すると思うのですが、
それにしても、私は、悟りも目指していますし、徹底もできない、
すごく幸せとも言えないけど、すごく不幸とも言えない、今のところはこんな感じで、
理想は「なるべく簡単に悟る」で、
なのに、難しいとか書いてるところにわざわざ来ているのも、おかしな話なんですけど、私の理想に何かヒントになることがあればなあと思っています。


TKさん、こんにちは。

TKさんが、この間、スマナサーラさんのことと、ヴィパッサナーのことを書かれていたのを読んで、その単語が気になって調べました。
それで、youtubeでスマナサーラさんが、ヴィパッサナーの説明しているのを見て、それをすることにしました。
しばらくスマナサーラさんの話をyoutubeで聞いたり、本を読んだり、ネットの初期仏教の話を読んだりして、ヴィパッサナーの理解を深めました。
無常、苦、無我、という言葉を、これまでもおりにふれてどこかで見ていて、今まで良く分からず、
仏教というのは、何となく、苦しくて難しい修行なのかなあ? と勝手に思っていましたが、読んでみると、苦しむ方法ではなく、苦しみの原因を知り、苦しみをいかに滅するのかという方法であると知りました。
ヴィパッサナーのやり方は、スマナサーラさんの本を読んで、やっています。
他に読んだ仏教関係の本などは『ブッダの実践心理学 アビダンマ講義シリーズ』の瞑想と悟りの分析1(サマタ瞑想編)と瞑想と悟りの分析2(ヴィパッサナー瞑想編)、
ネットで見つけた大念処経や、
テーラワーダのHPにある記事などの、無明や三相、十二因縁などについての話です。

それから、私は、今まで、ラマナマハルシの『私は在る』を意識するみたいなことをやっていたのですが、
結構長くやっていたのですが……、やっていたといっても、かなり、ボチボチなんですが、
全然、悟る気配すらなかったので、何なんだろうと考えました。

まだ、長いことヴィパッサナーはできないので、短時間やり、休んでいるとき、今までやって来た『私は在る』と、仏教の『無我』というのは何だろうと考えました。

「ろうそくの例えで、
体は個体としてあるように見えるのは、食料(ロウ)を注いで、維持しているため。
炎は体。一瞬一瞬、ロウは燃えて炎は新しい別のものに変わる。が、ずっと同じ物に見えている。
自分、私というものも、ずっと同じ私であるように思えるのは、記憶のせい。
一瞬前の私という記憶を思いだし今に重ねている。
重ねているといっても隙間なくしているのではなく、思考は散漫に変化しながらどきどき私という感覚が起きそれが一続きになっているという思考で私という確固とした存在感があると錯覚している。
一瞬一瞬、私という感覚は、産み出されて消えている。
私の体も、細胞の一つ一つが、栄養を消費しながら、血液を変化させ、呼吸を変化させ、脳みそを変化させながら、同じに見えるようにパラパラ漫画のように生まれては消滅しを繰り返している。
私は在るを留意すると、はじめは、思考の性質で、私という感覚だけには止まれず、あれこれと思考は変化しながら、たまに私の感覚を産み出しているが、それを一繋ぎのものだと記憶と思考により誤認させる。
どんどん、私という感覚にずっといると、私という感覚を、一瞬一瞬産み出し消滅を繰り返す。

消滅するもの変化するものを、そうしないようにしようと執着するから苦になる。

私という感覚を私、私、私とヴィパッサナーする。
そのうち私という感覚が薄れてくる。
存在感、存在感、存在感、嫌違う、感覚、感覚、感覚、とヴィパッサナする。

存在感というのは、存在しているという思考の記憶のパラパラ漫画であって、存在感があるわけではない。
感覚は感じるけど? 感覚とはなにか?

思考なしに感覚が起きると、感覚とは在るだ。
認識のある感覚を思考なくしてみると認識のない感覚は無で、在ると認識しない、ただの在るだけど無ということかな?」
ということを考えました。

それで「私は在る」というのは、「私は」が思考なので余分で、「在るという認識」も思考なので余分で、在るだけでいいけど、そんなことはできないし、
感覚に留意するだけというのが、人間ができる最低限の事かなと思いましたが、
やっぱりあれこれ考えてしまって無理なので、結局ヴィパッサナーをやることにしました。

妄想などは無視してヴィパッサナーし続けれたらいいのですが、今のところは無理そうなので、
思考が起きているときは、どのような執着による思考なのかを見て、満たせられそうな欲は満たして、できないものは執着しても無意味ということを思い出して思考を静めて、できる範囲でヴィパッサナーしていくというのがいいかなあと思っているところです。

アドバイスなどありましたら、よろしくお願い致します!


  • 2015-09-04│08:31 |
  • たま URL│
  • [edit]
No title
たまさん

正直に書きます。


まず、この記事の題名を見ていただけるでしょうか?

悟りは目指してはいけないし
目標にしてもいけないのです。

なぜなら、悟りを目標としたとき
悟りがどういうものか、思考が始まり
想像がはじまってしまうからです。

それではもちろん悟れない。

そしてたまさんの中には
悟りとはこういうものだろう
という想像、予想がありますね?

それがあると絶対悟れません。
絶対です。

だから本当に悟りたいのであれば
悟りから離れなければなりません。

悟りについて考えることは
厳禁です。


便宜上私は「悟り」と言う言葉を私は使いますが
悟りという言葉であらわされているものは
悟りではありません。

今、たまさんが「悟り」と言ったとき
それは悟りではないし
そう言ってしまうと
悟りから離れてしまい
悟りとは違うものを目指すことになりますが
いいですか?


私が小さい頃やってきたことは当時
もちろん悟りとは繋げてませんでした。
悟りを目指したことは一度もないです。

毎日精進した結果、いつのまにか至ったのです。



>理想は「なるべく簡単に悟る」


簡単に悟った人を探しますか?

そういう人がいたら
簡単に悟る方法を
教えていただけるかもしないですね。



>私の理想に何かヒントになることがあればなあと思っています。

そもそも普通に生きている人にとっては
「悟り」って得体のしれないものです。

それは当然で、悟りは人として生きていく中で
必要ありません。

逆に邪魔です。

また、悟りについて思いを巡らすことは
単に妄想であり、悟りの何の役にも立ちません。

なのになぜ悟りを理想とするのでしょうか。



たまさんは何かに一生懸命になるのは嫌ですか?
一生懸命になれるほどのものに
出会っていないからでしょうか。

また、何かから逃げたりはしていませんか?

もし、何かから逃げているのであれば
決して悟ることはできません。

逃げるという思い(行為)が
現象(相対的世界)を生み出し
悟りから遠のいてしまうからです。

どうして楽して悟りたいのか。

頑張ることから逃げてたりしますか?

しんどいとか、バカらしいとか。めんどくさいとかありますか?

「簡単に悟りたい」

この言葉はたまさんの状態を表しています。


簡単に悟ることができるのなら
この世界は悟った人だらけです。

今のこの世界を見ていただけば
悟ることがどういうことなのかわかると思います。



自称覚者は大勢います。

でも結局、そういう人たちはまだ相対的世界にいて
それが言葉に表れています。

偽物に出会ってそれに師事してしまったら
まず悟ることは無理でしょう。

だってその師匠が悟ってないのだから。

師匠が知らないことを
弟子に教えることはできない。

だから私は一人で歩く道を選びました。

しかし、最終的には本物に出会い
悟りを目指すことなく
悟れました。

目指したらダメなのです、悟りは。
  • 2015-09-04│12:47 |
  • ラピ。 URL│
  • [edit]
No title
ラピ。さん、お返事ありがとうございます。

私は、過去にも、何度も「悟りを目指したらダメ」というような言葉に出会いました。
その時は、悟りというものは、無心なので、悟りのイメージや思考や妄想は邪魔になるから、というような理由だったと思います。

それから、現実世界で人間的な幸せが得られないため、悟りというイメージに逃避している人に向けて、そのような言葉をいうのを見かけるということもありました。

悟りは幸せのことです。
それを目指さなくて何を目指せばいいのか良くわかりません。

簡単に幸せになれたらいいなと思います。

ラピ。さんは、何のために、悟り以前のことをしてたのでしょうか?
たしか、人のため、でしたよね?

それなのに、今では、それは、人には必要ないということになっています。

ラピ。さんがやって来たことは、悟りに至らせました。
『人のため』は、ラピ。さん一人のための単なる方便として終わってしまったということです。
私からしたら、それは失敗です。






  • 2015-09-04│14:12 |
  • たま URL│
  • [edit]
No title
私はおかげさまで至ることができました。

そして悟りを目指す方のために
私の道を参考に情報提供しています。



>悟りは幸せのことです。


すごく紛らわしいです。
はじめから「簡単に幸せになることを目指している」、と
なぜ書かなかったのですか?

しかし「簡単に幸せになる」ことを目指すって
なんだか不思議な目標ですね。


>ラピ。さんは、何のために、悟り以前のことをしてたのでしょうか?
>たしか、人のため、でしたよね?

>それなのに、今では、それは、人には必要ないということになっています。

>ラピ。さんがやって来たことは、悟りに至らせました。
>『人のため』は、ラピ。さん一人のための単なる方便として終わってしまったということです。


「人のため」が方便として終わったと言っていますが
一体、たまさんは何を知っているというのでしょうか。

それを方便だと言い切る根拠はなにですか?
(勘違いされていると思います)

私は実際、自分を使って実践しました。
方便ではありません。

そしてこの「人のため」は誰にでも行える
清き道です。

なぜ、私一人のための「人のため」なのですか。
なぜ、そう言えるのですか。
わかりません。

ぜひ、たまさんも「人のため」をしてください。

悟りを目指すのではなく
「人のため」をしてください。

それが悟りへの遠くて近い道です。


悟りを目指すと言っているたまさんに
悟りたいのなら悟りを目指しては悟れませんよ
という情報を提供しています。

私が悟りを目指すことなく至ったし、
目指したら至れていなかったからです。

(たまさんが「なるべく簡単に悟る」のが目標
と言われたから
それに対しての答えです)

たまさん、私はなぜブログをしていると思いますか?



>私からしたら、それは失敗です。


そしたらたまさんが成功するために
ぜひ人の幸せのために頑張ってください。

自分の悟りのためではなく
人の幸せのために頑張ってください。

私にそう言えるくらいなのですから
頑張れるし、頑張るべきですよね?

それとも「自分のためだけの簡単幸せ」
ですか?
  • 2015-09-04│18:15 |
  • ラピ。 URL│
  • [edit]
No title
たまさん。

悟っている人だからと言って、必ずしも適切な教え導
きが出来るわけではありません。

私も悟った後にラピ。さんに出会えて、それまでとは
大幅に異なる教え方への変更を余儀なくされました。

釈迦が当時やった、次第説法が重要である事です。

従って、ヴィパッサナは止めて下さい。

酔っ払いになりますよ、死ぬまでね。

という事で、あなたに私から教える精神世界の方法は
ありません。

死ぬまで、どうぞ、精神世界の酔っ払いをやって地獄
に行くのもあなたの勝手という事です。

今まで語ってきた事を、あなたのように全く読んでも
らってない人に語る言葉はありません、残念ながら。

私に語る時は、少なくとも前に私が書いた所を読んで
からにしていただけますか。
  • 2015-09-04│20:31 |
  • TK URL│
  • [edit]
No title
ちなみに私は阿羅漢に至るための本物のヴィパッサナを説く事が出来、ヴィパッサナをラピ。さんに説きました。

これも実際には、かなりためらった結果です。

実際はそう簡単に安々と説ける代物ではありません。

本物のヴィパッサナを説くためにはまず第一に絶対服
従が条件となります。

本物のヴィパッサナは命がけで無ければなりません。

この命がけと言う言葉を簡単に捉えないで下さい、つ
まり、実践者が100人居たらその中の何人かは命を落
して死ななければならないと言う意味です。
  • 2015-09-04│21:00 |
  • TK URL│
  • [edit]
No title


ラピ。さん、お返事ありがとうございます。

さっき、ラピ。さんへ長々と色々返事を書いていたのですが、
私は、悟りを目指すことを止めないので、話しても無意味かなあ、と思ってやめることにしました。


TKさん、こんにちは。
お返事いただきありがとうございました。

そうですか~。残念です。
命がけのヴィパッサナー(汗
できそうもないです。
ゆる系うたた寝ヴィパッサナの精神世界の地獄サウナで寛ぐことにしますf(^_^;
  • 2015-09-04│22:28 |
  • たま URL│
  • [edit]
No title
たまさん

たまさんはなんのために
ここに書き込みましたか?

自分にとって心地よい
または自分にとって都合のいい返事を得るためでしょうか。

どんな対話であれば
たまさんにとって意味ある対話となるのでしょうか。

「たまさん、たまさんが悟りを目指すのを応援します。
こうすれば簡単に悟れますよ!」

という返事だったら
たまさんにとって意味ある言葉となるのでしょうか?

それが嘘であっても。

  • 2015-09-04│23:02 |
  • ラピ。 URL│
  • [edit]
No title
ラピ。さん、お返事ありがとうございます。

>たまさんはなんのために
ここに書き込みましたか?

勿論、簡単に悟りを開くため、です。

返事をもらうためじゃないです。
  • 2015-09-05│00:02 |
  • たま URL│
  • [edit]
No title
たまさん

>勿論、簡単に悟りを開くため、です。

書き込んだ目的は
たまさんが簡単に悟りを開くため、
なのですね?


