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悟りの道について

みなさんこんにちは!

いかがお過ごしでしょうか。


私のかつての生き方
「自分を捨てて心から何でも喜んでしよう」は
なんの見返りも求めていませんでしたし
目標もありませんでした。


ただし、例えて言えば

自分の理想を生きること

を目標としていたのかもしれませんが
誰かに好かれようとか
何かを得ようとしていたわけではありませんでした。


私のかつての生き方

「自分を捨てて何でも心から喜んでしよう」は
それまでの私の
わがままな私を反省してのことでした。


私は長い道を歩きました。

しかし、この道がいつ終わるのだろう
という疑問が起こることもなく
そしてまさかこの道が
悟りにつながるとは
全く思っていませんでした。

ただただこれが私の生き方でした。

だから悟りについての知識は必要なく
自分の善なる心に従って生きれば
必ず道は開けます。

私がそうでしたから
みなさんもそうではないでしょうか。

私が特別なのではありません。


しかし、私の長い道、
完璧ではありませんでした。

怒りが爆発したこともあったし、
人にも迷惑をかけた。

そして周りから見たら
私は変わった人であったけど
必ず誰かはそばにいてくれました。


失敗したら反省して
また道に戻り、
あららということがあっても
今できることをやってまた道に戻り。

私の中で悟りの道を歩いている
という自覚がなく
出家した人みたいに
意図的に修行しているという感覚はなかったため
完璧ではなかったですが
それでもそう生きました。



ちなみに自分を捨ててというのはどういうことかというと

「喜んで」以外の感情が起こったら
その思いを切り捨てて
「喜んで」をするということです。

この感情を切り捨てる技は
やればやるほど
できるようになって
最後の激流で大変役に立ちました。

(激流時、自分の感情やそれまでの積み重ねてきたカルマが
無防備な自分に襲ってきます。
ここで守ってしまったら激流終了。
自分を守ることなく、いろんなものにさらされた状態で
激流を渡ることとなります。
だからそれまでの積み重ねは大事です。
それまでの自分の行いが
直撃します、最後の道で。)

なんでも第一歩から。

初めから名人級なはずはありません。

私もそうです。

そして私ができたのだから
みんなもできる可能性がある、ということです。


しかしこの自分を捨ててという方法が
自分の理想にあっていないのなら
無視すべき方法です。

自分が信じてがんばれる理想を
自分の基準で持ってくださいね。

それでこそ、自分の理想を全うできるんです。


私はかつて自分の理想を全うしました。

全うしたことがわかる基準として
第2の扉が開きます。

その第2の扉が私の激流への一歩でした。

しかし、私はあきらめなかったです。


余談ですが例えば私の道であれば
自分の道を全うする道を歩き
最終的に激流に飛び込み
悟ったのですが
(そしてそれを伝えていますが)
そもそもそんな激流に飛び込みたくない
と思われ、
よって理想を生きるのはイヤダ
という人もいるかもしれません。

それでいて楽して悟りたい、と。

これはなるほど、、ですが
面白い意見です。

普通に生きていても
壁にぶつかる時があると思います。

普通に生きても
試練があるわけです。

そもそも楽して生きている方が
悟りたいって思うのでしょうか。

悟りたいと思う時点で
その人にはなにか
そう思う原因があるはずです。

楽して悟りたいって、
何かから逃げていませんか?

(まぁ、その一つとして
少なくともがんばることから逃げていますよね。
逃げていては悟れません。)


理想に生きている時
私の場合、いろんなものに
結果的に守られていました。

例えばそのひとつとして
「嫌な感情」から守られていました。

よって理想に生きる道は
必ず恩恵を得ています。

そして必ず未来につながります。



「楽して生きる」

これを永遠に続けることができるのでしょうか?

できるというのなら
それもありかもしれません。

しかし「楽する」という時点で
その反対の「苦労する」も存在し続けていますので
常に両方が存在しているのです。

よって楽する道には
苦労が付随しています。

「楽して悟る」について
「楽する」というのは自我の動きなんですが
その自我が消滅するために
「楽する」という行為で
自我が消滅するのでしょうか。

自我が消滅することは
自我を頼りに生きているものにとっては
(多くの普通の人)
死に匹敵します。

私もそうでした。

それが激流というもの。


そして「楽して悟ろう」という理論は
そもそも悟ろうという方向性自体が変です。

悟りとは「~しよう」というものではなく
自我(対象)の消滅のことなので
いかに自我を消滅させるか、という理論になるはずです。

「楽して生きる」
と言うのならわかりますが
「楽して悟る」と言うのは変ですので
そこをお間違いないよう。

そして楽して生きるのは自由ですが
それで悟ることはできませんので。

しかし、悟らなくても
幸せならそれが一番だと思います。

だからそういう方は悟ることを
目標にする必要が
そもそもないです。


しかし私は幸せの中の
苦の存在に気づいてしまいました。

だから普通の幸せはいらないと
それを捨てたのでした。



(悟りについて語る方が多いのですが
間違っていたら指摘させていただいています。
ほぼ間違っています。
それはまだそうなっていない人にとっての
想像、妄想でしかありません。

もし語るのなら
悟りについて語るのではなく
自分の生き方について
語ってみませんか。
ちなみに私は至るまで
自分の生き方を語ったりすることは
どんなに仲がいい人にも
ありませんでしたが。

黙々と歩く人は
何も語らず、語る必要もなく
ただただ歩きます。)



私がかつてこのブログで間違っていた表現で
「悟り続ける」というのがあったのですが
この言葉も動作を表す言葉です。

私は永遠に悟り続けること(知り続けること)が
悟りだと思っていました。

これではなんだか悟っても大変そうですね(笑)

実は悟ってしまえば
なんもしていません。

知ることすら必要ない。

知るということは
対象があって知ることができるのであって
対象が消滅すれば
知るものはない。

ただそれのみなのです。


ちなみにですね。

悟りは目指すものではありません。

結果的にそうなるものです。


よって今生きている中で
悟ろうとしないでください。

悟ろうとして悟りの情報を探し
それをやろうとすること自体
悟りから離れてしまっています。


今、人として生きることを大切にしてください。

悟り=人間卒業です。

卒業するために
それまでのカリキュラムの合格点をとらなければ
試験の資格すらありません。

段階を無視することはできません。

飛び級ありません(笑)

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