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険しく厳しく、そして険しくなく厳しくない道

私は昔
独自の道をあるきました


なぜ、そんな道を歩いたのかというと

、、、よくわかりません(笑)


今思い出せば
険しく厳しい道でした。

しかし、そう生きていた時
険しいとも厳しいとも思ってませんでした。


では、なぜ
思い出せば険しく厳しい道だったのかというと

私の道を伝えると
私のやってきたことを伝えると
大変厳しい内容になるみたいだからです。


私のやってきたことは特別な内容はありません

しかし、私と同じ道を歩きたい
という人が万が一、億が一、いた場合
私のやり方をきちんとお伝えするとなると
厳しい内容になります。

単純なのですが
コツがあり
どの瞬間も怠ることなくやっていかなければなりません。

その実践そのものとなるくらい。


「自分(の思い)を捨てて心からなんでも喜んでしよう」

私の指針はたったこれだけでした。
これをきちんと行いました。
(しかし、はじめからうまくいったというわけではなく
できなかったら反省し、その繰り返しで
積み重ねていきました)

ちなみにこの指針にはたくさんの秘密があって
その一つをお伝えすると
「自分を捨てて」
のおかげで
厳しい道を厳しいと思える瞬間がありませんでした。

逆に
「厳しい」と思った瞬間
自分を捨てることができていないことになります。



自分が決めた善なる指針は
必ず道へと導きます。

自分の指針を決めるコツは
2重構造にすることです。

1つの実践を2重構造にするのです。


私の場合

まず、「自分の思いを捨てて」

そして「心からなんでも喜んでする」

という2重構造でした。


人は「~しよう」とするとき
純粋に「~」は実はできていません。

しかし、二重構造はそれを助けてくれます。

まず「捨てて」
=「捨てようとすること(にどうしてもなってしまう)」
=捨てられていないのですが
次の行動
「喜んでしよう」に続くことによって
捨てようとする意志が「喜んで」に移動し
結果的に捨てようとせずに捨てた状態で
「喜んで」をしようとすることができます。

そして「喜んで」をしようとするとき
それは純粋なる「喜んで」には
どうやってもなりえないのですが
次の「自分の思いを捨てて」が続くことにより
自分の意志が「捨てよう」とする行動に移るため
純粋なる「喜んで」に近くなるのです。


人には「思い」「意志」が必ずあり
常に働いています。
それが人です。

その意志によって
人は行動そのものになれないのですが
しかし、そのおかげで
行動を意志でコントロールすることができ
(それが実践できる素質を持ち
よって実践を全うするチャンスを持っていることになります
人として生きているだけで
それだけの特権をもっていることになります)

次の行動(意志)に思いが移ることによって
そのものに近い状態になることができます

また行動のきっかけに
人は必ず意志が必要です。
必ず必要。

その意志が「行動そのもの」になるのを
結果的にさえぎってしまうのですが
そこをかわす方法が
2重構造の実践です。


また、この2重構造の実践をし続けると
自然とコツがわかり
2重構造でありながら
1重構造の実践となります。

「捨てる」ことと「喜んで」が同時になるのです。

実践すればするほど
そのプロになります。

これはなんでもそうですよね。

極めたかったら
ただただ精進、訓練、練習をしていくことです。

精進、訓練、練習することなく。

怠ることなく実践し続けていくことが
大切です、
実践することなく。

自分が決めた指針を
途切れることなく実践し続けることが
大切になります。


これは延々と続くのでしょうか。

しかし、真に実践していれば
延々と続くのか?
といった気持ちにはなりようがありません。

なぜなら真に実践していれば
その都度純粋な「それそのもの」に近くなっていますから
そう思う暇がない

よって真の実践をすると決めて
その実践中私に
「この実践をずっとしなければならないのでしょうか?」
と問うた時点で
(=そういった思いが発生した時点で)
実践ができていない証明となり
不合格です。

