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本気であれば

もし、この人生
本気で探究したいのであれば
本気で真理を得たいのであれば
今あれこれ思いをめぐらすより
今ある自分の問題を解決していった方がいい。

それが遠いようでもっとも近い道です。

自分の問題を置いといて
理想論とか
人とはこうであるとか
人生はこんなもんとかわかったふりをして
行動せずに
いろいろ思いを巡らせることは
近いようでもっとも遠い道です。


真剣に幸せを求めるのなら
今の自分にとっての問題を
まずクリアしなければならない。


また、幸せなんてどうでもいい
なんていう人は
嘘をついている。


本当の自分に向き合っていない。


生きていたら
いろんな大変なこともあると思うけど
いろんな楽しいこともあると思います。


この「楽しいこと」が
勇気を くれることだってある。


だから逃げないでほしい。


しかし、逃げるべき環境にある場合もある。

それは「逃げる」という
善なる道=幸せを目指すための選択であるのなら
決して逃げではない。

人は守るものがあれば
強くなれる。


どうぞ、勇気をもって
幸せを選択してください。



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Comment

No title
悟りは命がけの「激流」の果てにようやく得ることが
出来るものなので、人生に立ち向かう方がよほどにか
簡単と言えるとも思いますから、意志が弱くて人生に
立ち向かう事も出来ない人は悟りを目指してはなりま
せん。

まず、しっかりと人生に立ち向かって下さい。

釈迦は在家に生天論を説きましたが、在家で天にも生
まれることが出来ない者が悟りは無理ですので、在家
仕様の悟るための激流法は有りますが、実行できない
事からおかしな緩流実践をする事の副作用でメンタル
が汚染されますので、何度も繰り返しますが、聖書の
言葉にもあるように不用意に内面(スピ)法に近づく
者は地獄の穴の底に落ちますので、くれぐれもそのよ
うな事の無いようにして下さい。

現におかしな人たちを私は沢山目にしました。

一般の在家者に内面(スピ)法は必要ありません。

しっかりと地に足つけた、脱内面(スピ)法、脱宗教
が必要なのです。
  • 2015-09-19│03:24 |
  • TK URL│
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No title
TK師ありがとございます。


はい。
宗教は全く必要ありませんでした。
  • 2015-09-19│08:25 |
  • ラピ。 URL│
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No title
tkさんは4時の投稿ですが、

あまり寝ないでも大丈夫な方ですか?

それとも起床時間ですか?
  • 2015-09-19│14:04 |
  • 通りすがり URL│
  • [edit]
No title
>tkさんは4時の投稿ですが、
>
>あまり寝ないでも大丈夫な方ですか?

平均3時間~4時間睡眠で短眠の方だと思います。

>
>それとも起床時間ですか?

起床時間です。

現実には、起床後少し経ったあたりです。

私は激流実践時から継続してこの時間は坐る時間にし
ていますが、日の出前はブラフマ・ムフールタと言い
坐るのに適した時間と言われています。

http://naturalpp.exblog.jp/9194454/

3時間位坐ってあっという間の楽しいレクレーションの
ような憩いの一時です
  • 2015-09-19│16:07 |
  • TK URL│
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No title
今も毎日3時間、瞑想してらっしゃるのですか?

どこかで3時30分は、

次元上昇起こりやすいと聞いた事があります。

ありがとうございました。
  • 2015-09-20│09:53 |
  • 通りすがり URL│
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No title
阿羅漢にさえなれば両手を上げて万歳と思っているか
もしれませんが、阿羅漢にはカルマの先取り的な襲撃
があるような気がします。

阿羅漢になって悟ってもカルマは受けなければなりま
せん。


央掘摩経
>「アングリマーラよ、忍辱せよ、忍耐せよ。
> 以前、汝が為した罪が、今、返ったのである。
> 地獄で味わう苦悩を、現世で味わった過ぎな
>い。」

この経典では阿羅漢になったアングリマーラに、来
世の地獄で受けるカルマの現世での先取り論が出て
くるわけです。

しかし、もしもアングリマーラが釈迦の教えを受け
ずに阿羅漢にならなかったら、現世で他者から危害
は加えられなかったかもしれません。

目連も釈迦の教えを受けて阿羅漢にならなければ、
可能性としてですが、現世では他者に惨殺されな
かったのかもしれません。

http://www.zuikouji01.sakura.ne.jp/monngo/amidakyou/rakann/02mokurenn/newpage2.html