>返事をもらうためじゃないです。

では、返事は必要なかった、
ということですね。

このブログのコメント欄で
たまさんの独り言で終わってもよかった
ということでしょうか。


わからないので
たまさんなりの理論を教えてください。

  • 2015-09-05│06:19 |
  • ラピ。 URL│
  • [edit]
No title
ラピ。さん。

ラピ。さんは、私から本物の内面法(スピリチュア
ル)を指導されて、至ることが出来ました。

それは明らかに、それまで、ラピ。さんが接してきた
偽物の内面法(スピリチュアル)とは違いがあったと
思います。

もともと内面法(スピリチュアル)とはエゴを何とか
するための方法のことですが、偽物の内面法(スピリ
チュアル)では何ともできない理由が、両方に接した
ラピ。さんなら本物と偽物の内面法(スピリチュア
ル)の違いがよく分かったと思います。

ポジティヴシンキング一つとっても、本物と巷の偽者
が説くまがい物のそれとは違います。

ここで、一つたまさんと言う人を見て下さい。

この方のエゴの肥大化が相当のものであることが分か
りますね。

しかし、この方は巷の内面法(スピリチュアル)を、
いたずらにかじり歩いた形跡のある人なのです。

内面法(スピリチュアル)は「至った先達の指導の
元」でしか、まともに作用させる事の出来ない特殊な
技法のものであり、不用意に接する事でこの方のよう
にエゴを肥大化させる凶器に変貌するということで
す。

この方にとって今必要なのは、この方の肥大化したエ
ゴに方向を与えて、現実(内面と逆)に歩ませるとい
う手段で、肥大化したエゴに正しい方向性を与える事
です。
  • 2015-09-05│07:59 |
  • TK URL│
  • [edit]
No title
本物の内面法(スピリチュアル)には、エゴを殺すた
めのエゴに対して殺傷能力のある善玉エゴの力が不可
欠です。

私もラピ。さんも、それを育てた上で内面法(スピリ
チュアル)にトライしています。

エゴに対しての殺傷能力のある善玉エゴは、現実社会
で生きる事を利用して身に付ける類のものです。

内面法(スピリチュアル)は、それが欠如した状態で
いたずらに接する事で、反対に正常なメンタルを破壊
しエゴは肥大化し、肝心の善玉エゴは育ちません。

内面法(スピリチュアル)と、エゴに対して殺傷能力
のある善玉エゴを育てる方法は教えの内容が正反対に
なるからです。
  • 2015-09-05│08:16 |
  • TK URL│
  • [edit]
No title
TK師

いろいろありがとうございます。


>本物のヴィパッサナを説くためには
>まず第一に絶対服従が条件となります。

はい、その通りです。
私はそうしました。

>本物のヴィパッサナは命がけで無ければなりません。

その通りです。
どうなるかさえ、想像してはいけない。
よってどうなるかわからないということは
死もありです。

事実、エゴが死にました。


>しかし、この方は巷の内面法(スピリチュアル)を、
>いたずらにかじり歩いた形跡のある人なのです。

そうですね。
そしてさらにその思考に支配されてしまっていて
何も見えなくなっています。

例えば「地獄」という言葉一つについても
>ゆる系うたた寝ヴィパッサナの精神世界の地獄サウナで寛ぐことにします

地獄で寛げるわけないです。
どんだけのポジティブシンキングでしょうか。

危機感が全くないのだなと思いました。

地獄で寛いでいる人を想像してみてください。
怖くないですか?

例えば自分の子供が地獄へ向かっているとわかった時
親はどうポジティブシンキングで捉えますか。

まずはそこへ行くのを止めるでしょう。
地獄へ行くのを阻止するでしょう。

子供が地獄にいる時
ポジティブシンキングで見逃しますか。

助けようとするでしょう。

危機感が麻痺しています。
現実に対する対応がまずいです。


しかし、この方は大人の方ですし
まぁ、自由ではありますけども。

現実で起こることから逃避し
自分の中でその現実を捻じ曲げ
ポジティブシンキングでごまかす。

そうではなくて現実をきちんと知り
それに対して対策を練り
自分の行動によって変えていこうと
実行に移すことが大切だと思います。

嫌なことがあったら
ポジティブシンキングで誤魔化すのではなくて
嫌なことを克服できるよう
考えて実行に移すことが大切です。

もし、ポジティブシンキングで
嫌なことを見て見ないふりをしていれば
それは嘘を生きていることになります。

ポジティブシンキングで誤魔化す人生がいいのでしょうか。


逃げずに問題をしっかりと解決しようとする人はかっこいいです。

問題から逃げて
スピ系で誤魔化している人はカッコ悪いです。

まぁ自由ですが。


楽して悟りたい、についてですが。

今楽しているのならそもそも悟りたいとは思わないと思います。

今辛いから 楽して悟りたい
と悟ることを夢見て現実逃避しているのだと思います。


これも例えですが
自分の子供が
「簡単に楽して悟りたい」なんて言って
わけのわからないスピ系に逃避したらどうしますか?

それを肯定して応援しますか?

ちょっとスピ系はおいといて
現実的に考えて欲しいと思います。
  • 2015-09-05│08:45 |
  • ラピ。 URL│
  • [edit]
No title




ラピ。さん、お返事ありがとうございます。

>では、返事は必要なかった、 ということですね。

返事は必要ないとは書いてないし、思ってないです。

>わからないので
>たまさんなりの理論を教えてください。

聞いてくださり、ありがとうございます。

ここからが、載せるのをやめていた返事です。

…………
ラピ。さん、お返事ありがとうございます。

>すごく紛らわしいです。
>はじめから「簡単に幸せになることを目指している」、となぜ書かなかったのですか?

簡単に悟りを開くことを目指しているからです。

>しかし「簡単に幸せになる」ことを目指すってなんだか不思議な目標ですね。

なんだか不思議というのは、具体的に何が不思議なのでしょうか?

>「人のため」が方便として終わったと言っていますが
>一体、たまさんは何を知っているというのでしょうか。

何を知っているかと言うと、
そういえば、人のため、というイメージの、慈悲の瞑想というのがあります。
サマタ瞑想ですね。
イメージで集中力を高めるらしいです。
あとは、人格が改善するらしいです。
自我が離れやすくなるという噂もあります。

>それを方便だと言い切る根拠はなにですか?
>(勘違いされていると思います)

何を勘違いしていると思いますか?

>私は実際、自分を使って実践しました。
>方便ではありません。

方便として実践されてたのではないと思いますが、
方便で終わったという意味は、ラピ。さんが実践した激流は、自分ができれば人もできると思い、人のためだったけど、その激流の実践方法は、他の人にはほとんど無理だったので、結果的に、人のためにやったけど、他の人はできないような話だったので目標とは違った、という意味です。
激流が、『ひとのため』とは全く関係のないものであるなら、話は別ですが。

>そしてこの「人のため」は誰にでも行える清き道です。

悟り以外で人のため、というのは、難しいのです。
これが人のためです! と思えるようなことは、悟りしか思い付かないからです。

>なぜ、私一人のための「人のため」なのですか。
>なぜ、そう言えるのですか。
>わかりません。

話が重複しますが、ラピ。さんのやった激流は、ほとんど他の人にはやれないと言ってるから、本当にやれないなら、人のためにならないという意味です。

>悟りを目指すと言っているたまさんに
>悟りたいのなら悟りを目指しては悟れませんよ
>という情報を提供しています。

>私が悟りを目指すことなく至ったし、
>目指したら至れていなかったからです。

悟りを目指して悟っていないから、悟りを目指して悟れるか分からない、というのなら分かりますが、やってもいないのに、目指してたら至れなかったという根拠が分からないです。

>たまさん、私はなぜブログをしていると思いますか?

何故ですか?

>自分の悟りのためではなく
>人の幸せのために頑張ってください。

>私にそう言えるくらいなのですから
>頑張れるし、頑張るべきですよね?

私は、人の幸せのために頑張ってください、と言ってないです。

私には、激流や、ラピ。さんがしていた、人のため、というのが良く分からないし、出来ないってことです。

>それとも「自分のためだけの簡単幸せ」ですか?

自分のためだけとは、思っていないですよ。

簡単に悟れたら、他の人も悟れる可能性が出てきますから、簡単に悟りたいです。

簡単に悟って、人々を簡単に悟りに導けるブッダになれたらいいと思います。

なので人々のために、頑張らないのです。
というのは冗談です。
単にそういう性格なだけです。

徹底できないと悟れないというのは、そうかもしれないと思います。

私にとっては、死ぬ気でやるような激流や人のためには、徹底して出来ない、簡単ではない、合ってないだろうってことです。
その前に、人のために頑張ると言われてもどうすればいいのか、良くわからないというのもあります。

それで、私が、子供の頃からやっていたことで、徹底していたことは何かあるかな? と考えました。

ラピ。さんは、子供の頃から、人のため喜んで自分を捨てていて、それが楽しかった訳です。

それは、ラピ。さんにとっては、他の人がやるよりも簡単なことだったと思います。

楽しくて、その人にとって合っていることは、徹底してできるということだと思います。

私は、ヴィパッサナーをやるに当たって、サマタ瞑想のことも資料を取り寄せたのですが、
それは、サマタ瞑想は40種類あり、6種類の性格別の相性判断のような事が書かれている、とネットで知ったからです。
http://togetter.com/li/508964

合わないことは徹底できないので、まず、自分がどういう性格なのか知り、自分に合う方法が見つかるかと思い、その本を買って読みました。
本には、様々なことが書かれておりとても興味深かったです。

ブッダの実践心理学の二冊には、サマタ瞑想は、イメージを使うので、至れるのは不還果までらしいということや、
ヴィパッサナだけでも阿羅漢に至れるらしいのですが、滅尽定はサマタ瞑想でないと入れない?とか。滅尽定の出入りの仕方とか書かれていて面白かったです。

それでも、何をすべきか良くわからなくて困ってしまいました。

子供の頃から割りと徹底していたことは、

・人から逃げること。
・暇なときは寝ること。
・なるべく努力せず、素晴らしい絵を描くこと。

でした。
この性格。徹底して努力せず、徹底して人から逃げ、徹底してひたすらうたた寝しながらリラックスしてヴィパッサナってどうだろうか。と思いました。

ヴィパッサナは、何か活動しなくてはいけないわけではないので、完全に寝なければ、出来ます。
名付けて、

ゆる流うたた寝ヴィパッサナーです。

どうですかね?
…………
というお返事をのせる予定でした。

地獄サウナになってしまいましたが(汗だく


  • 2015-09-05│09:43 |
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No title


TKさんは、エゴが肥大化したので、善の方にそれを向ける、現実に向かうというようなことを書いてますけど、

善い行い、人のために何かをするというのは、
エゴを放すしかないわけなので、エゴイストの私には難しいですね。

なので、私にとって、それは、非常に苦しむ方法ということになりますし、合いません。


しかし、私は、割りとずっと人のために生きてきました。
性質としては、人のためにというのは、合っているし、誰でもそういうボランティア精神はあるものです。

そして、人のためと思っていたことが、ただの迷惑にしかならなかったので、人のために何かをなすということができなくなりました。

それで、エゴイストに生きることにすると、周りの人も楽しそうですし、今までとは違い平和になりました。
そういうことです。


 
  • 2015-09-05│09:45 |
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No title
たまさん

>返事は必要ないとは書いてないし、思ってないです。

とのことですが

>>返事をもらうためじゃないです。

しかしこう書く以上
返事がなくてもよかった、ということですね。


>>しかし「簡単に幸せになる」ことを目指すってなんだか不思議な目標ですね。

>なんだか不思議というのは、具体的に何が不思議なのでしょうか?

わからないのならかまいません。



>何を知っているかと言うと、
>そういえば、人のため、というイメージの、
>慈悲の瞑想というのがあります。
>サマタ瞑想ですね。
>イメージで集中力を高めるらしいです。
>あとは、人格が改善するらしいです。
>自我が離れやすくなるという噂もあります。


あくまで噂ですね。
たまさんが経験したことを根拠に
これからは書いてください。

噂を聞いただけで
それを「知っている」ということにはならないのです。



>>それを方便だと言い切る根拠はなにですか?
>>勘違いされていると思います)

>何を勘違いしていると思いますか?


方便だと勘違いしている、と思います。



>方便として実践されてたのではないと思いますが、
>方便で終わったという意味は、
>ラピ。さんが実践した激流は、
>自分ができれば人もできると思い、
>人のためだったけど、その激流の実践方法は、他の人にはほとんど無理だったので、
>結果的に、人のためにやったけど、
>他の人はできないような話だったので目標とは違った、という意味です。
>激流が、『ひとのため』とは全く関係のないものであるなら、話は別ですが。


私はここで激流をおすすめしていますでしょうか。


>>そしてこの「人のため」は誰にでも行える清き道です。

>悟り以外で人のため、というのは、難しいのです。


それは万人に共通のことですか。
誰もがそうなんですか?


>これが人のためです! 
>と思えるようなことは、悟りしか思い付かないからです。

それは想像力が大変乏しいですね。


>話が重複しますが、ラピ。さんのやった激流は、
>ほとんど他の人にはやれないと言ってるから、
>本当にやれないなら、人のためにならないという意味です。


だから激流は必要ないと言っています。


>悟りを目指して悟っていないから、悟りを目指して悟れるか分からない、
>というのなら分かりますが、
>やってもいないのに、目指してたら至れなかったという根拠が分からないです。


根拠はありますよ。

目指す、ということは目標を設定する、ということです。

例えば売上を設定して目標にするのなら
具体的なわかりやすい目標なので
達成できる可能性があります。

しかし、「悟り」は目標にできません。

私も悟るまで悟りがどういうものか大勘違いしていました。
そしてたまさんの話を見てもたまさんも勘違いしています。

その勘違いの悟りを目標として
それが達成できると思いますか。

そもそも悟りは目標とできないものなのです。


>>たまさん、私はなぜブログをしていると思いますか?

>何故ですか?

わからないならいいです。



>私には、激流や、ラピ。さんがしていた、
>人のため、というのが良く分からないし、出来ないってことです。


人のため、というのがわからないのですね。
ではたまさんの日常で人から助けられていることは全くないでしょうか。

そしてたまさんは誰からの力も借りず
誰も助けず、生きているのでしょうか。

人のためって特別なことではなく
日常の普通のことでいいのですが。


>自分のためだけとは、思っていないですよ。
>簡単に悟れたら、他の人も悟れる可能性が出てきますから、簡単に悟りたいです。

私もそう思ってましたけどね。



>簡単に悟って、人々を簡単に悟りに導けるブッダになれたらいいと思います。

壮大な夢ですねぇ。


>なので人々のために、頑張らないのです。
>というのは冗談です。

いや、ちょっと本気でしょう。

>単にそういう性格なだけです。

そうですか。


>それで、私が、子供の頃からやっていたことで、徹底していたことは何かあるかな? と考えました。

徹底するのは今からでもいいです。


>ラピ。さんは、子供の頃から、人のため喜んで自分を捨てていて、それが楽しかった訳です。

勝手に決めつけていますね。
それが楽しかったわけです、って
なぜたまさんが言うのですか。


>それは、ラピ。さんにとっては、他の人がやるよりも簡単なことだったと思います。

どうしてそう言いきるのでしょうか。
それがわかったふり、っていうのです。


>楽しくて、その人にとって合っていることは、徹底してできるということだと思います。

スポーツ選手は徹底して練習した人が
結果を出していると思いますが
それは練習が楽しくてやってるのでしょうか。

結果を出すためには
嫌なことも辛いこともやらなければなりません。

一流選手のなかで
楽して結果を出した選手はいるでしょうか。


>私は、ヴィパッサナーをやるに当たって、サマタ瞑想のことも資料を取り寄せたのですが、
>それは、サマタ瞑想は40種類あり、6種類の性格別の相性判断のような事が書かれている、とネットで知ったからです。
http://togetter.com/li/508964


興味がありません。


>合わないことは徹底できないので、まず、自分がどういう性格なのか知り、
>自分に合う方法が見つかるかと思い、
>その本を買って読みました。
>本には、様々なことが書かれておりとても興味深かったです。

やはり、楽したいのですね。


>ブッダの実践心理学の二冊には、サマタ瞑想は、
>イメージを使うので、
>至れるのは不還果までらしいということや、
>ヴィパッサナだけでも阿羅漢に至れるらしいのですが、
>滅尽定はサマタ瞑想でないと入れない?とか。
>滅尽定の出入りの仕方とか書かれていて面白かったです。

想像力が豊かになりましたね。
=妄想です。

>それでも、何をすべきか良くわからなくて困ってしまいました。

そういう時こそ、自分とじっくり向き合うことです。
方法論に逃げずに。


>子供の頃から割りと徹底していたことは、

>・人から逃げること。
>・暇なときは寝ること。
>・なるべく努力せず、素晴らしい絵を描くこと。

>でした。
>この性格。徹底して努力せず、徹底して人から逃げ、
>徹底してひたすらうたた寝しながらリラックスしてヴィパッサナってどうだろうか。
>と思いました。

ごめんなさい。

そういう自分を肯定できるお方に
話せることがありません。



>ヴィパッサナは、何か活動しなくてはいけないわけではないので、完全に寝なければ、出来ます。
>名付けて、

>ゆる流うたた寝ヴィパッサナーです。

>どうですかね?