なぜ、「今」実践しているときに
「ずっと」という今から離れた概念(時間)
が発生するのでしょうか


なんとなくわかっていただけたかな。


疑問を持つ時点で
感想を持つ時点で
これからどうなるのだろうと思う時点で
実践者としては不合格

もちろん普通に生きるのであれば問題ありません

私の通った道を歩くのであれば
ということです。


、、、しかし、私の通った道を歩きたい人は
億が一にもいないと思います

よって私のやってきたことを
残す必要は全くないです。

しかし億が一、いた場合のために
とりあえずここに書いときます。



ちなみに余談ですが
「いつまですればいいのだろう」
といった疑問が出るのを防ぐ一つの方法は
実践を始める前に
「一生やる」と決めてしまうことです。
(そのため実践内容は
確実に正確に時間をかけて吟味する必要があります。)

私がそうしていましたので
実践中、疑問は全く出ませんでした。

そして一生やっていくつもりが
実践のほうが消滅してしまい
(=自我が消滅)
結果的に終了となりました。

人生、何が起こるかわからないもんです。


ちなみにちなみに
「いつまですればいいのだろう」
という思い、問いは
いわゆる「悪魔の声」とも言えるもので
実践を妨げるものです。

この思いに耳を傾けてしまうと
悪魔の思うつぼです

悪魔の誘惑に負けない
強い意志が実践には必要となります


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厳しさ

私は実践時
自分に対して厳しい判断をしていました。


はじめは
自分の中にある
「判断する心」に気づき
それが嫌で
それを消してしまうために実践をはじめました。

この時の私が嫌だった「判断する心」は
自分の周りの出来事や
自分の周りの方に対しての
判断する自分の心でした。

それを消したかった。

しかし自分に対しては
厳しい判断をしておりました。

自分の決めたことができなければ
それは「ダメだ」という判断をしていました。

その判断があるからこそ
常に自分の決めたことを
実践する選択ができたのです。

(ここで
「いいも悪いもない」という姿勢であれば
自分の決めた実践も
してもしなくてもいいという姿勢となります。
自分が決めたことを実践するために
正しい判断、ジャッジは必要なのです。

じぶんの決めたことをできたらよい
できなかったらダメだ

簡単に言えばそういった判断で
どっちでもあり、という姿勢では
何も得られない。

ただし私はこの判断は
決して自分以外の人には使いませんでした。
私の実践内容からしたら当然です。

「喜んで」をひたすら実践していたら
周りの人をジャッジする暇はないのです)


常に幸せな世界がいいと思い、
そうであれば自分はどう行動するかを考え
しかし世界に求めるより
まずは自分がそうであるべきだと考え
そう行動いたしました。

言い方を変えれば
常に幸せでない世界を
私の中から排除し続けたのです。

そして私の実践は
周りの世界に直接働きかけるものではなく
常に自分のあり方にこだわり
自分の理想のあり方ができていない場合
自分に対して
そうであるよう常に働きかけるものでした。

自分の理想に対して
常にそうであるよう
心がけました。


よって私の実践を活かして
何かお伝えすることができるのなら
それは厳しいものとなります。

私がそういう道を通ってきたからです。

楽する妥協ありの道は
私にはあり得ませんでした

よってそのような道は
私にとっては道ではない。


もし、ある時は精進し
ある時はそうでない時間のある日々をよしとするのなら
かつての私にはあり得ないことなので
そういう方には
何もお伝えすることはありません。


私は「24時間幸せ」がよかったので
私のあり方は常に24時間、でした。
(ふとできていないこともあったのですが
はっ!と気づけばすぐに修正しました)


そうであるときもあれば
そうでないときもある

それは嫌で

常にそうである

それが私のモットーでした。

初めからできたわけではありませんが
目標を妥協せず高いものにし
それを実践し続けました。

頑張れば頑張るほど
結果はそれについてきます。


例えて言えば

24時間覚醒していれば
覚醒していないときはない

といった感じで。(笑)