あくまでも現世だけをみるならばですが、阿羅漢に
なる事で、俗にいう不運と言われるものになる場合
はありうると思います。

転生が終了するという事は、来世以降の予定されて
いる悪業を現世で受ける可能性が大きいという事で
す。

http://www.j-theravada.net/howa/howa51.html

もちろん阿羅漢には「漏尽通」があるので、どのよ
うな状況でも一般人の言う不運とは違いますし、文
献類を見るならば、みなさん覚悟して悪業を受けて
ます。

手前味噌ですが、私も今年に入って周囲で奇妙な事
が頻発しています。

私のごくごく身近な人たちが、今年に入ってから次
々と発病したり、入院したり、手術したり、他にも
様々な出来事で私の周囲環境がやたらと波乱万丈的
に目まぐるしい動き方で、今年は私はそんなに運勢
が悪くないのに、みたいなものです。

とは言え、全てが無事に乗り越えられれば、それを
不運とは言わないわけですから、今後の経過により
ますが。

阿羅漢になると運勢の統計学の枠外になるのかもし
れません。

しかし、やはり覚悟して望んでます。

阿羅漢になると、悪あがきの選択肢はありませんが
「漏尽通」がありますから、一般人や激流法の実践
者とはまるで違います。

「漏尽通」を武器に悪魔に立ち向かうエクソシスト
のよなことまで、今年も4分の3を過ぎましたが、一
体どういう年なのやらです。
  • 2015-09-20│09:54 |
  • TK URL│
  • [edit]
No title
時間に関して書いて思いましたが、

国によって時差あるよな。。とか思いました。

ある程度、日本に絞られるのかもしれませんね。
  • 2015-09-20│09:56 |
  • 通りすがり URL│
  • [edit]
No title
私もある程度進んでいると自覚していますが、

私の周りの同僚にも

精神病院に入ってしまったり、

偏頭痛が起こったり、

体調不良で休む方が多くなってきています。

TKさんの周りに渦巻く磁気的なフィールドが強くなっている可能性があるなと思いました。

周りはそのフィールドに耐えきれないんだと思います。

トーラス
http://innerearth.exblog.jp/22243640/

  • 2015-09-20│10:03 |
  • 通りすがり URL│
  • [edit]
No title
>TKさんの周りに渦巻く磁気的なフィールドが強くなっている可能性があるなと思いました。
>
>周りはそのフィールドに耐えきれないんだと思います。

予め何年以上も前から潜伏していたものが表出して病
気として発症したとかですから、さらに先に行ってわ
かるより今分かって不幸中の幸いとか、そのような要
素をいずれも含むものなので、これら出来事自身が良
い出来事だったと考え得る要素も無いわけではありま
せんから、ただし、奇妙な事は、今年始まって集中的
に私の身近な周囲でそれらが次々と起こると言う点で
した。

我々に来世以降に受ける、予定のカルマの先取りはあ
り得ます。

壊れると言う点について言えば、解脱前の激流の実践
時は、腕時計が時計屋で直しても直しても直ぐに壊れ
ました。

時間が狂ってしまうと言う現象ですが、今考えると、
時間が狂うイコール故障では無かった可能性もあると
思いました。

私がその腕時計をしなければ、まともに狂わず動いて
いた可能性もあったのかもしれません。

>私もある程度進んでいると自覚していますが、

ところで、どのような点がその自覚の根拠ですか?
  • 2015-09-20│11:17 |
  • TK URL│
  • [edit]
No title
>>私もある程度進んでいると自覚していますが、
>
>ところで、どのような点がその自覚の根拠ですか?