たまさんに伝える言葉がないです。



ちなみに素晴らしい絵は実際
きちんとかいたのですか?

それは素晴らしいと人から評価されましたか?


  • 2015-09-05│10:45 |
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No title
たまさん

次が釈迦の在家の人向け次第説法です。

http://www.gokokuji.jp/houai/budda/200708.html

施論、戒論、生天論と言います。

時代の変遷があるので、現代環境に合致しない部分は
読み替えが必要です。

施しの実践とはただ、寄付したり物をやったりする事
だけを指す事では無いことが分かります。

つまり、他者への奉仕の精神「人のため」と言う意味
です。

これは難しい事では無くて、例えば野球チームに属し
ていれば他のチームのメンバーのため、つまりチーム
ワークの基本もこれにあたります。

楽器演奏の趣味を持つ人であれば、聴者のためにより
よい演奏その為の練習、これも人のためです。

時代の変遷もあるので、現代の義務化された学校教育
における道徳意識や科学時代である事もあり、戒論、
生天論は無視していいです。

重要な事は「人のため」です。

自分自身の行いを人のために施す、つまり施論です。


>それで、エゴイストに生きることにすると、周りの
>人も楽しそうですし、今までとは違い平和になりま
>した。

それを精一杯やるので良いです。

あなたの中に「周りの人も楽しそうですし」ここに人
への気遣い(人のため)があるからです。

周りの人が楽しそうなことを重点にして、もっとあな
たのエゴイストを使って伸ばして下さい。

あなたにとっての人のためは、あなたのエゴイストを
使って周りの人を楽しませる事です、それをあなたな
りに精一杯するという事です。

私はずっとここでは、そういう話をしていましたよ。
  • 2015-09-05│11:08 |
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No title
>善い行い、人のために何かをするというのは、
>エゴを放すしかないわけなので、エゴイストの私に
>は難しいですね。
>
>なので、私にとって、それは、非常に苦しむ方法と
>いうことになりますし、合いません。

ヴィパッサナとはエゴを見抜けることを前提に、エゴ
を放す方法ですから、既に論点がずれてます。

あなたがヴィパッサナは自分には無理な実践法ですと
吐露していることと同じ事です。

それでいて出来る、出来そうだ、と思っている事が既
に思い違いです。

スピ系は全てそう、ただのモドキではすみません、そ
の「なんちゃつて」をやる事のメンタルの害が甚大で
す。

内面(スピ)に関わるものは危険ですから、軽はずみ
に捉えないで先達の元で、直に指導を受けながら行な
わなければいけません。

「先達」が重要なのです。
  • 2015-09-05│11:24 |
  • TK URL│
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No title
現代国語辞典審議会ではありませんが定義のすり合わ
せが必要です。

エゴ(イスト)、イコール利己主義と言う意味ではあ
りません。

エゴは我、すなわち「私」であり、「私」の思念に基
づく行為全般を指します。

つまり、善行も善をしようとする「私」の思念に基づ
く行為でありエゴです。

悪行も悪を行おうとする「私」の思念に基づく行為で
ありエゴです。

思念の世界では全ての善悪の行為が「私」の思念に基
づく行為でありエゴです。

悟った人にはこれがありません。
  • 2015-09-05│12:05 |
  • TK URL│
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No title

ラピ。さん、お返事ありがとうございます。

ここに書いた目的は、返事をもらうためではなくて、悟りを開くこと、という意味で、ラピ。さんが、書いているような「返事がなくてもよかった」などの他意はないです。

私は、ラピ。さんが、悟ったのは激流で、他の人におすすめできないので、
私は、他の人に、おすすめできない方法で悟ると、悟ったあと人におすすめできないので、
理想と離れてしまうので、人のためにとか激流はやれない、
人のためにという気持ちは、人にとって大きなお世話になるだけなので人のためにというのもできないけど、悟れたらいいな、
ということです。

ちなみに素晴らしい絵は、コンペで佳作とか、準優秀賞など色々と入賞しました。

TKさん、お返事ありがとうございます。

>ヴィパッサナとはエゴを見抜けることを前提に、エゴを放す方法ですから、既に論点がずれてます。
>あなたがヴィパッサナは自分には無理な実践法ですと
>吐露していることと同じ事です。

現象を観察するのがヴィパッサナです。


  • 2015-09-05│12:22 |
  • たま URL│
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No title
>現象を観察するのがヴィパッサナです。

私に阿羅漢にも至れないまがいものの、なんちゃつて
の説法は止めて下さい。

酔っ払い言葉にへへら笑ってしまいますよ。

釈迦が涙して泣いてしまいます。

内面を随観するのがヴィパッサナの本質です。

こういう法を平気で汚す輩がいるから、末法の世とい
うのです。

バチが当たりますよ。

阿羅漢になってから説法してください。
  • 2015-09-05│12:49 |
  • TK URL│
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No title
>現象を観察するのがヴィパッサナです。

ちなみに、物質的現象と言うのには実体がないものな
のですと、智慧の完成の聖なる観音の般若の何とやら
経にありましたが。

だからスピ系はガセネタの歪曲をもっともらしく触れ
回るので近寄ってはならないと言うのです。

典型的です。
  • 2015-09-05│12:56 |
  • TK URL│
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No title
たまさん

>私は、ラピ。さんが、悟ったのは激流で、他の人におすすめできないので、
>私は、他の人に、おすすめできない方法で悟ると、悟ったあと人におすすめできないので、
>理想と離れてしまうので、人のためにとか激流はやれない、

人のためと激流はつながりません。
段階としてまったく別のものです。

ちなみにできないって、
「人のため」の何を怖がっているのですか?

お勧めできないとは
きちんと書けば
激流段階を伝えられる人に
まだ出会っていない、ということです。

私が師匠と出会って至れた経緯として
私はあと一歩の状態でした。

そしてそのあと一歩の状態は
普通の人には決してわからず
本物でなければ激流は起こせなかった。

(激流の向こうに悟りはあります。
よって激流が起こらなければ
悟りもあり得ません。)

言い方を変えれば
TK師=本物に出会えなければ至れなかった、ということです。

それまでどんなに精進していたとしても
そして悟りの一歩手前にあったとしても
私の場合、最後本物が教えを説かなければ
無理だったということです。

もし、この世界に
私のような人がいたら
その人の力にもなりたいと思っています。

私は師匠のインターネットの書き込み内容を知り
「これは?」と思いコンタクトをとりました。

だから私も自分の通った道をブログに書き
「ん?私と似ている?」
と思える人がいるかもしれない
と思って書いています。

そしてもし、私のかつての至る前の状態と同じである人と
出会ったのなら
私はその人を激流に落とすでしょう。

そうすればその人は
至れる可能性が上がるのです。
(至る保証はできません。
だから激流と例えられるのです。)

ちなみに巷に悟りの素質がある人を見かけましたが
自称覚者を師事してしまっているため
残念ながらそれでは無理だと思いました。
可哀想ですが。

他の人の受け売りをその自称覚者は説いていましたが
(私からしたらでたらめ)
あと一歩の人にとっては
激流が必要です。

自称覚者にはそれがわかりません。
本人が激流を渡り切ってないからです。

だからそのあと一歩の人は
至ることはないでしょう、
その自称覚者から離れない限り。


たまさんはまだ激流に向かう準備ができていません。
だから激流はお勧めできないのです。
大変危険ですから。

たまさんにとって
その準備ができたら
激流を説きましょう。

(ん?いりませんか?(笑)

でも、まだまだなのです。

だから悟りの前の前として
激流ではない方法をお伝えしています。

それを精一杯すれば
激流の道が開かれる可能性がありますから
まずは激流(=悟りの道)はおいといて
きちんと段階、踏んでください。


ちなみに精一杯がんばって
悟りから離れていったとしても
その人はある意味、充実した幸せな人生を送れると思います。

それはそれで大成功だと思います。

悟ること(=激流)が必要ない人も
大勢いるのです。



>人のためにという気持ちは、人にとって大きなお世話になるだけなので
>人のためにというのもできないけど、
>悟れたらいいな、ということです。

どうして大きなお世話になるのでしょうか。

迷惑がられた経験があるのですか?

例えばですが10回、人のためにして
1回迷惑がられたら
それはすべ迷惑がられたことになるのでしょうか。

それかその「人のため」を
カスタマイズ、工夫はできなかったのでしょうか。

あきらめなければ道は
必ず開かれます。



>ちなみに素晴らしい絵は、コンペで佳作とか、
>準優秀賞など色々と入賞しました。

スゴイじゃないですか。
では最優秀賞が極めた頂点でしょうか?

さらにその上はありますか?
  • 2015-09-05│13:50 |
  • ラピ。 URL│
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No title



TKさん

>私に阿羅漢にも至れないまがいものの、なんちゃつての説法は止めて下さい。

説法はしてないです。
学んだことを書いただけです。

>内面を随観するのがヴィパッサナの本質です。

内面も含めすべて現象として観察しています。
初心者なので、身の観察を主にしています。

>ちなみに、物質的現象と言うのには実体がないものなのですと、智慧の完成の聖なる観音の般若の何とやら経にありましたが。

スマナサーラさんが、間違いだとか何かを話してたやつのことですかね?
般若の何とやら経の話は、TKさんが何を言いたいのか良く分からないです。


ラピ。さん、

>人のためと激流はつながりません。
>段階としてまったく別のものです。

『段階として』別なんですね。
人のための次に激流があるということですので、人のためも当然やれないことになります。
というか、人のためというのは、しっくり来ません。

>ちなみにできないって、
>「人のため」の何を怖がっているのですか?

鬱になって家事など生活活動ができなくなることです。

人のため、というのは、本来罪悪感がなく、清々しいものらしいのですが。。。
一方で、自分のためというのは、何か後ろめたいようなわがままな気がするようです。
しかし、私は、人のために何かすると、迷惑になる。私のすることは人のためになっていない、単なる主観の自己満足だという意識しかわかない。
自分のためだと、わがままであるという罪悪感がわく。
どちらの行動もできないというジレンマがあります。

なので、中間をとって、自他の利を考えての行動もしますが、それは、ただ、適度に生きているということで、自分利益とか他人の利益とかは、あまり考える必要もないことです。
そのときその場で必要なことを最低限しているだけという感じです。

そして、あまり、自分のため、とか、人のためにとか、疲れるので行動したくないです。


  • 2015-09-05│15:27 |
  • たま URL│
  • [edit]
No title
たまさん

>一方で、自分のためというのは、何か後ろめたいようなわがままな気がするようです。
>しかし、私は、人のために何かすると、迷惑になる。
>私のすることは人のためになっていない、
>単なる主観の自己満足だという意識しかわかない。
>自分のためだと、わがままであるという罪悪感がわく。
>どちらの行動もできないというジレンマがあります。


なるほど。
エゴの声によって何もできない、ということですね。

がんじがらめですね。


>なので、中間をとって、自他の利を考えての行動もしますが、
>それは、ただ、適度に生きているということで、
>自分利益とか他人の利益とかは、あまり考える必要もないことです。
>そのときその場で必要なことを最低限しているだけという感じです。


では自分のためも人のためも
両方おいといて
人のためも、自分のためもとりあえず考えず
単純に自分が理想とする生き方はどういうものですか。

難しく考えないで
子供の気持ちで考えてください。

理想の生活をしている自分は
どういう自分でしょうか。

子供の頃を思い出してみるのも
一つの手です。

忘れていたもの、ありませんか?


>そして、あまり、自分のため、とか、
>人のためにとか、疲れるので行動したくないです。

それがたまさんにとっての簡単な悟り方なのですか?

簡単に悟りを目指しているたまさんが
そうしている、ということは
そういうことなんでしょうか?
  • 2015-09-05│15:51 |
  • ラピ。 URL│
  • [edit]
No title
ラピ。さん、お返事ありがとうございます。

>では自分のためも人のためも
両方おいといて
>人のためも、自分のためもとりあえず考えず
>単純に自分が理想とする生き方はどういうものですか。

>難しく考えないで
>子供の気持ちで考えてください。

>理想の生活をしている自分は
>どういう自分でしょうか。

理想ですかー。

悟りを開いて、ネットで人々を悟りに導いています。
普段は、普通の人間として淡々と平和に生きています。

>子供の頃を思い出してみるのも
一つの手です。

>忘れていたもの、ありませんか?

子供の頃のは、家の屋根の上にのぼって、ずっと空を見て、夕やけを見たり星を見たりするのが好きでした。
人のいない公園で木に登ってボーッとしたりするのが好きでした。
お風呂では、壁や水道についたしずくをジーっと見ているのが好きでした。

本当に、それらが好きだったのか良く覚えてないので分からないですが、そういうことをしていて楽しかった記憶があります。

>それがたまさんにとっての簡単な悟り方なのですか?

>簡単に悟りを目指しているたまさんが
>そうしている、ということは
そういうことなんでしょうか?

生活態度です。
ヴィパッサナーが一応悟りのためにやることかと思いますが、まだ、始めたばかりなので、簡単なのかどうか、というか、自分に合っているのかどうかは良く分からないです。

理想の覚者はいましたが、もう亡くなっていますので、指導してもらえなくて残念です。

  • 2015-09-05│16:28 |
  • たま URL│
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No title
たまさん

>内面も含めすべて現象として観察しています。

あなたのここでの好き放題トーク見てましたが、ヴィ
パッサナのヴィの字もありません。

気持ち悪い人間になって行くだけですから、成就者に
よるマンツーマン指導以外で勧めません。

あなたは盲人、何も観察できていません。

これがあなたの真実です。

>スマナサーラさんが、間違いだとか何かを話してた
>やつのことですかね?

