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善悪

覚者の本や言葉があると思うのですが
その覚者の状態を表した言葉を
真似したり
そうであるふりをすることに
実は意味がありません


例えば

善悪はない


という言葉ですが
悟れば確かに善悪はありません。


しかし、自我がある人は
確実に善悪があります。


例えば
「善しかない」
と言った瞬間
悪も存在していることになります、
自我がある場合は。


悟った状態は
善悪がないとは
善も悪も消滅していますから
「善悪がない」といえます。


しかし、善悪の判断がある
自我のある状態では

善悪はない=なんでもオッケー

という自己中心的な
結局は「判断」となります。

善悪はない、について
いろんな解釈が起こるのもそのためです。

その判断が存在している時点で
「善悪」も存在しているのです。


悟った場合

「善悪がない」

はその言葉のままで
善も悪もないということで
なんでもあり
というものすらでもありません。

いろいろ言葉に表すのは難しいんですが
自我がある場合
「善悪はない」というのは嘘になります。


世の中の出来事に対して
自我のある人は善悪の評価をしています。

これは大切なことです。

それはその人に善なる心があるためであり
そういった善悪の判断が
善の行動をするきっかけとなり
それが実践となります。

もし自分にとって
「悪だ」と思うものがあって
しかし
善悪はないというのが真理だと信じ込み
自分が悪だと思うものを
「善だ」と言ってしまう人がいるでしょう。

これはよくあるスピリチュアルに影響された思考です。

自分にとって
良くないと思う気持ちがあるのなら
それをしてはいけない。

それが善なる道です。


悟ってしまえば
善も悪も
心が消滅していますからありません。

しかし、悟った人にも
心がある状態の時もあったのですから
何が善で何が悪なのかはわかります。

しかし、悟った人自体には善も悪もない。

自我がある人には
確実に善悪があり
よって悟った人はそれを見抜く。


自分の行動を正当化するために
悪であるものを
「これは善だ」と言って
肯定するとして。

それは自分の「善なる心」に
嘘をついていますので
いつかそのついた嘘に
出会うでしょう。

自業自得とはそういうことです。


悟った人は心が消滅しているため
「善だ」
と言ったところで
それは単なる言葉であり意味はなく
ただそれそのものだけで
判断もなく
よって言葉によるカルマが生まれない。

嘘をつくこともないし
つけない。



道を歩く時は
誰にも言う必要はなく
自分の善なる心に忠実であればいい。

自分の善なる心に
嘘をつかず
清き道を歩いてください。


自我が消滅すれば

「善悪はない」

これがどういう状態かわかります。
(というか、そのものになっているので
わかる必要すらない)

しかし、悟ってない人にとってはこれは
想像できない境地なので
その状態を想像するのはおいといて
(自我がある場合
善悪はない、というのがどういう状態か
必ず想像しています)
今の自分の善なる心に従ったほうが
近道です。


「善悪はない」

善悪のある人=自我のある人にとって
そもそもこの
「善悪はない」について
いいか悪いか
ああだ、こうだと
その判断や思考がこの言葉を見た瞬間
起こっています。


自我があるうちは
どうあがいても
自我があります。

自分の中心に真実の自分がある

という言葉も
どうやってもその中心にあると思う「私」は
自我であり
その中心の私を見ているのも
自我です。
そう感じているのも自我。
そう思っているのも自我。

すべてに自我が付随しています。


悟った人は
「私」が消滅し
中心も外も消滅し
見る必要も観察する必要もなく
(そもそもそんなものがない)
そうであります。

対象が消滅しているのだから
観察するものもないし
見るものもない。

言葉に表すと
例えでそう書けますが
この言葉の通りになっているふりをすることは
そもそも「ふり」であって
本物ではない。

真似をして上達する
というのがあると思いますが
悟った状態を真似するのは意味がないです。

真似できる状態ではないから。

悟った人の悟りの道を真似するのなら
意味が少しはあるかもしれません。

なぜなら悟った人の悟るまでの道は
その悟った人の自我のあった状態での道であり
よって自我がある人に使えるものだからです。


悟った人の状態を真似してはいけない。

それは単なる妄想であり、
普通の人から見たら
その「ふり」はすぐにばれちゃいますよ。


善悪があることが悪いことではない。
むしろよい。

それは善なる道の道しるべとなる。

よって善悪があることは
悟りの道の一歩であり、
善なる道の基本です。

善悪がないなんて
嘘ついちゃいけません。


だって善悪がなければ
善なる道を歩きようがない。

それが悟った人であり
修行終了ということ。

悟った人には道すらない。

道そのものが消えてしまった状態。

意図も目標も意味もなく
ただあるのみ。

悟った人に
存在の意味は必要ない。


「存在の意味は必要ない」

そしてこの言葉を
自我のある人が
そのまま真似しようとすると
ずっこけます。(笑)

それはかなりの妄想に
とりつかれている人となります。

ないふりをしてはいけない。

自我がある人には
存在の意味、目的が必要です。

その意味を大切にしてください。


悟った人の状態の言葉を
真似することに意味は全くありません。

道から離れてしまっています。


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