実は、なぜこの質問を発したのかと言うと、私に出
会った時のラピ。さんがちょうどこれと同じで、無
我、真我、プルシャ、彼岸、呼び名は色々と有ります
が、いわゆる悟りというものを得られるベクトルでは
全くありませんでした。

死ぬまで一生、このままです。

このような全く悟りというものとは別物の、いわゆる
酔っ払いラピ。さんを、一たび真のベクトルに乗せた
ら、僅か1日で辿りつきました。

釈迦の時代も目連は釈迦に入門後に7日で阿羅漢果、
大迦葉も釈迦に入門後に8日目に阿羅漢果、このよう
に悟りの間近にいる人でも真のベクトルに出会えるこ
とがなかったら死ぬまで一生此の岸のままです。

私が何度も警告を発しているメンタルに害しか及ぼす
事のない「緩流」内面法(いわゆるスピ)に近づいた
ら、一生がお終いです。

ラピ。さんは、私に出会うより以前に自己流不完全
「激流法」により、一部成就がありましたので、あと
必要なものは真のベクトル(激流法)だったのです。

釈迦の説く「激流」と言う要素だけは外せない必須項
目です。

仏教の実践者だと自称する「緩流(でたらめ)」の
酔っ払いはネット上で沢山見ました。


スッタニパータ21
> 師は答えた、
> 「わが筏はすでに組まれて、よくつくられていた
>が、激流を克服して、すでに渡りおわり、彼岸に到
>着している。もはや筏の必要はない。神よ、もしも
>雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。」

気の弱そうな人が「激流」の表現を使う場合と、釈迦
ほどの生死の苦行の経験者が「激流」の表現を使う場
合は当然異なりますが、釈迦の表現による「激流」の
言葉を甘く考えてませんか。

このような祖師の言葉を、平然と無視する人が、悟れ
るはずが当然にありません。

対機の欠如した経典の言葉だけをおもちゃのように振
り回す、仏の教えを汚す罰当りな者を私は沢山見てき
ましたから、彼らは罰が当たって永遠に、経典だけは
あると言う末法の世の酔っ払いのままなのです。
  • 2015-09-21│08:04 |
  • TK URL│
  • [edit]
No title
みなさま おはよございます。


>私もある程度進んでいると自覚していますが、

なるほどです。

(;^ω^)


師匠への私からの一番初めのメールの一部に
こんなのがありました。

>突然なのですが、
>私がどれくらい知ってるか
>試してもらう事は出来るでしょうか?

(;^ω^)(苦笑い)

そもそもこの質問自体
おかしかったですね。
TK師、失礼いたしました。

久々に師匠に送った私の初メールを見たのですが
師匠の第一発のお返事の意味が
わかりました~。
(今ごろか?(笑)



>私もある程度進んでいると自覚しています

こう言ってしまう時点で
悟りへの道が閉ざされています。

TK師の言われている通り
ベクトルが違っているので
その方向で努力しても
無理です。

ちなみにその方向の努力は
激流を経験した者からしたら
実は全く甘いものです。

意地悪で言っているわけではありません。


ちなみに私が悟ったのは
お風呂から出た
夜8時すぎでしたよ。
  • 2015-09-21│08:27 |
  • ラピ。 URL│
  • [edit]
No title
激流法にトライできる精神的な資格を持つ人は、そう
そう見かける種類の人たちでもないわけですが、激流
法も折角発掘したのに少しくらいポイントを明かして
おかないと、秘教の域に埋もれさせてしまう事になり
ます。

「激流」とは苦行と同等の言葉と捉えてもらって構い
ません。

釈迦が苦行を否定したと間抜けが流行らせ、それをま
ことしやかに信じる愚かな群れ。

釈迦は苦行を否定していませんし、釈迦自身、苦行に
よって悟りに至るためのメンタルを整えた、しかし、
ラピ。さん同様にあと一歩、真のベクトルが無かった
だけです。


http://www.performanceship.com/blog/2008/07/post_3e48.html



苦行イコール激流の要素がある以上、そこに何も効果
が無い訳がないではありませんか、常識で考えればバ
カでもちょんでもわかる事です。

どこかの間抜けが、釈迦が苦行を否定したと嘘八百を
ばら撒いところから、葬儀屋仏教とか全ての真髄の歪
曲、緩流が流行ったと思います。

ヴィパッサナとはそもそも、激流(精神的な苦行レベ
ル)でなければその実践の意図している効果は得られ
ません。

この最大限に重要なポイントが全く外されています。

次の二つの経典を比較して何かに気が付きませんか。

増支部経典
>「もし、バラモンがタパスを行ない、それによって
>その人の善い性質が減り、悪い性質が増すようであ
>れば、
>私はそのようなタパスをしりぞける。しかし、それ
>によって善い性質が増し、悪い性質が減るようであ
>れば、私はそのようなタパスを勧める」