スマと言う人は、出家至上を説く人ですね。

ヴィパッサナは曲がりなりにも、阿羅漢になるための
方法です。

私もラピ。さんも在家で酔っ払いでは無く阿羅漢にな
りました。

スマと言う人が、あるいはそれ以外の人でも、在家で
阿羅漢出せないとほざいている人たちの教えを聞いて
どうするつもりですか。

あなたは簡単に悟りたいと言って、何で在家では無理
ですと言う人の教えをやろうなどと、言っている事と
やっている事があなたは違います。

つまり、スマさんは在家の人に阿羅漢の悟りを得させ
た経験がありませんと言っているのと同じ事なのです。

私に聞かなくとも、そのスマとか言う人に弟子入りで
もして、在家酔っ払いで地獄にでも行けばいいと思い
ます。

そうでなければいっそうの事、その人の元でネット禁
止の出家環境に飛び込んだらいいと思います。

私はスマと言う人とは違います、在家で阿羅漢を出せ
ると言う立場でラピ。さんも在家で私の指導の下に阿
羅漢果を成就していますので悪しからず。

その人たちとは教えが違います。

あなたにヴィパッサナなど、みすみすバチが当たって
地獄に落ちるような実践法を私は説きません。

在家でのヴィパッサナ実践には一工夫も二工夫も必要
です。

在家阿羅漢出せませんとか言う、スマとか言う人の教
えを私の前に持ち出す自身が既にバカっぽいですね。
  • 2015-09-05│17:09 |
  • TK URL│
  • [edit]
No title
たまさん

理想の覚者はもういらっしゃらないとのことですが
その理想の覚者は
簡単に悟れる教えを説いていたのでしょうか。

その理想の覚者が
厳しい教えを説いたとしたら
「私は簡単な悟りがいい」と
やっぱりその覚者の話を聞きませんか?

それともその覚者の言った通り
精進する道を実践できますか?

覚者の言ったことを
自分に都合よくカスタマイズすると
いいことありません。

それにそうであれば
そもそもその覚者の言葉を聞いていないことになります。

それは単なる自己流です。


人の話を聞かない、
自分の考えを押し通すのであれば
人に意見を聞かないほうがいいと思います。

それもありでしょう。

そしてそれはお互いに時間の無駄です。

私の言葉は必要ないですよね、たまさん。



>悟りを開いて、ネットで人々を悟りに導いています。
>普段は、普通の人間として淡々と平和に生きています。

子供の頃から悟りを求めてましたか?
普通、子供の頃に悟りについての
変な知識なんて持ってないと思いますが
あったのですか。

  • 2015-09-05│17:47 |
  • ラピ。 URL│
  • [edit]
No title
はじめまして。
空気がしめった葉のにおいを運んできて、秋の訪れを感じさせますね。

『悟りや幸せへの道』掲示板を拝見して、ぼくの中での決心が固まりましたので、TKさんとラピ。さんにお礼を申し上げたく、書き込ませていただきました。

ぼくは中学の頃から学校にも行かず仕事もせず、自分・他人・社会 いろんなものを蔑んで過ごしてきました。
様々なものを傷つけてきた事実を感じながらも、同じ過ちを繰り返し続ける、他人の痛みが分からず傲慢で、誰も愛することができない自分自身に疲れ果て、もう死のうかな、と考えたとき、ふと、

「これから先、このような気持ちを抱く人々がどれほどいるのだろうか。今この瞬間、絶望に追いやられ自らの体を傷つけたり、命を絶ったりする人がどれだけいるのだろうか。愛されたい、居場所がほしい、と叫んでいる人がどれほどいるのだろうか」

こうした考えがうかび、すると、何か死ぬわけにはいかなくなり、今日まで細々命だけは繋いでおります。

だからといって何かを為しているわけでもなかったのですが、お二人の投稿を拝見し決意が固まりました。

ぼくを死から遠ざけた、他の人々の苦しみ、これに寄り添い、向き合うことに一生を捧げることを決意し、一歩踏み出そうと思います。
まずは社会に出る自身の基盤を作るため、学校に通いなおしたり、健康な肉体を作ったりするところから始めるつもりです。

TKさん、ラピ。さん、有難うございます。
ただの思考の回転から、実践へとシフトするきっかけを与えて下さいました。
  • 2015-09-05│19:47 |
  • 司 URL│
  • [edit]
No title
TKさん、ラピ。さん、

色々聞いていただき、お返事いただき、
ありがとうございました。

  • 2015-09-05│20:15 |
  • たま URL│
  • [edit]
No title
司さん

はじめまして。
コメントありがとうございます。

初めに言わせてください。

生きていてくださってありがとう。


>ぼくを死から遠ざけた、他の人々の苦しみ、これに寄り添い、
>向き合うことに一生を捧げることを決意し、
>一歩踏み出そうと思います。

>まずは社会に出る自身の基盤を作るため、
>学校に通いなおしたり、
>健康な肉体を作ったりするところから始めるつもりです。


応援しています!
  • 2015-09-05│20:33 |
  • ラピ。 URL│
  • [edit]
No title
たまさん

こちらこそ、ありがとうございました。

たまさんのいいところは
ある意味 素直なところだと思います。

なんだかもったいないけど、、、。

たまさんの毎日が
充実した日々でありますように。

  • 2015-09-05│20:40 |
  • ラピ。 URL│
  • [edit]
No title
慧の実践は出世間道の実践です。

よって釈迦は在家に生天と言う世間道の教えを主に説
いた訳ですが、その先の出世間道の実践である慧すな
わちヴィパッサナの実践も僅かに在家に説いた可能性
がある訳です。

私は釈迦の残した教えだけでは、まず解脱することは
不可能でした。

釈迦の経典の教えには欠落しているものがあると思わ
れます。

まず、世間道である簡単な教えの施論、すなわち「人
のため」は在家の実践の主要徳目ですが、欠落してい
る教えとは、その生天レベルを卒業した在家者に向け
た次の在家者向けにカスタマイズしなおした激流法、
すなわち慧、ヴィパッサナ法です。

しかし、釈迦は在家者向けにカスタマイズしなおした
激流法のヴィパッサナは恐らく説いているはずですが、
スマさんという方もそれに気が付けないだけだと思い
ます。

その経典上の欠落点を埋め合わせようとしたものが、
在家仏教と言われる大乗である可能性が高いと思いま
す。

https://kotobank.jp/word/%E5%9C%A8%E5%AE%B6%E4%BB%8F%E6%95%99-271869

大乗は解脱をめざさない事を標榜し、「利他」の教え
を説きますが、解脱というものは目指したら辿りつけ
ないと言うポイントと、「利他」と言うポイントが
しっかりと中核になっている点が覚者による、釈迦の
教えの経典上の欠落点である部分の在家カスタマイズ
をされたものだと思われます。

もっとも多くの在家の皆さんは釈迦の教えの生天論、
すなわち施論、「人のため」の簡単な実践を精一杯
やる事で幸せになります。

出世間の教えである慧の実践、すなわちヴィパッサ
ナ法を無差別に在家者にばら撒くあたりがスマさん、
この人は既に道を外しています。

この人にとって在家への理解はその程度という事で
す。

これを人呼んで出家至上主義ならぬ出家オンリー主
義。
  • 2015-09-05│21:26 |
  • TK URL│
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No title
たまさん

>しかし、私は、人のために何かすると、迷惑にな
>る。私のすることは人のためになっていない、単な
>る主観の自己満足だという意識しかわかない。

過去のトラウマが絡んでいます。

人のために何かをすると迷惑になる場合とならない場
合があります。

一度失敗したことは良い経験として、今後に活かせば
いいだけです。

まずはどのような事で失敗したのか、そのつらい経験
をしっかりと思いだして、自分なりに分析して下さ
い。

何でもかんでも人のための行為は裏目に出る、十羽ま
とめて一絡げでは、経験から得られる学習も何もあっ
たものではありません。

しっかりと失敗の経験を思い出して分析する事が重要
なのです。

人に怒鳴られたり強く言われた事の恐怖の方が、失敗
の内容云々より大きいのではないですか。

それ、対人恐怖と言うのですが、私も子供の頃に経験
がありますが、反復する事の慣れでしか克服不可能な
ものですから、逃げていたら一生お化けのような人間
です。

人のためが怖いのではなく人が怖いのでしょ。

慣れですよ慣れ、自分を甘やかすのもいい加減にして
下さい。

人から逃げたら一生逃げていなければなりません。

そういう時こそ勇気を振り絞って、今度は怒鳴られな
いように工夫してやる事が重要なのです。

工夫の前に、もう失敗したからやーめた、情けないで
すよ、これでは。

それが、私が言う善玉エゴ力の増強方なのです。

あなたのような、幽霊みたいな人が内面(スピリチュ
アル)に逃げ込んだら、あなたは地獄行きです。

内面への逃避を蹴って、外に行くのです、どれだけ
やってもどれだけ工夫しても人に怒鳴られてしまいま
す、この声があなたから聞けるまでは、まだまだ全然
あなたはお化けと同じ世界です。

あなたの事をゾンビって言うんです。
  • 2015-09-05│22:44 |
  • TK URL│
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No title
司さん

>ただの思考の回転から、実践へとシフトするきっか
>けを与えて下さいました。

まず一歩を踏み出さなければ、世界は開けてこな
い。

人と接する事で、世界が開く。

目的をしっかりと持てるという事は、目的無く生きる
人より優れています。
  • 2015-09-06│00:25 |
  • TK URL│
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No title
まず、私は子供の頃にショッキングな出来事により、
対人恐怖にかかった事があります。

どうやって人に接するか、人に接する事によって治す
しか手がありません。

まず、自分が恐怖感を感じない信頼できる人にサポー
トしてもらう事が手っ取り早い手段です。

ちなみに、悟り悟りと簡単に言う人がいますが、この
場合を例にとれば、悟りを達成するための激流法な
ら、このような場合は自ら進んで人中に進んでいかな
ければならないと言う事になります。

私が良く激流法は精神が狂うか狂わないか発狂すれす
れの中を進んでいく事になると表現する事があります
が、悟りレベルを望む人の進み方は自らの内面に対し
てそういう接し方をしていくのです。

この場合に必要になる必須アイテムが、「意志力」で
す。

命を落しても進むか、命を落すことを避けて留まる
か、この二つの選択肢がある場面では、命を落しても
進む方を選択できる「意志力」を持ち合わせていない
人に悟りは無理です。

そもそも、それだけの「意志力」があれば、対人恐怖
になどかかるはずもありませんから、対人恐怖にかか
る時点でその人には、悟りは不可能である事を意味し
ています。

そのレベルの「意志力」を持ち合わせてもいない人
が、悟り等と言う言葉に憧れたり気安く振り回す事
で、なおさら自らの抱える問題解決から遠回りするこ
とになります。

対人恐怖症の方が悟りの達成者に比べたら、世の中に
一般的にありふれているもので、専門的に研究も進
み、克服も容易いです。

私に言わせれば、たかだか対人恐怖症の一つや二つも
解決できない者が、悟りなどと言う大それた言葉を口
にするのはやめて下さいと言います。

対人恐怖症を克服する方が悟りを達成するのに比べた
ら、雲泥の差で容易いものですので、このような所で
ぐずつくような人が、悟りはそもそも無理なのです。

彼岸の悟りの地に渡るための釈迦表現する激流が、対
人恐怖を克服するような容易いレベルと比較できるも
のではありません。

両方を経験している私だから言えるのです。

ただ、対人恐怖の克服は悟りに向かう人にとっては、
前哨戦のようなものと思ってもらえば、後々役に立ち
ますが、決してその反対ではありませんので勘違いな
さらない様に。

どちらにしろ向かうのは内(スピリチュウアル)では無
く外です。

欠如しているものが「強固な意志力」なのですから、
それは内(スピリチュウアル)に逃避する事を一切やめ
て、外に向かう以外で獲得できるものではありません。
  • 2015-09-06│09:51 |
  • TK URL│
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No title
TK師ありがとございます。

>私が良く激流法は精神が狂うか狂わないか
>発狂すれすれの中を進んでいく事になると
>表現する事があります
が、悟りレベルを望む人の進み方は
>自らの内面に対してそういう接し方をしていくのです。

まったくその通りです。
私もそうでした。
だから残念ながら簡単な道ではありえません。

そもそも激流と表現されるものですから
楽なはずありません。

  • 2015-09-07│06:40 |
  • ラピ。 URL│
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No title
ということで
なにか問題から逃げてしまうよな
意志の弱さでは
到底激流は渡れない
悟ることはできない、ということですね。

  • 2015-09-07│07:55 |
  • ラピ。 URL│
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No title
TKさん、ラピ。さん、

激流でしか悟りに至れないのですかね?

他に可能性は、ないのでしょうか?

悟りを目指してはダメ、というのは、

悟りは、欲を滅した状態だから、目指している欲望の状態では悟れない、っていうことですかね?

