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いろいろな生き方

人それぞれに生き方があります。

私は自分のかつての生き方を元に
記事を書いています。


例えば苦境に陥った時。

どうするか。


私の場合、自分の外に働きかける
生き方ではありませんでした。

もちろん出来事に対して
工夫して対処していくことも
大切かもです。
それを善だとする人はそうすべきです。

しかし、私の善は
そうではありませんでした。

(私の方法がいいか悪いかは
人の価値観の違いで変わると思います。
一番大切なのは
それが自分の善であるかどうかです。
私にとって善であったこの方法は
私の悟りにつながりました。
自分の善を守り、生き抜くことが大切です。)


私はもともと
周りの人は関係ない、
別の言い方をしたら
興味がなかったので
起こった出来事に対して
確かに悲しい思いをすることもあったけど
自分を捨ててという約束事のもと
その悲しい思いも捨てて
喜んでをしていました。

周りの人からされたことに対して
向かって行くこともできたのかな。
(それはおかしい、と伝えたり
どうにかして改善しようとしたり)

しかし、私にその選択肢は
あり得ませんでした。
(これがいいか悪いかは人によります)


「自分を捨てて心から喜んで何でもしよう」

この指針はいろんな意味が含まれていて
この自分が決めた指針は
私を本当に助けてくれました。

しかし
「自分を捨てて心から喜んで何でもしよう」
が自分の善の基準にあっていないのなら
この方法は使えません。

やはり自分の善なる基準を元にし
指針を決めるべきです。


だから私ができることは
その人の善が活かされる指針を
見つけるためのお手伝いをし
道の途中で困ったことがあったら
その人の指針を参考にし
お手伝いできる言葉をお伝えすることかなと思います。


私の言葉で
自分が否定された気がする人も
いると思いますが
否定しているのではなく
その方に必要な言葉をお伝えしています。

もし、否定された気がした場合、
なぜそういう思いが生まれているのか
ちょっと考えてみてください。

からくりがわかれば
「否定された」と思ってしまう出来事は
捉え方によっては
次の行動のプラスに
確実になるんです。

自分に起こった出来事を
善なる毎日に活かしていけば
善なるカルマの積み重ねとなりますよ。


私は単なる言葉をお伝えするだけ。

主人公は自分自身です。

よって人のせいにすることは
その人に自分の人生を
預けていることになりますので
どうぞ、自分が主人公であることを
お忘れなく!


@(*・ω・*)ポッ



ちなみに私の指針を決める前に
私自身に問い続けた言葉は

「私はどうしたらいい?
どう生きればいい??」

というものでした。

しっかり自分に問い続けました。
※(自分に起こる問いは大切です)

そしてふとその指針が思い浮かびました。
※(時間はじっくりかけました。
自分の納得するまで)

指針を得た私は喜びを得ました。

その指針はまさに私の納得するものであり
「よし!そう生きよう!」
とうれしかったことを思い出します。

※(本当に考え抜いて指針が決まれば
問うことなく、疑うことなく
そう生き抜きます。
指針を決めるまでは大いに悩み
本当に「これだ!」という指針が決まったら
その指針を守ります。

決心したら問うてはいけません
問うということは自分の決めた指針に
疑いを持っていることになります。
また、問い(疑問)が生まれそうであれば
その指針は本物ではない可能性もあります。
その時は指針を練り直さなくてはなりません。
その為にも大いに考えましょう、指針を決めるために。)

ちなみにこの自分の指針は
その生き方そのものが私の善であったため
それをしたらどうなるといった
思いはありませんでした。

わかりやすく言えば
「よし!そう生きよう!
この生き方をしたら素晴らしい人生になる!」
といった、その生き方をすることによって
得られるもの(例えば素晴らしい人生など)の設定は
なかったということです。

素晴らしい人生のために
その指針を使ったのではなく
ただただ自分の善なる生き方として。

しかし別の言い方をすれば
自分の善なる生き方が得られるものではあったのですが
それは自分の指針をすることイコール善なる生き方で
結果を待つことなく
それをすれば叶えられるものであったので
ある意味、夢見たりする必要がなかった。

素晴らしい人生を目的とすれば
その人生が叶うのに
どれくらい時間がかかるかわからない。

よって素晴らしい人生について
あれこれ思ってしまう時間ができてしまう可能性がある。

これでは純粋なる実践にはならない。

だから初めの指針を決める時に
あれこれその指針から余計な思いが発生しないものに
した方がいいです。
(実践中、実践に余計な思いが発生しないという
自信があるのなら
目的もある意味、モチベーションとはなります。
目的を設定してしかし
実践中は実践そのものに集中します。)

私には「自分を捨てて」が実践に付随していますが
これも余計な思いが発生するのを防ぎました。

実践に関係ない思いは実践には必要ありません。
本物の実践をするのであればですが、、。

軽い気持ちで
人生をちょっと充実したいものにするためなら
自由度は広がります。

その自由とは例えて言えば
思いの自由です。

しかし、そうであれば
あっち行ったりこっち行ったりになるので
得るものは徹底しているよりは
少なくなります。

例えて言えば
努力の程度が得るものの程度を決める
ということです。

そしてどうするかは
自由です。

※(しかし、本物はどれも徹底しているもんです。
例えばスポーツでもそうですよね。)



「私はどうしたらいい?
どう生きればいい??」
こう問うている時はモヤモヤしていました。

このモヤモヤすらも
次の生き方につながるということです。

一生モヤモヤして生きるか
それともそれにきちんと向きあって
そこから得た方法を頑張って生きるか

この違いは大きいです。


私は元々自我がとっても強く
周りに影響されたくない自分がいました。

「自分が!」が強い人で
そして人から何も言われたくない人で
自分の困難を
人の力を借りず克服したいというのが
私の実践内容の根底にあります。

自分の力で克服したい!
人の力でなく!
というのが強かったです。

だからこそ自分の生き方にこだわり
周りの人のせいにせず
ひたすら自分の決めた指針を守ったのでした。


まぁ、とってもとっても
エゴが強かった。

そのおかげで今があるのです。


エゴを善に活かせばいい。

エゴが強い人はラッキーです。

そしてそれをどう生かすかが大切です!


エゴを変な方向に活かした場合、
その変な方向はある意味一時的に叶うかもですが
カルマの視点では大失敗です。
なんどもカルマの輪をぐるぐる回らなければなりません。
その成就は永遠には続かない。
それでいていつかしっぺ返しがやってくる。

本物の成就がいいと私はずっと思っていました。
だから目先のちょっとした幸せを捨てて
ひたすら実践でした。

ちなみにこの「本物の成就がいい」という思いは
実践を続けるモチベーションにはなりました。
しかしそれはくじけそうになったときに使っただけで
すぐに手放しました。
実践中は実践に必要ない思いは
発生させてはならないのです

私の場合なら実践に必要な思いは
「喜んで!」
これのみ。

「本物の成就がいい!」
と夢見ながら
「心から喜んで!」は
できませんよね。


「本物がいい!」と
「喜んで!」に
自分の意志を使っているので
自分の意志が分散していることになります。


集中できていない
ということです。





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プロフィール

ラピ。

Author:ラピ。



ラピ。至る。
@(*・ω・*)ポッ

2013.5.13以降の記事が
至った後の記事となります。

それ以前の記事は
整頓して非公開にしました。

2006年12月から始めた
このブログ

かなりの記事があって
整頓するのが大変でした(笑)
皆さま今までも
どうもありがとうございました


*:--☆--:*@(*・ω・*)ポッ:--☆--:*:-



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