相応部経典
>「不死に達するための苦行なるものは、
>すべてのためにならぬものであると知って、
>乾いた陸地にのり上げた船や艫のように、
>全く役に立たぬものである。
>さとりに至る道――戒めと、精神統一と、智慧と――を
>修めて、
>わたしは最高の清浄に達した。破滅をもたらす者
>よ。お前は打ち負かされたのだ」


ポイント
苦行自身を否定しないが、悪い性質が増す苦行は否定する。

不死に達するための苦行はためにならない。


バカな間抜けな人でもここまで手鳥足取り教えればわ
からないはずがありませんね。

釈迦自身が苦行によってメンタルを整えましたが、
「不死に達するため」、これは五上分結の無色貪の一
種です。

つまり、無色貪に縛られた苦行にしろ行いは、ために
ならない事なんですよ、これバカな人でも常識的にわ
かりますよね。

釈迦にとって、最大の命までかけた貪りの行為をし
た、それが「釈迦にとっては苦行と言う行為だった」
という事なのです。

バカな人たち、だから阿羅漢にもならない盲人である
無資格者が、やたらに経典振り回す行為は「豚に真
珠」でしかなく、おかげで末法の世を加速させる仏罰
的な愚かな行為を犯すだけなのです。


五上分結
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E4%B8%8A%E5%88%86%E7%B5%90


つまり、「激流段階」の実践では肉体的な苦行にし
ろ、精神的な苦行にしろ、実践のポイントは目的を
持ってはならない。

常識から考えたらかなり難解な点です。

命がけの苦行にしろ行為を、目的を持たずにできます
か、と言う点です。

目的を持たずに、命をかけることが出来ますか、とい
う事です。

釈迦が悟れなかったあと一歩は、この点でした。

よって、釈迦の苦行仲間の五比丘も、この真のベクト
ルの一歩を手に入れて次々と悟ることが出来ました
が、この人たちにはあらかじめ苦行(激流)で整えた
メンタルの素地があったものと考えられます。

ヨーガでもウパニシャツドでも苦行(タパス)は解脱
の方法論として有効であるのに、ヴェーダの達人とま
で言われた釈迦が苦行を否定するなどとうそぶく事
は、それは何もわからない者のバカな解釈というもの
です。

少し話が多くの人々には関係のない「激流」段階の修
行法に触れましたが、多くの人たちにとっては「目
的」は必須内容ですから、くれぐれも「目的」も持た
ないような行為はしないで下さい。

次第説法は釈迦の時代から重要なものとされてました
が、これを無視する経典を振り回す仏教とか名乗る人
たちは本当にバカですね。

次第説法では次第に従って、真逆の実践法になるもの
が多いのです。

それを悟ってもいない盲人である者が、自分の判断で
好き勝手に、拾ったり拾わなかったり分別してやって
たら、何でも詰め込むゴミ箱以下の人間が出来上がる
だけです。

経典にはその人の次第によって、拾ってはならない真
逆な内容が沢山ありますが、それも分からずに私の前
に仏教を振りかざす釈迦の真の教えを汚すゴミ箱のよ
うな人間が、私の前にどれほどいた事か知れません。


例えば理不尽な事をされた時に、その理不尽に対して
対策を練って、攻略法を模索する、これがまっとうな
人のやる事ですが、そういう人間としてはあたりまえ
の事もしないで、否定せずに受け入れるなどとやった
ら、バカ丸出しですよ。

この2者、実はその人の次第によっては両方正しい実
践法ですが、次第によって、なのです。


その人の次第によって、その人に適切な実践法と「メ
ンタルの毒」になる実践法が真逆になるのです。
  • 2015-09-22│09:53 |
  • TK URL│
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  • 2015-09-28│22:54 |
  • [edit]
No title
鍵コメさん 初めまして。
がんばっているんですね。


理不尽なことを受け入れるとストレスはたまりますが
受け入れなかったら
ストレスがたまらない
ということではないですよね。

理不尽の存在が問題なのですよね。

その理不尽は
何か工夫して変化させることは難しいでしょうか。

無くせないとしても何か
工夫はできますか?

また例えばですが
理不尽だと思っていたことが
実は違っていた、
ということはあり得ませんか?

