[Edit]

激流を選択すること とは

TK師のこのコメントに対して
私なりに書かせていただきます。



>命を落すか実行しないかの選択肢では、
>命を落しても実行する方を選択できるレベルの
>善玉エゴの力が必要です。

まさしくそのとおりです。

私の場合、人として一生懸命生き
もうできる限りのことはやったので
人として生きることに全く未練はありませんでした。

これくらい一生懸命生きました。

なので次の段階として
人としての限界に挑戦する、
という道を選択しました。


『もう二度と
人として生きられないかもしれない(=死)けど
それでもいいか?
後戻りはできないけどいいか?』
という問いにも
「かまわない」
と即答できる状態でした。

(そもそも自分を捨てていたので
そんな問いも出てこず
後ろを振り返ることも全くなかったのですど)

それほど人として生きることを全うし、
それにまったく未練がなかったのです。

こういう言葉に対して
「そこまでしなくてもいいやろ」とか
「がんばるのめんどくさい。楽したい。」
と言う人は
「めんどくさい」「楽したい」という選択肢、生き方がまだあります。

まだ、人生を経験する選択肢が残っている
ということです。

だからそれをせずにはいられないのです。
だからそう生きるしかないみたいですね。

激流渡る人は
「楽したい」という選択肢が
どういうものであるのかを知っているので
二度とその選択肢は選びません。

人は生きることを通して学んでいきます。

そうやって人としての選択肢を
すべてやりつくしてしまった人は
「究極に向かうしかない選択肢」しかない状態であり
最後、究極の激流を選択するのです。


よって「楽したい」という選択肢がある人は
「楽したい」と思いながら生きることがどういうことか
しっかり味わって
もしかしたらいつか
「これはどういうことだろうか?」
と思うかもしれない時まで
そうしていればいいと思います。

そしてなにも疑問に思わなければ
永遠にずっと「楽したい」が続くでしょうね。

もちろん自由ですね。


人は何かのきっかけがないと
考えが変わることは少ないと思います。

「楽したい」という生き方がどういうことか
人に言われてもピンとこない人は
自分の人生使って
それを経験していくしかありません。

貴重な人生をつかって
「めんどくさい、楽したい」と思う人生を
生きることはどういうことか、
学び、気づいてほしいと思います。

その「楽したい」という人生を
永遠につづけたら
どんな気持ちになるのでしょうか。

その生き方を変えなければ
その人生は変えない限り永遠にずっと続きますよ。

それでもいいならそれでもいいと思います。

自分の人生
自分に責任もって
自分なりに生きていくしかありませんよね。




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Comment

No title
他者のため、私の理想時代は有意義でしたが、最後は
コスモを究極にまで高めると同じ事で、目の前に立ち
はだかる理想を阻む障害に対して善玉エゴを高めても
高めても、究極にまで高めても強大な目の前の障害に
対して超える事は出来ませんでした。

当時の私は精神世界(スピ)や宗教にかぶれているよ
うな人たちに対して、不潔な忌み嫌うべき者たちとし
て近寄ることすらもはばかっておりましたから、当然
に悟りなどと言う言葉は知る由もありませんでした
が、次に私が考えたことは、私にはまだ足りないもの
が有る、理屈では無い人間の徳性のようなものが私に
は欠如しているに違いない。

その一部の優れた人たちが有すると言う徳性のような
もの、私に欠如している何かがあると思い、自己の探
求の道に入ったわけです。

そこが激流の突入口でした。

一たび探求に入ったら、生き地獄で、後戻りは死んで
もゆるされない、このまま進んで発狂するかしないか
命落すか落さないか、そうした状況の中で、ある時悟
りが忽然と現れて、地獄が終わり全てが終了したわけ
です。

この地獄に終了がある事すらわからず、私は延々と
ずっとこのまま地獄の中で生き続けていくのだと思っ
ていました。

その終了は唖然としたもので、死んでもやるのだと言
うのとは反対で、死んでもできなくなるわけです。

もう再び為そうとしても、変容したメンタルが故に実
践を為すことが出来ない、実践そのものが消滅してし
まったのです。

ヴィパッサナの成就とは、メンタル変容により内面
(スピ)が滅びてなくなるが故、内面(スピ)を基調と
したヴィパッサナを初めとした実践そのものが無くな
ることを指します。

我々阿羅漢の内面は「内外打成一片」と言う意識変容
により滅びてありません。

心が無くなる訳です。

http://www.asahi-net.or.jp/~zu5k-okd/house.14/mumonkan/gate.1.htm

ヴッパッサナにしても出来るうちは大いにやらなくて
はなりませんが、テーラとかいう所とか、他の所の
ヴィパッサナは阿羅漢による「在家仕様」の適格なカ
スタマイズが施してありませんので、不用意に近づく
と、激流も起きないだけではなく、副作用で歪んだメ
ンタルになると思います。
  • 2015-09-15│22:26 |
  • TK URL│
  • [edit]
No title
TK師ありがとございます。

