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あけましておめでとうございます!

あけましておめでとうございます

皆様お正月、
いかがお過ごしですか?

私は相変わらずで
変わることなく変わり続けています。
@(*・ω・*)ポッ



体があるって
素晴らしいことで
そのおかげ様で
人間っぽく生きられています(笑)


体ってすごいんです。

体自身が
かつての名残であり
それがもしなかったら
私はこうではないでしょう。

体があることに感謝ですね。


今年はどんな年になるでしょうか

皆様どんな時も
後悔ないよう精一杯生きてくださいね

そうできること自体が
素晴らしい宝物ですよね!!



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ほんの少しの苦脳と高い志と

お久しぶりです

皆様お元気ですか?


今年もあとわずかになりましたね!
(悟ったら時間なんてないでしょ!
なんてツッコミはある意味正しいです(笑)



日々精進している時
一番大切なのは高い志ですが
実は苦悩も必要なエッセンスであります。

もちろん一番大切なのは
高い志なのですが
実は
苦悩があるがゆえに
高い志を保つことができるんです。

なぜ?

今までの私の記事を読んでくださっていたら
何となくわかっていただけるのではないでしょうか。


よって解説はぶっ飛ばして
結論だけを言うと

苦悩に感謝

これであります


苦悩に感謝したら
すぐに高い志に従って進みましょう。

大切なのは高い志。

苦悩がやって来た時の対応として
正しい姿勢は
「感謝」なのです。


時間を無駄にせず
=苦悩に無駄な思考を使わず
=苦悩に無駄な意思を使わず

ぜひ、高い志に基づいた清き道を!




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伝えるべきことはない

悟った人にとって
実は伝えるべきものは
何一つありません。

こうすればこうなる
といったマニュアルも当然存在しないし、
よって「悟りの道はこうだ」
なんてものも存在しない。

それなのに教えが残っているのは
悟った人の言葉を
誰かが書き留めたものが残っているからです


さて、ではなぜ
私はこうやって
ブログを書いているのでしょうか。


そうなんですよね。


かつて精進していた私にとって
今、この書いているブログの内容は
全く必要のないものです。

なぜなら、
このブログを読んで
あれこれ理解することは
私のかつての道ではなかったからです。

私は
私が決めた生き方を
ただひたすら生きた人であり、
よって他の誰からも意見を聞くことなく
誰からも教えを乞うことなく生きました。

そして今世である程度行ったところで
実は私は立ち止まっており、
その頃、スピリチュアルにある意味はまっておりました。

その頃はある程度
自我が消滅できていましたが
それは部分的なものであり
まだ「私」が存在していました。

しかし、TK氏に出会え
ヒントをいただいたことにより
最後を全うできました。

もし、最後まで自分の力で進んでいたなら
今の私には至ってなかった可能性が
かなり高い。

よってその時点で
自分より先を行く方の言葉は
有益である、ということです。




もし、私がかつての「ある程度」のところで終わっていたら
もう一度人として生まれ変わっていたかもしれません。

「ある程度」のときは
ほとんど苦は発生していませんでしたが
それゆえに
悟りに誰よりも最も近く
最も遠いところに居ました

なんとなく伝わるでしょうか。


「ある程度」を達成した時
私はかつて一度死にました。
(自我の一部の消滅ですから
死んだ、とも言えるのです)

よってこの生で1度ある意味死んで
生まれ変わっております。

普通、生まれ変わる時は
それまでの記憶がほとんどない状態で生まれますが
自我の一部消滅の時は
記憶を持ったまま生まれ変わった
という例えが割とぴったりです。

(その時の生まれる時の記憶が
なんとなくあります)

そして悟りを忘れ
スピリチュアルにはまりました。

私の第2の今世での人生は
スピリチュアルで始まりました


それがこのブログの始まりでもありました。

スピリチュアルしてた時
とても楽しかったです。

しかしその時、すでに一部が消滅していたため
その頃の経験が
実はほとんど残っておりません。

ただ、いろいろな不思議な縁に出会うことができ
大変感謝しております。

だからそこで出会った方々が困ったとき
力になれたら、と思います。

私は変わってしまったけど
変わっておりません。

いつか、恩返し出来たら、と思います。

いろいろ言葉が足りないところがあってゴメンね。

でも大切に思っておりますから
何かあったら声かけてね。

いつでも歓迎しています。




ちなみに一部の消滅時
一度死んで生まれ変わったという表現をしましが
この時生まれる「苦」を経験しております。


しかし、自我が完璧に消滅したときは
生まれ変わった
という言葉では表現できず、
例えて言えば
この世界がすべて消え
私も消え

この残ったもの
(ものとも言い難いそれ)は何?