なぜその理不尽が存在するのか
何か原因があるかもしれませんが
それはいかがでしょうか。

ちなみに鍵コメさんが将来
今謳歌している人と同じ年になれば
謳歌できそうですか?

謳歌できたとしたらどう思いますか?

謳歌できる頃
その時の若い人たちとの関係を
どうしたいですか?

どんな未来を作っていきたいでしょうか。


今謳歌している人たちの
若いころはどうだったのでしょうか。

その方たちの
若かりし頃の話を聞いたことがありますか?

まずは相手を知る
というのも一つの方法です。


いろいろ提案をしてみました。
  • 2015-09-29│07:32 |
  • ラピ。 URL│
  • [edit]
No title
2500年前の原典は化石と言える価値ですが、化石は
所詮化石であり、肉をつけない限りそれがそのままで
動き出すという事はありません。

これは科学的に考えれば、当然に納得の行く事実だと
思います。

当時は出家も今よりも世間からの認知度もあり、宗教
も世間からの認知度があっただろうと思いますので、
釈迦がちょっと才能さえ見つければ出家を促し出家至
上の体制を取った事には一定の理解ができますが、そ
れを今にオーバーラップして在家でそのまま利用でき
るだろうと考える人は、やはり考え方は誤っていま
す。

だったらいっそうのこと、出家して経典に載っている
当時のシチュエーションを再現可能なだけ再現して、
電気も無いような山の中にでも籠ってクマに襲われる
恐怖にでも耐えながら、夏は熱射病にかかりながら、
サバイバルしながら実践してみればいい。

実際に原典にあるような環境を実現して、原始経典だ
のを、私の前に言っているのですかと言いたいわけで
す。


スッタニパータ
>そこで田を耕すバラモン・バーラドヴァーシャは、
>師(ブッダ)のもとで出家し、完全な戒律を受けた。
>それからまもなく、このバラモン・バーラドヴァー
>シャさんは独りで他の人々から遠ざかり、
>怠ることなく精励し専心していたが、まもなく、
>無上の清らかな行いの究極──諸々の立派な人たち
>(善男子)はそれを得るために正しく家を出て家なき
>状態に赴いたのであるが
>──を現世においてみずからさとり、証、具現して、
>日を送った。
>「生まれることは尽きた。清らかな行いはすでに完
>成した。なすべきことをなしおえたた。もはや再び
>このような生存を受けることはない。」
>
>とさとった。そうしてバーラドヴァーシャさんは聖
>者の一人となった。

最初はサンガで阿羅漢から手ほどきを受けて、フィ
ニッシュはやはり「独居」ですね。


スッタニパータ74
>貪欲と嫌悪と迷妄とを捨て、結び目を破り、命の失
>うのを恐れることなく、犀の角のようにただ独り歩
>め。

スッタニパータ923
>苦痛を感じるときがあっても、修行者は決して悲嘆
>してはならない。生存を貪り求めてはならない。恐
>ろしいものに出会っても、慄(フル)えてはならない。

スッタニパータ924
>食物や飲料や堅い食べものや衣服を得ても、貯蔵し
>てはならない。またそれらがえられないからとて心
>配してはならない。

スッタニパータ958
>修行者は世を厭うて、人のいない座所や樹下や墓地
>を愛し、山間の洞窟の中におり、

スッタニパータ959
>または種々の座所のうちにいるのであるが、そこに
>はどんなに恐ろしいことがあるのだろう。──修行者
>は音のしないところに坐臥していても、それらを恐
>れて震えてはならないのだが。

スッタニパータ960
>未到の地におもむく人にとっては、この世にどれだ
>けの危難があることだろう。──修行者は辺鄙なとこ
>ろに坐臥していても、それらの危難にうち克たなけ
>ればならないのだが。

スッタニパータ964
>しっかりと気をつけ分限を守る聡明な修行者は、五
>種の恐怖におじけてはならない。すなわち襲いかか
>る虻と蚊と爬虫類と四足獣と人間(盗賊など)に触れ
>ることである。

スッタニパータ966
>病いにかかり、餓えに襲われても、また寒冷や酷暑
>をも耐え忍ぶべきである。かの<家なき人>は、た
>といそれらに襲われることがいろいろ多くても、勇
>気をたもって、堅固に努力をなすべきである。