私の場合を私になりにさらに表現するなら。

人としての限界への挑戦なので
命がかかっているし、
師の言われている通り
発狂するかしないかのものでした。

しかしなにがあってもやめませんでした。
(これが私のエゴの強さでした)

そして自分をどこまで追い詰めても
追い詰めても
何かがありました。

それがどうなるかわからなかったけど
今やめるわけにはいかない、
と本能的に思ってました。

死を選ぶことではなく
死と隣り合わせの状態で
常に挑戦し続けること。

自分が消え去ろうとする中で
それでもあきらめずに
意志を使って
挑戦し続けること。

そして挑戦と死を天秤にかけたとき
挑戦が勝ったこと。

さらに、死んで挑戦ができなくなったら
絶対後悔するから
どんなことがあっても挑戦すること。
(変な言い方ですが)

よって死んでも狂っても挑戦をやめない、
このような状態だったこと。

激流とはそういう状態です。

まさしく激流なんです。

(このブログを書いていた
至る前の能天気に見えた私からは
想像できないことかもしれませんが
本当にそうでした。)


そして挑戦して極めたものは。

最後極めることを超えてしまって
極めることなく今の境地にありました。

「挑戦」
なんて不思議な響きなのだろう
と今は思います。

そして人として「挑戦できる」ことは
すばらしいのだなと思いました。

懐かしいです。
  • 2015-09-16│08:03 |
  • ラピ。 URL│
  • [edit]
No title
ラピ。さんは、一般的な人の生き方では無かったと思
います。

例えば悟って阿羅漢果を得るのであれば、実際に悟っ
て阿羅漢果を得た人の話を聞くしかありません。

科学の発展で、昔ながらの経典は手に入りますが、そ
れを読んでも悟る事は出来ません。

末法の世とは経典を読んでいる人はいるが、悟って阿
羅漢果を得れられる人はいないわけですから、それが
何を指しているのかと考える人が悟れます。

つまり、対機がこの予言の重要な要素だと言う点で
す。

それと、現代流、在家仕様とか、そのような実際に阿
羅漢果を得た者によって検討された改良方法でなけれ
ばなりません。

末法の予言なんて屁でも無いとへヘラ笑う人が実際に
悟れたでしょうか?

自分は例外で大丈夫なのだなどと、思い高ぶっている
人は、その尊大な態度を捨てなければ悟れません。

末法の世ですから、実際に私がこのように呼びかけた
からと言って、何人がまともに耳を傾けるわけではな
いと思います。
  • 2015-09-17│17:49 |
  • TK URL│
  • [edit]
No title
TK師、ありがとございます。

>ラピ。さんは、一般的な人の生き方では無かったと思 います。

はい。
いろいろありますが
その一つとして
私は昔をほとんど覚えていません。

中学、高校、大学も社会人になっても
過去についてはほぼ記憶がなく
少し記憶があったとしても
それは他人事みたいな感じで
自分が体験したような感覚がありません。

その都度自分なりに
精一杯がんばったと思いますが
他人事のようです。

それは自分を捨てていたからかもしれません。

そしてその精進のおかげで
今があります。

よって私はある意味
「それは幸せな人生だった」
と言えるかもしれません。



>自分は例外で大丈夫なのだなどと、
>思い高ぶっている 人は、
>その尊大な態度を捨てなければ悟れません。

はい、その通りだと思います。

今の自分の知識や捉え方が正しいとしたら
それ以上の智慧を得ることはできないと思います。

それ以上の智慧なんていらない、
っていう人は例えて言えば
今の状態に完璧に満足している人だと思います。

今が完璧に幸せなら
それ以上の知識もいらないし
このブログも読んでないはずです。

単に好奇心でここを見ているとしても
それはなにか楽しいことや話題
または刺激などをを探している状況であり、
今の状態に満足しているわけではないと思います。



>何人がまともに耳を傾けるわけではな いと思います。

はい。

だから「ご自由にどうぞ」と思います。

この世界でたった一人の人にでも
ここが役に立てたらいい、と思うだけです。

反論する人もご自由に、と思います。
(ちなみに、反論するより
もっと有意義に時間を使っていただきたいけど。
これまた自由ですね)

そしてここの情報がいらない人は
ここを読む必要なんてないと思います。

そしてぜひ、幸せに生きてください。
  • 2015-09-17│22:44 |
  • ラピ。 URL│
  • [edit]

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ラピ。至る。
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2013.5.13以降の記事が
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それ以前の記事は
整頓して非公開にしました。

2006年12月から始めた
このブログ

かなりの記事があって
整頓するのが大変でした(笑)
皆さま今までも
どうもありがとうございました


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