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充実した一日でありますように

みなさま、いかがお過ごしですか?


ぜひ、今日も幸せにお過ごしください。

他の言い方をすれば
幸せな時間がますます多くなりますように。


その積み重ねが「幸せ」というものですね。


日常、大変なこともあると思いますが
その大変なことが
次へのステップの力になります。


どうぞ、皆さま!


今日も素晴らしい積み重ねの1日を!


応援しています!



@(*・ω・*)ポッ



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精一杯


みなさんこんにちは!
@(*・ω・*)ポッ


私の書いていることについて
または私について
いろいろ判断したり
評価したりすることは
その行為をしている人に
その行為が起こっています。

ただそれだけです。

何のために私を評価しているのだろうか。

私を評価することが
その方の生活の役に立つのだろうか。

意味がない。



私の書いている言葉を
必要とされている方がいたら
どうぞ、使ってください。
そしてそれがその方の生きることの
お役に少しでも立てたら
うれしいです。

しかし、人それぞれなので
私の方法が合わない方もいらっしゃると思います。

そういう方は
また別の道がいいですね。

私のかつての道は
自分なりに精一杯生きる道です。



私の書いている言葉に
反論があるのなら
私に反論しても意味がないので
どうぞ、私の言葉は捨てて
自分の日常を生きてください。


気に入ったら使っていただき
気に入らないのなら捨ててください。


ただそれだけです。


ちなみにかつての私には理想があって
その理想を現実的に生きました。
(何度も書いてますね)

空想して終わったり
今いる環境に文句を言って
そこから逃避するために理想論を語ったりするのは
大変もったいないことです。

少しづつでいいので
今できることから始めて
それをずっと続けるつもりでやっていたら
気づけばかなりのことができるようになっているはずです。

本とか鵜呑みにしないで
自分が「そうかも」と思ったら
実際やってみました。

本による知識を得て満足するのではなく
その知識を実際に使って
いろいろ試してみました。

私はそうしました。

せっかく人として生きてこられたのだから
後悔ないよう
自分なりに精一杯私は生きました。


ただそれだけです。

@(*・ω・*)ポッ



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「空っぽであること」と「空っぽそのもの」の違い


私は4段階を経て今に至りました。

でも実は第2の実践終了で
ある程度達しておりました。

、、ある程度、、、です。
(変な表現ですね、、、、、。(笑)

その「ある程度達した」ことにより
私は

「空っぽ」

になることができていました。

今もある意味空っぽですが
そのかつての空っぽと
今の空っぽは
全く違うのでした。


かつての空っぽを
「空っぽであること」

今の空っぽを
「空っぽそのもの」

と表現できます。

(~そのもの、という表現を
よくしてしまうのですが(笑)


違いを書きます。


「空っぽであること」
は空っぽになる容器はまだあって
その容器の中が「空っぽ」という状態です。

容器はまだありますので
今は空っぽでも
いつ空っぽじゃなくなるかわかりません。

そして常に「空っぽ」であるよう
心がけている状態です。

この頃は
私の意志を使って、
別の言い方をすれば
「空っぽであること」を選択し続けたので
空っぽであることができました。

、、、、、


そうです。


まだ「空っぽ」だと
意図する自分がいた。

意図しなければ
空っぽは保てなかったということです。

(しかし、ここまでになるのも
そう簡単なことではないです。
精進あるのみ!)


そして今の

「空っぽそのもの」

は空っぽになる容器すらない、
空っぽを超えた「空っぽ」であります。

意志する必要なく
そう選択する必要もなく

ただただ空っぽのみ。

何も意図する必要がない。



空っぽであることと
空っぽでないことがある

相対的なそんな空っぽが
かつての私の「空っぽ」でした。


今は絶対的空っぽ。

空っぽでないことに
なりようがない空っぽです。


、、、言葉に表すと変だなぁ、、、。


かつての私は
常に「空っぽ」であることを
選択し続けることができた。

それはそれで
ある意味楽だった。

空っぽであることができたから。

でもこの時ふと思ったのは

「この空っぽを意図する私が
全てを忘れて
空っぽを選択することすら忘れたとき
はたして空っぽでいられるだろうか?」

無理かも、、、、。

なぜなら意図しての空っぽだったから、、。


それでは嫌でした。

完璧な空っぽ

どんな時も空っぽがよかったのです。


私はかつて「空っぽ」でいられたので
ある程度楽ちんでした。

でもその状態の更なる先がありました。

そしてその更なる先は
「意図することを忘れたらどうなるか?」

という問いを解決するものでした。

、、、解決した、というよりは
問題そのものが消えてしまったのだけども。


至る前はこの問いに対して
「意図することを忘れても大丈夫になりたい。
どうしたらなれる??」
と思っていた私でしたが
実は想像以上の解決を得ました。

至った瞬間、
そもそも意図すること自体が消え去り
意図する私が消え去り
「忘れたらどうなるか」なんて問い自体が消え去り
「大丈夫」であることも消え去りました。

そう、問題そのものが消えた。

問題を超えてしまったのでした。

(これは例えですよ)