釈迦の解脱の出来る原典当時を再現して実践したいな
ら、夜も電気も無いようなクマに襲われても不思議も
無いような山の中で修行するしかありません。

命を失う可能性も高いですが、この通りにやれば悟っ
て阿羅漢になれる可能性は高いですから、それから、
釈迦の原典仏教を私の前に振り回してください。

私はいままで誰一人このような機根のある人にはお目
にかかれませんでしたが、釈迦の名前だけ振り回し、
全く全然問題外な駄目な人たちの山また山でした。

この人たちは原典の自分の命を危険にさらす事のな
い、都合の良い所しか読んでいません。

あの者たちは、全くの箸にも棒にもかからないバカの
代名詞のような人たちだと私は思いましたが、そんな
事もしないで、在家のままで釈迦の原始経典の内容を
振り回して私に意見してくるたちの悪い者の多い事多
い事、出家至上と言われた時代に説かれた経典の内容
であれば、出家しなければ意味をなしません。

http://www.kosaiji.org/Buddhism/early.htm

化石にどうやって肉を付けて、動き出せるものにする
かです。

こういうおかしな人たちが沢山いました。

自分の命が危険にさらされるような、都合の悪い部分
は読み飛ばして、当時の教えを実践しているのです
と、これ本当に笑えました。

くれぐれも、私は原典に忠実にクマの出そうな夜でも
電気も通ってない真暗闇の山の中で独居を実践しろな
どとは言いません。

命は大切にしましょう、ただし、これは社会常識的な
お決まり用語でしかありません。

命をどうしろこうしろなどという事は、私にとやかく
言えるものではありませんが、命がけの恐怖と背中合
わせの危険な環境をどうやって作り上げるか、釈迦が
経典内で繰り返す「激流」とは、原典を振り回すバカ
からみたら、経典内の「激流」の部分を「激流」過ぎ
るが故に、自分に都合よく読み飛ばしているだけの話
しです。

機根の無い駄目な人とはそういうものなのだと、笑え
ました。

これじゃ悟れるはずがありませんね。

多くの人がクマに襲われそうになりながら夜でも電気
の無いような山で出家や坐禅をやっているのなら、そ
れでもたぶんやる人もいると思いますが、ただし、そ
れで一人でも犠牲者が出れば、とたんに立ち入り禁止
の立札が出る事でしょうし、今の時代にやる人はいま
せん、つまりは釈迦の出家に対する解脱法の教えは在
家では使い物になりませんから、誰も悟れないわけで
す。

同じ教えでもこのようにシチュエーションさえ工夫す
れば激流は起こせますが、激流の一番要素の激流のシ
チュエーションを欠いてしまったら、そこに残るのは
腑抜けな教えの内容だけです。

常識ですよこれは。

おままごとをやって、気分だけなんちゃて原始経典の
実践者ですは、気色悪い不気味な人間になるだけで
す。

いたのです他所で、「理解」する事が悟りだみたない
な、気分だけのエセ覚者にそれにつき従うおすがりさ
んのような気色悪い信者のような亡者の群れが。

おままごと悟りも沢山見ました、自らの誤認によるエ
セ覚者の事です。

「理解」さえすれば悟りましたと、「理解」、何です
かこの悟った者には異次元の、この「理解」なる馬鹿
げた言葉は。

「理解」とはしっかりとマインドの次元の言葉です
よ。

こんな低次元な「理解」などという言葉を振り回し
て、それが悟りだと。

こんなバカげた異次元語を振り回すエセ覚者。

悟る前の私でも、絶対にこのようなエセ覚者には近寄
りませんでした。

恐らく私は悟る前に一人だけ覚者に出会えていた可能
性がありますが、その方は「理解」の範疇の事は言っ
てませんでした。

「理解」しても意識変容にはなりませんから、くれぐ
れも「理解」が悟りみたいな説き方をする人には騙さ
れないようにして下さい。

どういう人がこのような人に引っかかって貴重な人生
を無駄に過ごすのか、今後の分析が必要だと思いま
す。

私なら、まず、次第説法として脱宗教、脱精神世界こ
のような内容を説くところです。

釈迦が現代に生きていたら、まず、ホトケサマありが
たやありがたや、こんな教えは絶対に説かない、
2500年前の化石経典を在家のおもちゃにした亡者の
群れ。
  • 2015-09-29│22:52 |
  • TK URL│
  • [edit]
No title
TK師、いつもありがとございます。