という感じでした。


もちろん生まれることもなく
死ぬこともないがゆえに
生まれ変わることも死ぬこともない。

ただただそうであり、そうであるのでした。


時が止まった

という表現が少しできるでしょうか。

しかし、そもそも時が存在せず、
やはり言葉にはできないのですが
悟ったその時、
ぱちんとはじけてなんもなくなりました。

しかし、なくなったというのも違っていて
はじけてもなく、、、

そして別の世界に行きました。
しかし、別の世界があったわけではなく、、、、


全くもって
言葉では表せません。


そんな私に伝えるべきことは何一つありませんが
誰かの力になることはできます。

いろいろ見えちゃうから
その都度言葉を用いて表現しますが
それは単なる言葉の羅列であり
意味はなく、
しかし、それを聞いた人にとっては意味を持つのです。


私に伝えることはない

しかし、受け取ることができる人々が
たくさんいるのです。


うまく伝わるかな?


@(*・ω・*)ポッ








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苦を切り捨てる

人は基本
悟る必要は全くないと思います。


この人の世の中
楽しい事いっぱいありますし
充実した時間を過ごすことができる。

自分が決めた目標に向かってがんばり
それが叶ったときの達成感!

素晴らしいですよね!

悟りなんて必要ない。


しかし、人として生きている時
壁にぶつかる時がありますね。

もしかしたら落胆したり
悲しんだり
そういう時もあるかもしれません。

幸せな時や頑張れている時はいいですが
そうでないとき
自分はどう生きたらいいのか
もしかしたらわからなくなる時があるかもしれません。


そんな時に役立つ言葉があります。


「今、私が感じているものに
実体はない」



悲しみ、苦しみ
そういったものは
人であるがゆえに感じてしまうものなのですが
それらが本当に嫌なら
それらを消してしまうことができる、
いや、
そもそもなかったことにしてしまうことができる、ということです。


だから苦しみや悲しみによって
さらなる苦しみや悲しみを選択しないようにしてください。

なぜ、実体のないものに
左右されてしまうのでしょうか。

実際、苦しみや悲しみの真っただ中にいるときに
「それは実体のないもの」
とは言えないこと、
多々あると思います。

しかし真実はそうではないので
実体のないものだと思えなくても
どうやっても思えなくても
自分に言い聞かせることができます。

「これは実体のないもの。
負けてたまるか」と。


悟ればわかります。
(正しく言えば、わかることなくわかるのですが)

人にとって
悲しみや苦しみなどは
発生するものであり
(悟れば発生しません)
人のものではありません。

だからそれらのいわゆる「苦」に対して
決して負けてほしくありません。

負けるときは
「負けた!」と「自分が思い込み」
それらに乗っ取られたときです。

「苦」は人のものではありません。

例えて言えば「苦」はやってきて
去っていくものです。

しかし、時と場合によっては
やってきた苦を握りしめ
さらに苦を思いめぐらせ
ついには苦になったかのようになってしまうのです。

苦がやって来た時の対処法は
いろいろありますが
かつての私の場合は、
苦を感じる前に切り捨てておりました。

よって苦が生じる前に切り捨てていたので
発生しかけても
それを味わうよりも
切り捨てることに意識を使いました。

味わうより、切り捨てる。

このことからわかるように
苦は切り捨てることができるのです。
私にできたのだから
だれもが本気になればできるはずです。

苦になる必要はありません。

もうひとつ、ヒントとして
なぜこの苦が発生したのか
考えることも有益です。

苦が発生するのには
必ず原因があります。

その原因が分かったなら
そして二度と苦を味わいたくないのなら
その原因を解決するための対策を考え
それを実践するのです。

それが私にとっての
「自分を捨てて心から喜んでしよう」
でした。

私はあれこれ
なにかを評価しようとする自分が嫌でした

何かがあれば
「これはこうだ」
といった感じの自分の心の動きが嫌でした。
(うまく書けていませんが)