もしかして
かつての私のような人がいたら
ヒントになるかも、と書きました。
@(*・ω・*)ポッ



ちなみにここに書いたことは
実践されている方は
「ふ~ん、そうなんだぁ。
さて、精進、精進!」
くらいの姿勢がいいです。

私の書いていることについて想像し始めると
その時点で実践できていないことになります。

これはスピ系の本に対しても言えます。

精神世界の本を読んでも
「そうなんだぁ~」くらいの姿勢がいいと思います。

議論しても それがどういうことか考えても
意味ないのです。

それはそうならなければ
単なる想像となるだけですから
議論も単なる想像上の議論となってしまうんです。

だからそうなるしかない。

そうなるためには
ひとまず、そうなろうとすることから離れて
自分の理想に集中してください。


今を大切に、、、。



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理想と集中力


私はかつて

「こうあるべきだ!」

というのがありました。
(自分に対してです)


その「こうあるべきだ」というのが
私の理想で、
まるでそうであるように生きることを
決心しました。


それをただただ
自分の在り方として決心し
ひたすらそうであるよう努めました。


なぜ、そこまでとことんできたのだろう、、、。


ズバリ、エゴが強かったからだろうなぁ。


このエゴに対して
エゴをなくそうとする方向性では
今の私には至れなかったです。


そのエゴに挑戦したんです。


(ちなみに至るまで
それがエゴって知りませんでした。
実は大きな大きなエゴだった(笑)


ちなみに至るまで何がエゴか
分かりません。


なぜなら、何がエゴか、と考えたり
判断したりすること自体
エゴの動きだからです。

だからエゴがまだある時点で
「これはエゴだ」と決めつけることは
実は意味なく、
それ自体、エゴを増強します。

それならエゴの判断をあきらめて
自分の善なる道を進む方がいい。

あ~だこ~だ
エゴについて考えるより
理想なる道を。

エゴを消そうとするのではなく
理想なる道を進む。


何度か書いてますが
エゴを消そうとしても
消すことはできない。

エゴが消えざるを得ない状況にもっていくのがいい。

だから、エゴがなにであるか、しらなくていい。


精進すれば
いつのまにかエゴの声は少なくなる。

私流に表現すれば

集中力が高まる

ということです。


私は日常の実践により
集中力を極めました。

第1の実践で
コツをつかみ

第2の実践でそれをいかし
さらに進んだ。


無駄なことは何一つない。


@(*・ω・*)ポッ


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あきらめないこと


実践をする、
がんばると決心された方々へ。

もしかしたらヒントになるかもしれないことを
お伝えしときます。


「あきらめないこと」

とても大切です。

ある時、もしかしたら
「人生、こんなもの、、、」
って思う時があるかもしれない。

それってとってももったいないんです。

「人生とはこうだ」みたいな定義を
すでに持っている方も
いらっしゃるとおもいますが
本当にそうでしょうか?

それは本当ですか?
かつての経験からそう言われていたりします?
それとも何かの本に書いてあったから?

もし、これから起こることが
自分の定義通りであったのなら。
自分の予想通りであったのなら、
それ以上、進むことはできないし、
(そこで止まってしまう)
これから起こる
予想以上のことも受け取ることができません。


私は今の状況を
かつては決して「想像」できませんでした。

想像していた時もあったけど
あきらめました(笑)

想像できないことってあるんです。

想像以上のことがあるんです。


、、、、と、これまた
人生を「想像以上のことがある」
と定義づけてはならないのですけども、、、。
実践時は、定義づけはひとまず置いといて
ただ実践あるのみなのです。
それがコツです。


私の実践には主に2段階あったのですが
それぞれをとことんやり遂げた後に
次の扉が開きました。

まず、扉は探しても見つからない。

とことん頑張った人にしか
現れない。

そして実践中は
その扉を期待してはいけない。

実践中、その扉を期待することは
その期待している間、(=想像している間)
実践を怠っていることになるんです。


精一杯頑張ることが
扉の鍵。


少なくとも、
実践をしていれば
人生の中で恩恵は必ず受けますから
扉のことは心配なさらず
今をがんばってね。


求めることなく到達すること。


それは今を精一杯生きることです。


今日も後悔ないよう
善なる自分を精一杯生きてね。

@(*・ω・*)ポッ




プロフィール

Author:ラピ。



ラピ。至る。
@(*・ω・*)ポッ

2013.5.13以降の記事が
至った後の記事となります。

それ以前の記事は
整頓して非公開にしました。

2006年12月から始めた
このブログ

かなりの記事があって
整頓するのが大変でした(笑)
皆さま今までも
どうもありがとうございました


*:--☆--:*@(*・ω・*)ポッ:--☆--:*:-



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