善なるこだわり
私は大賛成です。

どんな世界でも
プロであれば
妥協なき道であるはずです。

ま、これくらいでいっか

であれば
「これくらい」の成果しか得られません。




ちなみに余談ですが
私の実践は
「なんでも心から喜んでする」だったのですが
誰かから善でない頼み事をされたことがありませんでした。

実はそれには理由があります。

私の実践が
「自分を捨てて なんでも心から喜んでしよう」
という実践だったからです。

からくりはお伝えしませんが
この実践を思いついたことは
大変ラッキーだったと思います。

「自分を捨てて なんでも心から喜んでしよう」
をきちんと実践したからこその
その恩恵でした。

中途半端なく
きちんとしたからこそです。


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自分の思いを捨てて

「自分を捨てて」の実践は
別の言い方をすれば
「自分の気持ちを捨てて」でした。

ただただ自分の中に確実にある
「判断(=批判)する心」の存在を知っており
それがが嫌で消してしまいたかった。


究極、
自分を捨てるのなら
今自分が住んでいる環境も捨てて
自分を追い込むのもひとつの道だったかもしれません。

しかし、もし
環境を変えてやりとげることができたとしたら
環境のおかげであることが否定できなくなる。

私は自分の力でやり遂げたかった、
環境、周りに関係なく。
(自我がとても強かったのです、あきれるほどに(笑)

だからこそ、環境を変えず
そのままの状態で実践を始めたのです。

そして私がもし例えていえば出家したのであったのなら
私のやった方法は
普通に生活している方々には
使えないし伝えることはできません。

しかし、私は社会生活をしたうえで
実践を全うしたので
私の方法は普通の人にも使えると思います。


私の実践は自分の気持ちを捨てるものではあったのですが、、、

自分の気持ちを大切にすることは
正しい方向であれば
人に対して思いやりを持てます。

気持ちを大切にし
人の気持ちの動きなどを
自分に照らし合わせてではありますが
(=自分が基準ではありますが)
理解しているからです。

だから正しい方向での気持ちを大切にする生き方であれば
思いやりを持った人となります。
(正しい方向でなければなりません)


私は自分の気持ちを捨てていたので
まず、自分の気持ちがありませんでした。
(初めから完璧な実践はできていなかったので
もちろん、自分の気持ちがわくことはありましたが
その都度捨てていました)

自分の気持ちを大切にしている人の場合
自分の基準ではありますが
こうすればこういう思いになる
という基準があるので
人に対しても
こうすればこう思うだろうという予想ができ
思いやりある行動
相手に嫌な思いをさせない行動ができます。

思いの動きが予想できて
それに伴った思いやりある行動ができる
ということです。

しかし、私は
自分の気持ちを捨てていたがゆえに
一般的にある思いの動きが
私に当てはまっていませんでした。

例えば一般的に
人が嫌な気持ちになる出来事があっても
私は嫌な気持ちになりようがなかった、ということです。
(面白いのですが
言い方を変えれば
嫌な出来事は起こらなかったと言えた)


自分の気持ちを捨て続ける実践は
捨て続けるものでしたが
結果的に恩恵を得ていました。

なぜこの実践を思いついたのか
わからないのですが
(しかし、本当にじっくり考えました)
とてもありがたい実践だったと思います。


しかし、この実践が
すべての人にあっているわけでは
もちろんありません。


まずは人として生きるためにも
自分を大切にし
周りの人を大切にしなければなりません。


それをまず全うすると
必ずある一つの答えを得ます。

そこからまた道は開けます。



人生とはいろんなことの繰り返しではありますが
それを繰り返して感じることがあると思います。


私も自分の中に気持ちがあったからこそ
それに対しての実践が始まったのです。

もし、自分のその気持ちを
見て見ぬふりをしていたら
今の状況はあり得ませんでした。

まずは自分の気持ちに向き合う。

しかし、それは
まずは自分の周りに向けて
働きかける生き方があったからこそ
自分の気持ちも発生したのです。


外も内もベクトルは違っていても
その存在自体、同じものです。

内、外
振子のように人は揺れ動きます。

例えていえば
社会に出て働くことと
プライベート
どちらも必要であるように。

テンション上がることもあれば
落ち着く時間が必要でもあるように。


私はその振子に気づいていました。
そしてたくさんの人も気づいていると思います。

それに対して疑問に思い
それについて真面目に
人生かけて取り組みました。

その振子を終わらせたかった。

そしてついに
その振子そのものが消えたのでした。


問題が発生したら
答えが必ず存在し
それを解決する方法は絶対にあります。

確実にあります。
見つかるまであきらめなければ。


あきらめないこと


これは最も大切です。








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人としての幸せ

私は第三の実践として
人としての幸せを求めた実践を
しました。


これがあったからこそ
最後の激流に
なんの悔いもなく飛び込めました。


なぜそうだったのかは
人の数だけ答えがあるので
お伝えはしませんが
(伝える必要、ないですね!(笑)
言えることは
人として精一杯生きれば
必ず道は開けるということ。