『悟りたい欲』がある人に、悟り開きたいと悟り目指してたら悟れないよダメだよって言っても、
どうしても悟りたいんだから、どうしょうもないですね。
ダメと言われて欲がさっさと消えるわけでもないですからね。
悟りたいと思っていても大丈夫な道を見つけるしかないです。

ヴィパッサナーは、なかなか難しいです。

私のテーマは『簡単に悟る』なので、色々サティしつづけるヴィパッサナはないかなって思うのですが、
最近読んだ、苦集滅道、無常、苦、無我の観、というか、知識だけでもあった方が混乱が少ないかなと思いました。

ジョン・シャーマンのメソッド関連記事 まとめ
http://resonanz360.com/2015/08/07/john-sherman-article-list/


上記のサイトの記事を、昨日読んだんで、ふと思ったのは、

アドヴァイタやマハルシが勧めている『私は在る』は、不還者が唯一持っている『存在欲』をヴィパッサナしていることと同等なのかもしれないと思いました。

不還者でもない普通の人が、自分を初めて見ると、結構、混乱することが多いらしいです。

これが、禅病とか、クンダリーニ症候群みたいな感じのものや、魔境や、アセンション中みたいなものにあたるところだと思います。

存在を見ると、無意識の抑圧のある人など、人によって、その思考のリアリティと執着がよく見えるようになるので、
無我などの、三相の心のカラクリを知らないと、かなり辛いと思います。

上記のサイトのジョン・シャーマンは、仏教に親しんでいた時期があったようなので、そういう知識もあったか、欲望はずいぶん削ぎ落とされていたかもしれないと思うのですが、その辺のスピ系を歩いてきた人は、あまり詳しくわからないので、
そういった人が、突然『自分を見る』と、
欲がある、私がある、現象があるという思考のままなので、
根本の存在欲に押されてはっきり見えるようになった妄想に押し流されてしまうのかもしれません。
それが、ジョン・シャーマンの記事の『回復期』の混乱の原因なのだと思います。
それこそ、そのときは、死に物狂いの発狂寸前というか、発狂です。
ただの思考でしかない内面世界が、死にたくない、と、どんどん主張してきますし、。

ほんとにカオスです。

私は、10年前に、ふと自分を見ることが起き、その後、そんな感じで、ものすごく混乱しました。
何の知識もなかったので、ずっと、その混乱をどうにか解決したいともがいてきました。


10年ですよ。

自分を意識して混乱を歩いてきて思うのは、そんな状態を縮めることができる何らかの方法があればよかったのに、
そしたら、過去に戻って、ワタシにつたえてあげたい。


子供の頃は、家には悟りを開いたらしき人の本がたくさんあり、普通に読んでいて、瞑想などもしていましたが、
あるときに、この教えでは何ともならない、この人がいっていることは本当のことかもしれないけれど、
この方便ではほとんどの人は理解できないしできない、
私は、これを読まなかったことにして、普通の人間の生活をしっかり生きよう、と思って、人間の生活を自分の欲望を大切にしていきました。
対人恐怖も、人と関われば治ると思い、積極的に関わっていた時期もありましたが、
結局、私には、TKさんのような資質はなかったようです。
私は、逆に、ほとんど妄想世界を生きてきました。
とは言え、実際は現実の人間関係も、割りと解決されています。

私の場合は、私がしゃべると、皆、どこかへ行ってしまうか、無視か、腹痛になるか、体が痒くてたまらなくなるか、嘘ばかり言われるので、人と関われなくなることが多いです。

私は在るを意識するとき、『存在欲』と『認識欲』が働いています。
私は、存在したいし、色々認識したいという思考があります。
これは、消そうと思っても消せないです。

私は、死に物狂いの激流のようなものは、渡れる資質はなさそうなので、
激流が激流たる由縁を解析して、そうならなくても悟る方法を解明するしかないと思います。

それで、昨日思ったのは、存在欲があるので激流になるということのような気がします。

しかし、存在欲を消そうとしてもダメだし、それを越えるエゴを発達させるのは私には、無理な気がします。

悟るのは存在が脅かされるので、恐怖します。

恐怖を解決しようともがいてきましたが、消えることはなかったです。

恐怖を越える、死んでもいいと思えるエゴも持ち合わせていません。

存在や恐怖があるという前提なので、大変なのだと思います。

存在や恐怖は、とてもリアリティがあります。
これは、普通に見ていても、無常とは全然思えません。

地獄はないとは言えないけれど、地獄はあるとも言えないけれど、
地獄に落ちると言われたら、何となく怖いですね。

妄想のない人は、地獄に落ちると言われても怖くないです。

母親が子供に『雷様にお臍をとられるから、服を着なさい』と言っているように聞こえます。

自分を見ていても、父への恐怖などはなくなっていません。

その単なる記憶の思考を、現実的に解決しようとしていたからです。

恐怖があるという執着です。
復讐心を解決したいという執着です。
ただの思考を、私のものだと思う執着です。
執着があるという妄想です。
妄想があるという認識があります。
認識が発生している存在感。
存在感の感覚を感じます。

恐怖や不快や怒りは、単なる感覚の変化です。
変化して消えたり生まれたりしています。
記憶の再生が、そこに在るかのようなリアリティを産み出しています。

在るを意識していても悟れなかったのは、
在るに意識を向けるというのを、誤解して、
あるを固定しようとする意識が働いていて、
在るが無常であると気づけなかったからなのではないかとおもいました。

ただ、意識をむけるだけ、ということに落ち着かなくてはならないけれど、

まあ、色々考えていたり、思い込みがあったりします。

悟れないなーとか、
全然自分に在れないとか、
お腹すいたとか、
TKさんって、どんな顔してるのかな?とか。

だから、悟りが目標ではダメと言われても、
そういう思考は出てきてしまうので、
そこにヴィパッサナして、なるべく、その思考の無常を見る、と、今はそれしか思い付かないです。

  • 2015-09-07│13:53 |
  • たま URL│
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No title
たまさん

>激流でしか悟りに至れないのですかね?


私の師はイエスと釈迦ですし、私はお目にかかった事
すらありますが、このお二方の方法では「激流」は必
須です。

EO氏も次のページで、最後の最後の最大の土壇場の
苦しみが必要だと言っています。
膨大な努力に徹底的な苦悩、思索が不可欠と言ってい
られます。

http://www.mumyouan.com/e/eorebel.html


>他に可能性は、ないのでしょうか?

あなたが、イエスや釈迦やEO氏や私やラピ。さんを
遥かに上回る師を見つければ良いだけです。

頑張って世界めぐりをして、イエスや釈迦やEO氏や
私やラピ。さんを遥かに上回る師を見つけて下さい。

私も以前お目にかかった事がある、自らの誤認による
エセ覚者のところでは簡単に偽の悟りの印可をもらえ
ると思います。

ご利用なさってみてはいかがでしょう。

悟りの印可さえもらえればいいのであれば、これが一
番簡単です。

意識変容が無くても、「理解」さえすればそれで良い
と言う類のものですから我々からしたら超簡単です。


ちなみに次のケシの実の話は、あなたみたいで面白いですよ?
http://ameblo.jp/titanium/entry-10031467982.html
  • 2015-09-07│21:00 |
  • TK URL│
  • [edit]
No title
>私の場合は、私がしゃべると、皆、どこかへ行って
>しまうか、無視か、腹痛になるか、体が痒くてたま
>らなくなるか、嘘ばかり言われるので、人と関われ
>なくなることが多いです。

そうする人たちの気持ちが私はよく分かります。

あなた、と言うより、スピ系にかぶれている人は気色
悪いと世の中の人から思われるはずです。

それは、やってはならない内面(スピ)の実践方法を
でたらめに実践した事のバチが当たったという事に他
なりません。

我々成就者から見たら、理論的には、正師にもつかず
に、そのような危険行為をして、いい加減に実践する
事から来る副作用で、気持ち悪がられる人になるはず
ですから。

ラピ。さんもあなたの気色悪さが分かったようでし
た。

ちなみに、スマと言う人は小乗ですから、あの人の教
えは在家者には危険ですし、もちろん小乗経典にしが
み付いているだけでは在家は悟れません。

出家者にとって、上座でも、在家者から見たらやはり
あの人の教えは小乗、すなわち劣った教えです。

私も釈迦の残した経典の教えだけでは悟れなかったは
ずです。

つまり、在家仕様の方法がどうしても必要なのです
が、スマと言う人はそれが出来ない宗派の人のようで
す。
  • 2015-09-07│21:48 |
  • TK URL│
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No title
ヴィパッサナを初め様々な内面法とは基本的にエゴを
善玉エゴでそげ落す方法の事ですが、もしも、この善
玉エゴが希薄な人が、いたずらに中途半端なヴィパッ
サナ等のエゴ落しの方法に不用意に手を出した場合
は、結果として、この方のように、エゴが目いっぱい
強いのに、肝心の生きるためのエゴは希薄で感じな
い、何ともいえない気色悪い人間が出来上がってしま
う事になります。

ですので、ヴィパッサナ等の内面法とはそのような危
険な特性を持つものですから、不用意に手を出す事の
無いように、先達の元で、充分に注意した環境で接し
てください。

多くの人は、まず、エゴを落すと言う言葉にフラフラ
と意味も無く惹かれるのではなく、善玉エゴの力を充
分に伸ばすと言う事を考えて下さい。

これは、エゴ落しとは逆の事を私は説いているので
す。
  • 2015-09-07│22:51 |
  • TK URL│
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No title
たまさん

正直に書きますけども。


>悟りを目指してはダメ、というのは、
>悟りは、欲を滅した状態だから、
>目指している欲望の状態では悟れない、
>っていうことですかね?

悟りを目指すって何を目指すのでしょうか。
「悟り」って言葉?(そんなはずないよね(笑)

「悟り」という言葉は例えなんです。

「それ」は目標にはなり得ないのです。



>『悟りたい欲』がある人に、
>悟り開きたいと悟り目指してたら悟れないよダメだよって言っても、
>どうしても悟りたいんだから、どうしょうもないですね。

本当にどうしようもないのでしょうか。
それってエゴの言いなりですね。
そんな状態でエゴが消滅する悟りを目指そうとするのは
無理だと思いませんか?

エゴの言いなりになって「どうしようもない」
と言っている状態で
エゴが消滅するはずないです。


>ダメと言われて欲がさっさと消えるわけでもないですからね。

そうなんですか???


>悟りたいと思っていても大丈夫な道を見つけるしかないです。

悟りたいのなら悟りたいと思ってはならない
と直接伝えているのに

→どうしても悟りたいとしか思えない
→「悟りたい」で悟れる道をとりあえず探す
→それから??

って、わざわざかなりの遠回りをするのですね。


>ヴィパッサナーは、なかなか難しいです。

あれ?楽したいんじゃなかったのかな?
難しいならその方法も
たまさんの求めているものではないのではないですか?


>上記のサイトの記事を、昨日読んだんで、
>ふと思ったのは、

その思ったのはすべて想像であり妄想です。


>私は、10年前に、ふと自分を見ることが起き、
>その後、そんな感じで、ものすごく混乱しました。
>何の知識もなかったので、ずっと、その混乱をどうにか解決したいともがいてきました。

自分を見ることが起き、という表現は
何が起こったことを表しているのでしょうか。

それが起こったきっかけ、覚えていますか?


>10年ですよ。

私は合計すればそれ以上です。


>私は在るを意識するとき、
>『存在欲』と『認識欲』が働いています。
>私は、存在したいし、
>色々認識したいという思考があります。
>これは、消そうと思っても消せないです。

それはそうでしょうね。
「消したい」というのは願望ですから。

この表現のあたり、スピ系の弊害が出ていますね。

「私は、存在したいし、色々認識したいという思考があります。」

これは妄想であり、
スピ系の本からかなりの影響を受けています。

自分で変なこと書いているのがわからないでしょう?



>激流が激流たる由縁を解析して、
>そうならなくても悟る方法を解明するしかないと思います。

本気で解明したいのならまず悟ってください。



>それで、昨日思ったのは、
>存在欲があるので激流になるということのような気がします。

なんだかいっぱい考えすぎですね。


>しかし、存在欲を消そうとしてもダメだし、

無理です。
そもそも「消そうとする」で消せるわけがないのです。

そういうことばかり毎日考えているのですか?


>それを越えるエゴを発達させるのは
>私には、無理な気がします。

自分が無理だと思ったら無理ですね。

ちなみにこのあたりの文章からも
たまさんは悟りについてかなり勘違いをしています。


>悟るのは存在が脅かされるので、
>恐怖します。

悟りとは自我の消滅ですから。


>恐怖を解決しようともがいてきましたが、
>消えることはなかったです。

もがいたのですね?がんばりましたか?
今も恐怖はあるのですか?



>恐怖を越える、死んでもいいと思えるエゴも
>持ち合わせていません。

これは必須です。

今の時点のたまさんには無理でしょう。
しかしこれからのたまさんの生き方によっては
変わってくるかもしれません。


>存在や恐怖があるという前提なので、
>大変なのだと思います。

なんだかいろいろ分析していますが
その分析、何かの役に立ってますか?
余計、たまさんを混乱させている気がしますが。


>存在や恐怖は、とてもリアリティがあります。
>これは、普通に見ていても、無常とは全然思えません。

そもそも無常ってどういうことか知らないですよね?

>妄想のない人は、地獄に落ちると言われても怖くないです。

妄想とは想像力とも言い換えることができます。
よって普通の人は地獄を想像したら
いろんな思いになるでしょうね。

悟れば妄想はもちろんないし
地獄もあり得ません。


>自分を見ていても、父への恐怖などはなくなっていません。
>その単なる記憶の思考を、現実的に解決しようとしていたからです。

現実的に解決しようとしたから恐怖がなくならない
と思ってるのですね?


>恐怖があるという執着です。
>復讐心を解決したいという執着です。
>ただの思考を、私のものだと思う執着です。
>執着があるという妄想です。
>妄想があるという認識があります。
>認識が発生している存在感。
>存在感の感覚を感じます。

大丈夫ですか?

すごい妄想ですね。
頭で考えすぎです。



>恐怖や不快や怒りは、単なる感覚の変化です。
>変化して消えたり生まれたりしています。
>記憶の再生が、そこに在るかのようなリアリティを産み出しています。


そうやって何もわかってないことを
何かの本の受け売りで
わかっているかのように書き、
それに支配された毎日を送っているたまさん、
大丈夫ですか?



>在るを意識していても悟れなかったのは、

それでは悟れません~~~

>在るに意識を向けるというのを、誤解して、
>あるを固定しようとする意識が働いていて、
>在るが無常であると気づけなかったからなのではないかとおもいました。


もうその思考、辞めたほうがいいです。
間違っていますから。



>ただ、意識をむけるだけ、ということに落ち着かなくてはならないけれど、

どうしてそうしなければならないのですか?
そうすれば悟れると思ってるのですか???

何かの本に書いてあったのですかね。

違ってますよ。


>まあ、色々考えていたり、思い込みがあったりします。

思い込み、ありすぎですね。

>悟れないなーとか、
>全然自分に在れないとか、

全然自分に在れないって変な日本語ですね。

自分に在りたいのですか???
それってどういう意味??
なぜ在りたいのですか????
在ると、悟れるとでも??


