[Edit]

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

[Edit]

体に感謝

人にとって体の存在は感謝です。
体は人を守ってくれているんです。


私が激流の時は
体の存在が消えかける時が何度もありました。
(これはまじめに実践すればそうなる)

これはまだ自我があった時の「私」を
守ってくれるもの(体)がない状態で
「何か」に引き裂かれることが何度もありました。
(激流時)

(その「何か」は決して言葉に表せないし
説明してはいけない。
説明したとたんにそれは「何か」ではなくなってしまう)

激流の状態は
言葉で表せるようなものではないのですが
たとえて言えば
自分と他の区別がほぼない状態で
それでいてまだ「私」が残っている状態です。

まだ私が残っているから
引き裂かれようとする状態が普通は怖い。

しかし、もしこの激流で自分を守れば
激流は終了となり
道は閉ざされます。

(守る自分がいたら=守ったら
自分が消滅するはずがない)

激流でも自分を守ることなく
恐怖であろうとなんであろうと
自分の決めた道をしっかりと進む、
「私」を守ることなく。

そして恐怖を感じることなく。

(ここで大切なのは
恐怖すらも感じる時間もないくらい
実践に集中すること。
恐怖は感じてはいけない。
恐怖がやってきても
これは恐怖だと言ってはいけない。
そんな隙を与えてはいけない。

私が実践中経験した恐怖は
経験していない。

恐怖はあったかも、だが
経験はしていない。

怖かったかも、だが
怖がってはいけない。

例えていえば、ですが)


もしかしたらこの世の中に
激流と言われる状態を経験した人は
結構多いかもしれません。

しかし、それだけではだめで
激流を渡り切らなければなりません。

渡り切ったらわかります。
それまでとは全く違う世界ですから。

激流が終わって元通りになってホッとする

これではまだ渡り切っていません。

ちなみにこの状態で悟ったと勘違いしている人
これまた割と多いかもしれません。

例えば光の世界を見ても
すべてが一体となった経験をしても
激流が終わっても
元の世界に戻ったら
その経験は単なる経験であり
悟ったわけではない

世界と一体となった経験をしたことがある
と言える状態は
今は世界と分離していますから
その過去の経験は運よく経験できたものであり
それを経験したからと言って
悟ったというのは違うのです。

ずっと変わらなくその状態が続いて初めて
悟ったと言える。
(これは例えです。
でも今悟ってないことがわかる
わかり易い基準です)


話は戻ります

激流時に自分を守ろうとする気持ちが
少しでも働いたら
例えて言えば
私と他を区別するのに必要な体の存在は
消滅いたしません。
できない。

悟りとは自我の消滅であり
自分と他の区別がなくなることですから
「私」が「恐怖」から自分を守ろうとしては
私と恐怖の境目は存在したままです。

私の場合ですが、
自分の決めたことを黙々として
恐怖が起こってもそれに負けず
淡々と実践し

しかし淡々と言っても大変でしたが。

そして恐怖と戦うこともいけない。

戦う相手がいてそれと戦っては
その相手は決して消えない。
存在する。

戦うことなくして勝つ。
そして結果的に勝つことなく悟る。(笑)

それは戦うことではなく
それ以外の方法を実践し
結果的に勝っててしまう道を歩くのです。
〈何度も言っていますね!)


私はここで「ラピ。」と名乗っています。

今私にはある意味、
例えていえば体があります。

私には体はないのですが
私以外の人には見えます。
(変な言い方ですが)

よって便宜上「名前」を使います。

私は(この「私」も例えで使っていますが)
ラピ。ではありません。

日常の本名も
便宜上使っていますが
私はそれではありません。

そして私でもありません。

しかし、体がある人にとって
私と私でないものとの区別は必要であり
そのために名前が存在します。

また体があったことにより
微妙に記憶もあります。

体に残っている、という感じで
私のものではありませんが

だから激流時の名残もたまに出てくるし
ちょっと前の出来事の記憶も微妙に残っているし。

しかし、それはもちろん
単なるそれで
そうである、ということではない。


悟れば
わからなくなるもわかるもなく
残ることなく残りものもない

そもそも「残る」、「残らない」という状態自体が
存在しない。


人は自分の記憶のおかげで
自分というものがわかる。

そして記憶がなくなることを恐れる。

悟れば記憶自体
必要ない。

記憶によって保たれるべき私がないからである

記憶が必要ない、とも言える

そもそも記憶ってなんだ??


書けば誤解を受けるかもですが
例えで書けばこんな感じかな。



体があることは感謝すべきことである。

体があるんだから
思い切り人として
精一杯頑張ろう。

それができる、ということは
素晴らしいことである。

人にとってそれは当たり前かもですが
それが当たり前でない世界も存在するんですよ。

人として体が存在する
この状態だけでも尊い。

それだけでもかなり運がいいんです。

そしてぜひとも
善なる道を

そして全なる道を


どうぞ、人を全うしてください
善なる道で

必ず善なる道で。




スポンサーサイト

Comment

Post a comment

Font & Icon
Secret


プロフィール

Author:ラピ。



ラピ。至る。
@(*・ω・*)ポッ

2013.5.13以降の記事が
至った後の記事となります。

それ以前の記事は
整頓して非公開にしました。

2006年12月から始めた
このブログ

かなりの記事があって
整頓するのが大変でした(笑)
皆さま今までも
どうもありがとうございました


*:--☆--:*@(*・ω・*)ポッ:--☆--:*:-



 admin






カレンダー

05 | 2017/03 | 06
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -

ランキング参加してます♪

いつも応援してくださって
 (*´∀人)ァリガト

ご訪問ありがとう!

現在の閲覧者数:

カウンター

最新の記事

カテゴリー


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。