または人としてきちんと生きなければ
次の扉は開かないということ。


大いに考え
大いに工夫し
悩むこともあるだろうけど
悩みさえも実は力になる。

悟りの話は
とてもマニアックで
どこかのよその人の話として聞くのは
面白いかもしれないけど
現実世界ではほぼ役に立たない。

なぜなら悟りの道は
現実からかけ離れた道だからです。


人として幸せに生きる道こそが
道だと考える。

その道があってこその
その先の道であり
人として求めるものを得るために
悔いなくやった人以外に
その道は開かれない。


私もそうでした。


人としての道は
素晴らしい。


どうぞ、皆さま
自分の理想とする幸せな道を
お歩きください。

自分が大好きな道を!

善なる道を!


あ、このブログの題名

大好き!ハッピー! な毎日☆

やった!(笑)


これやろ!



@(*・ω・*)ポッ



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本当にいい人

かつて私は
本当に「いい人」になりたかった

それを心から望み
どうすればそうなれるかを
自分に問い
得られた結果を行動に移しました。


「いい人」が存在するとき
いい人とそうでない人が存在します。

なぜなら
そうでない人がいなければ
いい人がどういう人かわからないからです。


私はそれをわかっていました。

いい人になりたい
と言いながら
そうでない自分が存在しているのを知っていました。

よって自分の実践の中で
「喜んで」の実践だけでなく
いい人でない自分を「捨てる」実践も付け加えました。
(捨てようと思って捨てられるものではないけど
あきらめなければいろんな形で
それが叶います)

結果的にいろんな方向から
この実践はうまい具合に働きました。


ちなみに私は何かの本を参考にして
この指針を決めたのではありません。

理想の自分を目標にし
どうすればそうなるかを
自分なりに考えた指針です。

結果、どこかの偉い人が言っている方法と
似た形になっているかもですが
(似てないかもですが)
私はそのどこかの偉い人の言葉は参考にしていません。

自分が本当にそうなりたいと望めば
道は開かれ
開かれただけではそれはダメで
日々の行動が大切なのです。


私の実践は
周りから見たら変だったかもしれません。

いや、変だった(笑)

「いいなぁ。悩みなさそうで」
と言われたこともある。

最高の褒め言葉ですね。
(しかし、その当時は
なぜそう言われたのかわからなかったけど)


もちろんいい人でない自分が常に存在していたので
その頃、実践自体完璧ではなかったですが
失敗してもあきらめず
常に自分の理想に向かっていました。


この実践中、
いろんなことがありました。

一言ではもちろん表せないし
人に伝える必要もないと思うのですが。
(誰も聞いてないよね(笑)

みんな自分自身が主人公で
自分にしか知らないことがあります。

私は表でいい人
裏ではそうでない人
という在り方も許せませんでした。

そして自分の理想に対して
人に押し付けることもありませんでした。
(自分がこうあるべきで
よってみんなもそうであるべきだ
と思ったことはありません。
あくまで「私が!」でした。)

どんな時でも喜んでをしている私が
うっとおしいと思う人
理解できない人
いろいろいたと思いますが

実践中はそんなこと考えたことも
なかったですが、、、。

迷惑をかけた人もいるかもしれない。
申し訳ありません。

しかし、私の理想を貫かせさせてくれた
周りの人々、環境、その他いろいろに
感謝いたします。


そのおかげで今があります。

予想もできなかったこの展開。


はい、予想内であれば
その予想する自分を超えていませんので
そんな結果ではまだ
予想する自分が存在しています。

自我はまだある、ということ。

自我消滅の状態は予想できない。

その自我消滅を予想する自分が
予想できる自我消滅であるのなら
予想する自分が存在している状態の
自我消滅の予想です。


@(*・ω・*)ポッ





プロフィール

ラピ。

Author:ラピ。



ラピ。至る。
@(*・ω・*)ポッ

2013.5.13以降の記事が
至った後の記事となります。

それ以前の記事は
整頓して非公開にしました。

2006年12月から始めた
このブログ

かなりの記事があって
整頓するのが大変でした(笑)
皆さま今までも
どうもありがとうございました


*:--☆--:*@(*・ω・*)ポッ:--☆--:*:-



 admin






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