だから「自分(の気持ち)を捨てて」
という目標を立てました

また、私はかつて
自分がしてもらったらうれしいことの一つに
私が話しかけた時、
笑顔で返してくれる、というものでした。

そして自分がそうしてもらってうれしいなら
まずは自分がそうしよう
と思い
「なんでも喜んで!」を目標としました。


「自分を捨てて心から喜んでしよう」

は私が考え抜いた
究極の生き方だったのでした。

この生き方に決めた理由はまだまだいっぱいあるのですが
この生き方を決めたことは
今の私からしたら奇跡であり
おどろきでした。

それは間違いなく、
悟りへの道だったのです。
その当時、私は全く気付いていませんでしたけど。
(そもそも悟りなんてしらないし(笑)

だからある意味
すごく不思議なんですけど、、、。


しかし、例えていえば
私はかつてはかなり古い魂であり
実はいろんなことを知っておりました。

そして人としての何度も生きた経験をもとに
今世、ついにやり遂げました。

かつての人生で
ある程度まで行ったことがあるようですが
その時もその結果、苦悩したことがありました

ある程度行ったときに発生した苦悩については
それまでの「道」に問題がありました。

だから今私は
「完璧な善」の道しか認めません。
それ以外は遠回りであり
必ず苦が発生いたします。

私のかつての経験からそう言っています。

その時の道はもちろん
基本は善でありましたがわがままでもありました。
だから今世での道に
「自分を捨てて」が付随しています。

よってそれが今世で活かされました。

さらなる高みへ

そしてこの人生を最後にする

という決心が
最後の道を歩く心の糧となりました。


私の歩いた道は
本当に書けば
大変険しいものでありました。

だから悟った当初、
私の歩いた道を参考に人に伝えたため
厳しい内容となってしまいました。

しかし、今思えば
そんな道、歩くのが必要な人はほとんどないようです


私が特殊だったのでしょうか。

いいえ、私はみんな同じだと思っています。

ただ道のどのあたりを歩いているか
の違いだけ。


そして私の言葉が必要な位置にいる人が
この世界に一人でもいたなら
私の書く物は有益であったと言えます。

まぁ、そもそも
有益である必要はないんですけどね(笑)


ちなみに私のかつての指針の
最も大切なポイントは
「自分を捨てて」です。

長く実行すればするほど
できるようになります。

発生する前に切り捨てる



たしか釈迦の最後の悟りのところで
悪魔との対話みたいなのがあったと思いますが
私は悪魔の声すら
発生する前に切り捨てることができました。


最後の実践に飛び込んでから
私はほぼ1日で悟りました。

その最後の実践中に発生しようとした思いは
3つほどしかなく
それも発生の手前に切り捨てたため
ほとんど発生しませんでした。
(変な言い方ですが)

この切り捨てる技は
最後の道で大いに役立ちました。


だから自分の思いを捨てて

(例えば
「嫌だなぁ」とか「めんどくさいなぁ」とか
がんばろうとする自分を
邪魔するのが悪魔の声です
それを切り捨てていき、実践するのです)

人のために頑張ることは
大変清く
後々の生き方に大変役立つのです。


皆様がどうぞ、幸せでありますように








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相対的を超えて 絶対的でありたいのなら

相対的を超えて
絶対的でありたいのなら


決して問うてはならない


なぜなら問えば
答えが必ずあり、
それは
相対的であるからこそ存在しているからです


問う=相対的確定

なのです


※これは例えですよ







プロフィール

ラピ。

Author:ラピ。



ラピ。至る。
@(*・ω・*)ポッ

2013.5.13以降の記事が
至った後の記事となります。

それ以前の記事は
整頓して非公開にしました。

2006年12月から始めた
このブログ

かなりの記事があって
整頓するのが大変でした(笑)
皆さま今までも
どうもありがとうございました


*:--☆--:*@(*・ω・*)ポッ:--☆--:*:-



 admin






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