>お腹すいたとか、

お腹すいたな~くらい、普通ですよね。


>だから、悟りが目標ではダメと言われても、
>そういう思考は出てきてしまうので、
>そこにヴィパッサナして、なるべく、その思考の無常を見る、
>と、今はそれしか思い付かないです。

結局、たまさんは自分の気に入った方法しかできない、
ということですよね。

いろんな本の自分にとって都合にいいところの寄せ集めとか
本に書いていることを
自分に都合よく解釈したりしていますね。

それってすごく遠回りしているの
お判りでしょうか。

本来必要ない知識を詰め込んで
ますます悟りから離れてしまってるんです。
  • 2015-09-07│23:37 |
  • ラピ。 URL│
  • [edit]
No title



TKさん、

>私の師はイエスと釈迦ですし、私はお目にかかった事すらありますが、このお二方の方法では「激流」は必須です。

それ、イエスと釈迦なのか、ちょっと分からないです。
スピ系の人が『会った』とか言うの、見かけたことありますし。

すごい集中力とかだと、イメージがリアルに見えるとかいう現象はあるらしいです。
あと、例えば、宇宙人が化けていても、分からないですよねf(^_^;

>EO氏も次のページで、最後の最後の最大の土壇場の苦しみが必要だと言っています。
>膨大な努力に徹底的な苦悩、思索が不可欠と言っていられます。

>あなたが、イエスや釈迦やEO氏や私やラピ。さんを遥かに上回る師を見つければ良いだけです。

>頑張って世界めぐりをして、イエスや釈迦やEO氏や私やラピ。さんを遥かに上回る師を見つけて下さい。

もう亡くなられましたフーマン・エマミという覚者がいましたが、

フーマンは、ラマナ・マハルシのwikiの記事にあるような

『しかし、言葉での教えより、マウナ(沈黙、静寂)こそが最も力を持っているとたびたび語っている。ここでの、マウナ(梵語:मौन、mauna)は単に言葉を発っさないことではなく、心がその源(真我)に溶けこみ、別に存在していない在り方を意味している。マハルシは、マウナを「永遠の雄弁」であると表現し、言葉を発することはその力の妨げになると述べている。実際に、マハルシに会いに来た人が、言葉を交わすことなしに、目と目を合わせるだけで、心が落ち着き、今まで味わったことのない幸福感に包まれたというような話が、信奉者らのマハルシとの思い出を収録した『FACE TO FACE WITH SRI RAMANA MAHARSHI』などの書籍の中でよく語られている。

「私は誰か?」という問いかけによる実践的な真我の探求(アートマ・ヴィチャーラ)を推奨した。肉体を自分であると誤ってみなしているエゴである「私」の根源を探求することで、「私」が根源である真我に溶け込み、消え、純粋な意識であり絶対的実在の真我のみが残る。』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%9E%E3%83%8A%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%82%B7

のような感じの覚者です。それでフーマンがEO氏のことを、

“彼はとても重要な境地に到達している。
仏陀の言う、とても深い虚空の境地でありサマーディだ。
しかし内的境地がどんなに深くても、彼はそれに溶け去っていない。 ”

と言っているのを「恩寵の扉が開くまで」という本で昔に読みました。

探してみたらネットにその内容とその前後の文がありました。
文中のEがEO氏で、Sが鈴木崩残氏のことらしいです。↓

--------------------
ーーーそれから、ぜひ聞いておきたい事があります。最近ホームページを開設したのですが、
その中に誰もが自由に書き込める「掲示板」なるものをつくりました。
 みんなが自由に書き込んで真実を議論する事で、「魂の成長に役立つ場」を作ろうと
シンプルに思ったからです。
 ところが相手に直面しなくても済む事や匿名をいい事に、何人かが無責任にとんでもない
書き込みを始めて、まるで戦場のようになってしまって……。互いに罵倒し合い、
傷つけ合ったりして……。

フーマン: ハ、ハ、ハ(笑)。

ーーー「ネガテイブに書き込みをする人々は、掲示板からキックオフして欲しい」
との要望もあって……。

フーマン: 掲示板そのものをキックオフした方がいい!

ーーー実際、あまりヒドイ状態になったので閉じてしまいました。
真理の探究は掲示板の議論では阿可能だと、思い知りました。

フーマン: グッド!

ーーーところでその掲示板に匿名で書き込みした人の中で、ちょっと気になる人物が
何人かいるので、聞きたいのですが……。まずKと名乗る人物ですけれど…

              (中略)

(フーマンには、ある特定の人物の名前を告げると、実際に当人に会わなくても
 その人物の事を知ることができるという噂があった。最初日本からフーマンに
 電話した時、すでにフーマンの不思議な能力についてある程度体験していた。
 そこで掲示板に書き込みをした匿名の人物について、思い切って尋ねたのである)

              (中略)

ーーーもう一人Sと名乗る人についてですが……。
Kほどではないのですが、かなりシニカルで突っ込んだ書き込みをする人で、
文体がE氏に非常に似ているのです。
E氏が悟りを宣言した人物で、以前私の運営していたセンターに定期的に文書を
送付して、私も返事したりして少しだけ交流がありました。
非常に鋭く本質を突く文章を書く人で、一度会ってみたいと思いました。
実際アポイントまで取ったのですが、結局会えなくて……。
でも残念ながら死んでしまった筈なのですが……。

フーマン: E氏は日本人? サニヤシン?

ーーーええ、日本人です。サニヤシンではないですが……。

(フーマンは、Eという名前にチューニングし始めた)

フーマン: 彼は何かを得ている。知性もある。
彼は悟りを得ている。それも強烈な体験だ。
このE氏と、掲示板に書き込みしているSは同じ人物だと思われる。
しかし、彼が本当に光明を得ていれば、他人の掲示板に書き込みする事はしないだろう。
ただ愛と平和の内に完全に充足している。
彼は、基本的にネガティブなアプローチを通して、悟りの境地に到達した。
憎しみ、怒り、自己否定を通して……。
I AM の光へ広がり明け渡すという、肯定的なアプローチではなかった。
自己のマインドや個性を憎んで否定するようなアプローチだ。
これはどのように目覚めが起こるか、という問題だ。
その結果、それをどう現象世界に自己表現するかの形も違ってくる。

ーーー彼の表現はシニカルで……。

フーマン: 非常にシニカルだ。本当に光明を得た人間は、
そのような表現はしない。光明とはノーマインドだ。
彼はとても重要な境地に到達している。
仏陀の言う、とても深い虚空の境地でありサマーディだ。
しかし内的境地がどんなに深くても、彼はそれに溶け去っていない。
再び言うが、この点はあなたがよく理解すべきとても重要なポイントだ。
いいかね?

人がどんなにすばらしい境地に到達しても、
その人がそれに溶けて一つにならなければならない。
もし彼がそれに溶け去れば、彼は平和と調和の至福の内にある。
最愛なるもの(Beloved) の意志、I AMの意志として、
全てを受け入れる。
掲示板での議論や闘いなど、全くあり得ない。

カタルシスはひとつの事を証明している。
どんなスピリチュアルな教師であっても、彼がカタルシスを
言葉や文章で表現する様ならば、彼はまだ完結していないという事だ。
もし完結していれば、いったいわざわざ掲示板とかで自己表現する
必要があるだろうか?
黙っていても、あなたに惹きつけられ人々がやって来るようになる。

人々の方があなたの中に真実を見る。
あなたの真実に共鳴する人々がやってくればそれで良い。
世界中の人々に対して自己表現する必要は全くないのだ。

だから彼の行為そのものが、まだ虚空に溶けていない事を証明している。
もし本当に虚空と溶けて一つになると、カタルシスを表現する人が
誰もいなくなる。
虚空からどうしてカタルシスが起こりえるだろうか?
虚空の境地には、平和と全てに対する受容だけがある。
------------
http://sp.logsoku.com/r/2ch.net/psy/1245642679/ID:IthdXtp8


(ちなみに「恩寵の扉が開くまで」のその他の本文は以下になります。本の内容はこちらがメインです。
http://www.leela.jp/grace/part1/index.html
http://www.leela.jp/grace/part2/index.html
http://www.leela.jp/grace/part3/index.html )

フーマンの話によると、EO氏が溶け去っていないなら、彼は阿羅漢ではなく不還者だということになるかと思います。

不還果に至ると存在欲によって存在しているだけで認識欲がわかないので存在欲に気づかず、それを滅せられず阿羅漢に至れなくて、
認識欲がないので基本は無なのだけど、認知できない存在欲はのこっているという状態なのかなあとか思うのですが、いかがですか?
TKさん自身も、滅ではなくて無だと書かれてましたよね。
ということは、不還者ではないのですかね?

>ちなみに次のケシの実の話は、あなたみたいで面白いですよ?

読んだことあります。

TKさんは、自分等以外にほとんど阿羅漢いないようなこととか書いていたので、
とりあえず二人しかデータがないので激流必須かの断定は難しいですね。
一家族にブッダが一人いる環境なら話は別ですけど。

ニサルガダッタ・マハラジはいかがですかね?

スマナサーラさんのことは、最近知ったばかりなので、ほとんど知らないですが、
ヴィパッサナは、前から興味があったのでやってみました。
やってみて、効果を感じられないならやめますし、何か効果を感じたら続けます。




  • 2015-09-08│02:03 |
  • たま URL│
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No title
たまさん

>それ、イエスと釈迦なのか、ちょっと分からないで
>す。
>スピ系の人が『会った』とか言うの、見かけたこと
>ありますし。
>
>すごい集中力とかだと、イメージがリアルに見える
>とかいう現象はあるらしいです。
>あと、例えば、宇宙人が化けていても、分からない
>ですよねf(^_^;

当時の私にとっては、これが「激流を渡って解脱する
上で」とても重要な現象でした。

例えばあなたなら一生懸命に私や、他の人に尋ねれば
いいのかもしれませんし、ラピ。さんにも私がいまし
たが、私には誰も頼れる人がいませんでした。

今になって考えてみても、現実に生きている人物は誰
も頼らなくて正解でした。

頼っていたら、決して解脱は出来ませんでしたし、そ
もそも解脱したとする人がエセだけですから。

もう悟って何年にもなりますが、ネット上でエセ以外
対話したことがありませんし、本当に解脱した人は天
然記念物的価値だと思います。

人を頼らず自らを拠り所にしろと釈迦は言いました
が、「私にとっては」全くその通りでした。

私が見たものが何であろと、私の解脱のためにそれが
必要不可欠だったと言うのが事実です。

結果、神の国、彼岸、ものに出来たことの結果論で行
くと、理論的には本物と考えて良いですね。

しかし、私はその方々をもう信仰していません、と言
うよりその方々をもう信仰できませんが、それがその
方々の真実の教えです。

マザーテレサはそれが分からなくて、私の前に神がい
なくなったと言って苦悩していました。

>それでフーマンがEO氏のことを、
>
>“彼はとても重要な境地に到達している。
>仏陀の言う、とても深い虚空の境地でありサマー
>ディだ。
>しかし内的境地がどんなに深くても、彼はそれに溶
>け去っていない。 ”

我々阿羅漢が使わない、異次元表現が入ってます。

単なる方便のつもりかどうかこの部分だけでは判定で
きません。

>フーマンの話によると、EO氏が溶け去っていないな
>ら、彼は阿羅漢ではなく不還者だということになる
>かと思います。

私はあなたがここで引用したものだけで、フーマンさ
んの判定がつきました。

フーマンさんは釈迦やEO氏より下の方です。

「滅」の理解が出来ない次元の人です。

意味不明イーコル劣っているではありません。

阿湿貝経
> 上からは下は見えても、下からは上は見えない。

ただ、その超えている部分について、フーマンさんの
理解が及ばないだけです。

よって、釈迦やEO氏が激流は必須だと、この言葉は
ひっくり返りません。

>TKさん自身も、滅ではなくて無だと書かれてました
>よね。
>ということは、不還者ではないのですかね?

あなたは私の書込みを全く読んでないと等しいです
ね。

私は「無」で阿羅漢だと申し上げておりますので。

この「無」も、あなたが無心になるの「無」とはレベ
ルが違います。

あなたの知ってる束の間無心になる「無」は、悟る以
前のラピ。さんの実現できていた空っぽのレベルの低
い「無」です。

私やラピ。さんのお話している悟りの「無」はそのレ
ベルではありません。

>ヴィパッサナは、前から興味があったのでやってみ
>ました。
>やってみて、効果を感じられないならやめますし、
>何か効果を感じたら続けます。

スマさんのヴィパッサナは在家仕様ではありませんか
ら、釈迦の説く激流レベルのものに比べたらぬる過ぎ
て、あなたのように中途半端に行った事のバチとも言
える気持ち悪い人間になるなどの悪い効果があるはず
です。

フーマンさんより釈迦やEO氏の方がよほどにか対機が
うまいと思います。

これでは、スピ系そのものです。

酔っぱらって一生終えたい人はどうぞどうぞ、お好き
なように。

高い次元の人イコール対機がうまいとは限りませんよ。

スマさんもお話している通りで、阿羅漢なら誰でも
結集に出れるわけでは無かったとそう言う事のようです。

http://www.j-theravada.net/qa/qahp72.html
  • 2015-09-08│20:48 |
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No title
[TKさん、

>当時の私にとっては、これが「激流を渡って解脱する上で」とても重要な現象でした。

その現象は、TKさんにとって、精神世界をやめて現実に対処する方向に変えるきっかけとなったということだった思いますが、

TKさんのおっしゃるスピ系=精神世界というのは、
中途半端にエゴを落として、人間としてまっとうに生きる意志を無くさせて、気持ちの悪い人間になるということでした。
それで、人間として生きるために、『人のために善いことをする』という目標を提示されています。
この『人のために』というのは『他人のために』ではなくて『自分を含めた人間のため』ということなんですかね?

ラピ。さんがしていた『自分を捨てて』の話とかあるので、
『他人のために』なのか、『自他のため』なのか、なんか混乱します。
TKさんの話してるニュアンスは『自他のため』みたいな感じでしたけど、
ラピ。さんは、自分を捨ててるので、お二人の言う『人のために』が何となくズレを感じるのですが。

ラピ。さんのために、TKさんは、少し方便を変えたようですが、

TKさんは、阿羅漢に至る前は、TKさんの言葉としていうなら、どのような目標で生きていたのですか?

>我々阿羅漢が使わない、異次元表現が入ってます。
>単なる方便のつもりかどうかこの部分だけでは判定できません。

異次元表現ですか。
仏教系の人ではないですし、
フーマンが阿羅漢かどうかというのは分からないですが、
翻訳されている方が阿羅漢ではないので、日本語として表現が適切どうかは分からないというのもあるかもですね。

>私はあなたがここで引用したものだけで、フーマンさんの判定がつきました。

ここで引用したのは、メインじゃないです。
フーマンは、セッションを受ける人によって、対機がかなり変わる方だったみたいです。

確か、本には、フーマンが言ったこと(Eへのチャネリング)は、セッションを受けている人のために言ったことであり、事実とは言えない、というような注意書があったと記憶してます。

>フーマンさんは釈迦やEO氏より下の方です。

>「滅」の理解が出来ない次元の人です。

>意味不明イーコル劣っているではありません。

>阿湿貝経
>> 上からは下は見えても、下からは上は見えない。

>ただ、その超えている部分について、フーマンさんの理解が及ばないだけです。

>よって、釈迦やEO氏が激流は必須だと、この言葉はひっくり返りません。

滅の次があって、フーマンがそれに至っていたという可能性もないこともないので、何とも判断できないです。

フーマンは、ラマナ・マハルシと同じくらいだと思うのですけど、ラマナ・マハルシは滅ではないのでしょうかね?