スッタニパータ923
>苦痛を感じるときがあっても、修行者は決して悲嘆
>してはならない。生存を貪り求めてはならない。恐
>ろしいものに出会っても、慄(フル)えてはならない。

スッタニパータ924
>食物や飲料や堅い食べものや衣服を得ても、貯蔵し
>てはならない。またそれらがえられないからとて心
>配してはならない。


ポイントは

悲嘆してはならない
貪り求めてはならない
慄(フル)えてはならない
心配してはならない


ちなみに、私も激流時はその通りでした。

出家はしていないので日常での精進でしたが
自分のマインドの方向はその通りでした。

激流時は

「悲嘆してはいけない」
悲嘆した途端に悲嘆に巻き込まれることがわかっていたので
マインドに悲嘆する隙は与えませんでした。

「貪り求めてはならない」
私の場合は求めるものはそもそもなかった。
これはそれまでの生き方から得た恩恵でした。

「慄(フル)えてはならない
心配してはならない」
それらはマインドの動きであり
激流はマインドの動きを制御する道でもありましたので
一切、マインドにそうさせませんでした。

徹底した制御と決心と意志が必要です。
激流ですから。

一瞬の隙があったら流されてしまいます。

ちなみに激流は自分で起こすものではありません。
精進し続ければ勝手に起こります。

そしてさらに精進し続ければ
それを阻むように激流も大きくなります。

命を懸けた真っ向勝負です。


ちなみにこの姿勢は激流時のことなので
ご注意ください。

普通は悲嘆もするし求めるし心配もする。

これらは生きていくために必要な感情で
人はそれを乗り越えて
成長していきます。

とても大切な感情です。

その感情を活かし
更なるステップとするのが
人としての素晴らしい
そして先につながる生き方です。


もし悟ってこの世のすべてから解き放たれたいのなら
今、人としてしっかり生きてください。

悟りのことは忘れて。

悟りは求めても得られるものでは
決してありませんので
悟りを求める時間は無駄です。

逆に悟りから離れてしまいます。

そもそも「悟り」は求められる性質のものではない。

また「解き放たれたい」と思いながら生きることは
ますます「解き放たれたい」に
がんじがらめになってしまいます。

そうなんです。

「解き放たれたい」と思わなくなったとき
いつの間にか解き放たれています。


求めるならこの世界での
「幸せ」「豊かさ」「喜び」などにするほうがいいです。

これらは叶えることができる。

(悟りは求めても叶えられません。
求めても得られないものが悟り。
そもそも得るものではなく
エゴが消滅した状態ですから。
例えて言えば失う方向です。)

また人として生きた道が
どういうものであったのかが
悟りへの道に影響します。

悟りたければ

悟ることを求めず
人として一生懸命生きることを選択し
自分の善に従った生き方をするということ。

そしてその善の基準は
誰もが認めてくれる内容である、ということ。


そう生きていれば
忘れたころ
悟りの道が開けます。

開けなかったとしても
悟りを求めていたことを
忘れるくらい充実した
幸せな人生を送れると思います。


そして悟ってない時に
悟りについて語ると
多くの勘違いをしてしまいますので
また、嘘をばらまくことになるので
悟りについて語りたければ
まずは悟ってください。

=まずは人として生きてください。


幸せなんてどうでもいいとか
嘘はつかないでください。

私は傷ついてないなんて
嘘言わないでください。

幸せを求め
周りの人を笑顔にして生きていくこと。

素晴らしいです。

もし、自分が傷ついたとき
他の人には同じ思いをさせないようにしようとか
その自分の経験を
清き道に活かしてください。

必ず得るものがあります。


自分の善なる心に嘘をつかないように。


どうぞ、みんな幸せになっていただきたいです。
悟りなんて忘れるくらい。

悟りたいと思っている時は
現実の問題から逃げていることが多いです。

「悟りたい」って思う人って
意外に少ないのです。

普通に考えてみてください。
「悟りってなにそれ?」
って思いませんか?

そして日常充実して精一杯生きていたら
悟りについて思う暇、ないですよね。
  • 2015-10-01│18:00 |
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