真我というのは、何でしょうか?TKさんの言葉で言うとすると何でしょうか?

それとも、悟りとかは、言葉で表したりイメージしてもダメだとか書いてたので、真我という言葉表現自体がNGですかね?

>私は「無」で阿羅漢だと申し上げておりますので。

>この「無」も、あなたが無心になるの「無」とはレベルが違います。

>あなたの知ってる束の間無心になる「無」は、悟る以前のラピ。さんの実現できていた空っぽのレベルの低い「無」です。

>私やラピ。さんのお話している悟りの「無」はそのレベルではありません。

読んでましたが、偽物が多いらしいので、一応確認してみました。

でも、無=阿羅漢、よく分からないです。
無明庵の小悟、中悟、大悟、の話では、確か、小悟は輪廻転生するみたいだったので、小悟は阿羅漢ではないようでしたけど。

>スマさんのヴィパッサナは在家仕様ではありませんから、釈迦の説く激流レベルのものに比べたらぬる過ぎて、あなたのように中途半端に行った事のバチとも言える気持ち悪い人間になるなどの悪い効果があるはずです。

スマナサーラさんのヴィパッサナは、よろしくないみたいですねf(^_^;
それで、探してみたんですが、パオ・セヤドーのサマタ・ヴィパッサナー瞑想(PDF)をネットで見つけたのでそれにすることにしました。
清浄道論にそったもので、単に体に気づくのてはなくて、無常、苦、無我などを見ていくものです。
日常で忙しく体にサティするよりは、落ち着ける時間に無常を見た方がいいかなと思いました。
思考を使いきって無思考に至らせるという感じではなくて、
無常という事実を確認して思考の根っこの欲に働きかけて、苦しみの原因のエゴを削ぎ落としていくことになるのだと思います。
で、善のエゴなんですが、私は祈ることくらいしかできないですね。
子供の頃から、祈りはよくしてました。
それで、ヴィパッサナとサマタ瞑想の慈悲の瞑想をやればいいかなと思うのですが。

>フーマンさんより釈迦やEO氏の方がよほどにか対機がうまいと思います。

対機が上手いってのは、普通の人で言えば嘘つきってことですから、人間やってるときからジョークや嘘ついてた人は上手いかも知れないですね。

あとヴィパッサナとか以外でやってるのは、
ダグラス・ハーディングが開発した自己探求の方法
http://www.ne.jp/asahi/headless/joy/99_blank022.html

です。
直接見るという感覚なんですけど、
これをすると、意識空間に人間体験が起きているなあ、という感覚がします。



  • 2015-09-09│12:01 |
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No title


TKさん、

自我の時に無を一瞥するのと、完全に無に至るのでは、ずいぶん違いますよね。

ということは、無の時に一滅するのと完全に滅に至るのは、ちがいがあるとおもいます。

TKさんは、滅を垣間見たというか、しばらく滅したかもしれないですが、
本当に滅したのとは違うので、
滅を理解できるというのは一部分です。

例え、滅したブッダがいたとしても、それを偽物と思う、

>阿湿貝経
>> 上からは下は見えても、下からは上は見えない。

可能性は否定できないです。


  • 2015-09-09│13:57 |
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No title
たまさん

>その現象は、TKさんにとって、精神世界をやめて現
>実に対処する方向に変えるきっかけとなったという
>ことだった思いますが、

釈迦が出てきた時は激流段階突入時ですから違いま
す。

私にとってイエスや釈迦の感応道交は、命がけの激流
突入時に心の支えとして重要な現象でした。

少なくとも至っていない人にとっては私は先達の立場
になれましたから、道は開けたのです。

私の悟りが無ければ、ラピ。さんの悟りもありません
でした。

ただし私自身の時には、道が開けていませんでした。

>この『人のために』というのは『他人のために』で
>はなくて『自分を含めた人間のため』ということな
>んですかね?

自分のためと他者のためと二つの捉え方があるうち
の、他者のためです。

釈迦が在家に説いた施論に、その走りがあります。

在家仏教と言われている大乗は利他を説きますが、こ
のルーツもそこにあります。

他者のためは自分のためなのです、真剣に他者のため
をやっていればそれがわかります。

理論でこね回しているだけの人にはこれは分かりませ
ん。

そう言う人は世の人から気色悪がらているように思い
ます。

>TKさんは、阿羅漢に至る前は、TKさんの言葉として
>いうなら、どのような目標で生きていたのです
>か?

何度も言ってますが、人のためです。

>異次元表現ですか。
>仏教系の人ではないですし、
>フーマンが阿羅漢かどうかというのは分からないで
>すが、
>翻訳されている方が阿羅漢ではないので、日本語と
>して表現が適切どうかは分からないというのもある
>かもですね。

仏教系の言葉と言う意味で異次元語と話してるわけで
はありません。

>ここで引用したのは、メインじゃないです。
>フーマンは、セッションを受ける人によって、対機
>がかなり変わる方だったみたいです。

あなたが引用した一部だけ見ればこの人の場合は充分
です。

もう判定は出来ましたから。

「滅」を理解できない、釈迦やEO氏より下のレベル
の人です。

>滅の次があって、フーマンがそれに至っていたとい
>う可能性もないこともないので、何とも判断できな
>いです。

「滅」の次は、ありません。

残念でした。

「滅」と言うのはこの宇宙の外ですよ、宇宙を肯定す
るフーマンとか言う人には分かるはずがありません
ね。

ちょっと見れば、この人はあの人より下の人だ、こん
なことくらい一目瞭然に分かります。

もう、この人の話は止めて良いです、価値ありません
から。

>真我というのは、何でしょうか?TKさんの言葉で言
>うとすると何でしょうか?

この言葉もありふれているが故に、色々な使い回しを
されている形跡を目にしています。

ある時は「滅」をあらわし、またある時には「プル
シャ」を表す表現にも使われています。

しかし、「滅」イコール「プルシャ」ではありません
から。

http://studiohappyharmony.blog.fc2.com/blog-entry-2010.html

>無明庵の小悟、中悟、大悟、の話では、確か、小悟
>は輪廻転生するみたいだったので、小悟は阿羅漢で
>はないようでしたけど。

あなたにはこれは関係ありませんよ。

興味本位で、いたずらな知識身に付けてどうするつも
りですか、知識イコール悟りから遠ざかるですよ。

ちなみに、EO氏説く小悟が禅の悟りです。

つまり、ここで阿羅漢ですから悪しからず。

EO氏説く中悟と大悟は、釈迦表現で言う俱解脱の阿
羅漢です。

釈迦の説く阿羅漢にはヒラ阿羅漢と俱解脱の阿羅漢と
グレードの違いで2種類ありますから。

だから、EO氏のレベルはフーちゃんより高いと何度も
言っています。


阿湿貝経
> 「第六の段は、名を越える、慧解脱である。
> 彼らには、智慧を用いる、煩悩の滅尽があり、
>もはや、不放逸が説かれる、要がないのである。」
>
> 「第七の段は、色も越える、倶解脱である。
> 彼らには、身体を用いる、煩悩の滅尽があり、
>もはや、不放逸が説かれる、要がないのである。」



>それで、探してみたんですが、パオ・セヤドーのサ
>マタ・ヴィパッサナー瞑想(PDF)をネットで見つけ
>たのでそれにすることにしました。

私は気色悪いあなたには、脱スピしかすすめません。

あなた、死ぬまで、いや死んでもですが、悟れません
よ。

>対機が上手いってのは、普通の人で言えば嘘つきっ
>てことですから、人間やってるときからジョークや
>嘘ついてた人は上手いかも知れないですね。

あなたは私の話している事が伝わりません、あなたの
ような人には、スピ系は説かない、これを真っ当な対
機と言うのです。

>直接見るという感覚なんですけど、
>これをすると、意識空間に人間体験が起きているな
>あ、という感覚がします。

誇大妄想空間と言って下さい。

これがあなたの真実です。

>TKさんは、滅を垣間見たというか、しばらく滅した
>かもしれないですが、
>本当に滅したのとは違うので、
>滅を理解できるというのは一部分です。

あなたののは単なる妄想空間です。

自分で滅を本当に分かってからする話しですよ。

見てきたような嘘をつくとはあなたの事です。

あなたみたいな気色悪い身の毛もよだつような人間に
どうやったらなれるのですか。
  • 2015-09-09│21:03 |
  • TK URL│
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No title
>それでフーマンがEO氏のことを、
>
>“彼はとても重要な境地に到達している。
>仏陀の言う、とても深い虚空の境地でありサマー
>ディだ。
>しかし内的境地がどんなに深くても、彼はそれに
>溶け去っていない。 ”

この部分、おかしな点がいくつかあります。

釈迦もEO氏も涅槃すなわち滅を説き、それはサマー
ディではありませんし、虚空の境地でもありません
し、それに溶け去る事でもありません。

つまり、このフーちゃん、おめでたい事に何にも分か
らずに、自分は覚者だと言わんばかりの状態に思えま
す。

もっと変な言葉はですね、ラピ。さんも言ってました
が「内的境地」この言葉です。

これ禅の原田雪渓氏や井上貫道氏とかの本物の阿羅漢
に聞いても明らかに変と言われるはずです。

キリスト教のバーナーデッドロバーツと言う人も、
フーちゃんとは違うので、ちゃんとここは説明してま
した。

知らない人なら平然と使える言葉でも、知っている者
にとっては酔っ払い以外の何物でもない言葉です。

「内外打成一片(ないげだじょういっぺん)」と言う
阿羅漢なら周知の事実的なもので、内と外の別が滅び
てなくなるので「内的境地」なる、このような変なも
のは我々阿羅漢には有りませんし、EO氏もフーちゃ
んとか言う人より当然上の人なので、この辺りは明ら
かに説いていられます。

覚者は内側と外側が滅びて一片になると言う意味で
す。

http://www.asahi-net.or.jp/~zu5k-okd/house.14/danwa/danwa.1.htm

このフーちゃんには未だ「内的境地」があるので、自
然に使い回しているようにしか思えません。

阿羅漢なら誰でもわかる常識的といっても良いような
内容ですので悪しからず。

釈迦やEO氏が話しているように、解脱に激流は必要な
ものですのでお間違え無きように。

自らの誤認による自称覚者はうじゃうじゃ居ますし適
当な事を言いますので、真に受けないようにして下さ
い。
  • 2015-09-10│20:23 |
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  • [edit]
No title
TK師、ありがとございます。


>もっと変な言葉はですね、ラピ。さんも言ってましたが
>「内的境地」この言葉です。

はい。
そういう言葉が普通に出る、
それがある前提で話している、ということは
フーちゃんには
「内的境地がある」、ということです。


このように使っている言葉から
その人がどういう状態かがわかります。

私たちには内的境地がないので
そもそも
「内的境地が深い」なんて表現はしないし
できません。

よって内とか外とか
フーちゃんはまだ相対的世界にいることになります。



>対機が上手いってのは、普通の人で言えば嘘つきってことですから、
>人間やってるときからジョークや嘘ついてた人は
>上手いかも知れないですね。

これについてですが
そもそも対機はそういう意味ではありません。

http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/132779/m0u/

対機は説法の際、相手の機根に対応することであり
対機説法とは相手の素質・能力に従って法を説くこと、です。

なぜ嘘つき、って断言したのでしょうか。
大勘違いされていると思います。
  • 2015-09-10│21:55 |
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  • [edit]
No title
TKさん、

阿羅漢という言葉については、TKさんが参照している文献と私の参照している文献が違ったようです。
私が書いてたのは、四向四果のだったので。


禅の悟りは、無明庵の小悟(観照意識)で、
禅の大悟は、無明庵の中悟ですかね?

>このフーちゃんには未だ「内的境地」があるので、自然に使い回しているようにしか思えません。

フーちゃんに内的境地があるのですか?
ということは「内的境地」というのはあるのですね。
するとセッションを受けてる方が「内的境地」がある(と思い込んでいる)ので、指摘するために自然にその様な言葉を使い回しているかも知れないですね。

ラピ。さん、

>なぜ嘘つき、って断言したのでしょうか。
>大勘違いされていると思います。

嘘つきというのは、普通の人間が言ったら嘘(嘘も方便的な)ってことであり、最後に、かも知れないって書いてるので、断言ではないです。

👽
[/色]
TKさんが「妄想空間」と書かれててちょっと面白かったので、
少しジョークを思い付きました。

でも、ちょっとアレだったので、投稿するのはやめたのですが、
天然記念物の阿羅漢の方にジョークを言う機会もそうないことなので、一応ついでに投稿してみることにしました。

*************[/色]

その昔、とある地球外生命体いわゆる宇宙人たちは、銀河連合の上のものに、極秘任務を指令された。

それは、地球人が『簡単に悟ってしまうのを阻止する』というものである。
理由は、例のごとくルーシュ生産の問題や、悟りを開いた者だらけになった惑星は自分達は生まれも死にもしない肉体ではないものということで、核兵器や水害器などで戦争ごっこをして惑星ごと壊してしまう等の諸々の利害関係である。

指令を受けた宇宙人たちは、地球へ来て人間たちを観察した。

色々と調べまわり、目的に合う人物を何人かピックアップした。その中に、TK氏も含まれていた。

選出基準には、過去世で他の惑星に住んでいたとき悟りを開いて惑星を壊し、地球へ投獄された人々が含まれていた。

宇宙人たちは、キリストと仏陀として認識されるよう波長を変換して、TK氏の元に現れた。
頃合いを見て、彼らの惑星の技術である「悟りマシーン」のスイッチを押しTK氏に投射した。
TK氏は、悟りを開いた。しかし、滅の入口まで、という制限つきである。

地球では、釈迦以前は、真我→観照意識で終わりだと思われていたようだが、
仏陀が無我を説いたことにより、観照意識の次の段階が示された。

諸事情により、滅が無常であるということは、宇宙の極秘情報であるため、今の文献に滅の次は記されることはない。

宇宙人たちは、念には念を入れて、TK氏に弟子をやり、頃合いを見て弟子へ悟りスイッチを押し


宇宙人たちは、思惑通りに彼らに「簡単には悟れない」という経験を与えることができた。

あとは、彼らがそのように流布するのを監視するのみである。

ちなみに、滅の次がない設定だが、キリストや仏陀が現れるという矛盾については、宇宙人は気にしていないようである。




[/
br />
  • 2015-09-12│13:49 |
  • たま URL│
  • [edit]
No title
訂正

完文字の色を変えてたら、コピペがうまくいかなくて、文章が変になってたので、もう一度
ジョークの文のところ訂正投稿です。

👽

その昔、とある地球外生命体いわゆる宇宙人たちは、銀河連合の上のものに、極秘任務を指令された。

それは、地球人が『簡単に悟ってしまうのを阻止する』というものである。
理由は、例のごとくルーシュ生産の問題や、悟りを開いた者だらけになった惑星は自分達は生まれも死にもしない肉体ではないものということで、核兵器や水害器などで戦争ごっこをして惑星ごと壊してしまう等の諸々の利害関係である。

指令を受けた宇宙人たちは、地球へ来て人間たちを観察した。

色々と調べまわり、目的に合う人物を何人かピックアップした。その中に、TK氏も含まれていた。

選出基準には、過去世で他の惑星に住んでいたとき悟りを開いて惑星を壊し、地球へ投獄された人々が含まれていた。

宇宙人たちは、キリストと仏陀として認識されるよう波長を変換して、TK氏の元に現れた。
頃合いを見て、彼らの惑星の技術である「悟りマシーン」のスイッチを押しTK氏に投射した。
TK氏は、悟りを開いた。しかし、滅の入口まで、という制限つきである。

地球では、釈迦以前は、真我→観照意識で終わりだと思われていたようだが、
仏陀が無我を説いたことにより、観照意識の次の段階が示された。

諸事情により、滅が無常であるということは、宇宙の極秘情報であるため、今の文献に滅の次は記されることはない。

宇宙人たちは、念には念を入れて、TK氏に弟子をやり、頃合いを見て弟子へ悟りスイッチを押した。

宇宙人たちは、思惑通りに彼らに「簡単には悟れない」という経験を与えることができた。

あとは、彼らがそのように流布するのを監視するのみである。

ちなみに、滅の次がない設定だが、キリストや仏陀が現れるという矛盾については、宇宙人は気にしていないようである。


おわし
  • 2015-09-12│13:54 |
  • たま URL│
  • [edit]
No title
>禅の悟りは、無明庵の小悟(観照意識)で、
>禅の大悟は、無明庵の中悟ですかね?

違います。

悟りの知識を得て悟った気分になれても悟れません。

何度も言いますが、EO氏のレベルは高いです。

「滅」の教えは他に類を見ない高さですから、否定語
の多さに理解できない人が多いわけです。

EO氏の表現する小悟は不時解脱の境地、禅の大悟徹
底ですから悪しからず。

阿羅漢の境地は不時解脱です。

http://zazen.blog.jp/archives/1028955288.html

ここのサイトの表現でもわかる通りで、元に戻ってし
まうのは真の悟りでは無い、この表現から元に戻らな
い不時解脱の境地を禅での真の悟りの境地としていま
す。

http://zazen.blog.jp/archives/1032380745.html

ここのページを見ても分かる通りで、二度と元には戻
れない、すなわち不時解脱の境地を指しています。


釈迦の言う俱解脱の阿羅漢とは、阿羅漢の不時解脱に
一時解脱のEO氏の言う中悟、大悟の経験がある人の
事です。

EO氏の言う中悟と大悟の境地は、不時解脱ではなく
一時解脱の境地の経験者と言う意味です。

あなたにとっては寿命が終えても関係ない事ですよ。

>このフーちゃんには未だ「内的境地」があるので、
>自然に使い回しているようにしか思えません。

>フーちゃんに内的境地があるのですか?
>ということは「内的境地」というのはあるのです
>ね。
>するとセッションを受けてる方が「内的境地」があ
>る(と思い込んでいる)ので、指摘するために自然に
>その様な言葉を使い回しているかも知れないです
>ね。

理解するつもりのない人に、話をしても無駄ですが、
この人がEO氏を指し示す時に、内的境地が云々、私
はこの表現見ただけでこの人のレベルは分かりまし
た。

一般の人の説明に対して「内的境地」ならいざしら
ず、説明の対象がEO氏です、分からないとはいえ、
自分より上の人を馬鹿にした表現そのものです。

この人が知らないから、このような覚者をバカにした
表現を、そうとも知らずに平然と使えるわけですね。

あなたは、自分で簡単に悟ってみてから人々にそれを
勧めればいいと思います。

結果も持って無い人が、妄想に次ぐ妄想で、そんな不
毛な人の言葉に何の価値がありますか。

主張する前に、結果を持ってきてください。

誰もあなたのような人にだけは死んでも生まれ変わっ
てもなりたくないと思う、そのような結果しかあなた
にはありません。

あなたのようにやっていると、あなたのように妄想だ
らけの気色悪い人物になると、そのような結果を見
て、誰があなたの主張を信じたいのですか。

そんなにいうのなら、釈迦、EO氏、私やラピ。さん
が激流は必須と話ししている、そうでは無いと言う結
果を持ってきてから話してください。

あなたは気持ち悪いのです。
  • 2015-09-12│15:21 |
  • TK URL│
  • [edit]
No title


TKさん、

滅の表現が多いのは、滅するものが多かった=エゴが強かったということなだけと思われます。

結局、滅するものが多い(エゴが強い)と、至るときに大変なのかなと思います。

お釈迦さまは、エゴが強くない人にも色々と説いてるわけですから、わざわざエゴを強くして激流を死に物狂いにする必要もないかと思います。

激流とは、無常のことですよね?



ずっと疑問に思ってた事があるのですが、ラマナ・マハルシは、死を思って悟ったのに、何故、その方法を人々に勧めなかったのか?
ということです。

TKさんみたいに、自分がしてた善とかワクワクして幸せを追求しなさい、とかも言ってないわけです。

本当に滅した人は、自分の経験から解放されて、人々に一番合う方法を示しすのではないでしょうか?

TKさんは、EOシリーズの本は全部読んでないですよね?
本の中に、EOが完全に滅してないかもしれないと推察できる記述がありましたよ。

とりあえず、私は、悟ってませんので、TKさんの言葉は情報の一つとして、大切に保留しておきます。

キリストや仏陀に会った阿羅漢の言葉だからということなだけで鵜呑みにしてしまったら、それこそオカルトスピ脳になってしまいますから。





  • 2015-09-12│18:06 |
  • たま URL│
  • [edit]
No title
たまさん

>キリストや仏陀に会った阿羅漢の言葉だからという
>ことなだけで鵜呑みにしてしまったら、それこそオ
>カルトスピ脳になってしまいますから。

あなたはあなたの信じるもので、まず結果を出してか
ら話をすればいいだけです。

私に言わせれば、なぜ、結果も出せていないあなたの
ような者が、あの人ののは本物とか、あれは信じない
方が良いとか、その判定が下せるのでしょうか。

正直言いますが、結果も出せていないあなたの言葉
を、誰も信じるどころか気色の悪い変な人としか見て
ないと思います。

あの人が良いとかあの人が悪いとか、地獄の底にいる
ようなあなたのような酔っ払いの言葉を、誰が傾倒し
て耳を傾けますか。

自論を展開する時は、自らの結果を出せてからにして
下さい。

釈迦もそうですし、EO氏もそうですし、私もそうで
すし、ラピ。さんもそうですが、自ら出せた結果を裏
付けに話をしています。

あなたは酔っ払いになれた「不幸真っ只中に居る」の
結果しかないのに、持論を展開しています。

つまり、あなたはあなたの真似を決してしてはいけま
せんと、お話している事と同じです。

今のあなたがそこから抜けるためには、あなたは今ま
でと違う展開をしなければ抜けられませんが、これは
常識論であり、あなたはそれをする気が無いようで
す。

そうするとあなたのように不幸の真っただ中のままで
いれると言う、全くの前進のない人です、あなたは。

話しするだけは話したので、後はお好きなようにな
さって下さい。

あなたの特色、エゴが誰よりも肥大化しているのに活
きる前進性については全く感じられない、気色悪い人
です。

みなさんも、このような人にはならない様にしましょ
う。

ネットで言われる分にはいいでしょうが、現実でも
散々な状況だと誰もが推測出来ているに違いありませ
ん。
  • 2015-09-12│19:34 |
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  • [edit]
No title
たまさん


>嘘つきというのは、普通の人間が言ったら嘘(嘘も方便的な)ってことであり、
>最後に、かも知れないって書いてるので、断言ではないです。

そうですか?
普通の人でも嘘つかずにできると思います。

それとも、たまさんの場合は嘘をつく、
ということですか?

>対機が上手いってのは、普通の人で言えば嘘つきってことですから、
>人間やってるときからジョークや嘘ついてた人は上手いかも知れないですね。

かもしれない、は「上手いかもしれない」で
「嘘つきかもしれない」という意味ではないですよね。

普通の人が言ったらウソ、って断言していますよね。


たまさんはいろんなスピ系情報の
自分にとって都合いいとこだけ取り上げて
それを自分なりにつなげて解釈してしまっています。

もし、そのたまさんのその考えが正しいとするのなら
そのたまさんが正しいと思っている世界にしか
たまさんはいることができません。

なぜなら、別の世界(考え)を受け入れられる姿勢がないからです。

自分が思った通りの世界がそのまま
たまさんに展開しています。

TK師を疑い、私を疑い
そしてなぜかふーちゃんは信じていますよね。
鵜呑みにしているというか。
それはたまさん曰くの「オカルトスピ脳」っていうやつですかね?


たまさんは自分にとって
都合のいい言葉しか受け入れられない。

そしてその姿勢が
今、たまさんのいる世界を作り出しています。

その世界で満足なら問題ないですが
たまさんはその世界に不満があるのでしょう?

変えたいと思っているのでしょう?
(そのままでいいのなら
ここで対話する必要はないし
情報集めも必要ないと思いますが)

そうであれば
今までしていたことを変えなければ
世界は変わりませんよ。

自分が変わらなければ
世界が変わるはずありません。

疑うのは自由ですが
別に私は疑われたとしても
今の状態はゆるぎないものですので
まったく私には関係ないし問題ないです。

たまさんの中に疑いが生まれているだけです。

でも、疑うのももちろん自由ですよね。



>滅の表現が多いのは、滅するものが多かった=エゴが強かったということなだけと思われます。

面白い解釈ですねぇ。
ほんとうですか?
たまさんの想像でしょ?

>結局、滅するものが多い(エゴが強い)と、至るときに大変なのかなと思います。

何もわかってらっしゃらない。
これもたまさんの想像。


>お釈迦さまは、エゴが強くない人にも色々と説いてるわけですから、
>わざわざエゴを強くして激流を死に物狂いにする必要もないかと思います。

そうですね。
みんなが悟る必要はありません。

みんな幸せに生きていただきたい。

しかし、たまさんは悟りたいのですよね?

昔は悟るために出家とかもあったと思うのですが
たまさんの求めている「悟り」というものは
一般大衆むけではないですよね?


>わざわざエゴを強くして激流を死に物狂いにする必要もないかと思います。

ちなみにこれも大勘違いされていますよ。
単なる想像ですよね?

それともそうだと断言していますか?


>激流とは、無常のことですよね?

え??

激流って激しい流れと書きますが
なぜそれが無常と解釈されるのですか?
  • 2015-09-12│21:20 |
  • ラピ。 URL│
  • [edit]
No title
実際は阿羅漢と言えどもグレードがあります。

ヒラ阿羅漢と俱解脱の阿羅漢です。

EO氏の説く大悟の境地である一時解脱の「滅」の境
地は阿羅漢になる前に辿り着けました。

EO氏分類による中悟の一時解脱の境地、「非在」に
もその後に辿り着けました。

これら一時解脱により、この時の私には不還が確定し
ていたと思いますが、私が今までに出会った人の中
で、この段階で真の悟りに辿りつけたのだと勘違い
し、いまだ有学の身の上であるにもかかわらず停滞し
た者がいた事はとても残念でした。

その後に私は不時解脱である慧解脱を成就し、阿羅漢
果を得たわけです。

その当時私は阿羅漢とかではなく、自身の事を「途上
の者」と言う表現を好んでネット上で使用してきまし
た。

釈迦も悟った直後は、まだ学ぶ姿勢が旺盛だったよう
です。

http://blog.livedoor.jp/youseethesun/archives/52237523.html

サンユッタ・ニカーヤ
>まだ完全に体得していない〈われは解脱したと確か
>める自覚(智慧と直観)〉の体系を完全に体得する
>ために、わたしは他の〈道の人〉あるいはバラモン
>を尊び、重んじ、たよって生活したいものである。
>しかしわたしは、神々や悪魔や梵天を含めての全世
>界のうちで、〈道の人〉やバラモンや神々や人間を
>含めてのすべての生きもののうちで、わたしよりも
>以上に〈われは解脱したと確かめる自覚〉を達成し
>ている人なるものを見ない。---わたしは、その
>人をこそ尊び敬いたよって生活したいのであるが。

しかし、さすがに末法の世、自らの誤認によるエセ覚
者やスピ酔っ払いが沢山いましたが、対話した者の中
には誰一人として「途上の者」と表現する私を超える
者がいないのです。

そして、ある時自らの誤認によるエセ覚者に、あなた
は至っているのに自らを途上の者と表現して紛らわし
いと言うような文句を言われました。

それを契機に私は自らを「途上の者」と表現する事を
やめました。

仕方がありません、ピンキリ関係なく、阿羅漢である
こと自身が末法の世では天然記念物的価値なのです。

マタイの福音書 7章3-5
>また、なぜあなたは、兄弟の目の中のちりに目をつ
>けるが、
>自分の目の中の梁には気がつかないのですか。
>
>兄弟に向かって、
>『あなたの目のちりを取らせてください』などとど
>うして言うのですか。
>見なさい。自分の目には梁があるではありません
>か。
>
>偽善者よ。まず自分の目から梁を取りのけなさい。
>そうすれば、はっきり見えて、兄弟の目からも、ち
>りを取り除くことができます。


マタイの福音書 15章-14
>彼らのことは放っておきなさい。彼らは盲人の手引きをする盲人です。
>もし、盲人が盲人の手引きするなら、ふたりとも穴に落ち込むのです。」


なお、内面(スピ)法は阿羅漢果の者のみしか正しい
指導が出来ないものです。

それ以外の者が不用意に内面(スピ)法に近づくと、
内面をいい加減に歪めてしまう事となり、地獄の穴の
底に堕ちてしまうと聖書でも言われている通りです。

現に生きながらにして、その様な無造作に歪んでし
まっているまともな人とは言い難い内面の人たちを私
は山と見てきました、

決して内面(スピ)法には危険ですから近づく事の無
いようにして下さい。

内面(スピ)法は阿羅漢果を得た者の指導の下に行っ
て下さい。
  • 2015-09-14│22:52 |
  • TK URL│
  • [edit]
No title
なお、内面(スピ)法以外の生天、いわゆる理想主義
段階の方々は、大いに他者をも先導していただいてか
まいません。

阿羅漢にしかまともに指導できないものは、あくまで
も内面(スピ)法に限定されるものです。
  • 2015-09-14│23:05 |
  • TK URL│
  • [edit]

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ラピ。至る。
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